コースタイム
- 11:34 JR相模湖駅
- 12:03 与瀬神社
- 13:45 明王峠
- 14:30 陣馬山
- 15:00 明王峠
- 15:25 堂所山
- 16:05 景信山
- 16:24 小仏峠
- 16:40 城山
- 17:27 高尾山
- 18:10 蛇滝
- 18:21 浅川ホームむつみの園(蛇滝橋)
- 18:30 蛇滝口バス停
- 19:15 高尾駅
すっかり薄暗くなって、帰路についた。
すっかり薄暗くなって、帰路についた。
Hashikami Station (階上駅 Hashikami-eki)
階上駅(はしかみえき)
JR East Hachinohe Line
JR東日本 八戸線
11 Dobutsu Sakakiyama, Hashikami-machi, Sannohe-gun, Aomori-ken 039-1201 Japan
青森県三戸郡階上町大字道仏字榊山11
Railway station opened on 10 November 1924
1924年(大正13年)11月10日開業
Unmanned Stations 無人駅
Hashikami Station – Wikipedia
階上駅 – Wikipedia
▼The KiHa 40 series (キハ40系 Kiha-yonjū-kei)
KiHa 40 series – Wikipedia Kiha 48 キハ48
浅岸駅(あさぎしえき)
無人駅
1928年(昭和3年)9月25日開業
2016年(平成28年)3月26日廃業
東日本旅客鉄道(JR東日本)
岩手県盛岡市新庄字中津川21
※浅岸駅は2016年(平成28年)3月26日に廃止された。
参考:山田線 大志田駅・浅岸駅廃止について JR東日本 [PDF/168.4 KB]
行程
盛岡駅から山田線に乗車し浅岸駅までピストン訪問。浅岸駅の滞在時間は23分。
▼山田線 上り 時刻表 H23.2.25訂補
▼山田線 下り 時刻表 H23.2.25訂補
山田線 480円
盛岡駅 16:30発
浅岸駅 17:04着
山田線 480円
浅岸駅 17:27発
大志田駅 通過
盛岡駅 18:00着
▼浅岸駅を出る山田線キハ110系
▼盛岡第二信号通信支区配線室
▼夕方、暗くなってきて、待合室の照明が自動点灯
▼盛岡保線技術センター休憩室
元はスイッチバックの駅だったらしい。雑草が生い茂っていて線路跡などに気づかなかった。
▼浅岸駅にも『近郊自然歩道 大志田・中津川コース』の案内板あり
▼道標が整備されてるとハイキングしたくなる
▼大きなホオノキの花がひっそり咲いていた。
▼浅岸駅の周辺の環境
▼浅岸駅に向かってきた山田線キハ110系
東京から行くのに利用したきっぷ
JR東日本:おトクなきっぷ やまびこ自由席片道きっぷ
利用期間 平成23年5月14日~平成23年6月13日
有効期間 1日間
盛岡→東京都区内 6,500円
『東日本大震災のボランティアの方に向けた、盛岡~仙台から東京都区内までの「やまびこ」号、「Maxやまびこ」号の普通車自由席限定の片道きっぷです。「やまびこ」号、「Maxやまびこ」号の自由席限定ですが通常料金の約半額と格安です。(購入に特別な条件はございません。どなたでもご購入・ご利用いただけます)』
※大志田駅は2016年(平成28年)3月26日に廃止。
参考:山田線 大志田駅・浅岸駅廃止について JR東日本 [PDF/168.4 KB]
ルート
盛岡→上米内駅→大志田駅→山岸駅→盛岡(レンタル自転車)
盛岡~大志田駅間は片道18km前後
途中、様々な近代建築や地点に遭遇
その後、盛岡駅から山田線で浅岸駅を訪問
利用したバス(往路)
盛岡都心循環バス 『でんでんむし』号バス 100円
9:00頃 盛岡駅 発
9:20頃 (中三)バスセンター前 着
参考:でんでん案内
参考:でんでんむし号路線図 PDF
レンタサイクル手続き
ふつうのママチャリタイプの自転車
1日料金1000円を払ったのかどうか覚えていない
盛岡市中ノ通1-1-10
プラザおでって2F 情報プラザ
盛岡観光コンペティション協会
TEL 019-604-3305
中三(なかさん)バスセンター前から徒歩3分
参考:レンタサイクル – 盛岡観光情報
自転車散策
09:31 盛岡 プラザおでって
11:14 上米内駅
12:55 大志田駅
14:36 山岸駅
15:54 盛岡 プラザおでって
利用したバス(復路)
でんでんむし号バス 100円
16:00頃 (中三)バスセンター前 発
16:20頃 盛岡駅 着
▼岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館
