万座温泉~草津白根山・湯釜~豊国館 スノーシューハイキング

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この日の行程
09:02 JR万座・鹿沢口駅
09:13 草軽電鉄・嬬恋駅跡ほか駅周辺散策
10:14 万座・鹿沢口駅バス停(路線バス乗車)
10:58 万座温泉バス停(路線バス下車)
11:54 朝日山第一ロマンスリフト(乗車)
13:10 草津白根山火口展望台
13:26 白根山山頂(2160m)
13:30 朝日山ゲレンデスノーシューで徒歩下山
15:08 豊国館(温泉入浴)
16:24 万座温泉バス停(路線バス乗車)
17:14 JR万座・鹿沢口駅

日帰りで草津の白根山にスノーシューイング。東京から電車で日帰りだと慌ただしく、帰りの電車の時間が気になってあまり悠長な雪山ハイキングは楽しめなかった。 バスの発車時刻まで時間があったので、万座・鹿沢口の駅周辺をぶらぶら散歩し、草軽電鉄の廃線跡などを一部見て回った。

※朝日山ゲレンデは2011-2012年冬シーズンに営業停止になり、その後閉鎖され、朝日山第一ロマンスリフトも撤去されたらしい。

参考

白根山の場所
国土地理院1:25000地形図 上野草津(長野)

万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング 地図
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング 地図
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング GPS
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング GPS
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング GPS
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング GPS
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング 地図
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング
万座温泉~草津白根山・湯釜 スノーシューハイキング 地図
草津温泉スキー場
草津温泉スキー場

バス運賃表  西武高原バス(株) TEL.0267-45-5045
万座・鹿沢口駅発(浅間・白根火山ルート)
東三原 2分
岩井堂 160円 4分
上の山 200円
嬬恋高原 450円
嬬恋プリンスホテル 490円 10分
表万座スキー場入口 850円
表万座スキー場(冬季のみ) 930円 27分
弁天橋 1260円
万座 1310円
万座温泉 1310円 68分
奥万座 1460円
白根火山 1630円 93分
殺生河原 2030円
御成山スキー場 2160円
天狗山スキー場 2330円
草津温泉 2440円 123分
長野原駅 148分

▼草軽電鉄 嬬恋駅跡(くさかるでんてつ つまごいえきあと)

妙高山や黒姫山など。遠方の山々。
妙高山や黒姫山など。遠方の山々。
妙高山や黒姫山など。遠方の山々。カシミール3Dで山名確認。
妙高山や黒姫山など。遠方の山々。カシミール3Dで山名確認。
妙高山や黒姫山など。遠方の山々。自分の軌跡を入れて、カシミール3Dで山名確認。
妙高山や黒姫山など。遠方の山々。自分の軌跡を入れて、カシミール3Dで山名確認。

その後、外来入浴してきた豊国館が、実は数ヶ月前に盗撮事件を起こしていた温泉宿だと知った。経営者の次男坊が女湯に侵入し、小型カメラを3台も仕掛けて盗撮していたらしい。天井にビデオカメラのような物があるのに気づいた女性客が通報し、本人がカメラに写り込んでいたため逮捕となったらしい。常習犯だったようで、イベント参加しに県外から来る客を狙っての盗撮。脱衣の一部始終がバッチリ写っていたとか。当時の記事に父親のインタビューも載っているが、「ここ10年くらい、うちの仕事を手伝ってくれていた。まったく気がつかなかった」と大したこともないようなコメントをしているのに呆れてしまう。事件を起こしたのが客や血縁関係のない従業員ならまだしも、同居する家族(息子)。身内の管理もできないなら、たとえば盗難などの犯罪トラブルにおいても杜撰でいい加減な対応をしている可能性がないか。湯はたしかに良かったが、それは自然の恵みであって人間の努力によるものではない。混浴などの施設もある宿だが、そこも怪しいのでないか?一気に信頼できない宿になってしまった。500円と格安で外来入浴を受け付けてくれるのは有り難いが、それももしかすると「カモ」となる女性客集めのためかもしれない(実際にそういう手口を用いてわいせつ行為を働き逮捕された宿泊施設経営者もいる)。利用する人、特に女性は、盗撮カメラの有無などに気をつけて入浴した方が良いのでないか?と思う。

当時のニュースのアーカイブ
女湯盗撮ビデオに自分自身…旅館の主人を直撃 ZAKZAK 2009/06/30
女湯盗撮、ビデオ設置場面に犯人映ってた – 社会ニュース – nikkansports.com 2009年6月30日8時33分
盗撮ビデオに自分映って発覚(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース 2009年06月30日
旅館従業員、女湯脱衣場にビデオ…自分も映る _ 社会 _ YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2009年6月29日11時58分 読売新聞
[mixi]万座温泉 豊国館 従業員盗撮事件について – 温泉なしでは生き(ら)れない – mixiコミュニティ 2009年07月22日 13:37
盗撮旅館 万座温泉豊国館 5ちゃんねる

2 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/04(土) 09:12:46 ID:CO061vNC0

警察の捜査中にもかかわらず、旅館は夏休みの始まる7月下旬から営業再開するとのこと。

被疑者は、「自分が楽しむために盗撮した」と供述しているようですが

10 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/06(月) 10:05:52 ID:CRXAraNH0
HPにお詫びらしきものは上がったけど説明は一切されてない、これで信頼回復とかできるとおもっているのだろうか?
あまりにも客を馬鹿にしている。掲載サイトにはお詫びすら載っていない。
確信犯だよね、これ

14 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/08(水) 14:03:48 ID:NSFfpAmo0
電話で豊国館の社長に話を聞きました。別スレは荒れているのでこちらに簡単に書きます。
水野容疑者の身柄は現在上野原署から沼田署に移され、そこで勾留されているそうです。質問は

・いつ頃から盗撮していたのか?
・押収品にパソコンは含まれるか?流出(意図的、過失含め)の可能性は?
・まもなく10日間の勾留期限を迎えるが保釈申請はするのか?

いずれも「ノーコメント」でした。
「皆様方の信頼回復に努めたい」というHPの声明とはかけ離れた、全く誠意のない対応でした。
盗撮期間をはじめ「知らぬ存ぜぬ」で押し切って、被害者自体の存在をうやむやにしようとしている、としか思えません。
確かに豊国館は万座でも有数の名湯ですが、その精神は腐りきっています。非常に残念です。

25 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/12(日) 11:56:43 ID:opZpzEnm0
たしか豊国館の社長って五色の湯温泉の社長と親戚筋じゃなかったかな
馬鹿息子は当分出入り禁止だろうから、あっちに奉公に出すんじゃないか?
とすると今後はあっちがやばいのか
ああ、名湯が腐ってゆくよ・・・orz

8 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/13(月) 12:32:46 ID:OnVQgTzW0
長野原警察に電話して訊いてみた。刑事課が対応してくれる。
水野容疑者は今年の2月に家電量販店で新しいビデオカメラを購入していて、これは裏づけが取れている。
それ以前の盗撮に関しては引き続き押収品を調べている、ということ。
というわけで今年2月以降利用した人はほぼ100%アウト。
それ以前に利用した事のある人は、カメラが新規購入だったのか買い替えだったのか判明するまでグレーゾーン。
とりあえず報告

32 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/14(火) 09:33:00 ID:R4SXgs2s0
>>26
あそこの社長は元豊国館の支配人をしていた人
たしか叔父と甥の関係じゃなかったかな?

