川岸駅(建替中)~塩尻駅ホームのぶどう園~駅そば~桑の湯(工事中)~東座

この夏は使いこなせなかった青春18きっぷを使って計画性もなく長野県・中央本線の川岸駅に行ってきた。

途中の中央本線の上諏訪駅で見かけた木製の駅名標。中央本線~大糸線あたりで見かけるこの駅名標が好き。

上諏訪駅

しかし川岸駅の駅舎は建て替え中だった。そんな…ショックが大きい。

川岸駅(建て替え中)

川岸駅(建て替え中)

「駅ノート プレ再開のお知らせ」なる告知があった。駅ホーム待合室にあったらしいが、駅前で呆然としながら時間を潰していたら見逃してしまった。

川岸駅(建て替え中)

工事は順調に進んでいる様子。

川岸駅(建て替え中)  

川岸駅(建て替え中)

跨線橋はいい感じに古びているのだが…

川岸駅(建て替え中)

駅前の開通記念碑

川岸駅開通記念碑

SLの銘板が埋め込んである

川岸駅開通記念碑

駅前の商店

川岸駅

悲しい気持ちになりながら塩尻駅に戻った。
塩尻駅は今ホーム上にあるぶどう園の実が成り頃。ガラスの風鈴がいくつも吊り下げられ、風に揺られてカラカラ音を鳴らしていた。
ホーム上のぶどう園は、一応日本でここだけらしい。

塩尻駅ホームのぶどう園

塩尻駅ホームのぶどう園

塩尻駅ホームのぶどう園

ホームにある木は5~6本位か。結構少ない。よくこれだけの実を成らせるものだと思った。実は子供たちが描いたような絵入りの紙袋を丁寧にかけられていた。相当に栄養が必要そう。

塩尻駅ホームのぶどう園

塩尻駅のローカルなご当地看板が好き。

塩尻駅のローカルな看板

塩尻駅のローカルな看板

雷鳥の里の看板も何十年と変わらない…妹がこのお菓子大好きだった。私も好きだが。 

塩尻駅のローカルな看板

恒例。駅スタンプを2個押した。駅スタンプ台も雰囲気たっぷりのワイン樽製。

塩尻駅 駅スタンプ

非常に狭い入口が名物(?)の塩尻駅の立ち食いそば屋「桔梗」。健在で安心した。

塩尻駅 食いそば屋「桔梗」

改札内の店舗は18:15まで。毎週月曜日が休業になっていた。

塩尻駅 食いそば屋「桔梗」

塩尻駅 食いそば屋「桔梗」

昔入った銭湯「桑の湯」に行ってみる。

その昔は「スナック喫茶なかの友」という店だった所。

スナック喫茶なかの友

蔦の絡まり具合が気になる。

スナック喫茶なかの友

途中にある常盤稲荷神社

常盤稲荷神社

常盤稲荷神社

途中にある丸文花火市場&丸文塩尻書店
好きな風情

丸文花火市場&丸文塩尻書店

丸文花火市場&丸文塩尻書店

丸文花火市場&丸文塩尻書店

丸文花火市場&丸文塩尻書店の所に設置してある映画館フロムイーストの看板。フロムイーストはその昔一度入ったきりだが、この看板を見てそういえば塩尻にあるんだっけと思い出した。

フロムイースト

雨が酷くなってきたので向かいのデリシア塩尻店のダイソーで折り畳み傘と傘収納袋を調達した。この傘が300円と安い割に使い買って良くて気に入った。

銭湯 桑の湯

銭湯 桑の湯は15時からなのでバッチリ入るつもりでいたが、なんと工事中で休みだった。

銭湯 桑の湯  

銭湯 桑の湯

入口が開いていたので入口だけ写真を撮らせてもらった。

銭湯 桑の湯

のれん掛け?と思われる金具にまで温泉マークが入っていて芸が細かい。

銭湯 桑の湯

おしゃれな透かし文字だ。

銭湯 桑の湯

お風呂に入れなかったので、東座の外観だけ見て帰ることにした。できれば映画見たかったけど、電車なくなる。

東座フロムイースト

東座フロムイースト

東座フロムイースト

丸文花火市場&丸文塩尻書店の所にある看板でも見た「君は行く先を知らない」っていうの面白そうだな

東座フロムイースト

東座フロムイースト

東座フロムイースト

塩尻の商店街の街灯
昭和のままのようなデザインでいい感じだ

塩尻の商店街の街灯

塩尻の商店街の街灯

急ぎ足で塩尻駅に戻り、18:15で閉店してしまう立ち食いそば屋「桔梗」でお蕎麦を食べた。

改札内側の店内は2人しか入れない。先客がいて戸惑ったが、狭い場所をつめてくれた。申し訳ない。食券を買ってかき揚げそばを注文。2015年にかき揚げそばを食べた時は370円だったが、550円に値上げされていた。

塩尻駅 食いそば屋「桔梗」

甲府駅内にある「生蕎麦いろり庵きらく」もかき揚げそばは550円だが、冷やしそばを頼んだせいか、甲府駅のそばはゆで太郎の冷やしそばに似た細麺だった。こちらの麺のほうが若干もっちりした太麺。

塩尻駅 食いそば屋「桔梗」

塩尻駅東口1階にある「ほっとしてざわ塩尻駅店」という店も良さげだが、夜は居酒屋風になる様子で、店内が大分混雑していてうるさそうだった。昼は客がほとんどいなくて静かで良さそうだった。

ほっとしてざわ塩尻駅店

そういえば塩尻駅の西口って見たことあったっけと思って足を伸ばしてみたら昭和風な駅舎があった。

塩尻駅 西口

塩尻駅 西口

書体がいいわ~。

塩尻駅 西口  

久しぶりのカラマツトレインにも寄りたかったけど、閉店時間の18時を過ぎてしまい、寄れなかった。残念…。

https://www.shimintimes.co.jp/news/2022/01/post-16785.php

国道345号 根込隧道(ねごみずいどう)と羽越本線 根与木トンネル

根込隧道(ねごみずいどう) 
38.417058, 139.468580

国道345号 根込隧道(左)と羽越本線 根与木トンネル(右)

国道345号 根込隧道(左)と羽越本線 根与木トンネル(右)

羽越本線の根与木トンネル。読みは「ねよき」で良いのだろか?
229m62
「根与木(ねよき)」ではなく「根兵木(ねおき)」だろうか?