設計 辰野・葛西建築設計事務所
昭和52年1月20日 盛岡市保存建造物指定
国重要文化財
明治44年建設
参考:保存建造物 旧盛岡銀行|盛岡市
▼旧盛岡貯蓄銀行 (現・盛岡信用金庫本店)
葛西萬司 設計
昭和2年(1927)建設
盛岡市保存建築物指定
参考:保存建造物 旧盛岡貯蓄銀行|盛岡市
▼ござ九(茣蓙九)・森九商店
建築年代は江戸時代から明治年間。保存建造物。
参考:保存建造物 茣蓙九|盛岡市
▼紺屋町番屋
盛岡市消防團第五分團事務所
保存建造物指定
大正2年、消防番屋として建てられた洋風木造建築でその望楼が往時の雰囲気を伝えるとともに、消防組織の変遷を伝える建造物でもある。
参考:保存建造物 紺屋町番屋|盛岡市
▼紺屋町番屋むかいの理容オバラとやきとり塾
▼菊の司酒造株式会社
240余年の歴史を持つ岩手県最古の日本酒蔵元
岩手県盛岡市紺屋町4-20
▼岩手中央タクシー(株)上ノ橋(営)
〒020-0885 岩手県盛岡市紺屋町5-20
この写真では分かりづらいがファザードのカーブとタイルが印象的な建物
▼旧井弥商店
建築年代 店:明治末期,蔵:江戸時代
参考:保存建造物 旧井弥商店|盛岡市
▼盛岡市加賀野の木造住宅
▼米内発電所。昭和17年1月竣工。
岩手県盛岡市下米内佐倉
参考:水力発電所ギャラリー 東北電力米内発電所 – 水力ドットコム
▼米内発電所すぐ近くの米内橋。昭和24年9月竣工。
▼山與 米内砕石工場
▼第2米内川橋りょう
▼第3米内川橋りょう
▼米内川に架かる廃橋
▼上米内駅
▼老朽化した名称不明の橋(Q地図にも名称の記載なし)
盛岡市上米内字畑井野106
▼赤重踏切
▼第10米内川橋りょう
▼第11米内川橋りょう
▼丸太橋
廃橋かと思ったけど、もしかして作業用かも
▼山田線のトンネル(名称不明)の出口付近に、要塞のようにも見える古いコンクリート建造物があって気になった。木の葉が邪魔してよく見えず。
▼東北電力盛岡制御所
▼東北電力盛岡制御所
▼東北電力盛岡制御所付近の古い木製電柱
▼ 名称不明の古い橋(Q地図に記載なし)
岩手県盛岡市浅岸字鍋倉9
▼大志田神社 入口の鳥井
米内川に架かっている参道の橋には倒木が。荒廃している。
▼近郊自然歩道 大志田・中津川コース ゲート 案内板あり
大志田駅から浅岸駅までの林道散策コース
▼盛岡第二信号通信区信通機器室
▼盛岡保線技術センター休憩室
▼大志田駅
▼ホーム上の待合室内
▼山田線 東日本大震災の影響で 2011年4月13日(水)より臨時の時刻表で列車を運転
▼スイッチバック跡は雑草で見えづらくなっている
▼大志田駅周辺の廃屋
▼オリカベ沢トンネル
山田線の下をくぐる暗渠のような小さいトンネル
市道浅岸12号線
完成年 1968年(昭和43年)
延長49.4m
岩手県 盛岡市
参考:Q地図
▼折壁トンネル 175.02
▼百目木橋
▼保存建造物 米内浄水場
1934年竣工
木造モルタル造平屋建瓦葺 鉄筋コンクリート造(出水井など)
参考:保存建造物 米内浄水場|盛岡市
▼第6米内川橋りょう
▼中津川
▼浅岸橋
昭和43年5月竣功
▼浅岸橋バス停
▼阿部商店 (プラモデル 文房具 駄菓子)
▼山岸駅
▼永福寺
▼山賀屋食堂
参考:山賀屋食堂 – 山岸_レストラン(その他) [食べログ
▼旧南部家別邸(盛岡市中央公民館)
城下町盛岡を象徴する地域の文化遺産であり,和洋の意匠を織り交ぜた明治期建築の造形の規範となる建物として,文化財保護法に基づき平成25年(2013年)12月24日付で有形文化財に登録された。
参考:国登録有形文化財 旧南部家別邸|盛岡市
▼旧中村家住宅(盛岡市中央公民館)
中村家は,「糸屋」または「糸治」とよばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家。現在の母屋は文久元年(1861年)に造られたもの。
参考:国指定重要文化財 旧中村家住宅|盛岡市
▼岩手県公会堂
▼桜山神社参道の商店街
戦後のヤミ市が起源らしい。
▼こういうブロック歩道の細い路地好き。昔はよくこのブロックタイルあった。
▼岩手教育会館。1965年築。
昔よく通いつめた八王子のラーメン屋。こぢんまりとした店内で、8人も入れば大混雑になりそうな店。庶民的なラーメン店で、塩系の味が好みだった。チャーハンもよく食べた。はっきり覚えていないが、たぶんこの日注文したのは塩バターラーメン。600円。
2013年7月終わり~8月のあたま頃に照明が点灯しなくなったので心配していたら、本当に閉店してしまった。2013年8月23日には看板が撤去されていた。閉店挨拶の張り紙はとくに張られていないようだった。2013年11月1日、前を通ったら解体されて更地になっていた。最後にもう一度食べたかった。
