下之一色魚市場の朝市

2021年3月末をもって閉鎖される下之一色魚市場の朝市に出かけてきた。年末年始の朝市は毎年恒例のようだが、今年で100年以上続いた歴史に幕を下ろす。

※2021年3月31日((水)をもって閉場→3月13日(土)をもって閉場に変更されたとのこと。

 【徒歩ルート】

下之一色魚市場の朝市

前日の夜に名古屋入りしても伏屋駅付近に適当な宿泊施設がなく、伏屋行の始発列車も5時台、と市場の開店より遅いので、余裕を持って待機する意味がない。早朝名古屋着の夜行バスに乗り、近鉄の始発列車に乗って伏屋駅で降りた。そのあと状況によっては助光住宅から権野まで路線バスの始発を利用しようと思ったが、時間が中途半端なので、下之一色魚市場まで伏屋駅から結局3km歩きで移動した。市場の混雑具合など想像も付かなかったが、地元の人達がのんびり買い付けに訪れる程度なので、あわてることもなかった。ゆっくり買い物できて良かった(と行っても生鮮を持って帰れないのでジャコしか買えなかったけど)。

電車
■近鉄名古屋
|  近鉄名古屋線(津新町行) 6.4km
|  05:18-05:28[10分]
|  260円
■伏屋

路線バス
■助光住宅
|  [名古屋市交通局]高畑15(南陽交通広場行)
|  06:15-06:20[5分]
|  210円
■権野

下之一色魚市場の朝市

朝市は5時営業開始と聞いていたが、チラシには3時と書いてあった。

下之一色魚市場の朝市

客の要望に従って長い包丁を使ってマグロを丁寧に解体する。別の店ではタライに入れた生きたウナギを器用に捌いていた。

下之一色魚市場の朝市

地元の方が車で買い付けに来るケースがほとんどのようだった。
食材はそのまま台所に運ばれていく。

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

このホーローライトどうなるんだろう。廃棄されたら勿体ないな。欲しがる人もいるんじゃないかな。

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

手持ちで生物を買って帰るわけには行かない身だったので、新鮮なお魚を食べたかったけど、500円のちりめんじゃこを買って帰った。貧弱だけど仕方がない。でもとても美味しいジャコだった。

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場の朝市

この注意書き好き

下之一色魚市場の朝市

鵜とカモメがたくさんいた。鵜が潜ったあと水面に波紋が広がるんだけど、長い間その波紋が消えない。そして鵜はなかなか同じところから出てこないので、どれが潜水した鵜かわからなかった。水中でどんな動きしてるんだろうと思ってYouTubeで確かめてみた。地上よりも活発な動きをしていて面白い。

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場の朝市

この建物は昭和37年頃に建てられた丸一冷蔵。昭和34年の伊勢湾台風で漁業権を廃棄したあとの建設。屋上に丸一の屋号紋が入ってる。昭和初期、ここには下之一色漁業組合事務所があったらしい。窓ガラスは割れ、壁に穴が開き、モルタル壁の下の木材が見えている。いつから使われなくなったんだろう。

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色魚市場 冷蔵施設

荷揚げ場 昭和45年の定礎

下之一色魚市場の朝市

下之一色魚市場

下之一色魚市場

下之一色町 昭和4年 地図

1万地形図 下之一色町(しものいっしきちょう) 地形図・地勢図図歴 国土地理院

「名古屋南部」(名古屋2号)
五万分一地形図 内務省
明治24年・昭和12年測図
昭和13年第4回修正測図

大垣 第二あずまビル

団地のように見えるが、名称はビルになってる。南頬団地と同じくらい古く見える。南頬団地が昭和25年築という話が正しいなら、これも同じくらいなんじゃなかろうか。

大垣 第二あずまビル

窓ガラスは割れっぱなし。防犯カメラが設置してあったが、入口は板で閉鎖されているしわざわざ入る人もいなさそうに見える。

大垣 第二あずまビル

大垣 第二あずまビル

門柱

大垣 第二あずまビル

大垣 第二あずまビル

大垣 第二あずまビル

向いの古い家屋の看板。

大垣

大垣マンホール

大垣マンホール

大垣 市営南頬団地 ※住民撤退後

解体待ちの南頬団地(みなみのかわだんち)。7年前に訪れたきりだけど、夕暮れ時にちらっと見てきた。既に住民の方は撤退している。

市営南頬団地

〒503-0862 岐阜県大垣市南頬町1丁目

ベランダがササクレだってる。

市営南頬団地

市営南頬団地

昭和らしい水洗台。

市営南頬団地

子供の頃こういう砂利はがすの好きだったなあ。

市営南頬団地

門柱のカーブが可愛い。

市営南頬団地

電球は新しそう。LEDかな。

市営南頬団地

市営南頬団地

市営南頬団地

市営南頬団地

市営南頬団地

正色市場(解体済)~下之一色魚市場~新元湯~太平湯~テレビ温泉

以前から訪れたいと思っていた正色市場(しょうしきいちば)にようやく訪問することができたのだが、既に解体されて新築住宅が建てられていた。残念すぎる…。

あと近場にある大正時代に建てられた超レトロ銭湯の新元湯にも訪れてみたが、0と5の付く日は休みだった。何も下調べしてこなかったのを後悔。

さらに近場にある下之一色魚市場も夕方だったせいか開いていなかった。ただしこちらは今後の開市日程が告知されていた。ありがたい(というか、来年閉鎖予定であることを知った…)。

ひとまず名古屋駅→八田駅/近鉄八田駅→伏屋駅→正色市場跡→新元湯→下之一色魚市場(しものいっしきうおちいば)→太平湯→テレビ温泉→名古屋駅と移動。

下之一色町 昭和4年 地図

伏屋駅を降りたあと、助光住宅バス停から権野バス停まで路線バスを使おうかと思っていたが、結局最後まで歩きで行ってしまった。伏屋駅から下之一色魚市場まで徒歩で3km弱あるんだけど、あれこれ見ながら行くと自分的には大した距離じゃない。