旧青森機関区 転車台跡 日本貨物鉄道(株) 青森総合鉄道部

JR貨物 青森支部にある転車台跡(解体済)。
転車台は解体されているが、構内にSLの車輪が飾られているのが確認できる。
2010年にJR東日本から青い森鉄道に移管。
当機関区から伸びていた津軽森林鉄道の軌道の地形が残っている。

日本貨物鉄道(株) 青森総合鉄道部
〒030-0852 青森県青森市大野北片岡無番地

青い森鉄道株式会社 運輸・設備管理所
〒030-0852 青森県青森市大野北片岡

旧坂町機関区 給水塔

羽越本線の車窓から見た旧坂町機関区の給水塔。近くに転車台もあるのだが分かりづらかった。この転車台は現代もSL運行時に使われるらしい。

坂町駅
新潟県村上市坂町
1914年(大正3年)11月1日開業

旧坂町機関区 給水塔

旧坂町機関区 給水塔

旧坂町機関区 給水塔

登別軟石馬車鐵道・登別温泉馬車鐵道 周辺散策

登別軟石馬車鐵道
開業 1909年頃?(明治42年)
廃止時期 不明

登別温泉馬車鐵道(登別温泉軌道)
開業 1915年(大正4年)12月1日
廃止(昭和8年) 1933年10月15日

参考
市史ふるさと登別 下巻 登別市史編さん委員会 編 登別市 1985年出版 – 国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービスで閲覧可能)
P.240 2 中登別・登別地区/928
P.188 8 登別軟石(溶結凝灰岩)/824


登別温泉軌道 – Wikipedia
登別市史編さんだより 第14号(令和2年3月1日) 登別温泉軌道(登別駅前~登別温泉駅)
登別市登別軟石専用線 きのこ屋のHP
北海道の軟石文化をご紹介します。 – 札幌軟石情報発信サイト
北海道 古き5万分の1地形図 失われた鉄路
カモイワッカ 登別市教育委員会

西八王子駅ホーロー(琺瑯)の行先標~バラック呑み屋(解体)

JR東日本 中央線 西八王子駅 上り線ホームに残るホーロー(琺瑯)の行先標

JR東日本 中央線 西八王子駅 上り線ホームに残るホーロー(琺瑯)の行先標

JR東日本 中央線 西八王子駅 上り線ホームに残るホーロー(琺瑯)の行先標

八王子中央図書館向かいのバラック呑み屋
スナック「ひろこ」、「ふれんど」、飲喰処「菜の花」、コーヒー&スナック「とらんぶるー」といった店が入居していたが、2022年6月に解体されてしまった。

西八王子 バラック呑み屋(解体)

西八王子 バラック呑み屋(解体)

西八王子 バラック呑み屋(解体)

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅(こまつかわえき)
東日本旅客鉄道(JR東日本)北上線
秋田県横手市山内小松川字中田谷地71-6
1951年(昭和26年)12月25日開業
横手駅管理
無人駅
1面1線
小松川駅 – Wikipedia

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

北上線 キハ100系

小松川駅 無人駅 北上線

建物財産標

矢美津駅小松川駅 無人駅 北上線

許容積雪量250cmと書いてあるけど、そんなに耐えられるのか…

小松川駅 無人駅 北上線

保線作業員さん達が踏切まわりの雪かきをしていた。

小松川駅 無人駅 北上線

駅前の小松川踏切

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

ホームの銘板

小松川駅 無人駅 北上線

待合室内

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

紙にカラーコピーして滲んだみたいな駅名標

小松川駅 無人駅 北上線

発車時刻表

小松川駅 無人駅 北上線

きっぷ運賃表

小松川駅 無人駅 北上線

平石駅矢美津駅廃止の告知

小松川駅 無人駅 北上線

待合室内にかかっている鏡は古い。「在宅福祉を高めましょう」

小松川駅 無人駅 北上線

「山内村社会福祉協議会」

小松川駅 無人駅 北上線

待合室内に木製の貨車のような小物入れが置いてある。これは矢美津駅にも平石駅にもあった。

小松川駅 無人駅 北上線

周囲の山々がきれいすぎる。

小松川駅 無人駅 北上線

小松川駅 無人駅 北上線

川もきれい

小松川駅 無人駅 北上線

近くの神社の鳥居が雪に埋もれてる

小松川駅 無人駅 北上線

神社の向かいの建物、この辺の集会所のようだ、李原会館

李原会館

李原会館

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅(ひらいしえき)
東日本旅客鉄道(JR東日本)北上線
秋田県横手市山内土渕字平石上段50
1963年(昭和38年)7月15日開業
横手駅管理
無人駅
1面1線
2016年(平成28年)12月1日より、冬季期間(12月1日~翌年3月31日)は全列車通過駅となる。
39.29179, 140.62843
※利用者減少のため、ダイヤ改正に伴い、2022年3月12日廃止予定。冬季休業期間中に廃止されるため、実質的な最終営業日は2021年(令和3年)11月30日。
平石駅 – Wikipedia

JR東日本 2022年3月12日(土) 北上線の「平石駅」・「矢美津駅」を廃止いたします。

JR東日本 2021年12月17日 2022年3月12日(土)ダイヤ改正 ダイヤ改正について 北上線の「平石駅」・「矢美津駅」を廃止いたします。

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

駅前に冬季通行止めの踏切がある。この踏切は本当にあぶない。雪のせいもあるかもしれないが、見通しが悪いだけでなく、列車が数m先まで迫っても音がまったく聞こえない。

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

カーブを描いたホーム

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

夜の平石駅

夜の平石駅

矢美津駅と同じく、まだ廃止前だが、駅名標は撤去されている。

夜の平石駅

建物財産標

待合所1号
昭和38年7月

矢美津駅と同じく昭和38年、開業当時のままの待合室。

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

待合室内

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅 発車時刻表

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

きっぷ運賃表

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

平石駅の駅名標で残っていたものはこれだけだった。

平石駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅(やびつえき)
東日本旅客鉄道(JR東日本)北上線
秋田県横手市山内大沢字矢櫃(やびつ)7-4
1963年(昭和38年)7月15日開業
横手駅管理
無人駅
1面1線
2016年(平成28年)12月1日より、冬季期間(12月1日~翌年3月31日)は全列車通過駅となる。
39.29099, 140.59204
※利用者減少のため、ダイヤ改正に伴い、2022年3月12日廃止予定。冬季休業期間中に廃止されるため、実質的な最終営業日は2021年(令和3年)11月30日。
矢美津駅 – Wikipedia