東京都 八王子市 東浅川町 528-6
https://gyazo.com/860ea5af249a00dbd255b3fd1cd9b46f
https://gyazo.com/cdf326b15c9c5807bb1d1356dea6a08e
登録有形文化財(建造物)
昭和7年(1932)竣工
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町4-22付近
桐生市堤町一丁目5番7号付近
高尾駅が開業した当時の明治34年(1901年)は、デッキにステップのついた列車のみが発着しており、ホーム高は今より低かった。その後ステップ不要の車両に対応するために、ホームはかさ増しされた。現在の高尾駅のホームは土台はすべて甲武鉄道時代に作られた煉瓦積みのもの。ただし外壁が塗りつぶされていて、煉瓦が確認しづらくなっている。2番線ホームは塗装の剥がれ落ちた部分からレンガ積み部分の土台を確認できるが、4番線ホームの煉瓦はむき出しになっている(南口から確認可能)。高尾駅だけでなく、相模湖駅や鳥沢駅、四方津駅などでも甲武鉄道時代の煉瓦ホームが確認できる。
2010年7月31日に開通した八王子南バイパス。
昔このあたりはただの突き当りだったのだが。すっかり変わってしまった。
館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株)
拓殖大学の調整池の開渠に架かる古いコンクリート橋 (3)。この調整池は湯殿川を一部埋め立てて作ったそうで、湯殿川の源流がここだとも言われているらしい。親柱に銘板を埋め込む部分はあるが何も埋め込まれておらず橋名も竣工年も不明。
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湯殿川の埋め立てられた部分?
館ヶ丘団地 4-9号棟。
2020年10月頃に解体された。
館ヶ丘団地 4-15号棟、4-14号棟。2020年10月頃に解体された。
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館清掃工場
竣工 昭和56年3月
建築構造 鉄骨鉄筋コンクリート
煙突 地上高100メートル
処理能力 150トン/日
焼却炉形式 全連続燃焼式焼却炉(日本鋼管 フェルント式)
所在地 八王子市館町2700番地
象徴的だった館清掃工場の赤帯煙突。
この煙突が大好きだった。
ストリートビューを見ると2017年以前に解体されたようす。
法政大学ジョギングコース。
一般人も散策できる雑木林の中の遊歩道。
法政大学ジョギングコースはそのまま榛名尾根ふれあいウォーキングコースにつながっている。
榛名尾根ふれあいウォーキングコース
なだらかな丘陵地帯に出る。
JR東日本の送電線 鉄塔に出る。
八王子大月線 30号
八王子-上野原(八-上)
昭和5年7月
6万6千ボルト
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館清掃工場の方から流れてくる沢 (1)。これも水源がよくわからないのだが、館清掃工場あたりで埋め立てられたんじゃなかろうか。陰気臭く樹木が生い茂った場所で、ぐじゅぐじゅした湿地のようになっているが、地形図をみると「田」のマークが付いていてよくわからない。最終的には湯殿川につながっている。
法政大学の敷地内にある沼 (2)とその傍らに佇む古い馬頭観世音碑。この沼もよくわからない存在なのだが、なんとなくこの沼と上の沢が地下でつながってるんじゃないかって気がする。
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法政大学の敷地内の沼と館清掃工場下の沢の位置図
館ヶ丘第2団地土木修繕工事 法面工事のお知らせ
昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
浅川地下壕は、通常は非公開。見学会開催の告知を見て参加してきた。見学可能なのはイ・ロ・ハ地区ののうち、イ地区のみ。
民家の裏側に入口があり、入るのに庭を通らせてもらう。
詳細:浅川地下壕の保存をすすめる会
参考:フィールドワーク 浅川地下壕―学び・調べ・考えよう P.43-45
参考:1950年の浅川地下壕周辺の地形図
入口には赤い鉄格子がはめてある。
出口付近に貼ってある張り紙
浅川地下壕には東大の地震計測器が設置してある。東日本大震災時の値はどうだったんだろう。
補強鉄骨。浅川地下壕では1999年にダイナマイトが発見され、撤去作業が行われている。合計3トンものダイナマイトが見つかったらしい。