36 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/16(木) 13:52:07 ID:/e7f3j960
新情報です
先週、逮捕直後の家宅捜索で押収された品物以外に水野容疑者のCD、DVDが別途押収された模様です
盗撮映像は複数のメディアに焼かれていた可能性が極めて高いです
ネット流出、転売については依然不明です

45 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/07/22(水) 12:30:17 ID:BDXPZv//0
HPで「重要なお知らせ」っていうから事実関係についての説明か何かと思ったら、ただの挨拶文じゃん。
相変わらず客を馬鹿にしてるとしか思えないね

57 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/08/03(月) 14:59:48 ID:R6KlNAj10
HPの謝罪文、削除したね
お詫びはもう充分にした、というとこかな?

58 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/08/03(月) 15:06:03 ID:L06I55fv0
「重要なお知らせ」の先にpdfか
なめてるな

127 :宿無しさん@予約いっぱい:2010/01/13(水) 19:53:13 ID:4C795YD50
ぬけぬけと、「アットホーム」を謳って
営業を再開してますな・・・

しれー・・・と。。

当時のホームページのarchivesで「重要なお知らせ」の存在は確認できたが、その先まではArchiveされていなかった。

5ちゃんねるの書き込みは真偽不明なのもあるが、なんだかなあ…

高尾霊園(紅葉台)登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)(登山)

雪降の日の高尾山への登山。GPSのログを途中で消失してしまったので、四辻からは適当に手動修正。実際のコースは違うかも。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪) 地図

高尾霊園わきの登山道。この時はまだヤブも生い茂らずフェンスもきっちり設置されて整備されていた(後年ヤブが生い茂りほとんど通れなくなった)。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

高尾霊園

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大西尾根の登山道とりかかりはとても眺めが良くて館ヶ丘団地を一望できたが、後年、すっかり木が成長して視界が遮られるようになってしまった(2020年追記)。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

左よりのひときわ高いビルはJR八王子駅南口のサザンスカイタワー八王子。その手前の4体のマンションは狭間駅近くのタウンズ八王子。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

館清掃工場の赤帯の煙突はまだ稼働中。老朽化のため、2010年9月30日で操業停止。2020年頃(?)に解体された。

竣工 昭和56年3月
建築構造 鉄骨鉄筋コンクリート
煙突 地上高100メートル
処理能力 150トン/日
焼却炉形式 全連続燃焼式焼却炉(日本鋼管 フェルント式)
所在地 八王子市館町2700番地

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大西尾根の雪ぐあい。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大分岐

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻をおりたところ、ちょうど道標のある登山口で、開花している桜の花に出会う(追記:この桜、2020年には12月初旬に花をつけた。河津桜だろうか?)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻方面への登山口

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

峯尾商店の横を通りケーブルカー・リフトのりばを経て高尾山頂に向かう。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

GPSのログを消失してしまい明確な登山ルートは不明だが、景色の良いルート。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

建設中のジャンクションが見える。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

高尾山の頂上。何も見えない。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

琵琶滝コースで下山。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

雪が溶けていた

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

ケーブルカー・リフトのりば前の広場に降りてきた。この建物もかなり古いと思う。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。

「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行

花岡鉱山の周辺施設や花岡事件関連史跡など(花岡線以外)

▼花岡鉱山周辺マップ

花岡鉱山周辺マップ

▼戦後2年目の花岡鉱山周辺
1947/11/17(昭22) USA M656-1 39 航空写真

戦後2年目の花岡鉱山周辺

花岡鉱山周辺

▼鉱山最盛期(昭和30年代)には商店街がたくさん建ち並び、繁華街としてにぎわっていたという花岡桜町の町並み。

花岡桜町の町並み

花岡桜町の町並み

1975年(昭和50年)の桜町の航空写真をみると、細々とした民家や商店が密集している。今は解体されて空地になった家屋も多い。

花岡桜町の町並み

▼桜町にあるウロコ寿し。営業している気配はない。

花岡桜町の町並み

※追記:ウロコ寿しは2012年10月以前に解体された模様。

花岡桜町の町並み

花岡桜町の町並み

▼桜町の寿し仲(すし仲)

花岡桜町の町並み

▼桜町の虻川自転車店。

花岡桜町の町並み

▼桜町の廃商店。
※追記:2012年10月以前に解体された模様。

花岡桜町の町並み

▼桜町の廃商店。
※追記:2012年10月以前に解体された模様。

花岡桜町の町並み

▼桜町

花岡桜町の町並み

▼きもの・京洗い・染み抜き・クリーニングの店

花岡桜町の町並み

▼煙突があるので、旧銭湯か?気になる。

花岡桜町の町並み

▼廃スーパーマーケット「だいさん」。1970年(昭和45年)8月2日に「同友花岡店」としてオープン。同友が倒産した後、スーパーだいさんオープン、その後廃業した。同友は、藤田組(後の同和鉱業、現DOWAホールディングス)が小坂鉱山労働者の福利厚生のために開設した供給所が起源。1969年に同和鉱業から分社化し同友株式会社が設立され、秋田県北地方や青森県大鰐町に店舗を展開していったが、経営悪化により2002年マックスバリュに吸収合併され、同友という会社は消えた。

90年代末頃、滝ノ沢共同浴場に行って、その帰りのバスの待ち時間に同友でお菓子を買って食べた記憶がある。

参考:同友-Wikipedia
参考:★☆★新大館市スレ//Part19★☆☆ まちBBS

花岡桜町の町並み

▼花岡ではめずらしくギラギラした明かりを灯してる店。こんな明るいのはここ1軒のみ。

花岡桜町の町並み

▼久留島公園。昭和39年(1964年)、花岡鉱山病院の前庭に、花矢町によって造られた。

参考:大館地方の歴史散歩 P.48

花岡桜町の町並み

同和鉱業発展の礎をつくった元社長・久留島秀三氏にちなんで、『久留島公園』と命名された。

花岡桜町の町並み

▼久留島公園は開園から20年後の昭和59年(1984年)7月7日に、改園整備された。花岡鉱業所所長・小竹康雄。

花岡桜町の町並み

▼久留島公園 鉱山で死亡した人の忠魂碑・供養塔。遠い将来への贈り物としてタイムカプセルも埋設されているらしい。

花岡桜町の町並み

▼久留島公園 花岡鉱山の歴史を刻む同屋敷坑記念碑が建立されている。

花岡桜町の町並み

▼久留島公園 同和鉱業花岡鉱山・堂屋敷坑記念碑 退転者友の会。

花岡桜町の町並み

▼これは噴水の遺構?

花岡桜町の町並み

昭和50年(1975年)の航空写真を見ると、まだ花岡鉱山病院の建物が現存している。昭和59年(1984年)の改園前の久留島公園は噴水池のある公園だったらしいが、航空写真を見ると改園前のほうが人工的に整備されているように見える。

花岡桜町の町並み

▼私立花岡体育館。花岡事件の現場。共楽館の跡地に建つ。市立体育館から弓道場までの一帯が、かつての共楽館広場。共楽館は1941年(昭和16年)1月に建築された木造一部2階建ての本格的映写設備を持った立派な建物で、花岡鉱山で働く人々のための娯楽施設(映画・演劇・演芸、集会場)だった。小坂鉱山の康楽館は観光施設として改修・公開されているが、花岡の共楽館は1979年(昭和54年)に解体された。現在、体育館の敷地には共楽館址の石碑がたてられている。

花岡事件:1945年(昭和20年)、姥沢の中山寮で寝泊りし花岡川の改修工事にあたっていた約800人の中国人労働者が、過酷な労働にたえかね、集団蜂起・脱走し、次々と捕縛され、共楽館前の広場に一斉に集められ、炎天下3日3晩にわたり拷問を受け、総計400名以上が死亡した事件。

参考:花岡事件 _ 大館郷土博物館
参考:花岡事件 – Wikipedia

花岡桜町の町並み

▼共楽館広場の跡地に建つ市立弓道場(左)と花岡体育館(右)。滝ノ沢沈殿池から流れてくる赤い色をした水は鉱水処理場のわきを通って旧花岡川と合流。

花岡桜町の町並み

▼在りし日の共楽館(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)。

在りし日の共楽館(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)