JR東日本 2022年3月12日(土) 北上線の「平石駅」・「矢美津駅」を廃止いたします。

JR東日本 2021年12月17日 2022年3月12日(土)ダイヤ改正 ダイヤ改正について 北上線の「平石駅」・「矢美津駅」を廃止いたします。

「新あきた風土記」によると、1つの村(旧山内村)に5つの駅(矢美津駅、相野々駅、平石駅、小松川駅、黒沢駅)があるというのは、秋田県内はもちろん、全国的にも珍しいらしい(参考「山内歴史・文化便覧」より)。隣駅との距離も短く(せいぜい4km程度)、乗降客も多くないのに、どうしてそんなに多くの駅を設置できたのかと不思議がられることもあったとか。実際の所は、冬季の通学上の困難や危険を解消するための地元住民の陳情の賜物。小松川駅~平石駅~相野々駅~矢美津駅間を歩行者がほぼいない雪の車道沿いに歩いてみたが、車がかなりスピードを出すので、大人でもあまり通りたくなかった。もともとの「矢櫃」という地名をなぜ「矢美津」という漢字に変えたのか気になる。

ホーム上の待合室 外観 

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

建物財産標

待合所1号
昭和38年7月

昭和38年、開業当時のままの待合室。

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

まだ廃止前だが、残念ながら駅名標はすべてなくなっていた。

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

残っている駅名標はこれだけ。

矢美津駅 無人駅 北上線 ※2022年3月12日廃止予定

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎 秋田県

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅(くろさわえき)
北上線 横手駅管理 無人駅
秋田県横手市山内黒沢字蒲坂57
1面2線ホーム
1921年(大正10年)11月27日開業
黒沢駅 (秋田県横手市) – Wikipedia
39.27638, 140.69949

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

跨線橋はなく、ホームと駅舎の往来は踏切をわたる。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

年季の入った駅名標。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

北上線 キハ100系

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

雪に埋もれる駅舎。ホーム側から見た外観。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

駅前に止めてある車は駅の整備関連業者のもの。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

青い駅名標。光沢がなく、あまりホーローっぽく見えない。この青い駅名標、少なくとも4本は見た。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

駅舎より味わいがあるようにも見える木造トイレだが、2021年10月1日に閉鎖されてしまった。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

入口が閉鎖されたトイレ。

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

駅便所の許容積雪量は200cm

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

駅ホーム待合室

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

ホーム上の待合室内

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

駅舎内

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

発車時刻表

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

きっぷ運賃表

黒沢駅 北上線 無人駅 木造駅舎

峰谷バス停~旧小河内小~麦山浮橋~奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)~深山橋バス停

麦山浮橋(通称ドラムカン橋)が小河内貯水池の水位低下のため12月23日から推移が回復するまで通行止めになると知り、行っておいた。だが最寄りのバス停の峰谷橋バス停で降りる所を間違えて終点の峰谷バス停まで行ってしまい、そこから歩いて戻ってくることになった。折返しのバスに乗っても良かったが、せっかくならこのあたりの集落も見ておこうと思い。このあたりは峰、留浦、下り、川野、雨降、坂本といった地名らしい。細かくて複雑だ。

麦山浮橋(通称ドラムカン橋)

奥多摩駅発バスが発車まで時間があったので、柳小路を通って奥多摩工業曵鉄線の様子を見に行った。下の氷川工場がほとんど稼働していなかったので、たぶんトロッコも動いてないだろうなと思ったが、やはり動いていなかった。

柳小路

人しか通れない狭い路地

柳小路

柳小路

柳小路

柳小路

氷川テレビ組合ってなんだろう。

氷川テレビ組合

ニャンコいた。人馴れしてるのか、案外逃げない。

柳小路

柳小路を出ると青梅街道の青果店へ。「三河屋」という看板がでかでかと掲げてあるので「三河屋」という青果店だと思っていたが、地図を見ると「本橋青果店」と書いてある。今度、食材が切れた時にお買い物しよう。

本橋青果店

石仏

石仏

奥多摩工業 氷川工場は、人はいるが、ほとんど稼働していなかった。

奥多摩工業 氷川工場

動いてないトロッコ。年末年始は稼働しないのだろうけど、年内はいつまでの操業なんだろう。

奥多摩工業 氷川工場

駅に戻る。この看板好き。「奥多摩駅方面直進」

「奥多摩駅方面直進」

今日はみすず堂でお買い物せず。

みすず堂

一松肉店。お弁当が予約制じゃなければいいのに…。でも今度入ってみよう。

一松肉店

奥多摩駅前バス停から西東京バスに乗って峰谷方面へ。

西東京バス

間違えて降りてしまった終点の峰谷バス停。

峰谷バス停

峰谷周辺もいろいろ散策できるコースありそうだ。

峰谷バス停

峰谷集落

峰谷バス停

歩いて峰谷橋のほうまで戻ってくる。下り集落のバス停。

下りバス停

西東京バスの毛筆書体のバス停留所ポール、いい感じだな。

下りバス停

下り集落

下り集落

山に溶け込む廃屋

山に溶け込む廃屋

山に溶け込む廃屋

雨降り集落の商店

雨降り集落の商店

雨降りバス停

雨降りバス停

廃店舗とんちん館

廃店舗とんちん館

廃店舗とんちん館

雲風呂橋

雲風呂橋

雲風呂バス停

雲風呂バス停

雲風呂の民家、寺(普門寺)、理容室。以前はこのあたりに民宿もあったようだ。

雲風呂の民家、寺(普門寺)、理容室。

学校前バス停。

学校前バス停

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)
昭和32年(1957年)竣工、平成16年(2004年)に閉校とのこと。
木造校舎にしては意外に新しい。
その点に関して、↓以下の記事が参考になる。
東京の小学校建築は、「木造(明治)→鉄筋コンクリート造(大正)→木造(昭和初期)→鉄筋コンクリート造(戦後)」という風に変遷し、旧小河内小学校は「戦前の規格で建てられた、最後の校舎の一つであろう」とのこと。
参考 :多摩の近代建築・歴史的建造物:「東京の木造校舎」 奥多摩町 旧小河内小学校 – 東京都の一級建築士事務所 タウンファクトリー