ちなみに発見者はテレビの取材で訪れていたタレントだったとか。撤去時には高尾警察署や消防署も待機していて、実際に作業を行ったのは自衛隊だったらしい。
▼平成10年に発見され、撤去作業が行われた、壕の掘削に使用されたと思われるダイナマイト類。
ダイナマイトが詰められていた木箱や包装紙類の資料は、戦時中の地下壕掘削に関する基調な資料となっている。
八王子市郷土資料館 平成12年度特別展『八王子の二十世紀』展示図録より引用
電線は地震計測器用のもの。ここは地下壕の中でもかなり広い部分
トロッコの枕木が敷設されていた跡
削岩機の試作のあと。ダイナマイトの発破跡もある。
ところどころ水が溜まっている部分があり、脇に側溝が掘ってある。
岩肌は全体的に白っぽくなっていて、光を当てると銀色にキラキラ光る。鉱石のようにも見えたのだが、カビではないかとのこと。
分岐
鍾乳石のようなものあった。
内部の地震計測器が設置してあるところ。地下壕の見学は制限があり、月1回と定められているらしい。
見学者がはいると地震計が揺れてしまうため、見学会を開催時は地主の高乗寺を通じてあらかじめ東大地震研究所に届け出る必要があるらしい。
外に設置してある東大の地震計測器
こちらは内部が崩壊して通行不可能な坑口。高乗寺や龍雲橋の近くにある。
こちらも赤い鉄格子。
立ち入り禁止で鍵もかかっているので入れない。
▼素泊り1泊3300円の大館の安宿、じゅらくで目覚め
※ビジネスホテル寿楽はおとなりの三朝庵とともに平成25年12月30日をもって閉業した。
▼廊下の赤い絨毯が昭和時代にはゴージャス感を醸しだしていたのかなあ
▼1階ホールロビー この赤いソファも可愛い
▼早朝なので誰もいないフロント
▼1階フロントとホールのソファ
▼食堂らしいがいつも素泊りなので一度も利用したことはなかった
▼案内図。「ナショナル」的な「ホテル」のフォントかわいい。
▼朝早いことは前の晩に告げていたので、そのまま寿楽を出発
▼さいなら寿楽
▼旧ジャスコ跡やぽかぽか温泉に面した大通りに設置してある寿楽の電飾看板。素泊り3300円の文字がぴっかぴか。
▼解体されたジャスコの跡地。大館ジャスコは1988年(昭和63年)開店、2006年8月閉店。昔は2階に健康ランドがあった。祖母に案内されて健康ランドに連れて行ってもらったことがある。両親の実家の店がジャスコにも出店していたこともあった。
▼廃業してしまった中古CD&古本屋のはんず。2丁目大通り商店街。ここに通ってCDを買ったこともあったのだが…
▼2丁目大通り商店街。1970年に設置された全長約425メートルのアーケード。
※2丁目大通り商店街アーケードは2015年7月に撤去された。
▼廃止された小坂鉄道の踏切前の看板
▼小坂鉄道 御成町踏切の廃線跡
※御成町踏切の鉄板は2014年6月に撤去され、アスファルトで埋められた。
▼手動だった御成町踏切。今も踏切小屋が残る。
▼大館駅前 商工案内図
▼御成座のとなりにある山田旅館とマージャンクラブ東ト(東と)、リリー美容院。
山田旅館は素泊り3500円らしい。一度も泊まったことがない。東ト(東と)は2012年10月以降に廃業したようす。
▼リリー美容院のわきの通り。ここをまっすぐ行くと、スナック・シャンゼリゼに出る。
▼映画館・御成座(廃業)
1952年(昭和27年)に洋画専門のロードショウ館として開館、3年後の1955年に火災により焼失。同年に再建、2005年に閉館。
※2014年7月18日に復活オープンした。
▼大館駅前ステーションバス停留所(秋北バス)
▼大館駅前通りの商店街。左から花善、佐藤青果店(廃業)、純喫茶クイーン(廃業)、理容平和(廃業)、理容イチノヘ。
1階が煉瓦造りの純喫茶クイーンは昔一度入ったことがあるが、いろいろインパクトあってすごかった。とりあえず昭和な香りの喫茶店。廃業してしまったのが残念。
屋根がななめでいびつな形をしている理容平和の建物が気になる。
▼駅前 花岡旅館 支店
〒017-0044 秋田県大館市御成町1-13-9
宿泊料がはっきり書いてなく、営業しているかもわかりづらい状態で、一度も泊まったことはなかった。
※2012年9月以前に解体されてしまった模様。
▼郷土本「大館の歴史」(大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行)を見ていたら大正期大館町商店の図が載っていた(P.153)。その中に花岡旅館が驛前支店・本店ともに掲載されている。大正時代から営業していた老舗旅館なのに廃業してしまうのは勿体ない。
花岡旅館の上下には山田桂月堂や北秋倶楽部が載っている。山田桂月堂は明治34年開業、北秋倶楽部は明治二十六年創業の元遊郭。竹村洋服店というのは正札竹村と関係あるのかな?