なんと下之一色魚市場、2021年3月末をもって閉鎖されるらしい。100年以上もの歴史があるのに。これは貴重な最後のチャンスの告知だったのか。

2つの川に挟まれた場所に昭和レトロを感じさせる下之一色魚市場(愛知県名古屋市中川区下之一色町南ノ切21)が、2021年3月末をもって閉鎖されることになりました。

100年以上の歴史があり、伊勢湾最大の規模を誇る同市場。現在は鮮魚店をはじめ、練り物屋や卵焼き店など16の店が営業しています。

下之一色魚市場 閉鎖 _ ファイナルアクセス

太平湯。下之一色町の新元湯に入れなかったので、3~4kmテクテク歩いて太平湯にやってきたのに営業していなかった…張り紙もなにもない。後で調べて気づいたが、2019年10月1日より休業中だった(Googleマップには反映されていなかった)。併設のレトロなコインランドリーは営業していた。

あおなみ線の中島駅からは荒子温泉のほうが近かったな。結局名古屋臨海鉄道に乗って中島駅→小本駅と移動し、そこから歩いてテレビ温泉に行った。地べたからドカンと生えた煙突は強烈だが、建物はそこまで古くもない。建て替えたのだろう。ビル銭湯のような雰囲気がある。昭和32年創業、待合室にテレビがあったからそのまま付いた名だそう。入口および休憩室の写真だけ記念に撮らせて頂いた。

入浴料440円。 
ハンドドライヤー20円。
フロント式。
フロント前に休憩室がある。入る時に入浴剤の試供品をサービスでもらった。
下駄箱も脱衣所のロッカーも扉が紫色の透明のプラスチック製。中身が見えるようになっている。 そういうロッカー、初めて見た。
浴室の中央に四角い浴槽があり、そこはわりと熱湯。突き当りの壁際に小さな薬湯(?)と電気風呂があり、こちらは温湯。100円でサウナと水風呂もある。とにかく寒いなか歩き続けて熱めの湯船に浸かることができたのが天国だった。

「名古屋南部」(名古屋2号)
五万分一地形図 内務省
明治24年・昭和12年測図
昭和13年第4回修正測図

多治見めぐり(西ヶ原遊郭跡、たじみ広小路、銀座センター、多治見銀座商店街)

多治見市の旅館 清楽さんに泊まり、その後、西ヶ原遊郭跡、たじみ広小路、銀座センター、多治見銀座商店街などを見て回る。以前このあたりに一度ちょこっと来たことがあるけれど、その時にあった多治見温泉の建物は解体されてなくなっていた。

多治見 たじみ

清楽さんのビルからの眺め。多治見の街が一望できる。

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

おいしい朝ごはん。

多治見 たじみ

部屋に備え付けのゴミ箱がレトロで可愛かった。あとレトロなエアコン。

多治見 たじみ

多治見 たじみ

新羅神社の参道と路傍祠。新羅神社はあまり見なかったけど遊郭の軌跡があっただろうか。

新羅神社

新羅神社

新羅神社が建物をまたぐ形で建っている。

新羅神社

M字型のモータープール。関東だとこういうの珍しい気が。

モータープール

モータープール

西ヶ原遊郭跡の玉突き場跡。
住んでる方がいらっしゃるようで、テレビの音声が聞こえてきた。

玉突 末広

玉突 末広

レトロな写真館

写真館

写真館

元お肉屋さんだったみたい

多治見 たじみ

多治見 たじみ

写真が分かりづらいのだが、テレビ共同聴視の鑑札と金属製の腕木

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

中華天国金山店
昭和43年から営業しているそうな。
ちょうどこの時開店準備をし始めたところのようだった。

中華天国金山店

銀座センター

銀座センター

銀座センター

銀座センター

銀座センター

銀座センター

量水器の蓋など。「岐」の文字入り。

量水器の蓋

多治見 たじみ

銀座センター

銀座センター

たじみ広小路

たじみ広小路

キャッスル感が可愛い店舗跡?

多治見 たじみ

良い感じの喫茶店

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

たじみ 多治見

たじみ 多治見

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街の中にある喫茶モリタ。
時間がなくて迷ったが、アメリカンコーヒー(400円)だけ頂いてささっと出てきた。マスターのおじいさんの対応、コーヒーの味、店内の雰囲気、価格、メニューすべてにおいて素晴らしかったので、また今度きてゆっくり味わいたい。

喫茶モリタ

喫茶モリタ

喫茶モリタ

喫茶モリタ

多治見銀座商店街の中に井戸があった

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街

洒落たタイル使いの木製ショーウィンドウ

多治見銀座商店街

多治見銀座商店街

倉庫の中で瀬戸物の無人販売をやっていた。香炉も100円で売っていた。

多治見 たじみ

多治見 たじみ

タイル感がいい病院と珠算教室

多治見 たじみ

多治見 たじみ

多治見 たじみ

この鰻屋さん、GoToトラベルに対応していた。知っていたら利用したかった気も…

多治見 たじみ

細い開渠が気にかかる

多治見 たじみ

多治見 たじみ

↓新羅神社の場所が確認できる。下の煙突マークは何の工場だろう。

「瀬戸」(豊橋13号)
五万分一地形図 内務省
明治24年測図
大正?年修正測図
昭和5年鉄道

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

あまり下調べもせず、ふらっと名鉄八百津線の廃線跡を徒歩で巡ってみた。2001年に廃止された路線。ほとんど迷わずに行ける。

名鉄八百津線跡 地図

徒歩ルート

  1. 明智駅
  2. 明智橋(可児川・平戸貝の化石株)
  3. 東伏見駅跡
  4. 十月桜並木
  5. 森蘭丸の像&誕生の地ゲート
  6. 兼山口駅跡
  7. 森家の墓地
  8. 城門駅
  9. 城山トンネル
  10. 兼山駅跡(みんなの駅ひろば)
  11. 中野駅跡
  12. 伊岐津志駅跡
  13. 八百津駅跡
  14. 八百津橋
  15. 中野消防詰所バス停
  16. 六角堂バス停