▼在りし日の中山寮(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)
中山寮は滝ノ沢沈殿池の湖底に沈められてしまった。

在りし日の中山寮(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)

▼花岡体育館の敷地内に建つ共楽館址の石碑。
参考:花岡事件を歩く 7(全文記載)

花岡桜町の町並み

▼畠沢恭一像(はたざわ きょういち) 花岡体育館敷地内
昭和二十二年から連続十一回当選、県議会史上の最長不倒記録保持者だったとか。

破邪顕正 みちのくの野武士・畠沢恭一
 昭和二十二年から連続十一回当選、県議会史上の最長不倒記録保持者だった畠沢恭一氏は、在任中の昨年十月逝去。氏を顕彰する胸像などが生地の大館市花岡に建てられたが、さらに故人を偲ぶ追悼文集兼伝記として出版されたのが本書で、「破邪顕正」は故人が好んで揮毫した文字による。
 内容は四部から成り、第一部は生前のエピソードと佐々木知事ら十二人の知友とのインタビューで構成する人物素描。第二部は「畠恭七十五年の軌跡」で、明治期の本県政界大立物・大日向作太郎県会議長にさかのぼる畠沢家のルーツから書きおこして死に至るまでの生涯をたどる。一、二部の執筆は元毎日記者の進藤康雄氏。
 第三部は「県政への提言」。四十年に及んだ議員生活の間に三百余もの提言提案を行ったとして、その主なもの、また本会議における一般質問の要旨をまとめている。
 第四部は「逝きし人々」で、党派を異にしながら県会内に同時に席を占めた中学時代からの親友中田直敏元県会議長、形影相添う仲といわれた小畑前知事夫人の好子さん、早稲田大学時代の下宿屋の娘神成澪さん(陶芸家・大坂志郎氏令妹)、国際的ジャンパー吉沢広司氏(同和鉱業社員)ら三十一人による追悼の記。鉱山社員として戦中、戦後の景気の波の中に豪放痛快な人生を送り、また人見誠治氏の後継県体協会長として幅広い行動と交友を持った故人だけに一編一編掬すべき内容に富む。(A6判三一二頁、二七〇〇円。大館市馬喰町、大館印刷出版事業部刊)
 なお同時に、花岡鉱業所の労務課で机を並べて以来五十余年、五期目には選挙責任者として、また大館市教育長退任後は畠沢恭一後援会事務局長として常に身近にあった木村和一氏(大館市谷地町10-4)の手になる『畠沢恭一の生涯・写真記録と選挙仲間の回想記」という私家版二三四頁)も同時に出ている。
あきた(通巻330号) 1989年(平成元年) 11月1日発行 -全40ページ-

花岡桜町の町並み

▼慰霊のための女性ブロンズ像 花岡体育館敷地内
共楽館解体直後、市民からモニュメントを設置すべきであるという要望が沸きあがり、それに対して市長が「犠牲となった中国人を慰霊する意味の、女性ブロンズ像を建立したい」という意向を示し、共楽館跡碑と一緒に建立されたもの。

参考:花岡事件を歩く⑦

女性の労働者はいないと思っていたが、なぜモデルが女性なのだろう。

花岡桜町の町並み

▼施設係 鉱水処理場

花岡桜町の町並み

▼施設係 鉱水処理場

花岡桜町の町並み

▼どんぶり型をした鉱水処理場の施設

花岡桜町の町並み

▼昭和38年3月に竣工された柏橋(かしわはし)。

花岡桜町の町並み

▼柏橋(かしわはし)。親柱には「姥沢川」と書いてあるが、ゼンリン住宅地図を見ると旧花岡川と姥沢川両方書いてあって、困惑。

花岡桜町の町並み

▼柏橋(かしわはし)

花岡桜町の町並み

▼柏橋(かしわはし)の下を流れる姥沢川(旧花岡川?)の水は、酸化鉄の影響で赤茶色をしている。現在も花岡鉱山からの中和水が流され続けているのだろう、とのこと。

参考:釈迦内小学校周辺散策 大山へ登る

花岡桜町の町並み

▼住宅名はわからないが、久留島公園向かいの空き地には、昭和50年(1975年)昭和61年(1986年)あたりまでは、社宅らしき家屋が密集していた。現在は古い木製電柱が残る。

花岡桜町の町並み

▼北前田住宅および前田住宅の一帯は、むかしハーモニカ長屋と呼ばれていた。名前の由来は「同じ大きさの建物が横一列に並んでいる姿がハーモニカの吹き口に似ていたから」らしい。鉱山全盛期には鉱山従業員のための長屋住宅が立ち並び、いかにも鉱山町らしい風情を呈していたといわれる。
北前田住宅長屋群の跡地は植林地に変わり、前田住宅長屋群の跡地には県営花岡改良住宅や市営前田住宅が建てられた。
中山寮の中国人労働者達は、冬も夏も一列に連なり、堂屋敷を通り抜け、前田住宅街の裏道を通り、七ツ館から信正寺寺門前に至る道を歩き、花岡川改修工事現場まで向かった。

参考:花岡鉱山百年の回顧 – 大館市
参考:どだすか大館ブログ 思い出の花岡鉱山写真展

参考:花岡事件を歩く 3

▼前田住宅。昭和34年には人口が1万2千人を超えたこともあった。

花岡桜町の町並み

▼昭和初期の花岡鉱山役宅街

花岡桜町の町並み

中山寮についてググっていたら、中国のサイトに画像がたくさん載っていたので、そこから画像を借りてきた。

花冈中山寮

花冈中山寮

▼中山寮 花岡にあった中国人労働者の収容所。中山寮劳工集中营

中山寮劳工集中营

▼日本鹿岛组花冈营业所中山寮全景。http://www.krzzjn.com/html/pic351.html(リンク切れ)

日本鹿岛组花冈营业所中山寮全景。

▼中山寮内劳工栖身处。http://www.krzzjn.com/html/pic351.html(リンク切れ)

中山寮内劳工栖身处

▼骨と皮ばかりにやせこけた中山寮の中国人労工たちと紹介されている。
中山寮(1945年10月)
骨瘦如柴的中国劳工。图为中山寮部分劳工1945年10月照。http://www.krzzjn.com/html/pic351.html(リンク切れ)

中山寮(1945年10月)

大量に出土した中国人労働者の遺骨

大量に出土した中国人労働者の遺骨

同和鉱業 小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

花岡鉱山 所在地:秋田県北秋田郡花矢町花岡町字堤沢

小坂鉄道 沿革
大正3年(1914) 大館~小坂間 花岡鉱山専用鉄道として開業。
大正4年(1915) 小坂鉄道に買収され花岡線となる。
大正5年(1916) 旅客輸送開始。
不明 同和鉱業の系列となる。
昭和59年(1984)  花岡鉱山閉山
昭和60年(1985)3月31日 花岡線廃止。

▼花岡線の時刻表 (日本國有鉄道編集 時刻表 昭和25年10月號より)

花岡線の時刻表 (日本國有鉄道編集 時刻表 昭和25年10月號より)

▼花岡線の時刻表(国鉄監修 時刻表 昭和36年(1961年)10月号より)

花岡線の時刻表(国鉄監修 時刻表 昭和36年(1961年)10月号より)

1954年(昭和29年)10月20日発行の「大館市政だより」(第27号)に掲載された花岡線と小坂線の時刻表

1954年(昭和29年)10月20日発行の「大館市政だより」(第27号)に掲載された花岡線と小坂線の時刻表

▼花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和22年8月30日発行より)

花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和22年8月30日発行より)