「花岡旅館 大正時代」で検索してみたら、なぜか鶏めし花善の弁当の掛け紙ギャラリーが引っかかった。
不思議に思って調べてみると、花善はもともと花岡旅館の弁当部として明治32年に開業、昭和21年に花岡旅館から独立した店だった。ということは花善が花岡旅館の歴史も引きずっていることになるのか…
参考:大館 鶏めし 花善 会社案内
参考:花善 – Wikipedia
▼大館駅前で鉢植えの山野草を売っている「のしろや商店」。ピンクのコマクサは山でよく見るけど、赤いコマクサはここで初めて見た。
▼大館駅前の鶏めし花善と観光案内所と無線中継所。
昭和31年5月10日発行の大館市政だよりに掲載された大館駅前大火後の大館駅と大館駅前のようす。昭和31年8月にも東大館駅方面で大火が発生した。
1955年(昭和30年)6月3日発行の大館市政だより(第31号)に掲載された大館駅前火災復興土地区副整理事業 新街路計画図
昭和33年8月、大火からの復興祭が行われた。
上水道の工事完了&通水開始は昭和31年(1956年)12月。
▼早朝6:30のJR大館駅
▼東北新幹線全線開業2010.12.4のポスター
▼奥羽本線の秋田行に乗って鷹ノ巣駅~阿仁合駅方面へ向かう。
奥羽本線(秋田行) (1628M)
大館駅6:35発
鷹ノ巣駅6:53着
八甲田山で樹氷スノーシューハイクをして、青森市街地をぶらぶらしてから、寝台特急・日本海に乗って青森駅→大館駅に向かう。
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▼JR青森駅の駅スタンプ。全1個。改札係員。
▼寝台特急・日本海号の東能代~青森間は立席特急券+乗車券でB寝台を利用できるのが嬉しい~。
※日本海は1968年に運行開始、2013年(平成25年)3月をもって廃止された。
▼日本海はすでに入線していた。
▼日本海の牽引機EF81108
▼ヘッドマーク
▼「いってらっしゃい JRは、旅のパートナーです。」
平成初期頃の看板かなー。いいなーこういう旅情。
▼日本海 B寝台 オハネフ24 19
▼方向幕 フォントかわいい~
▼B寝台の読書灯
▼かーいい国鉄フォント
▼冷却飲料水機 昔懐かしのペラッペラの紙コップがちゃんと設置してあった
▼洗面台
▼くずもの入れ
▼新青森駅 スーパー白鳥号が停車してる
▼日本海 B特急券
大館駅で寝台列車・日本海を下車。丸くてかわいい車体を見送る。
▼まだ寝台特急あけぼの札もある
▼大館駅 跨線橋
▼大館駅ホームのJRハチ公神社
▼大館駅ホーム わたしの旅スタンプ台 常時設置してある。全1種類。
▼大館駅 駅舎内
▼夜の大館駅 外観
▼旧小坂鉄道大館駅付近を通り過ぎて、人通りの少ない暗い夜道を歩き、素泊り1泊3300円の昭和な安宿、ホテル寿楽に向かう。
八甲田山スノーシュー→青森市街地ぶらぶら→寝台特急・日本海(青森駅~大館駅)と移動し、本日の安宿「ビジネスホテル寿楽 じゅらく」へ。
▼ビジネスホテル寿楽 入口の電光看板
〒017-0046 秋田県大館市清水1丁目3-26
0186-42-4136
※ホテル寿楽は同社経営の食堂「三朝庵」とともに、平成25年12月30日をもって廃業した。
▼ホテル寿楽経営の食堂・三朝庵。
▼ホテル寿楽の建物。
自分はいつも予約して泊まってたけど、寿楽は大通りにめだつ点滅型電飾看板をだしているので、車でふらっと来てその場で決める人もいるのかな。
素泊り3,300円はたぶん大館で一番安い。ときわ旅館は素泊り3,500円で、2番目に安い宿だと思う。
※ときわ旅館は2012年9月以前に解体された模様。
▼ホテル寿楽の昭和なエントランス
▼1階のフロントロビー。
いつも同じ人だったかわからないが、利用した時はいつも親切で愛想のいいおじさんがフロントだった。