八百津線 廃線跡地図

名鉄八百津線 地図

明智駅

素敵な木造駅舎の明智駅。Wikipediaによると開業当初のものとのことで、どうやら大正時代の築らしい。

名鉄 明智駅

名鉄 明智駅

名鉄 明智駅

名鉄 明智駅

名鉄 明智駅

明智駅前

名鉄広見線と八百津線の分岐。駅付近にある何かの基礎土台は鉄道施設か民家か。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

車道を超えたあたりから築堤になってる。レールはもう撤去されてる。   

名鉄八百津線跡

名鉄八百津線跡

名鉄八百津線跡

名鉄八百津線跡

住宅地の中にも橋台が点々と。 

名鉄八百津線跡

名鉄八百津線 廃線跡

可児川に出る。シロサギの親子の密生地になってる。平戸貝の化石株は残念ながら見れなかった。対岸に八百津線の橋台跡が見える。  

可児川

可児川

可児川

可児川

一般国道21号の伏見跨線橋方面に向かって歩くと、途中から廃線跡が舗装されて遊歩道になってる。 

名鉄八百津線跡

名鉄八百津線跡

東伏見駅跡

伏見跨線橋を超えたあたりが東伏見駅跡のようだが、まったく面影なし。

名鉄八百津線跡

舗装されて遊歩道になった道路のわきには比較的若そうな十月桜の木が植樹されている。 高尾山付近の桜も10日ほど前に咲いていたけど、今年は桜の開花が全国的に狂っているのか。それともそういう品種なのか。

十月桜 名鉄八百津線跡

十月桜 名鉄八百津線跡

十月桜 名鉄八百津線跡

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

アスファルトの遊歩道が終わると、廃線跡らしい切土になる。   

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

しばらくいくと分かれ道になり、大きな森蘭丸の像と誕生の地ゲートが出てくる。森蘭丸(森乱丸)は織田信長に仕え、齢18歳にして討ち死にした美少年だったらしいが、像の方はというとなかなかオモシロな風貌だ。 

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

森蘭丸の像

兼山口駅跡

更に進むと兼山口駅跡にたどり着くが、当時の写真を見てもまったく面影がわかない。この辺の公衆便所はみんななまこ壁風のデザインを採用しているみたいだ。

兼山口駅付近 名鉄八百津線

兼山口駅付近 名鉄八百津線

兼山口駅付近 名鉄八百津線

兼山口駅付近 名鉄八百津線

兼山高架橋をくぐり抜けると、ふたたび廃線跡らしい風情に。切り通しの裏手に祠がある。石碑の刻印をみると、どうやら昭和8年にご参拝に来られたみたい。 

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり 

急傾斜地沿いにある廃線跡は、急傾斜地崩壊対策工事の擁壁によって埋め立てられていた。通行できるにはできるが、途中かなり道幅が狭くなっている。  

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

擁壁の切れ目に「森家の墓地」の案内板あり。   小道を登ってみると森蘭丸3兄弟の墓(森家廟所)があった。  昭和38年10月7日に町の重要文化財に指定さている。八百津線が廃線になる前、人々は線路を渡ってここに訪れていたのだな。

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

森蘭丸の墓(森家の墓地)

森蘭丸の墓(森家の墓地)

森蘭丸の墓(森家の墓地)

森蘭丸の墓(森家の墓地)

この擁壁は平成30年に施工されたもののようだ。道の細さが黒部の「下の廊下」的な風情がある。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線

城門駅

県道351号御嵩川辺線の手前、ちょうど常照寺の上手で擁壁が途切れ、開けた場所に出る。多分このあたりが城門駅(きどえき)跡。正面をみると城山トンネルがぽっかり口を開けている。   

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

城山トンネル

名鉄八百津線

城山トンネルの城門駅側の抗口。 

城山トンネル 名鉄八百津線

城山トンネル 名鉄八百津線

トンネルは途中で内径が狭くなっている。暗くて退避坑はよく見えない。

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

城山トンネル 名鉄八百津線

城山トンネル 名鉄八百津線

城山トンネル 名鉄八百津線

城山トンネル 兼山駅側の抗口

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

城山トンネルを抜けると住宅地内のなだらかな築堤になる。近くに美濃金山城の米蔵跡があり、その石垣が見えた。築堤と米蔵跡の間に水道建設記念碑の苔むした石碑があり、湧水のような水が溜まった小池があった。   

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

兼山駅跡(みんなの駅ひろば)

八百津線の橋台の間の道から古城山に登れるようだ。かつて兼山駅があったあたりは「みんなの駅ひろば」として生まれ変わり、更地になっている。近くに古い木造家屋や看板があり、なまこ壁風の公衆便所があった。       

兼山駅 名鉄八百津線

兼山駅 名鉄八百津線

兼山駅 名鉄八百津線

兼山駅 名鉄八百津線

兼山駅 名鉄八百津線

兼山駅 名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

兼山駅 名鉄八百津線

住宅地内の、特に変化のない廃線跡に沿って進む。廃線跡とともに住宅地内に溶け込む烏帽子鉄塔。兼山発電所につながってる。いつか兼山ダムとともに訪れてみたい。

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線

廃線跡はふたたび築堤に。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

近くにある共同墓地に、今は消えた「兼山町」の文字が残っていた(兼山町は2005年に可児市に編入された)。   

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線

兼山ダム(木曽川)に注ぐ沢に架かる小さな橋。逆光でよく見えず…
県道381号多治見八百津線と八百津線廃線跡の分岐部には大型橋台が残る。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

分岐周辺には廃線跡らしい広々とした更地が残るが、それも尻すぼみになって、何だかよくわからなくなってしまう。たぶん廃線跡はすべて車道に変えられてしまったんだろう。 そのせいか、このあたりは生活感があまりない。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