▼花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和32年8月30日発行より)
花岡駅より以北に長く伸びていた引込線が、短くなっている。

花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和32年8月30日発行より)

▼現代の地形図に加筆

花岡線 位置図

▼花岡線 堤沢~堂屋敷間 航空写真(1975年)

花岡線 堤沢~堂屋敷間 航空写真(1975年)

▼花岡線 松峰~堤沢間 航空写真(1975年)

花岡線 松峰~堤沢間 航空写真(1975年)

▼花岡線 板子石~松峰間 航空写真(1975年)

花岡線 板子石~松峰間 航空写真(1975年)

▼花岡線 大館駅~板子石間 航空写真(1975年)

花岡線 大館駅~板子石間 航空写真(1975年)

▼JR大館駅。
映画『HACHI 約束の犬』(原題:Hachi)の影響か、駅前のハチ公像の写真を撮る観光客がいた。連休中のせいか駅前の食堂(花善)が盛況だった。駅を出て右側にあった観光案内所の建物は解体され、観光案内所は左側に移動していた。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

JR大館駅

▼昭和9年の大館駅
(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)

昭和9年の大館駅

▼昭和前期頃の北秋木材株式会社の構内図と大館駅引込線
(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)
現在も北秋本社の敷地には立派な木造建築が残っている。

昭和前期頃の北秋木材株式会社の構内図と大館駅引込線

▼JR大館駅を出て右手側にある貨物置き場と引込み線スペース。小坂鉄道・花岡線の大館駅は約100mほど先にあった(2000年6月に解体)。奥羽本線や花輪線と小坂鉄道ではレール幅が違うので、乗り換えおよび貨物の積み替えをする必要があった。今から70年以上前の1944年(昭和19年)に花岡事件で亡くなった中国人達も、JR奥羽本線の大館駅から乗り換えて小坂鉄道の大館駅から花岡鉱山に向かった。

JR大館駅

▼解体された後の小坂鉄道・大館駅。整地しているようだった。

小坂鉄道・大館駅跡

▼小坂鉄道・旧大館駅付近の踏切。 数年前まで普通に貨物列車が往来していたから、いきなりの廃線風情に驚いた。小坂鉄道が小坂線の貨物の運行も2008年3月に廃止してしまったのを、この時はじめて知った。踏切のいたる所に「前方鉄道廃止 一時停止不要 段差注意 大館警察署 小坂製錬(株)」の看板が設置してあった。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切の信号機は真っ黒に塗りつぶされていた。なんだか不気味だ。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切から眺めた廃線跡と鳳凰山。毎年夏に行われる鳳凰山の大文字焼きは大館の夏の風物詩。参考:鳳凰山 (秋田県) – Wikipedia

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切の西側を眺める。はここに踏切がなくて、奥羽本線や花輪線の貨物用線路と交接していたみたい。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼道路を挟んで旧駅舎の向かい側にあった建物。よく見ると「小坂製錬株式会社 小坂鉄道大館駅」と書いてある。貨物駅があったのも知らなかった。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼廃線跡に残る信号機。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼小坂線は2008年3月に貨物列車も運行終了したらしいので、廃止されてから約1年半後の風景ということになる。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼手動信号式(腕木式信号機)の御成町踏切。踏切小屋が残る。遠方に茶色い高層の大館ロイヤルホテルが見える。参考:腕木式信号機 その1 きはゆに資料

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼御成町踏切。
※2014年に車道上のレールと鉄板は撤去されたらしい。
参考:大館・小坂鉄道レールバイク – 御成町踏切の鉄板が除去され、アスファルトで覆われてしまいました。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡線と小坂線の分岐付近。
右側の倒れ掛かっている鉄柵のあたりから花岡線は小坂線とわかれ左側に延びていた。
道路の微妙なゆがみがかつて分岐点だったことを物語っている。ここから花岡線の築堤が始まる。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼小坂鉄道 花岡線廃線跡 築堤のはじまり。
小坂線との分岐点から、奥羽本線を超えた200m先あたりまで築堤は続く。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡線の小さな橋台跡。水路を跨ぐ。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼JR奥羽本線をまたぐ跨線橋の橋台跡が残る。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。南側。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。北側。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡土建の門柱。敷地内の突き当りに花輪線の築堤の土手が見える。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼築堤終了部分。JR奥羽本線を跨いで200mほど北に進んだ地点でひときわ高く盛土された築堤は終わる。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼築堤が終了した辺りからは普通の民家(住宅地)を縫う形で廃線跡が続く。
廃線跡は立入禁止になっている場所も多いが、一部は砂利を敷き詰められ公道として使用されているみたい。特に建造物が建つわけでもなく、一見して廃線跡だとわかる地形がそのまま残っている。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼廃線土地は大館市によって管理されているみたい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼新松峰橋。下内川にかかっている。コンクリートの橋脚にプレートガーダーがかかる。
小坂鉄道・花岡線最大の遺構。正面に見える高い山は標高375.7mの大山。隣に並行する剣道よりも低く小さな橋梁。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼新松峰橋プレートガーダー。コンクリート造りの橋脚。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼県道に沿って水田の中を北に直進すると、じきに松峯駅(松峯停留所)跡地にたどり着く(左側の水田沿いの空地)。大正5年 (1916年)に旅客輸送を開始した花岡線だが、当初大館駅と花岡駅以外に駅はなかった。旧松峰集落が地底の採鉱によって地盤沈下をきたしたため、同和鉱業と鉱害補償交渉の上、昭和48~52年(1973~1977年)に現在の松峰地区に集団移転を余儀なくされた。集団移転に伴って新たに松峰の駅が昭和48年(1973年)に設置されたが、ホームと待合室だけの簡素な駅だった。移転する前の旧松峰地区は、菅江真澄の旅行記にも登場するほど歴史ある集落だった。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼昭和50年(1975年)の集団移転完了間近の松峰地区と松峰駅の簡素なホーム(参考:釈迦内地区の航空写真)なお、松峰は花岡でなく、旧釈迦内村の地域にあたるらしい。現在の松峰地区の航空写真はこちら

釈迦内地区の航空写真

▼松峰駅をさらに北に突き進む。道路の左右に旧同和鉱業松峰鉱山部の施設がある。
右側の小高い丘は、花岡鉱山最後のヤマといわれた松峰鉱山。
標高135.9mの大森山(右)の斜面に松峰鉱の選鉱場がたっている。
松峰鉱は、1963年(昭和38年)に鉱床が発見され、花岡鉱山最後の有力鉱山として期待されたが、1994年3月29日に閉山した。現在はDOWAエコシステム花岡の施設となっている。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼松峰鉱の坑内系統図(大館郷土博物館展示)。
左上の小さな小山が大森山。
地上に出ている部分がほんの少しで、地下坑内の深さと規模にビックリする。

松峰鉱の坑内系統図(大館郷土博物館展示)

▼松峰地区のボーリング風景 昭和38年頃の同和花岡
(大館の歴史 大館市市史編さん委員会より)
中央が大森山?大館郷土博物館にも展示あり。

松峰地区のボーリング風景 昭和38年頃の同和花岡 (大館の歴史 大館市市史編さん委員会より)