この日は校庭で人が集まってドローンを飛ばしていた。

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

生徒が通らないので荒れた階段

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

隣の敷地にあるのは浄水場か何かかと思ったら小河内小学校のプールの跡だった。

旧小河内小学校(廃校)のプール

旧小河内小学校(廃校)のプール

水位の低下した奥多摩湖と峰谷橋

水位の低下した奥多摩湖と峰谷橋

峰谷橋

峰谷橋

馬頭トンネル

馬頭トンネル

馬頭トンネル

やっとドラムカン橋(麦山浮橋)についた。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋) 

ドラムカンの時代に渡りたかった。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

猿田彦大神と馬頭観世音がある。

猿田彦大神と馬頭観世音

古いベンチとテーブルが用意してあるのはのどかでいい。相模湖みたいなローカル感がある。

古いベンチとテーブル

ドラムカン橋(麦山浮橋)は思ったより揺れない。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

湖畔に沈んだ階段がある。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

対岸にも水に浸かった階段。これでも水位低下してるんだ。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋)

「浮力が低下しているため、この場所では立ち止まらないでください」と書いてある。岸辺近くなら多少は安全そうな気もするけど、そんなことないのか。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

奥多摩周遊道路に出る。

奥多摩周遊道路

水場がある。Google Mapsには「三頭の名水」と書いてある。登山時なら喜んで汲んだだろう。その場でガブガブ飲んだ。

三頭の名水

三頭の名水

奥多摩周遊道路を三頭橋方面に歩いていくと、対岸に奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)の索道が見えてくる。

奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)

奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)

赤い橋は麦山橋かな。

麦山橋

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)
すっかり薄暗くなってしまったので、明るければもう少しまともに撮れるであろうものも撮れない。まあ有名な物件だし、私などが頑張って写真を撮るより他の上手い人の写真を参考にした方が早い。とりあえず巨大な巻き上げ機がすごい。
小河内観光開発 – Wikipedia
Wikipediaのデータを丸写しすると、1960年(昭和35年)8月12日に索道事業許可、1962年(昭和37年)1月29日に営業運転開始。1966年(昭和41年)12月1日に「冬季休業」の名目で運行一時停止。営業不振の理由により1975年(昭和50年)3月に正式に運行休止申請が出される。

ひどく短命なロープウェイであった。

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

神殿のようだ。

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

暗すぎてまともに写真を撮れない奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)に別れを告げて、深山橋バス停に向かう。

奥多摩周遊道路は昭和48年に開通した道路。冬にきたら美しそうだ。

奥多摩周遊道路

三頭橋は工事中(清掃中)だった。掃除機の音が聞こえてきた。橋って掃除機で清掃するんだ…と思った。オウムの後ろ姿みたいな格好をした橋だ。

三頭橋

三頭橋

三頭橋 三頭橋 

三頭橋

三頭橋と深山橋の間にある深山荘は既に廃業している様子。

深山荘

深山橋
1957年(S32年)築

深山橋

深山橋

深山橋

このあと深山橋バス停から西東京バスに乗って奥多摩駅に向かい、帰路についた。

御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート解体

昨日訪れた八王子いちょう祭りが想像していたよりも楽しかったので、また訪れてみた。しかしコロナ禍で規模縮小しての開催とはいえ、この人出(陵南会館のエリア)。盛況といえるのではないか…(→翌日ニュースによると45万人来場したらしい)。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

昨日訪れなかった陵南公園の本園に立ち寄ってみた。相模原市緑区のブースがあり、津久井城など、近隣の古城について紹介していた。津久井城の郭の地図などを載せた冊子なども置いてあり、興味深く思ったが、こちらはすべてPDFファイル化してあり、公式サイトで閲覧できるとのこと。助かる…。

参考:津久井湖城山公園 パンフレットダウンロード

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

陵南公園から、久々に御陵線の跡地を通って長房南団地の方に行ってみた。

御陵線

京王電鉄・御陵線跡

御陵駅の跡地にある近藤内科医院。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

この分岐の右側が御陵線の廃線跡

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

三軒在家稲荷神社付近の御陵線跡地は、10年以上昔は小さな民家が建ち並んでいたが、それが解体され、空き地に雑草が生い茂り、しかも砂利道なものだから、以前よりも廃線跡らしい風景に戻っていた。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

三軒在家付近は1960年代から家が建てられることなくそのまま畑として畑や空き地として残されてきた。長房の風景がもっとも昔のまま残されている場所と言えるのでないか。もしかすると戦前から家が建てられたことがないのでないか。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

微妙に高台となっている三軒在家

1624年頃(寛永)、榎本、岸、遠山の三軒が移住し来り、三軒在家発祥のもととなる。
1923年(大正12年)3月、三軒在家にはじめて電灯ともる。
1971年(昭和46年)8月、三軒在家の幹線道路改修なる。
(引用:「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) )。

三軒在家(さんけんざいけ)
長房町の旧小名・小字、同町の東南部、慈眼寺から富士森高校辺までの南浅川の北岸ぞいの地をいう。
(引用:「八王子事典」 改訂版 2001年出版 かたくら書店)

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

住宅地や空き地の中に古い民家や祠が残る

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

三軒在家まわりは昔のままの、人しか通れない細い砂利道

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

昔、三軒在家稲荷神社のまわりはこのような通じていた。
引用:「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) 

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

「三軒在家むかしといま」によると、鎌倉街道は三軒在家稲荷神社のわきの道を通っていたらしい。

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鎌倉街道は三軒在家を通っていた

~略~

 では三軒在家を通っていたとされる鎌倉街道の道筋はどこだろうか。土地の古老などの話を統合すると、舟田の月夜峰(共立女子学園のあたり)から丸山(長房第一団地西北端)を通り、毛利ポンプ店わきにかかるルートが最も有力視されている(第一ルート)。