▼ホテル寿楽 客室 102号室
壁が薄いようで、他の客の声が響いてくる時があるが、そもそもそんなに客が多いホテルじゃないので、うるさくて悩まされることはまったくなかった。
▼安宿なので、壁に穴が開いていたり、各所に汚れがあったり。細かいことは気にしない。
▼ホテルじゅらく 避難経路図 間取り
▼昭和なダイヤル式テレホンが可愛い
▼電気スタンドもかわいい
▼客室のバスルーム。タイルが剥がれ落ちてる。
▼玉石タイルがレトロ
▼しかしこの洗面台のビニールはどうして良いのかわからない
▼浴衣あり
▼共同浴場へ
▼共同浴場
▼共同浴場 脱衣所
▼共同浴場
明日の森吉山スノーシューに備えて、ぐっすりおやすみ~。
▼八甲田山で樹氷スノーシューハイクをするために夜行で東京から青森へ。早朝、青森駅に到着。
▼路線バスの発車時刻になるまで、青森駅周辺をぶらぶら。駅前銀座。
▼素泊り3000円の福屋旅館が気になる
▼おさない食堂は夜に立ち寄り。
▼早朝からやってる青森駅前の立ち食いそば屋・八甲田。
▼かき揚げそばを食す。
▼早朝の歓楽街
▼まんまだな…
▼昔の駅前市場の名残がある商店街近辺をぶらぶら歩く。
▼りんごショップ
▼小笠原玩具店。昔ながらのレトロなおもちゃ屋さん。
▼和島商店。こちらもレトロなおもちゃ屋さん。
▼カプセルホテル・サンが入居してるサンフレンドビル。一度か二度泊まったことがある。
※その後、廃業してしまった。競売に出されたが希望ゼロの不人気さで話題になった。
▼素泊り3000円。たぶん青森駅で一番やすかったけど、閑散としていたような記憶。
▼サンフレンドビル
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▼八甲田山の樹氷スノーシューハイクから戻ってきてから、ふたたび夕刻時の青森市街地をぶらぶら。青い森鉄道の青森駅で駅スタンプを4つ押す。青森駅の他に小柳駅、東青森駅、矢田前駅の駅スタンプあり。
▼カプセルホテル・サンの電光看板が点灯していた。
▼今度こそ、おさない食堂で夕食。
▼ホタテフライ定食1200円。毎回フライを醤油で食べるように勧められる。昔はお通しとして海産物の和物の小鉢も出てきたように思うのだが、廃止されちゃったかな。
▼おさない食堂の屋内の看板。今もねぶた祭の時期に屋台でホタテの串焼き売ってるのかなー。大きい貝柱3個串刺しにしたの300円で売ってた。東京ではそういう屋台を見かけないので喜んで食べたの懐かしい。
▼村上薬局で風邪薬・改源を購入。
▼ビジネスホテルニューやまと。安宿好きとしてチェックせねばならない価格。
※やまとはその後つぶれたらしい。
参考:ビジネスホテルニューやまと – 廃墟検索地図
▼青森の有名な純喫茶マロン。むかーし一度入ったことあるが、店内がブリキのおもちゃなどのレトロ玩具で一杯ですごかった。また入りたいと思いつつ、他の方にも気を取られて時間がなくなり結局入れなくなってしまう場所のひとつ。
▼夜の駅前銀座。
▼駅前銀座わきの喫茶一二三、むかしはもっと古びれた食堂だったと思うが、いつの間にか改装したようで。
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▼八甲田山・山スキーツアーコース(正確な情報はスキー情報 _ 八甲田ロープウェー株式会社にて要確認)
▼早朝、青森駅に到着。青森駅周辺をぶらぶら散歩してから、路線バスに乗って八甲田に向かう。
▼バスに乗車。乗客の中に、旅行者らしき金髪の白人男性が一人いた。
どうやら樹氷を見に行くっぽい。
▼バスの車窓から、気になる家屋。
▼自衛隊のジープが前を走ってる
▼八甲田ロープウェイ山麓駅にバス到着。