▼大森山ふもとのDOWAエコシステム花岡のシックナー群

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼松峰鉱の精鉱舎。
この施設に手前に小坂鉄道・花岡線が走っていて、ここから鉛精鉱や硫化精鉱(含有量を高めた鉱石)が積み出されて小坂鉱山の精錬所に送られていた。引込み線も敷設されていた。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線は一度県道と離れ、旧花岡川の西側を通って橋を渡り、同和鉱業・白根山社宅と花岡サテライトハイツの前で再び県道と合流。白根山団地はとっくに解体されていて、一面雑草の生い茂った空き野原となっている。白根山団地がまだ解体されていなかった頃、団地の合間を縫って歩いた覚えがあるのだが、当時の写真を撮ってないのがとても悔しい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡サテライトハイツ。既に住民は撤退し、廃団地となっている。1965年~1975年の建設。サテライトハイツの前のバス停は、社宅が跡形もなくなった2009年9月現在も「白根山団地」という名前のまま。
『大館市北秋田郡自治百年史』P.100に「昭和39年3月31日 星型アパート完成」とあるが、花岡サテライトハイツのことか。→と思ったが、市営片山アパートも星型で、1964年(昭和39年) 4月15日号(No.89)の「広報 大館」で「星型アパート完成」と報じられているので、これは片山アパートのことのようだ。
※花岡サテライトハイツは2014年に解体された。

市営片山アパート

花岡サテライトハイツ

花岡サテライトハイツ

▼白根山団地の跡地から堂屋敷方面(北側)の景観。この辺から商店がぽつぽつ出てきてひらけた雰囲気になる。

花岡サテライトハイツ

▼昭和40年9月竣工 堤沢橋

花岡サテライトハイツ

花岡サテライトハイツ

▼堤沢橋のすぐわきに花岡線の小さな廃橋梁が並行する。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼堤沢橋わきの小さな廃橋梁は、コンクリートの他に木材も使われている。下を流れる大森川(旧花岡川)は、滝ノ沢沈殿池から流れてくるもので、酸化鉄の沈殿で赤錆びた色をしている。今でも花岡鉱山の中和水が流されているのではないか、とのこと。しかし2000年09月30日発行の河北新報朝刊では「清流化進む大館の大森川」と題し「大館市内を流れる大森川(旧花岡川)の生息調査で29日、今まで生息が確認されていなかったブラックバスが見つかった。」という記事が発表されたらしい。
参考:ブラックバス問題 ニュース・ヘッドライン(バスおよび移入生物関連の報道と動静)

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

堤沢橋付近

▼廃線跡は同和レア.アース株式会社 花岡工場の細長い建物の手前をまっすぐ突き進む。この工場は昭和50年(1975年)の航空写真に写っていないので、昭和50年以降に社宅か役宅か何かの跡地だった所に建てられたみたい(昭和45年の航空写真および昭和22年の部位群撮影の航空写真でこの辺りに長屋建住宅のような細長い建物がびっしり建っているのを確認できる)。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼同和工業株式会社。鉱山事務所の跡地に、昭和50年(1975年)以降に建設された模様。1990年代末頃まではここに鉱山事務所前バス停があったように記憶している。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼終点・花岡駅の跡地。 この赤い屋根の建物の手前(涙型の墓地との間の広場あたり)に、花岡駅の駅舎があった。ここを基点に放射線状に道が四方に伸びている。昭和45年のモノクロの航空写真にこの建物と同じ形状の建物がうつっている(昭和50年の航空写真では屋根が青い)。花岡線が現役だった頃の鉄道施設だったのかも。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡駅の跡地。駅は終点だが、昭和20~30年代にはここより500~600mほど先の堂屋敷鉱床のほうまで引込線が伸びていた。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼昭和55年発行の地図にも引込線が記載されていた。亡くなった大館の祖母宅からもらってきた地図。昭和50年(1975年)の航空写真でも引込線を確認できる。

TBアトラス 大館市 最新版 塔文社 昭和55年度版  花岡地区 1:10,000

▼引込線の跡地にそって建つ青い細長い建物。昭和45年(1970年)の航空写真昭和50年(1975年)の航空写真でも、同じ形状の建物を確認できる。こちらのサイト様に1980年代の花岡駅の写真が掲載されており、これらしき建物から電車が顔をのぞかせている。どうやら現役当時から残る鉄道関連施設らしい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

花岡線 廃線跡

▼昭和初期の花岡鉱山事務所と花岡線の線路と汽車。大館市観光協会ブログにも昭和20年代前半の花岡鉱山事務所の写真が掲載されている。

昭和初期の花岡鉱山事務所と花岡線の線路と汽車

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堤沢鉱床の露天採掘)[PDF]より

J-STAGEの資料(花岡鉱山堤沢鉱床の露天採掘)[PDF]より

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堂屋敷鉱床の採鉱法について)[PDF]より

J-STAGEの資料(花岡鉱山堂屋敷鉱床の採鉱法について)[PDF]より

参考サイト:
同和鉱業花岡線 – Wikipedia 大館 鶏めし 花善 懐かしのアルバム 小坂鉄道

参考文献:鉄道廃線跡を歩く〈7〉 宮脇俊三(著)
大館地方の歴史散歩 無明舎出版

往時の花岡駅の写真掲載ブログ様:
稲門歯科医院 花岡駅 1979年
小坂鉄道レールパーク運転体験(2)同和鉱業だった頃の思い出。 – 中京テレビ_稲見駅長の鉄道だよ人生は!! 昭和53年(1977年)
鉄道趣味工房 写真アルバム 同和鉱業小坂鉄道 昭和50年
東北私鉄廻り~6~同和鉱業 花岡線小坂線。 ( 鉄道、列車 ) – 主水のひとり言 – Yahoo!ブログ 1979年
線路巡礼:同和鉱業花岡線(小坂駅から直通列車が走っていました) ( 鉄道、列車 ) – 線路巡礼♪ – Yahoo!ブログ 1984年
043 同和鉱業小坂線、花岡線 – おかひめの鉄道記録 昭和50年
同和鉱業小坂鉄道_ 鉄道趣味っと 1980年代

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

【自転車ルート】

▼獅子ヶ森にある大館家具木工協同組合。廃工場かと思ったら、ちゃんとホームページもある現役施設だった。かつてここは秋田県林業指導所の用地であったらしい。林業試験場の工場部門廃止により工場を引受けたのが昭和39年らしい。当時から存在する建物なんだろうか。

参考:大館家具木工協同組合
秋田県大館市釈迦内字獅子ケ森1?1
2012年10月以前に解体された模様。それに伴ってか、ホームページも閉鎖した模様(ストリートビュー確認)
大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼奥をのぞくと錆びた鉄パイプラインが連なっている。木工のことはよくわからないけど、こういう鉄パイプはふつう木工工場にあるものなんだろうかと不思議に思った。稼働されずに何年も放置されているような風情だった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

後に頂いた情報から、この大館家具木工協同組合(元林業試験場)は、戦時中に同和鉱業の精錬所の分工場の有った場所と知った。精錬所分工場は小坂精錬所の分工場として建設されたが、敗戦により稼働することなく廃止になったらしい。最寄の小坂鉄道岱野駅から引き込み線が有った。昭和32年代の地形図には岱野駅からの引き込み線が記載されている。この古い木造の工場群が当時の精錬所の建物を継承しているかどうかは不明だが、林業試験場の建物にしては規模が大きいかなとのこと。 (秋田在住のA自動車商会さんから2009年に頂いた情報より)

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

大館地方の歴史散歩」という本のP.55に「獅子ヶ森の麓に第二次大戦中、亜鉛工場の移転が計画され、鉄道の引込線までつくられたが、操業前に終戦となった。」と書いてあった。どうやらこれが同和鉱業の精錬所の分工場のことらしい。

大館市 北秋田郡 自治百年史」(昭和42年発行、P.85)によると、「秋田県林業試験場 獅子ヶ森 昭和23年4月1日 秋田県立木材工業指導所として創立、昭和27年4月1日現名称に改名」とある。

▼昭和32年8月30日発行の五万分一地形図 「大館」を確認してみると、確かに引込線が記載されていた。ただ昭和22年8月30日発行の五万分一地形図 「大館」には記載されていなかった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

1948年米軍撮影の航空写真がわかりやすかった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼1975年頃の引込線の周辺。引込線の東側に住宅地が建てられている。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