 しかしこのルートのほかに次のような説もあるので、どちらをとるべきかにわかには断定し難い。こちらの説は、二分方で別れて横川(横川町)から舟田の自由が丘、長房第二団地、横山橋、散田新地(並木町)、散田(散田町)、俗称「お林」を経て二軒在家で第一ルートに合する(第二ルート)。

 実はこの長房地区には、以上のルートのほかにも中郷地内を通っていたとされる別のルートがあったのである。それは、松木から川原宿(下恩方町)に出て、川村(川町)、中宿(元八王子町)と来て、陵墓地内を通って中郷へ抜け、原(東浅川町)を経て大戸に向う(第三ルート)。

 この道は、のちに後北条氏が興り、関東一円の政治の中心がその根拠地である小田原に移って、氏康の子氏照が八王子城を築いたころには、「小田原街道」または「小田原みち」とも呼ぶようになった。ただし大戸から先は上溝(相模原町)、松田(松田市)、小田原とその流れを変えるようになる。

引用:「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) 

三軒在家 広域地図
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三軒在家 拡大地図
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三軒在家 拡大地図

三軒在家の高台の上にたつ三軒在家稲荷神社

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稲荷社

 創建の年代は明らかでないが、改築前の社殿は間口一間半、奥行一間であった。現在の社殿は間口二間、奥行一○尺の拝殿部分と、一間四方の本殿部分から成り、「昭和九年三月一五日起工、同年四月七日竣工、拝殿改築総工費一七三円八銭」であった旨の記録がある。用材の多くは、当時新設した横山橋の残材払下げ分を含め、榎本亀太郎が寄付し、工費のうち五一円五〇銭は住民一八人の寄付金によった。このとき付近にあった天満自在天神と、御岳社を合祀したという。

 なお鳥居は昭和八年四月に完成、この費用四一円五〇銭、石段は昭和一〇年三月の完成である。ちなみに、この社の正式名称を「正一位字川稲荷大明神」という。神体は紛失してしまっていまはない。

引用:「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) 

三軒在家稲荷神社参道の石段

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昭和拾年(10年)3月完成の刻印あり 三軒在家稲荷神社

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三軒在家の高台から眺めた高尾駅の高層マンションパークハイツ

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三軒在家から長房南アパートの方に向かう。古い墓や畑や未舗装の小道の遠方に都営長房西アパート&南アパート高層住宅群が見えるのはとても長房団地らしい風景のようにも感じる。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

解体された都営長房南アパートの55、56、61、62、63、64号棟の一帯は仮囲いで覆われ侵入できないようになっている。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

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建て替えられた巨大な都営長房アパート西19号棟

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船田古墳のある遺跡公園
昔から位置が変わらない公園

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団地建て替え前からそのまま残してあるバナナの木だろうな~と思って見ていたら…

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なんとバナナの実が成っていた。バナナってこういう風に実るのか。

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皮が下に落ちていた

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いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

遺跡公園に残る古いコンクリート製のベンチや鉄柵は昭和時代から変わらずあるものだ。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

都営長房南アパート 50、51、52、53、54号棟の解体工事はほとんど終わって更地になっていた。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

公園も何もかもなくなってしまった。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

案内図に貼ってある貼り紙類は変わらない

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所 

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

新栄商店街
日曜だからか?どの店も営業していなかった

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

ただしスナックは別。このお店は昼から外に歌声が聞こえるほど大きな音量でカラオケしていて盛況みたい。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

こちらのスナックも新しい液晶案内パネルが点灯に設置されていたので、常連さんがいるみたい。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

ただコロナ禍で潰れてしまったスナックもある。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

南浅川沿いにある斉藤製作所
いつもはほとんど閉まっているが、いちょう祭りにあわせて営業中になっていたので立ち寄ってみた。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

作業所のような雰囲気だが、店頭で「石」を売っている。

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磨かれた貴石も多かったが、鉱石系もあったのでゴッシュナイト(緑柱石単結晶)を1点購入。

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隕石もあった。軽かった。海外の砂漠産らしい。

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リチア雲母

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砂の中から宝石の粒を探すグッズなどもあったので、子供も楽しめると思う。ゴッシュナイト(緑柱石単結晶)を買ったらおまけでアメジストを付けて頂いた。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

南浅川沿い、南浅川橋近くにあった喫茶店「コーヒー美花夢」の建物が解体されて駐車場に変わっていた。

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帰りにイーアス高尾に寄っていったが、銀だこが12月1日・2日・3日に390円セールを開催するらしい。嬉しい。

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昨日はいちょう祭りの屋台店舗で細々と買って食べたが、今日はイーアス高尾店のペッパーランチを利用してみた。以前から気になっていたのを初めて食べてみた。自分で鉄くステーキは少し焼きすぎてしまったか、硬かった。ハンバーグは美味しい。あと甘口のソースが美味しかった。

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第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

新型コロナウィルス感染拡大のせいで経営難に陥り存続の危機に瀕しかけてクラウドファンディングもやっているという第42回八王子いちょう祭りに行ってきた。

紅葉する甲州街道・秋の銀杏並木

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

JR高尾駅開業120周年の記念グッズが目当てだったので、とりあえずJR高尾駅のブースで買い物。駅名標キーホルダーと中央線のマフラータオルを買った。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

JR高尾駅開業120周年記念誌

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

陵南会館(陵南いちょう会館)は東浅川駅の跡地だが、この一帯は前回の1964年東京オリンピックの自転車競技開催地でもあるので、モニュメントが残っている(甲州街道沿いにもモニュメントがある)。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

甲州街道沿いの末広ストアー(末広屋)で「三角納豆」というものを見つけて買った。いちょう祭り限定価格で1個130円→100円と安くなっていた。天神町 小堀商店のオリジナルらしい。初めて知った。あとでよく味わって食べよう。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

八王子最後の手作り納豆のお店!創業86年『小堀栄養納豆店』は地元の宝!

八王子最後の手作り納豆のお店!創業86年『小堀栄養納豆店』は地元の宝!