名鉄八百津線

広々とした平地の中の廃線跡を突き進む。平地のど真ん中にででんと立つ高層の烏帽子鉄塔が象徴的だ。 

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

中野駅跡

何だかまったくよく分からないのだが、中野駅跡はこの辺か。この石垣がその名残だったりしないか。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

歩道と車道、どちらに転用されたのかわからない廃線跡を進む。

名鉄八百津線

伊岐津志駅跡

おそらくこのあたりが伊岐津志駅(いぎつしえき)跡でないかと思うが、さっぱりわからない。さらに車道と歩道、どちらに転用されたのかわからない廃線跡を突き進む。犬の散歩をしてる人がいた。

名鉄八百津線

名鉄八百津線

八百津駅跡

2.5kmほど、自動販売機1つもない道のりを歩いてきたが、八百津駅跡にたどり着いてやっと商業施設が出てきた。実際の八百津駅跡はもう少しずれた場所にあるようなのだが、この時は何の下調べもせずに出かけたのでそこまで突っ込んで確認できなかった。

名鉄八百津線

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線

名鉄八百津線

八百津駅周辺のレトロ看板 

八百津駅跡周辺

八百津駅跡周辺

今回の八百津線めぐりは一応ここまで。ここから先の丸山水力専用鉄道についてはいつかちゃんと調べて訪れたいと思っている。ちょうど2年前の冬に八百津橋対岸の商店街周辺を散策したが、その時の軌跡と線をつなげるために八百津橋まで足を伸ばしておいた。ただ八百津橋は工事中で、夕闇迫り急いでいたこともあり、完全に渡りきらずに引き返してきてしまった。 

八百津橋

八百津橋

帰りは八百津線の廃線跡でなく県道381号沿いに歩いてみたが、やはりこちらの方が古い町並みをしている。火の見櫓、木製電柱、古井戸、石碑。路傍祠など…。単純に歩くならこちらの方が面白い。あとここでもピンクの桜らしき花が咲いてる樹木があった。どうしちゃったんだろう。

名鉄八百津線 廃線跡めぐり     

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

名鉄八百津線 廃線跡めぐり

八百津町の町並み

八百津町の町並み

八百津町の町並み

八百津町の町並み

中野消防詰所バス停

実は今回一番見たかったもの、帰りも途中までわざわざ徒歩にした理由は、この中野消防詰所バス停をもう一度見たかったからだったのだ。以前このあたりに来た時に路線バスの車内から見かけ気になっていた寂れたトタン屋根のバス停。あいにく真っ暗になってしまったけど、とりあえず場所確認できたので良かった。そのまま残っていて嬉しい。

中野消防詰所バス停

中野消防詰所バス停

中野消防詰所バス停

中野消防詰所バス停

帰りは六角堂バス停から路線バスに乗った。乗客は2人だった。

「美濃太田」(飯田16号)
五万分一地形図 参謀本部
明治44年測図
昭和8年要部修正測図

岐阜市 銭湯 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

入浴寮:420円
住所:岐阜県岐阜市永楽町1-25
電話番号:058-245-6614
営業時間:15:30~21:00
定休日:日曜日
駐車場あり
岐阜県浴場組合HP:http://1010gifu.com/map/kintaroyu/

タイル使いがとても洒落た銭湯。使われているタイルの種類が多くて楽しい。岐阜はタイルの街だからかな。脱衣所と浴室の間に洗面台があるという面白い構造になっている。最後の客だったが、写真を撮らせて頂きたいと言ったら入浴客がいなくなった後も浴室の電気をつけておいてくれた。有難うございました。

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

岐阜市 金太郎湯 入浴

来宮 水口第一共同浴場・水口第二共同浴場(閉鎖)

明日から閉鎖してしまうという熱海の共同浴場に行ってきた。

NHKの取材班がカメラを構えて外で待機していた。地元のお婆さん達が嫌だ嫌だと言っていた。

来宮駅はいつの間にか改装されていた

▼水口第一共同浴場

水口第一共同浴場

▼水口第一共同浴場

水口第一共同浴場

▼水口第二共同浴場

脱衣所と浴室がひとつづきの部屋の(中に入ったらいきなり浴室がある)共同浴場は久しぶり。温泉の共同浴場は石鹸使用禁止のところも多いけど、ここは石鹸使用OK。

水口第二共同浴場

さすが熱海!マンホールにも湯マーク!

熱海温泉マンホール

21時、電車の車内にいる。まだ家着かず。大晦日だから、すごい駅がらがら。日本全国どこの駅もがらがらみたい。

市営南頬団地(みなみのかわちょうだんち)

まだ住民の方のいる南頬団地。
昭和25年頃築との噂を聞いた。

市営南頬団地

市営南頬団地

2014年1月3日 市営南頬団地(みなみのかわちょうだんち)

市営南頬団地

市営南頬団地

大垣市は毎月第3日曜を「家庭の日」と定めているらしい。 『家族団らんの機会をつくり「家族の絆」を深めましょう』とのことらしいが、この看板だと書体と相まって特別な意味があるように感じてしまう。

市営南頬団地

市営南頬団地

昔の地形図。南頬団地は禾森~高橋~商業學校あたりかな?