現在の引込線の周辺。引込線の西側にもぎっしり住宅地が建っている。前述の秋田在住のA自動車商会さんのお話によると、関連があるのかどうかは不明だが1999年頃にはこの近辺で細い古レール数本が杭に使われているのを発見したとのこと。また35年ほど前、大館東中学校の校庭の柵には森林鉄道用とおぼしき細い古レールが使われていたとのこと。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼大館家具木工協同組合の向かいの敷地に、雑草の生い茂った空き地に何かの門柱だけがとり残されている。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼表札は撤去されていて読めないけど、秋田県林業試験場のものだったのかも。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)
新線切り替え時期:昭和55年(1980年)9月

参考:鉄道廃線跡を歩く 1巻 宮脇俊三 JTBキャンブックス P.86-87

▼冨士見駅側の分岐点から140mほどの地点、瀬沢トンネルの手前。
旧線の切り通し跡 現在は水路のようになっている

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼瀬沢トンネル 富士見側坑口

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼瀬沢トンネル 信濃境側坑口

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼廃止された初代立場川鉄橋の築堤から現在使用されている2代目立場川鉄橋を眺める。特急あずさが走っている。

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼旧立場川橋梁(たつばがわきょうりょう)北西詰め。1904年(明治37年)に開通し、1980年(昭和55年)に運用を終了したボルチモアトラス橋。

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼中央本線の車窓から撮影した旧立場川橋梁

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼旧立場川橋梁(たつばがわきょうりょう)東南詰め。

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼旧立場川橋梁の橋台

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼姥沢(うばさわ)トンネル 富士見側坑口

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼枕木が残る
100mしかない短い隧道なので反対側の出口が見える

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼高山植物のワレモコウ、さすが標高が高い

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼姥沢トンネル 信濃境側坑口

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼乙事(おっこと)トンネル 富士見側坑口
現在はコンクリートで入口が塞がれてしまったようだ

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

▼昭和43年 五万分一地理院地図より
1.冨士見駅 2.瀬沢トンネル 3.旧立場川鉄橋 4.姥沢トンネル 5.乙事トンネル
ピンクの線は現在の中央本線(手描きなので位置はおおよそ)

中央本線旧線(信濃境~富士見)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)&八ツ沢発電所・第一号水路橋&名勝猿橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間) 地図

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間) 地図

中央本線 鳥沢駅~大月駅間開通 1902年(明治35年)
新線(現在線)への切替 1968年(昭和43年)

参考地図:
旧版地図 明治大正 五万分一地形図
旧版地図 昭和前期 五万分一地形図
1975年の航空写真
現在の地理院 空中写真
五万分一地形図 東京15号(上野原) 昭和8年2月発行 大日本帝国陸地測量部
五万分一地形図 甲府3号(谷村) 昭和7年8月発行 大日本帝国陸地測量部

【経路】
鳥沢駅鳥沢宿~福地権現神社~御領沢橋跡(トラス橋)第1富浜トンネル八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋~(宮谷トンネル)~大原トンネル猿橋八ツ沢発電所・第一号水路橋猿橋駅

鳥沢駅

▼鳥沢駅の名所案内

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼鳥沢駅ホーム

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼鳥沢駅の敷地外にある古い煉瓦造の土台の駐車場。
どうやら昔の貨物側線の跡らしい。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼昔の貨物側線の跡とおぼしき古い煉瓦造の駐車場土台。
ちなみに現在使われているホームも古い煉瓦造りの上にかさまししたもの。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼鳥沢駅。木造駅舎。標高312m。
開業:明治35年6月1日。住所:山梨県 大月市富浜町鳥沢。
2016年に新駅舎に建て替えられた。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼鳥沢駅 駅前

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

鳥沢宿

▼鳥沢宿の古い町並み

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼鳥沢周辺の商店

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼甲州街道から福地権現神社に入る

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼福地権現神社

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼福地権現神社をおりて線路沿いに歩く

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線 分岐付近

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線 分岐付近

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線 分岐付近

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線 分岐付近。前方にメゾン富田。
中央本線旧線の跡に沿って建てられているアパート。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼ケイトウのような花(葉?)が咲き乱れている

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼ケイトウみたいだが、近くで見るとちょっと違う?

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

御領沢橋跡(トラス橋)

▼中央本線旧線 トラス橋(御領沢橋梁)の架かっていた築堤

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼国道20号沿いに旧線が隣接していた場所から百蔵山を眺める。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼ところどころに古い蔵

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼小向バス停

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

第1富浜トンネル

▼第1富浜トンネル 猿橋側の坑門。生い茂った樹木に覆われて全容がまったく分からない状態になってしまっている。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼第1富浜トンネル 猿橋側の坑門。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼第1富浜トンネル猿橋側の坑門を、第2富浜隧道の鳥沢側坑門があったあたりから眺める。残念ながら、第2富浜隧道の鳥沢側坑門はすでに埋め立てられてしまい、確認できず。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼新桂川橋梁。第2富浜隧道の鳥沢側出口があったあたりからの眺望

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼新桂川橋梁を走る中央本線。第2富浜隧道の鳥沢側出口あたりからの眺望。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋

▼明治時代に建造された土木遺産 重要文化財
参考:八ツ沢発電所施設 第三号水路橋 文化遺産オンライン

▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼八ツ沢発電所の水路。屋根をかぶせられている。
一見長いビニールハウスのよう。はじめはこれが廃線跡かと勘違いした。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼水路と扇山。扇山のピークは見えていない

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼桂川におりてみると古い石碑群がある

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼アオサギが並んでいた

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

大原トンネル

▼中央本線旧線 大原トンネル 鳥沢側の坑門をのぞむ
目を凝らすと樹林の中にポッカリと黒い穴が見える

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線 大原トンネル 鳥沢側の坑門をのぞむ

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼宮谷新道バス停付近

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼宮谷トンネル猿橋側坑門附近の高台にたたずむ馬頭観世音の石碑。八ツ沢発電所の水路や中央本線旧線の築堤跡を見下ろせる位置にある。正面のこんもりと茂った山のふもとが大原隧道の鳥沢側坑門のあるところ。馬頭観世音の石碑は宮谷トンネルの坑門を埋め立てた後にどこからか移転したもの?

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼馬頭観世音のある高台から中央本線旧線の築堤跡の空地を見下ろす。築堤は2000年頃まであったようだ。 正面の山の麓に大原トンネルの鳥沢側坑口が埋もれている。更地の真ん中の1本線のあたりが旧線の跡らしい。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼中央本線旧線の築堤跡

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼宮谷新道バス停付近。中央本線がこちらを通っていた頃は、それなりに栄えていたんだろうか。今はぽつぽつ民家が残るものの、空地になって石垣だけが残されているところが多い。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼仙台屋食堂わきにある大原トンネル猿橋側坑門

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼大原トンネル猿橋側坑門

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼大原トンネル猿橋側坑門。明治期に造られた立派なもの。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

奇景・名勝 猿橋

▼奇景・名勝 猿橋。猿橋の刎橋構造は画像検索で見たほうがわかりやすい。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼県道505号の新猿橋。桂川に架かる。下流の国道20号の新猿橋と同名。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

八ツ沢発電所 第一号水路橋

▼明治時代に造られた重要文化財
参考:八ツ沢発電所施設 第一号水路橋 文化遺産オンライン

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼八ツ沢発電所 第一号水路橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼名勝猿橋架替記念碑

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼名勝 猿橋 解説板

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼八ツ沢発電所 第一号水路橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼八ツ沢発電所 第一号水路橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼第一号水路橋ちかくにあるサルの像

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼三猿塔の由来 看板

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼昭和42年の開眼
新線(現在線)への切替が行われたのは1968年(昭和43年)
その頃にいろいろ整備されたのかな