▼八甲田ロープウェイに乗る。あらかじめ登山計画書を用意していたが、係員にどのルートを行くのか聞かれ、下山したら電話で連絡するようにと言われた。
八甲田ロープウェー 山麓駅
八甲田ロープウェーは青森県青森市の山麓駅と山頂公園駅とを結ぶ旅客営業用の索道である。八甲田ロープウェー株式会社により運営されている。山麓駅は国道103号からアクセスすることになる。
所在地: 〒030-0111 青森県青森市荒川寒水沢1−12
時間: 9時00分~16時20分
電話: 017-738-0343
設立: 1964年12月23日
八甲田ロープウェー – Wikipedia
▼山麓駅内の八甲田湧水。
▼八甲田ロープウェー山麓駅の記念スタンプ。2種類。
▼どやどやとロープウェーに乗り込む。
▼ロープウェーの索道
▼八甲田ロープウェイ 山頂公園駅に到着。
▼ロープウェイ山頂公園駅は雪ですごいことになっていた。
▼八甲田ロープウェーの技術仕様
▼八甲田ロープウェー山頂公園駅の記念スタンプ。2種類。
▼山頂公園駅でスノーシューの準備をして出発。手元の温度計では気温-7.4度。
山頂公園駅9時発表の気温は-9度。風速2m/s。風向き・北。
▼山頂公園案内図
▼しんしんと振り続ける雪のせいで前が見えない…
▼肉眼で雪の結晶がみえる
▼山頂公園駅の目の前がすでに樹氷だらけになっている。
▼木の根もとはパックリ穴があいている。
ひっきりなしに雪が降りしきり、視界は一面真っ白。
傾斜は急ではないけど、ふかふかの新雪だからスノーシューで歩み進むのがかなり困難だった。
▼まるで雪中行軍の兵士達が隊列をなしてフラフラ歩いているかのような樹氷…
▼視界がまっしろ過ぎて、何が写ってるのか分からない状態の写真が何枚も撮れてしまった。仕方ないので、樹氷の写真はコントラストをあげて加工。
▼井戸岳方面がなだらかだけどとてつもなく高く見える
▼途中までは山スキーのグループと平行状態で進んでいた。どこかで別れてしまった。
▼本当は大岳の方などに登ってみたいと思っていたが、視界がまったくきかないのと、新雪の深さに足をとられてたった一人で登るのが厳しくなってきたので、途中で下ることにした。スキーだったらラクに下れたと思うけど、スノーシューで新雪の深い中央ルートを下るのは距離が長く時間もかかり厳しかった。
※登山計画はちゃんとありのままに係員の人に伝えたが、後日スキー情報を見たら「中央ルートは3月上旬頃からの開放となります」と書いてあった…
▼途中でこけて買ったばかりの腕時計を紛失してしまった。深い新雪の斜面に落とした時計など探しても労力の無駄になりそうで…泣く泣く探さずにあきらめて降りてきた。前方に家屋群が見えてきた時、本当にほっとした。
▼酸ヶ湯温泉
▼酸ヶ湯温泉の背後の斜面。スキーの跡だらけ。それまでの行程ではまったく見られなかったのに。
▼酸ヶ湯温泉は昔一度入ったことがあって、また入りたかったけど、ゆっくりお湯に疲れるほどの時間もなく、あきらめる。
▼酸ヶ湯温泉ではスタンプだけ押した
▼バスに乗って青森駅に帰る。
▼青森駅に着いた頃にはすっかり真っ暗になっていた。駅前を歩いていると、往路のバス車内で見かけた金髪の白人男性が「ハイ!」と声をかけてきた。同じように日帰りで山に行き帰ってきた仲間ということで共感のようなものを感じたようだが、こちらがまったく英語を話せないのをみてとると「いいよいいよ」という仕草をして行ってしまった。情けない…
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紅葉台登山口(こうようだい)
拓大分岐(たくだい)
梅の木平分岐(うめのきだいら)
草戸峠(くさどとうげ)
草戸山(くさどやま)
ふれあい休憩所
榎窪山(えのくぼやま)