「大垣」(岐阜8号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
大正9年修正測図
大正13年9月30日発行

昭和18年の土地宝典だとこの辺かな?(自信はなし)

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅(こわだえき)
無人駅
1936年(昭和11年)12月30日開業
静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家44

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

建物資産標

03-4001
S.08.12
駅は1936年(昭和11年)開業のはずだが、それより古い昭和8年12月築とはどういうことだろう。

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

小和田駅 飯田線 木造駅舎 無人駅 秘境駅

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

〒453-0024 愛知県名古屋市中村区太閤通5丁目20
12軒のスナックが入居

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード 

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード 

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

中村区太閤通 大門横丁 全蓋式アーケード

名古屋 歓楽街 大門小路

名古屋 歓楽街 大門小路

〒453-0024 愛知県名古屋市中村区名楽町1丁目14
35.1688581,136.8663273

名古屋 歓楽街 大門小路 

名古屋 歓楽街 大門小路

名古屋 歓楽街 大門小路

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名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

1912(大正元)年に遊郭として建てられ、料理旅館を経て、現在はデイサービスセンターとして活用されている。地域のお年寄りの憩いの場。

都市景観重要建築物等
デイサービスセンター松岡健遊館
〒453-0028 愛知県名古屋市中村区寿町26
〒453-0029 愛知県名古屋市中村区日吉町13

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市 中村遊郭 旧松岡旅館 妓楼建築

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴(解体済)

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

 入浴料400円
小型石鹸(シャンプーと同じ容器) 40円
タオル200円(買わず)
ドライヤー20円

営業時間 15時~22時30分
定休日 月曜日
〒453-0046 愛知県名古屋市中村区道下町4丁目7

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

▼入口の写真を撮らせて頂いた。下駄箱が渋い。

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

名古屋市中村区 寿湯 銭湯 入浴

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

愛知県名古屋市中村区名楽町1-23
[電話番号] 052-471-5703
[営業時間] 10:45 ~ 22:00 (土のみ am.1:00)
[入場料金] 1200円 (学生900円・シニア700円)
https://r18theater.info/cinema/nagoya.html

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

成人映画館 中村映劇

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋(解体済)

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

「都市景観重要建築物等」だったが、2014年3月に解体された。

〒453-0028 愛知県名古屋市中村区寿町28

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

中村遊郭 長寿庵 妓楼建築 名古屋 解体済

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【後半】

前半戦からの続き。

湯ケ島坑については、以下のサイトさんの情報を頼りに訪問してみた。でも情報が古かったらしく、諸々と様変わりしていた。はじめは古い情報ということにすら気づかず、場所を間違えたのかと思った。伊豆金山マニアの間では有名らしいが、意外とのどかでひなびた場所だった。

参考:Kanayama Mine<湯ヶ島の金山(かなやま)>
参考:湯ヶ島金山のトロッコ跡
参考:天城湯ヶ島金山廃坑(2003年03月) 廃墟系
地図:Google Maps
地図:理院地図 – GSI Maps|国土地理院

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【後半】

中外鉱業(株)持越工場の看板がある三叉路。持越鉱山は湯ヶ島坑より西側5km先ほどに行ったところにある。8年位前までは確実に操業していて(2009年現在)、持越鉱山行きのバスも運行していたみたいだけど(参考)、現在は持越方面のバスが運行していないようなので、廃業になっちゃったのかな。よく見ると看板に「温泉休業」とか書いてあるし。観光業もダメになっちゃったのかな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

近くに「伊豆の金山」の案内板が設置してあったが、ネットで見た状態とは打って変わって朽ち果てていた。平成元年(1989年)に、天城湯ヶ島町教育委員会によって立てられたものらしいが、2012年6月撮影のストリートビューで確認してみるともう木枠だけになっている。「中外鉱業(株)持越工場」の看板もはずされている。前述のサイトさん達には2000~2003年頃のようすが載ってるけど、一応この木製看板は20年近くも持ったんだな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

案内板書き起こし。

伊豆の金山(かなやま)

豆州湯ヶ島村金山(カネヤマ)は、天正の頃より金銀が採掘された。二百枚、横沢、平山、宝木鉱(ホーキコン)、金沢(カナサワ)、岳(ハタガシ ラ)椎鉱(シイコー)の七坑よりなり、慶長二年(一五九七)大久保長安が伊豆の金山奉行に着任し最盛期を迎える。豆州志稿に「黄金多くことに上品也。諸々 の職人、商人全国よりきそい集い、遊女御免を蒙り賑わしかりし事共なりとあり、今なお残る採掘に係わる地名に応じを忍ぶことができる。

平成元年八月 天城湯ヶ島町教育委員会

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ネットで見覚えのある鉱山施設が出てきた。道路沿いにあるから探すまでもない。「金山」と名がつくからには何か鉱山施設があるのかと期待して、湯ケ島坑探索はとりあえず後回しにして、金山バス停の方まで歩いて様子を見ていってみる。

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カーブになった道の石垣上に鳥居を発見。ちょっと登って様子を見てみる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

祠が出てきた。

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あまりお参りする人がいなさそうな神社

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不動橋近くにある馬頭観音。「明和四年五月十七日 …主荻原傅助」の刻印(一部読み取り不可)。明和4年は1767年だから、240~250年位前か~。不動橋は昭和58年竣工でこの地域では古くない。

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とりあえず金山バス停(東海バス)の先まで行ってみたが、民家以外にこれといって目立ったものはなく、戻ることにした。

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バス時刻表。本数は上下とも少ない。改正時刻は2003年4月になってる。ちなみに2013年6月現在、修善寺駅から持越温泉まで行くバスは1日1本しかないみたいだ。

持越温泉から修善寺駅までのバスは1日3本(2013年6月現在)(http://dia.tokaibus.jp/OrangeGuide/pc/table.do?pole=1&busstop=6277&kind=0)(リンク切れ)

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金山の古い石仏群。
金沢橋を渡り、来た時とはちょっと違う道で戻る。
金沢橋は昭和51年竣工。

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金山の古い石仏群。

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元の湯ケ島坑跡に戻ってきた。樹木に飲み込まれてるホッパー棟。

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近づいてみる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

中を見てみたいと思ったけど、この調子では入る隙間もなさそうな…

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

建物の形もわからなくなってる。

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ホッパー棟の上を登って行くと、グラウンドが現れる。
鉱山施設の工場の跡地をゲートボール場に変えたものらしい。

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ゲートボール場の隅に湯ヶ島坑口がある。
左の建物は京大理学部地震観測室らしい。
背後の山の斜面に昔は鉱山設備があったらしい。

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「湯ヶ島坑」の文字はまだ読める。

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以前坑口全体にはめられていたらしい大きな鉄格子は撤去されていて、新たに施行されたと思われるコンクリで排水孔は固められていた。内部からパイプによる引水がしてあって、勢い良く水が流れていた。網状の蓋がかぶせられた下水設備も近年作られたものと思われる。