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼名勝猿橋ゲート

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼猿橋駐車場案内看板

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼甲州古道 猿橋宿

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼猿橋。木々が生い茂って刎橋(はねばし)の構造がわかりづらい。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼カラオケ道場かすみ(左)2012年6月~2014年9月の間に解体されてしまった模様。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼カラオケ道場かすみ(左)この辺の路地の雰囲気好き。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼カラオケ道場かすみ附近の三叉路。この辺の路地の雰囲気好き。宿場町の頃の面影が残っているような気がしないでもない。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼この辺の路地の雰囲気好きすぎる

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼百蔵登山道入口・出世大神宮

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼百蔵登山口付近 名前の分からない花 この花好き

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼新猿橋から市営アツクメ団地方面をのぞむ。正面の山は標高643.7mの菊花山(きっかさん)。東京電力駒橋発電所も見える。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼カシミール3Dにて菊花山方面を描写確認。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼県道505号の新猿橋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼駿河屋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼はねぎ商店(左端)。残念ながら右端の金澤酒店の家屋は2012年6月以前に解体されてしまった模様。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼金澤酒店の家屋 解体されたの勿体ない

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼梅沢美容院入口バス停

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼はねぎ商店と名勝猿橋ゲート

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼名勝猿橋ゲートと金澤酒店の家屋

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼旧線の橋台上にそのまま建てられた住宅。この時は木が生い茂って全貌がわかりづらくなっていた。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼新猿橋西。五叉路。火の見櫓あり。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼国道20号。理容フジタ付近。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼国道20号。猿橋小入口

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼甲州街道沿いの馬頭観世音

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

猿橋駅

▼猿橋の刎橋(はねばし)構造を模したデザインの猿橋駅。1997年築。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼昔のままの低い煉瓦造のプラットホームが残っている猿橋駅。
このホームは現在使われていない。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼猿橋駅の古い煉瓦造ホーム。遠方に大月の岩殿山城が見える。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼おまけ。撮影日不明。猿橋寄りの旧線分岐点。中央本線の車窓から撮影。旧線はこの寿ハイツの前あたりを通っていたと思われる。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

▼おまけ。2010-05-15撮影。同じく猿橋寄りの旧線分岐点。

中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)

見残したところを確認しに、2010年3月24日に再訪をしたが、まだ探索しきれてない所が残ってるので、いつかまた訪れたい。

参考:鉄道廃線跡を歩く〈3〉 宮脇俊三 JTBキャンブックス P.81~83掲載

群馬鉄山専用線 旧国鉄長野原線 太子駅跡

鬱蒼とした公園内にホッパーが放置されていたが、2013年(平成25年)頃から整備され始め、駅舎も復元されたらしい。現在は有料で公開されているらしい。

旧太子駅
〒377-1702群馬県吾妻郡中之条町大字太子251-4
TEL 0279-95-3055

営業時間10:00~16:00
(入館料)200円(中之条町民と中学生以下は無料。)
定休日 12月29日~1月3日12月~3月は火・水定休(祝祭日を除く)

群馬鉄山専用線 旧長野原線
昭和20年(1945年)開業
昭和46年(1971年)廃線

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

第一愛宕隧道

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

旧国鉄長野原線 太子駅跡

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

〒399-0101 長野県諏訪郡富士見町境6063付近

▼昭和前期の1/5万分一地形図。
ピンクの線が現在の中央本線のおおよその位置。
旧線は池生神社の裏手あたりから分岐し、現在の中央本線の池生(いけおい)トンネルの小淵沢側出口(北澤アート付近)あたりで合流する。

中央本線旧線(小淵沢~信濃境)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 「八王子 八十八景」

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

(有)中島酒造場
〒192-0154東京都八王子市下恩方町725
042-651-3002
http://www.nakajima-sake.co.jp/
Google MapsMapFan

参考:65 下恩方の酒造場(下恩方町725)|八王子市http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003281.html(リンク切れ)

江戸時代末期に創業した八王子の地酒の醸造元のひとつ。昔は建物の背後に高木が数本生え、畑に囲まれ、ひなびた風景だった。

※2010年9月末に閉業した。

看板に主力販売商品の地酒「高尾山」「陣馬山」「日出山」の文字(看板は後に撤去)。酔い人「空太郎」の日本酒探検(http://blogs.yahoo.co.jp/qoopontan2/33289893.html%E2%80%8E)(リンク切れ)さんによると「昭和18年に戦時統制下で酒造りを中止、13年間のブランクを経て昭和31年に酒造りを再開」とのこと。木造以外にも古い建物が連なる。

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 「八王子 八十八景」

▼手前の2棟の建物は、2013年5月には解体され、更地になっていた。

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

中島酒造場の近く(本木バス停&菅原神社付近)にある巨大庚申塔

中島酒造場の近く(本木バス停&菅原神社付近)にある巨大庚申塔

少し離れた場所にある東京都水道局の川町配水所(周囲は観栖寺の霊園)

東京都水道局 川町配水所

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

八王子市小比企町 中小比企バス停の北側に磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)がある。牧場の北側の斜面に計12本の横穴式地下壕が残っている。戦中、三鷹町にあったエンジンのキャブレーター製造会社、三鷹航空機工業が疎開していた。疎開 計画は軍需大臣が1945年(昭和20年)4月に国内の航空機製造会社に出した命令によるもの。工事が始まったのは6月8日で、建設計画の10%ほどで敗 戦を迎えた。唯一内部まで観察できる第2坑は奥まで34m、横幅2.2m~2.5m、高さ約2m。第3坑は天井部分が崩落し、上の林に大きな穴が空いている。その他は入口がふさがったり、土地の造成によって消滅したため、壕内の状況を確認することはできない。

参考:フィールドワーク 浅川地下壕―学び・調べ・考えよう P.50
参考:産地発!たべもの一直線「八王子市発~東京の牛乳」 NHK総合 2008年6月1日(日) 6:15~6:50放送
参考:磯沼牧場 磯沼ミルクファーム(公式サイト)
参考:Web八王子辞典 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/print.php?NAME=%B0%EB%BE%C2%BE%EF%B1%A6%B1%D2%CC%E7 (リンク切れ)
参考:八王子事典 八王子事典の会 かたくら書店

地図:Google Maps
地図:国土地理院地形図

▼赤い線が引いてあるこんもりと木が生い茂った一帯が小比企地下壕の建設された場所。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼北西のほうから見た地下壕のある一帯。
中央の大きな木がこんもりと生い茂った一帯に地下壕が建設された。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼北東(大林禅寺の墓地北側)より眺めた地下壕のある一帯。
中央の大きな木の生い茂った一帯に地下壕が建設された。
この傾斜のきつい地形が地下壕建設に一役買ったのかな。
大林禅寺の墓地北側は非常に眺めが良く、北野街道や湯殿川をはさみ小比企町を一望できる。
左中央に見える肌色の3階建ての建物は磯沼商店。この店の手前に中小比企バス停がある。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

昔は「小引」ともいったらしい。

小比企村

▼磯沼ミルクファームのウッシー達。この牧場ではホルスタイン(白黒ブチ)、ブラウンスイス(グレーがかった茶)、ジャージー(茶・大きな瞳)牛の3種類を飼っていて、3種類の乳をブレンドした牛乳が売られている。 ホルスタインはさわやかで、ブラウンスイスはコクがあり、ジャージーはマイルドな味なのだそーだ。多頭が放牧されており、交通量もそれなりにある道路に面した牧場なのに、のどかな風景。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼南西(北野街道側)から見た地下壕のある一帯。奥の林が地下壕の作られた斜面。第8坑、第7坑付近。右手前は磯沼牧場の牛舎。大きなウッシー達が多数モグモグ草を食べている場所。磯沼牧場は消臭対策としてカカオ殻やコーヒーかすを使用しており、それが匂いの少ない堆肥としても人気を得ているらしいが、この場所は堆肥らしい匂いが少々漂う。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼牛舎のウッシー達。間近で見るととても大きくて迫力がある。ジャージー牛はつぶらな瞳でとっても可愛い。この写真は尻向きだが…