三沢峠(みさわとうげ)
西山峠(にしやまとうげ)
三井水源林見晴台(みいすいげんりん)
中沢峠(なかざわとうげ)
金比羅山(こんぴらさん)
大洞山(おおぼらやま)
赤馬分岐(あこうまぶんき)
大垂水峠(おおだるみとうげ)
富士屋
峠のお宿(廃屋)
千木良なかがみ屋(ちぎら)
牛鞍神社(うしくらじんじゃ)
弁天橋(べんてんばし)
相模ダム&相模発電所(さがみ)
嵐山洞門(あらしやま)
相模湖大橋
いかりや
相模湖駅(さがみこ)
参考:京王沿線の里地里山を歩こう|京王グループ
5 城山湖・草戸峠コース(PDF) [2,665KB]
参考:身近な絶景ポイント 三井水源林登山路|相模原市
▼紅葉台登山口
▼寺山修司と忌野清志郎も眠る高尾霊園
▼八王子大月線 37号 送電線 鉄塔 昭和5年7月 JR東日本 6万6千ボルト
▼拓大分岐 標高約350m
▼梅の木平分岐
▼草戸峠
▼草戸山 365m(364m)
▼ふれあい休憩所
▼榎窪山 420m
▼三沢峠
▼三沢峠のイノシシ警告看板
▼三沢峠の鳥獣保護区看板
▼登山道 踏み跡の少ないところ
▼西山峠
▼三井水源林 展望台
天気がいい日は津久井方面を一望できるところ
▼三井水源林 展望台 晴天時は津久井の町が一望できる
▼戦前の廃鉄塔 山林にひっそり佇む
▼中沢峠
▼金比羅山 514.7m
▼金比羅山 514.7m
▼スパッツを付けた足元
▼大洞山 536m
▼赤馬分岐
▼大垂水峠
▼大垂水峠橋
▼大垂水峠 昭和8年6月 道路改修記念 東京府 神奈川懸 境界標
▼大垂水峠 昭和8年6月 道路改修記念 東京府 神奈川懸 境界標
▼富士屋 営業中
▼富士屋 営業中
▼大ダルミ峠 石碑
▼大ダルミ峠 石碑
▼大垂水橋 おおたるみばし 昭和48年3月竣功 建設省 相武国道工事
▼大垂水橋 おおたるみばし 昭和48年3月竣功 建設省 相武国道工事
▼大垂水峠橋わきの廃屋
▼大垂水峠橋わきの廃屋
▼雑木林と竹林に埋もれてる廃屋。昔の富士屋と思われる。看板に「富士屋」「観光バスサービスステエション」「たばこ」「森永アイスクリーム」などの文字あり。不明瞭だが「休所」と読めそうな文字も。
▼法面造成された北側の階段に「城山」の道標がある。ここからも登れるのか。
▼甲州街道から南側に立入禁止の私道がのびてる
▼「竹の子盗むな」の看板。この辺一帯は富士屋の土地なのかも。
▼雪の甲州街道をどんどん下る
▼中古別荘の看板。山梨の別荘をここで宣伝するのかと。
▼幻想的に降りしきる雪
▼廃山荘「峠のお宿」むかしは普通に営業していたような気もするが、いつ廃業したのか定かではない。
▼よく臭いと噂があがる。野生動物の豊富なところだから、動物の死体の匂いだろうと言われてる。
▼廃塩ビ管・廃プラ買取センターらしい。違法ヤードのニュースを以前テレビで見たからついつい疑ってしまう。
▼相模湖町消防団第3分団の火の見櫓
▼なかがみ屋 榎本工業 千木良
ここから甲州街道と別れて弁天橋に向かってく
▼牛鞍神社
▼牛鞍神社
▼牛鞍神社付近からの弁天橋と相模川の眺め
▼牛鞍神社から弁天橋および相模川に下る道。古道なのか付近には古い石仏が多い。
▼弁天橋に下る小道の古い石仏
▼弁天橋に下る小道の古い石仏
▼相模川
▼弁天大明神にわたる橋
▼弁天大明神付近の石仏
▼天下茶屋の弁天島温泉。日帰り入浴は税別1,000円。昭和10年に建てられた旅館だそうで、気になる。楽天トラベルを見ると、宿舎までは駐車場から150m~170mほど渓谷の山道を下るらしい。
▼弁天橋休憩所 管理室
▼相模湖駅に向かう看板
▼古い蔵 出発が昼だったし、どんどん暗くなってきた
▼相模ダム
▼相模湖駅前のいかりや商店で買い物。
▼いかりや商店で買ったあんドーナツ。
▼相模湖駅から電車に乗って帰った