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昔はトロッコがこの中を往来していたらしく、人も行き来できる大きさだったんだろうが、新たに塗り固められたコンクリ孔は幅が40cmほどしかななく、とても人が入れる大きさではなくなってる。確認しようとしても既になかったかもしれないが、残念ながらこの時トロッコのレール跡などを確認せずに帰ってきてしまった。

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この手の廃坑から流れてくる水は毒々しい色が多いけど、ここは無色だった。地下水では珍しいくらい(?)勢い良く流れ出てた。

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ゲートボール場わきには、鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物を解体した後の基礎土台が残っている。
2000年頃まで建物は残っていたようだ…。

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鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物の正面出入口前にあった階段。建物が解体されても小階段は残された。脇にある木材は新しいから、地元の人がちょくちょく出入りしてるのかな。

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古い車輪が転がっていたが、まさかトロッコのじゃないよね…。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ブロック小屋。よくわからない施設。

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茂みの中に石碑らしきものが見える。

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更に茂みの奥にはポッカリあいた空洞のようなものが。

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ゲートボール場全景。

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湯ケ島坑のあった丘を降りて帰ることにする。

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来たコースと同じ道を辿って世古橋の方まで一気に戻る。ちなみに世古という地名の漢字は「世古」と「瀬古」両方見かける。どちらが正しいかは分からない。1月だけれども途中たくさん柿が成ってる木があった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

梶井基次郎文学碑そばまで戻ってきたところで、来た時には気づかなかった「世古の大湯」という看板を見かけて、入って見ることにする。無人の共同浴場で、一応は入浴無料という名目だけど、管理費100円(以上)が必要。全体的に施設は老朽化しており、夜になったら出そう・・・な雰囲気ではあるけど、逆にワクワクする。脱衣所も浴槽も小ぢんまりとしていて狭かったけど、誰も居ないだろうと思ったら先客が数人いて結構賑わっていた。お湯は無色透明で、匂いなども特にクセはない。脱衣所までは写真を撮れたけど、先客がいたため浴場内の写真は撮れず。

浴槽などの写真はこあじ伊豆観光ツーリングガイド(homepage2.nifty.com/koaji/onsenjouhou/amagi/sekonoyu.htm)さんで確認できる。(リンク切れ)

こういう共同浴場は大好きなので、いつまでも続けて欲しい。
場所:Google Maps

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

小さな階段を降りていく。日の当たらないジメジメとした場所で陰気臭くはある。

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無人だけど一応ちゃんと管理されていて、ここから先夜は閉鎖されるみたい。

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どんどん猫越川の渓流側に下ってく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

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「地元班 大口寄付者以外の方は一人につき1回100円以上を入れて」と呼びかける看板。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

入口。昭和そのものの雰囲気。子供だったら怖く感じるかも。私、子供のとき和風家屋とか怖くて嫌いだったし。手前が男湯、奥が女湯。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

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更に地下にある管理施設。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

Google Mapsでは「瀬古」でなく「世古」と書かれてる。木の表札が良い感じ。

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ここにお金を入れる。

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脱衣所。木造りのロッカー。

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脱衣所は2~3畳くらい?かな。

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湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

入浴を済ませて、気持ちもさっぱりしたところで、また湯ヶ島駅バス停の方に向かい始める。瑞祥閣前の坂を上がった所にある家屋。ただの民家かと思ったけど入口前に「娯楽室」と書かれてるのがすごい気になる。

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「娯楽室」の文字。

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下田街道沿いの古い廃店舗。

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足立英語塾に戻ってきた。

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奥の方の建物もカッケー。塀の痛み具合がカモフラージュ模様っぽくなってる。

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重厚な和風家屋。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

裏側から見たところ。正面の黄色い外壁が洋風っぽくて、裏が和風っぽい、和洋折衷型?

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

足立英語塾近辺の古い蔵。同敷地内かは不明。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

足立英語塾の並びにある古い木造長屋家屋。
Google Mapsではただ「アパート」と記載されてるだけで、詳細不明。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

昭和時代の下宿とか、小さな小学校の校舎とか、そんな感じにも見える。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

更に周辺を散策しながらバス停方向に戻っていくと、昭和レトロなタイル細工の流しを駐車場わきに置いた民家があった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

昭和30~40年代頃のトイレとか洗面台とかお風呂とか水回りの定番のタイル細工、今新品で買おうとすると結構高い。楽天で見たら2~3万位もして驚いた。

こっちにもあった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ケ島駅バス停まで無事たどり着き、帰路に着きました。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

コース:湯ケ島駅バス停→足立英語塾→玉利屋商店→旅旅瑞祥閣→瑞祥橋→わらべ橋→旅館湯川屋→梶井基次郎文学碑→湯ヶ島温泉バス停→白雲橋→二百枚橋→水抜橋→湯ケ島坑跡→鳥居・馬頭観音→金山バス停→金沢橋→湯ケ島坑跡→瀬古橋→足立英語塾→宿周辺の路地→湯ケ島駅バス停

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐりからの続き。
修善寺駅から湯ケ島駅まで路線バスで移動した後、湯ケ島駅バス停から金山バス停周辺まで徒歩による往復散策。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

伊豆箱根鉄道の修善寺駅から湯ケ島駅バス停まで11~12km、路線バスを利用。
湯ケ島駅バス停の場所:Google Maps

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

下田街道に沿って歩き始める。川田理容タイルが可愛い。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

川田理容全体像。昔ながらのオーソドックスな商店スタイル。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

川田理容のとなりのスエヒロ写真店。これも定番の商店スタイル。スエヒロの書体が可愛い。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

足立英語塾。立派な家屋だけど「足立英語塾」と検索してもGoogleでは一件もヒットしない。なぜ?