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼第8坑、第9坑が作られたあたりの斜面。現在この傾斜のきつい林は太りすぎた牛をダイエットさせるための放牧場所となっている。かつての地下壕の上をウッシー達がのっそのっそ歩き回っているなんて。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼第10坑の入口付近にある石仏。「宝暦二壬申申歳(1752年) 右意趣者願望成就修也 九月吉日 武州小比企村 磯沼常右エ門」と刻まれている。手前は新しめなので近年建てられた?ちなみに磯沼常右衛門  http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/print.php?NAME=%B0%EB%BE%C2%BE%EF%B1%A6%B1%D2%CC%E7(リンク切れ)は小比企村の名主。磯沼牧場の磯沼さん宅は江戸時代(?)から続く名家のようだ。すごいなぁ。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼道の左側の林に第10坑、右側の林に第9坑と第8坑が作られた。右側の林はダイエット牛用の放牧地となっている。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼頭しか見えないので太っているのか分からないけど・・・ダイエット放牧地でもぐもぐ草を食べていた牛たち。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

第8坑~第12坑あたりは牧場として使用されているが、第1~第7坑付近は牧場として活用されていないのかな。
近くまで行けなかったのでよく分からなかった。

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前の商店街。古風な銅版建築は「いも仙」というお店。2014年12月現在、ストリートビューで確認してみると、再開発のために解体された模様。銅版建築の見事な八百屋さんだったのに…周囲のレトロな商店も軒並み解体され、道路が拡幅されていた。

東京都調布市上石原 1-26-6
電話 0424-83-2327

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布一番街。古い民家と商店が連なり、味わいのある細路地だったが、ストリートビューで確認してみると、このあたりの家屋も2014年12月の時点で再開発のためにかなり解体されたようだ。残念。

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼上石原 大通り商店街
この辺に立ち並んでいた家屋は再開発でこぞって解体された

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼上石原 大通り商店街 解体済み

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布駅前通り 再開発で随分景観が変化した模様

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布駅前通り 松屋薬店 2014年6月以前に解体されてしまったようだ

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り 石山医院、昇文堂、魚長、HEID、NOJI
再開発でこの辺もこぞって解体された

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

後年、CD-ROMへの焼きこみが失敗してしまい、この日に撮影した写真の多くを紛失してしまった。

国立天文台 三鷹キャンパス

住所:東京都三鷹市大沢2-21-1
入場:無料
時間:10:00~17:00(10月~3月は16:00まで)
電話:0422-34-3600(代表)

1920年(大正9年頃) 地形図 天文臺が記載されている
1930年(昭和5年頃) 国立天文台付近 地形図
昭和前期 国立天文台付近 五万分一地形図
Google Maps
国土地理院
自然科学研究機構 国立天文台(NAOJ) 公式サイト
国立天文台 三鷹キャンパス – MapFan(マップファン)
国立天文台三鷹キャンパス – Wikipedia

▼重厚な門柱

国立天文台 三鷹キャンパス

▼入口を入ったすぐの所にある小さな小屋。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室のそばにあった古い木造電柱

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室 内部

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室の天井。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス ▼大

赤道儀室。天文台歴史館となっていて、内部にはいろいろな展示物がある。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。アンティークな天井。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。焦点距離約10mの巨大望遠鏡。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼アインシュタイン塔。内部は入場不可。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼アインシュタイン塔。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼スクラッチタイル張りの旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。スクラッチタイル張りだったのは建物の表半分だけだった。
裏側は普通の壁面だった。これも可愛いけど。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室の内部展示物。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環。巨大バウムクーヘン巻き巻きエスカルゴハウス。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の内部。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の内部。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環内部から外を眺める。正面はレプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の窓。

国立天文台 三鷹キャンパス

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環近くにあった古い木製電柱。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼森のなかのゴーチェ子午環。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼自動光電子午環。これは比較的新しい。
1982年9月設置、1983年より観測開始。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼天文台 地図

天文台 地図

国立天文台 三鷹キャンパス

後年、CD-ROMへの焼きこみが失敗してしまい、この日に撮影した写真の多くを消失してしまった。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間) 明治22年竣工(甲武鉄道時代) 日野市

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

1889年(明治22年)7月に完成した甲武鉄道会社線の多摩川橋梁(明治21年11月から着工、開業1889年8月11日)。当初の全長は1373フィート8インチ(418.7m)で、単線だったが、1937年(昭和12年)頃に複線化し、全長も439.98mに伸びた。

▼写真手前の上り線側が明治の甲武鉄道時代に架けられた古い鉄橋で、右後方の下り線が昭和12年頃に完成した鉄橋。上り線の橋台は所々コンクリート造に変えられているが、甲武鉄道時代の古い煉瓦造の橋台も残っている。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

2009年2月に訪れたら、いつの間にか、1つの煉瓦造の橋台を除いて灰色のペイントが施されていた。上り線のプレートガーダーの側面にはJ型スティフナー(補鋼材)が垂直に取り付けられている。J型スティフナーは明治30年代以前に設計された典型的な英国式ポーナル形の桁。ガーダーには緑色の新しい塗料が施されており、一見して古い鉄橋とはわかりづらい。

参考:
多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 口絵写真P.13, P.91-97, P.100-101
JR東日本八王子支社|中央線まめ知識|中央線の歴史 1880~1899年
多摩川橋梁 菊地博和のホームページ

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

〒191-0001 東京都日野市23

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

▼日野寄りの橋詰部分

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

避溢橋の橋台跡(煉瓦造) 甲武鉄道時代 中央線 立川市

避溢橋の南側橋台(煉瓦造) 

甲武鉄道時代、中央線・日野~立川間の多摩川に多摩川橋梁が設けられた際、水害防止のために立川寄りの低湿地に、全長532フィート8インチ(162.4m)の避溢橋も設けられた。 後に避溢橋は解体されたが、今でも新奥多摩街の北側の小道を跨ぐ橋台に避溢橋の南側部分の煉瓦造を見ることができる。読みは「ひいつばし」?「ひいつきょう」?どちらだろう。使われているのは日野煉瓦製造所製レンガなのかな。

参考書籍:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.100-101

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
東京都立川市富士見町/東京都立川市柴崎町

避溢橋の南側橋台(煉瓦造)

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)(架替済) 甲武鉄道時代の遺構

立川第一陸橋(山中眼鏡橋) 

かつて煉瓦アーチ橋であった、山中めがね橋。橋台部分に煉瓦が残る。この橋台の煉瓦は甲武鉄道建設時に創業した日野煉瓦製造所製のものと思われる。鉄製の部分にはイギリスのバロー社製などの古レールが使われている。

2008年3月26日~2010年9月13日橋りょう工事。
2009年2月23日~2010年4月末頃まで架替工事のため通行止め。

2010年のストリートビューで旧橋が解体されたのを確認。

参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.101,113-116

国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市 

江戸時代頃から残る古い坂道。坂道の途中の空壕跡に空襲犠牲者を弔う地蔵尊と歌碑が建てられている。
東京都立川市富士見町5丁目
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

参考:
129.山中坂防空壕跡 – 武蔵野・多摩 MTB散歩
総務省|一般戦災死没者の追悼|立川市における戦災の状況(東京都)

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

▼残堀川を越えた遠く向こうに富士見町団地の白い給水塔が見える。

山中坂(山中地蔵尊/山中坂防空壕跡) 立川市

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