都内で唯一の地釜作りの納豆 その納豆屋さんへは、八王子駅からみさき通りに進み直進します。 国道16号の信号を渡り、ガストの路地を直進し天神公園の交差点を右に曲がります。 黄色いのぼりが見えてきます。 小堀栄養納豆店 所在地:八王子市天神町3…

同じく甲州街道沿いの酒のせきぐちで梅干しを購入。1袋100円。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

陵南会館(陵南いちょう会館)広場で、地域の物産品を買う。カナダイ商事さんのブース。どれでも3つで1000円。山盛りの三陸産わかめ、九州長崎きくらげ、富山県産の干し柿、秩父産の花どんこ椎茸、青森県産のにんにくなど。わかめと花どんことにんにくを購入。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

小腹の足しに。

八ヶ岳ソーセージ 300円
インド風焼きそば 300円
ミートタコス 400円

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

陵南会館(陵南いちょう会館)は一応日頃は立ち入り禁止エリアなので、柵がない場所から中央線を眺められる。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

学生広場(陵南公園)の高専ブース

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

学生広場(陵南公園)の自衛隊さん

学生広場(陵南公園)の高

学生広場(陵南公園)の高

学生広場(陵南公園)の高

高尾山と南浅川に夕日が沈んでいく。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

夕暮れ、陵南会館の上空を何やら飛んでいった。合計3機。なんだろう。

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

第42回八王子いちょう祭り JR高尾駅開業120周年記念

足尾町 掛水~渡良瀬~芝ノ沢~野路又~神子内~旧神子内橋

10年ぶりくらいに足尾銅山の方に行ってみた。今回は軽い散策気分で以前から気になっていた神子内方面へ。本当は馬車鉄道の方を巡ってみたかったのだが、下調べしていなかったので足尾駅から旧神子内橋まで行って帰ってきた。

わたらせ渓谷鐵道 1日フリーきっぷ

わたらせ渓谷鐵道の1日フリーきっぷは乗り放題で大人1880円。桐生駅から沢入駅以降を往復する際はこのきっぷを利用した方が安くなる。以前は桐生駅でこのきっぷを買えなくて苦労した記憶があるのだが、JRの指定券売機で買えるようになっていた。ただし台紙はJRと共通。以前は見本画像のようなオリジナル図柄のきっぷだった気がするのだが。

わたらせ渓谷鐵道の1日フリーきっぷ

わたらせ渓谷鐵道 1日フリーきっぷ

桐生駅の駅スタンプ。全1個。改札窓口管理。

桐生駅の駅スタンプ

ひなびた沢入駅の待合室と桜の木。いつかこのあたりもゆっくり巡ってみたい。

沢入駅

沢入駅

せっかくの乗り放題きっぷなので、間藤駅まで行って、そこから足尾駅に戻ってきた。間藤駅での折返し停車時間は6分しかなかったが、間藤駅前の古河キャステック周辺の様子を久しぶりに見てみる。古い建物は解体され、これまで見えなかった奥の建物が見えるようになっていた。

古河キャステック

古河キャステック

古河キャステック

古河キャステック

古河キャステック

間藤駅と桜

間藤駅と桜

足尾駅

足尾駅

足尾駅の屋根

足尾駅の屋根

足尾駅

足尾駅

足尾駅

足尾駅ホームの煉瓦油庫 大正3年築

足尾駅

煉瓦油庫の建物財産標

足尾駅

わたらせ渓谷鐵道 わ89-313

わたらせ渓谷鐵道 わ89-313

足尾駅舎内

足尾駅舎内

窓口前の荷置き台(?)の装飾が洒落ている

足尾駅舎内

足尾歴史館管理の保存車両 古河鉱業の貨物
協三工業 入換機

足尾駅

足尾駅

日本輸送 入換機

足尾駅

足尾駅

足尾駅

キハ35 70
背後の山は1029mの無名峰

キハ35 70

足尾駅

キハ35 70

キハ35 70

キハ35 70

キハ30・35

足尾駅

足尾駅

足尾駅

足尾駅

ヨ8928号車

ヨ8928号車

ヨ8928号車

ヨ8928号車

ヨ8928号車

日本石油輸送株式会社 タキ35000 35811 35t積 ガソリン専用車

日本石油輸送株式会社 タキ35000 35811 35t積 ガソリン専用車

日本石油輸送株式会社 タキ35000 35811 35t積 ガソリン専用車

古河機械金属 濃硫酸専用車 タキ29300 29312 39t積

古河機械金属 濃硫酸専用車 タキ29300 29312 39t積

協三工業 10トンディーゼル機関車

協三工業 10トンディーゼル機関車

協三工業 10トンディーゼル機関車

足尾貨物の拠点駅なので引込線が多数あり構内が広い。保線係員の詰め所かと思われるものが残ってる。時々キィーッと叫ぶ甲高い声が聞こえてきたので何かと思ったらつがいの鹿だった。当たり前のように線路敷地内を歩いている。以前足尾銅山の裏の方で鹿の死骸を見たことがあるが、相当数の鹿が繁殖していそうだ。

足尾駅

足尾駅前の食料品店・北村商店
(おそらく)足尾駅唯一のお店。なきゃ困る。営業は12時から。
以前は惣菜類を売っていたが、この日は扱っていなかった。

北村商店

足尾は本当によく猿を見る。大群だと結構怖い。

北村商店

大黒橋通行止めの案内

大黒橋通行止めの案内

古河機械金属 古河掛水倶楽部
この日は休館日で見学できなかったので敷地外から眺めた。

所長役宅

古河掛水倶楽部

古河掛水倶楽部

赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫

足尾駅前の掛水社宅。人気がなかったが、現在は3分の1くらい住民の方がいる様子。

足尾駅前

足尾駅前

旧渡良瀬橋
昭和10年(1935年)完成

旧渡良瀬橋

旧渡良瀬橋から眺めた渡良瀬川と桜並木

渡良瀬川

かつてはここ(旧渡良瀬橋)から150mの上流の、松木川と神子内川の合流地点が渡良瀬川の起点だったが、昭和40年(1965年)に松木川の上流に変更された。足尾砂防堰堤 銅親水公園に源流の碑がある。