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

重厚な外観。とりあえずこの建物は帰りにじっくり見ることにする。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

更に歩くと、突然こんな厳格でハイカラな造りの建物に出くわしてビックリした。
湯ヶ島温泉口バス停前の分岐角。
建物の前には「玉利屋商店 わさびづけ」と書いてある。
文字が右書きなので戦前から営業し続けてきたお店のよう。
こちらのサイト http://homepage2.nifty.com/nagareboshi/shizuoka/age/s1s10.htm(リンク切れ)様によると、昭和10年築で、設計者は不詳らしい。

参考:建築年代別リスト(昭和元年~昭和10年)http://homepage2.nifty.com/nagareboshi/shizuoka/age/s1s10.htm (リンク切れ)

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

広角側がたりなくて正面からの全景が撮れなかった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

ストリートビュー

湯ヶ島温泉口バス停。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

下田街道をそれて車の少ない古い路地に入ってく。レトロな街灯が所々に立ってる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯道エリア道標。
川端康成が「伊豆の踊り子」を執筆した地域で、井上靖・梶井基次郎・若山牧水などの文学者にも縁が深く、遊歩道が整備されている。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯道周辺案内板。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

瑞祥橋(ずいしょうはし)近くにある、瑞祥閣という重厚な和風家屋の旅館。昭和29年築、天城の銘木を切り出して建てた宿らしい。ひっそりとしていて営業していないような雰囲気に見えたけど、公式サイトはあるし、温泉情報サイトでも紹介されているので、現役かな?樹木が多く薄暗くて陰気臭いといえば陰気臭い場所にある。この辺の温泉宿はほとんどが源泉かけ流しらしい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

昭和39年竣工の瑞祥橋。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

たつた旅館・スナックみゆき・浄蓮荘・グリーン天城の周辺。
ひっそりとしていて人気はなく、営業しているのか分からなかった。廃屋も目立つ。なおグリーン天城は閉館してしまった模様。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

そんなに大きな建物には見えないのだが、25m温泉プールがあるらしい。
昔は賑わっていたのかな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

グリーン天城の向かい辺りにある廃屋。
グリーン天城は1965年に開業、1999年に改装したが、近年閉業してしまったらしい。
この家屋も昭和30年代とかに建てられた物かな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

家財が残っていた。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

自然には恵まれてるけど、樹木が多くて薄暗くて、いささか陰気臭い雰囲気なのよね…廃屋があるせいだけじゃなく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

レトロな街灯。「湯ヶ島温泉」の文字も手書きっぽい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

レトロ街灯シリーズ。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

猫越川(ねっこがわ)に架かる人道橋わらべ橋を渡ってく。水はかなりきれい。わらべ橋は1993年竣工のアーチ橋。
※この時はまだ渡れたけど、その後床・板が腐食して通行禁止になった  http://blog.livedoor.jp/izu_onsen/archives/51755966.html(リンク切れ)模様。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

県道59号に出る。
わらべ橋と瀬古橋の中間あたりの湯ヶ島温泉旅館群の看板。
左側の藪に埋もれたコンクリ遺構が気になる。猫越川の旧橋かな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

瀬古橋の三叉路。バス停名は「木太刀温泉」になってた。元湯と書かれた、小さな祠に入った石仏がある。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

▼梶井基次郎が長逗留していたとかいう旅館 湯川屋。
ものすごく傷んでいて廃旅館かと思ったけど、後日(2013年6月)ストリートビューを見たら外装がすっかりきれいになってる。昭和2年、当時26歳の梶井は肺結核の療養のため、この湯ヶ島へ1年5ヶ月もの間滞在していたとか。
参考:【文豪の秘湯】静岡・湯ヶ島&湯ケ野温泉で泊まってみたい旅館【伊豆の踊子】 – NAVER まとめ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

申し訳ないが、お化け屋敷のような見た目だったので。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

旅館 湯川屋のぞばには梶井基次郎の文学碑が。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

そばには檸檬でなく柚子のような実をつけた木が。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

梶井基次郎文学碑。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

少し進むと湯ヶ島温泉バス停。修善寺駅行きは1日11本あるが、持越温泉行きは1日2本しかない。

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湯ヶ島温泉バス停前にある湯谷権現の石碑。

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石碑の文面。
この周囲にある山の名前が釜石山らしいが、具体的にはどのピークをさすのか分からない。
475.7m?422m?461m?

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向原橋を渡る。昭和34年竣工。

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昭和33年竣工の白雲橋を渡らずに通りすぎてく。
この橋は横から眺めたほうがきれい。

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白雲橋周辺は紅葉や新緑の季節がきれいらしい。

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白雲橋から眺めた猫越川の渓流(世古峡)。

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砂防指定地の看板。

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鍋島商店を通り過ぎる。

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鍋島商店の敷地内に古い防火水槽と大岩。

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昭和35年竣工の二百枚橋も渡らずに通り過ぎてく。

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小さな二百枚橋3号橋を渡ってく。

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竣工年が刻まれた柱が半分埋められてしまっている。昭和築。

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猫越口バス停に着く。

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水抜橋(昭和40年竣工)の三叉路に到着。
中外鉱業(株)持越工場の看板が出てくる。

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後半戦に続く。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅から修善寺駅までを徒歩で移動。一番の目的は大仁鉱山の跡を見ることだったけど、既に解体されていることは分かっていたので、そんなに時間を割くこともなく見学してさっさと修善寺駅に向かい、次なる見学地・の湯ケ島坑跡へと向かった。

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伊豆箱根鉄道の大仁駅ホームにはレトロな流し台がある。

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大仁駅の駅舎。

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駅前ロータリーには温泉が引湯してあって、小さな足湯施設があり、飲泉もできる。城山荘、一二三荘は外来入浴300円、安い。

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解説には帝国産大仁鉱業所の名も。

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駅前の観光案内図。大仁金山跡がちゃんと載ってる。
城山のハイキングコースやロッククライミング岩場って観光案内図に載せられるほどポピュラーなんだ。

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駅に設置してあった地図には大仁金山跡が2ヶ所に分かれて載ってた。水晶山も書いてある。

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駅前の食堂、味のつがる。2012年6月撮影のストリートビューを見るともう閉業か撤退してしまったようだ

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同じく駅前の食堂タカはまだ営業しているみたい。

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Google Mapsで谷口時計店、渡辺設備工業所、ふかせ菓子店と書かれているあたりの家屋。どれがどのお店かは分からない。

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鈴木屋酒店

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板垣おもちゃ店。この辺はちょっと雰囲気が変わってしまったようだ。

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ひらい精肉店

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宝屋ストアー。閉業してしまったようだ。

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佐藤商事(株)。窓の古い木枠が気になる。

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佐藤商事周辺の古い蔵や家屋。

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菊池米店。ってGoogle Mapsにも看板にも書いてあるけど雨除けテントには鮮魚店って書いてある…。隣の建物が100%天然温泉の日帰り入浴もできる富士屋旅館。駅前ロータリーの看板には入浴料600円って書いてあった。

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大仁橋付近から見た城山(ロッククライミングも出来るところ)。標高が低いわりには迫力がある(342.3m)。標高は違うけど印象は山梨県の岩殿山にも似ている気がする。

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2007年に竣工したばかりの大仁橋。正面に大仁金山跡がある。この時はまだ周辺の整備が済んでなかったようで、大仁橋の歴史や工事を紹介するパネルが近くに設置されていた。

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大仁橋のパネル

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大仁橋から眺めた狩野川。 川岸に何か建造物が転がってる。

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解体中の4代目の大仁橋の橋脚(右)と、謎の建造物。

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謎の建造物の拡大。煉瓦でできてる。もしかしたら大正5年に作られたという、県内初めてのトラス橋の橋脚跡じゃないかな。銅製で、3代目の大仁橋だったが、昭和33年の狩野川台風で熊坂側が流失したという。

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旧橋の橋台跡と水晶山の「大仁温泉」の看板

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水晶山全景

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昔はネオンが光っていたのかな。

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昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

橋のたもとにある狩野川水死者供養塔と石仏群。

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橋の袂の石柱。かなり読み取りづらいけど、「大仁狩野川の清流」と書いてある?

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「伊豆八景入選記念 昭和30年5月 毎日新聞社」の刻印。

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稲荷神社の鳥居の前を通り、水晶山に登ってみる。山と呼ぶのも気がひけるような小さな山だけど、昔は水晶が採れたので水晶山っていうらしい。
鳥居は昭和13年建立。

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山道を登り、ほんの数分で頂上につく。

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頂上には謎の建造物。石碑には「神武天皇遥拝所」と書いてある。昭和2年建立らしい
神武天皇って紀元前の初代天皇で、実在しなかった人物説もあるようで、その遙拝所が昭和2年に建てられたということについてどう解釈して良いかわからん。
神武天皇の遙拝所は日本全国にあるようだが、意外にそれを解説してるサイトは少ないみたい。

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水晶山・神武天皇遙拝所の上から眺めた大仁金山跡
赤屋根の大きな建物は金山スパ・百笑の湯、昔はここも大仁金山施設だったらしい。
円屋根のぽこぽこハウス群はホテル・オリーブの木。

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水晶山を降りて伊豆温泉村を超え、帝産大仁金山跡に向かう。

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百笑の湯裏にある観音像と古い石碑群(墓石?)。

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大仁金山跡についてみたは良いけれど、目の前に広々とした大型スパ百笑の湯の駐車場があり、秘境的な雰囲気は全くないので、結構あっけにとられるというかガッカリする。廃墟特有の幻想的な風情など何もない。スパができるまでは古い変電設備などもあったりして、かなりお化け屋敷的な印象だったようだが。変わってしまったんだろう。
参考:廃墟系 帝國産金興業大仁鉱山跡 (1999年1月

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基礎土台のある土手に上がってみると、コンクリートが流し込まれている。

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施設跡の隅にある古い石仏や石碑群。200~300年前から変わらずここにある石碑群なんだろうな。大仁鉱山は西暦1500年代に発見されたらしいけど。

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裏側には山道があるけど、倒木が多く荒廃している。

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森林内にぽつぽつと人工物が転がっているが、特にこれといった大型施設はない。既に大方の施設は撤去・整備していて危険もないので立ち入りを特に禁止もしてないんだろうな。

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円形の建造物。なんだかよく分からないけど、シックナーは既に撤去されているらしいので、これはシックナーじゃないんだな。

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大仁金山跡から眺めた城山の岩肌。富士山も見える!

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大仁金山を去ることにした。振り返って全容を眺めてみる。もっと山深い地域かと思ったけど、結構間近まで古い民家が迫ってる。解体される前に来てみたかったな。

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瓜生野の集落の合間を通って修善寺駅に向かう。途中、熊野神社にも寄ってく。

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熊野神社の玉石積みの石垣。

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瓜生野地区に残っていた茅葺屋根の廃屋。2012年6月撮影のストリートビューを見ると既に解体されて駐車場になっている。

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昌徳院わきにある火の見櫓と平和ランドリーの店舗。

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下田街道に合流して南側に歩いて行く。石垣の気になる坂道があった。

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修善寺橋の北西側の三叉路にある古店舗。営業はしていないようだった。

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修善寺橋のたもとにある愛童黒将軍地蔵の一角。

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愛童黒将軍地蔵かたわらの地図。

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メインの地蔵が人間の子供に近い位の大きさがあって結構怖い。

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修善寺橋。

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修善寺駅前の商店街。2012年6月撮影のストリートビューを見ると、手前の魚政という食堂の建物は解体され駐車場になってしまったみたい。

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修善寺駅前の商店街。

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修善寺駅前の商店街。

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某店舗のシャッター前に付けられた古いタイル細工の流し台。

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修善寺駅に到着した。

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駅の外から見た伊豆箱根鉄道の修善寺駅のホーム。

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駅前のバス停の案内板。

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ここから路線バスに乗って次なる散策地・湯ヶ島に向かう。

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