渡良瀬川 発祥の地

旧渡良瀬橋たもとの馬頭尊
明治26年に下間藤に建てられ、大正10年頃にここに移されたもの。盛時には300頭以上の馬がいて、銅山の物資運搬に活躍した。

馬頭尊

古河機械金属の渡良瀬社宅
かつて銅山で働いていたという住民の方とご挨拶。現在もここで暮らしているとのこと。かつては金龍山の上からこのように見えた社宅群だが、10年経って社宅の数も減った様子。

古河機械金属 渡良瀬社宅

なんと。染付便器の残っているトイレがあった。染付便器は明治期がブームらしいから、その頃のものだろうか。

染付便器

染付便器

風呂場

風呂場

渡良瀬社宅内の正一位稲荷大明神

正一位稲荷大明神

渡良瀬

渡良瀬社宅

1980年(昭和55年)完成の中原橋
以前、この付近に芝の沢橋という吊橋があったようなのだが、その具体的な場所がわからない。芝の沢橋から野路又橋までの神子内川左岸の集落を、明治期に「深久縄」という地名で呼んだ(「足尾を歩く」P.50参照)

中原橋

中原橋付近の落石防止工事は休工中

落石防止工事

大黒橋補修工事の案内

大黒橋補修工事の案内

若葉が芽生える時期の、まだ葉緑素をまとってない葉の赤みが好き

足尾の紅葉

足尾の紅葉

芝ノ沢方面に行ってみる
かつては何かあった所だと思うが、10年前の地図からは既に表記が消え去っていて何があったかわからない。

芝ノ沢

足尾町

古い電柱が転がっている

足尾町

このピン碍子は通洞の溶接工場にある電柱と同じ年代、同じメーカーのものだ。
詳細はわからないが…

足尾町

足尾町

足尾町

金龍山から見えたきれいな色の芝ノ沢古河社宅は10年経ってすっかり朽ちていた。当時はまだ住民がいたと思うが(2009年の住宅地図に世帯表記がある)、無人になって大分経つようだ。

足尾町

足尾町

足尾町

足尾町

金龍山から見えたきれいな赤い壁の社宅はこれだけど、近くで見るとそこまで赤が目立つわけでもない

足尾町

足尾町

足尾町

足尾町

電柱の電話標

足尾町

足尾町

浴場

足尾町

一部の家屋は作業用に使われているみたいで、比較的新しい感じの機材が置かれていた

足尾町

木型倉庫とはなんだろう

足尾町

足尾町

上芝沢の古い砂防指定地標

上芝沢

上芝沢

野路又橋付近の神子内川に何やら見えたのだが、芝の沢ダム(通洞発電所の水源)の堰堤ではないようだ。

神子内川 堰堤

足尾を歩く」P.50を見ると「大正5年(1916年)、工作課職工長屋が芝の沢に建てられ、以後野路又寄りの高台にも社宅が建ち、昭和30年(1955年)には135戸になった。」と書いてあるが、恐らくその高台がこれだろう。2009年の住宅地図を見ると既に世帯名の表記はない。芝の沢という沢自体は「関東森林管理局 日光森林管理署 足落治山事業所」のさらに上の方にある。

足尾町

足尾町

壁に藤田三歩さんの昭和レトロ&メルヘンタッチなキャラクターイラスト「ミックルペペ」のカレンダーがかかってる。いつ頃のだろうと思って調べたら、藤田三歩さんは1980年頃からイラストを描き始め、1985年にカレンダー展で受賞、1993年に43歳で亡くなっている。そしてその活動期に近く、5月1日が火曜日の年は1984年、1990年、2001年、2007年、2012年あたりなので、1984年製か1990年製か…

藤田三歩さんの昭和レトロな「ミックルペペ」のカレンダー

コカコーラの1リットルガラス便が落ちていた。どうやら1970年代のデザインらしい。

足尾町

1988年の週刊少年ジャンプが転がっていた

足尾町

足尾町

こちらは染付でなく青磁の古便器
横幅が狭め

足尾町

足尾町

家屋調査済証

足尾町

足尾町

これはきれいな針葉樹

足尾町

足尾町

野路又橋
1983年(昭和58年)完成

野路又橋

ないとう食堂はGoogleマップを見ると営業10時00分~17時00分、木曜日定休となっていて、この時は本来なら営業中のはずだが、開いていなかった。ただし店の電気はついていた。クチコミが良いので食べてみたかった。

ないとう食堂

旧足尾高校グランド(連合捕虜収容所跡)
昭和15年(1940年)、この地に足尾銅山工作課分工場が操業を開始した。しかし軍需品生産に使う大型機械は難しく、昭和18年小山に移転した。その跡地に連合捕虜収容所が建てられ、イギリス、フランス、ハンガリー、ポーランドなどヨーロッパ系の人々約200名が収容されていた。戦後連合軍が帰国した後、一時中国人が入居していたが、昭和21年(1946年)解体され、高校グラウンドになった。(参考:「足尾」まち歩き冬号 日光市役所足尾総合支所観光経済課)
栃木県の土木遺産 足尾年表
POW研究会 POW Research Network Japan _ 研究報告 _ 日本国内の捕虜収容所

足尾高校グランド(連合捕虜収容所跡)

神子内橋
1984年(昭和59年)完成

神子内橋

閉業しているお食事処 道の茶屋

お食事処 道の茶屋

旧神子内橋近くに大きなシャクナゲの林があって驚いたが、どうやら人の手によって管理されている様子。

足尾町

旧神子内橋 
1934年(昭和9年)完成
車両は通行止めになっている
旧神子内橋(旧道)の車両通行止めについて

旧神子内橋

旧神子内橋は欄干が低く、老朽化も著しく、見るからに危険そうだが、これが良い風情をもたらしてもいた。これを見たくて訪れたが、既に防護柵が設置されていて昔ながらの風情は味わえなくなっていた。

旧神子内橋 Googleマップ Image from Gyazo

旧神子内橋 Googleマップ Image from Gyazo

旧神子内橋

旧神子内橋の欄干はかなり激しく損傷している

旧神子内橋

旧神子内橋

かなり険しい岩もあるが、神子内川に降りてみる

神子内川に降りてみる

神子内川から眺めた旧神子内橋

旧神子内橋

旧神子内橋

神子内川の石ころ。花崗岩?紫がかったのがある。

神子内川の石ころ

神子内川の石ころ

瘤だらけの木。なぜこうなったのか。

瘤だらけの木

瘤だらけの木

来た時とは違う道を通って足尾駅まで戻る

渡良瀬の民家で魚でも焼いているのかもうもうと煙をあげ、住民の人たちがおしゃべりをしていた。こうした風景は往時と変わらないのでないかと思った。

足尾町

渡良瀬の足尾銅山生活協同組合 三養会本部

三養会本部 三養会本部

古河機械金属 渡良瀬社宅付近の路傍祠
ゼンリン住宅地図にも地図記号しか表記されていない

渡良瀬社宅付近の路傍祠

旧渡良瀬橋 側面
昭和10年(1935年)完成

旧渡良瀬橋

18時を過ぎていたが、北村商店が営業していたので食材を買って帰った。

北村商店

北村商店

奥羽本線 板谷峠の名物「峠の力餅」購入 峠駅構内営業 峠の茶屋

奥羽本線 峠の力餅 峠駅構内営業 峠の茶屋

峠駅の名物「峠の力餅」を普通列車の停車中に買ってみた。全国的にも珍しい駅ホーム立売り販売を古くから続けているお店で、JR東日本管内ではもうこのお店しか残っていないらしい。以前から気になってはいたが、購入は初めて。停車時間わずか30秒の間に餅の入った箱を抱えてホームを往来する販売員さんから一箱千円の餅を買う。新型コロナ感染拡大のご時世を反映して、販売員さんもマスクをしていた。若い方だったので驚いた。今年は峠の力餅駅の立売り120周年、峠駅の開業122周年だそうだ。 

奥羽本線 峠の力餅 峠駅構内営業 峠の茶屋

奥州路 板谷峠の力餅 海抜624米
峠駅 山形県米沢市大字大沢字峠
参考:峠駅 – Wikipedia

古老が語る峠の力餅は我々が幼い頃から口にした郷土の味です
遠く明治32年福島米沢間に初めて鉄道が開通し板谷峠の難所吾妻越の山腹に峠駅が設けられ人も車もほっとひといき入れたものでした
その時駅頭の力餅の一切れは我々の元気を呼びもどしてくれました。

「営業時間は人が来てから去るまで」という面白いお店。人の気配のない山間の店なので「営業時間」という枠の概念が基本的にないらしい。山形新幹線の車内で販売されている力餅とは別物だそうで、この力餅を買うにはここまで訪れ(鈍行列車の奥羽本線に乗ら)なければならない。ある意味、鈍行の奥羽本線の乗車証明書といえる。

包装紙には「奥羽本線峠駅構内営業」の表記。もしかすると峠駅前の店舗でも同様のものが買えるかも知れないが、包装紙に「奥羽本線峠駅構内」と印刷されているので、駅構内での立売り購入はいい記念。

奥羽本線 峠の力餅 峠駅構内営業 峠の茶屋

↓今回利用した列車は
米沢13:08発、峠駅13:25着・13:26発、福島13:54着
列車番号434M 立売販売

434M

峠駅構内。以前春先に訪れたが、福島市街地は標高67m、米沢市街地は標高260mなのに対し、峠駅は標高624mととにかく高いので、気温が低く、米沢駅・福島駅などに比べて圧倒的に雪が多くて寒かったのを覚えている。

奥羽本線 峠の力餅 峠駅構内営業 峠の茶屋

以前は箱に直接イラストが印刷されていたようだ。

消費期限は2日後。あんこが詰まったお餅。美味しい。

「大福餅ですので堅くなりましたらフライパンに少々の油を入れて餅の両面を焼いてたべて下さい。オツな味でおいしくいただけます。」と書いてある。今回はストレートにいただいた。お茶に良く合う。

奥羽本線 峠の力餅 峠駅構内営業 峠の茶屋

京王線(高尾線)との比較

新宿駅(標高約38m)~高尾山口駅(標高約190m) 44.7km 高尾山の標高599m
福島駅(標高約71m)~峠駅(標高624m)~米沢駅(標高249m) 40.1km

京王高尾線より短い距離で高尾山を越えるようなもの…すごい。

↓情報・資料満載の公式サイト

赤岩駅のその後

2021年3月12日をもって廃止された奥羽本線の赤岩駅、3月26日に通過した時はまだ駅名標がそのままだった。そのまま残してほしいような。

赤岩駅 

赤岩駅  

赤岩駅 

↓2004年の赤岩駅の時刻表。この頃は上下合わせて12本停車していた。

平日 奥羽本線 福島方面 (上り)

Image from Gyazo

平日 奥羽本線 山形・新庄方面 (下り)
Image from Gyazo


北星駅(廃駅) 宗谷本線 木造駅舎 無人駅 北海道 ※2021年3月12日廃止

北星駅(廃駅) 宗谷本線 木造駅舎 無人駅 ※2021年3月12日廃止

北星駅(ほくせいえき)
宗谷本線 無人駅
木造駅舎
北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文北星
北星駅 – Wikipedia
44.44156, 142.42804

※2021年3月12日をもって廃止

廃駅目前だったので乗降客はかなり多かった。鉄道マニアではない一般人の人々も記念に訪問していた。何とか人のいない写真を撮れた。

北星駅 

駅舎内

きっぷ運賃表

ヒビ割れたコンクリート床。

破損した木製ベンチ。

発車時刻表

北星駅 

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 北海道 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

※北日ノ出駅は利用者減少のため、ダイヤ改正に伴い、2021年3月12日をもって廃止された。

↓営業当時のデータ

北日ノ出駅(きたひのでえき)
旭川駅管理 無人駅 石北本線
北海道旭川市東旭川町日ノ出
1面1線ホーム 
1960年(昭和35年)5月2日開業
北日ノ出駅 – Wikipedia

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅(廃駅) 石北本線 無人駅 ※2021年3月12日をもって廃止

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

北日ノ出駅 

廃駅を目前にして、昼間はほとんど人がいなかったのに、夕方になったら大量の人が押しかけていて凄かった。伊納駅も人が多かった。本数が少ないせいか、東六線駅は人がほとんどいなかったらしい。

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