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トンネル・隧道
宝屋隧道(ほうやずいどう)と近くの岩窟
根込隧道のすぐ先にある隧道。
宝屋隧道そばの巌窟。 天然の隧道のようになっていて通り抜けできる。 砂浜は黄色っぽい石の粒。青みがかった岩もあるが、花崗岩か何か?
国道345号 根込隧道(ねごみずいどう)と羽越本線 根与木トンネル
柴山トンネルと今川橋りょう 羽越本線
羽越本線 柴山トンネル 128m 38.413490, 139.468295
羽越本線 今川橋りょう 38.414123, 139.468490
柴山トンネル近くのお地蔵様 38.413062, 139.467544
今川橋りょう近くに生えていたセダムっぽい草
蘭法華トンネル(ランボッケトンネル)
盛岡~上米内駅~大志田駅~山岸駅~盛岡 山田線(自転車めぐり)
※大志田駅は2016年(平成28年)3月26日に廃止。
参考:山田線 大志田駅・浅岸駅廃止について JR東日本 [PDF/168.4 KB]
ルート
盛岡→上米内駅→大志田駅→山岸駅→盛岡(レンタル自転車)
盛岡~大志田駅間は片道18km前後
途中、様々な近代建築や地点に遭遇
その後、盛岡駅から山田線で浅岸駅を訪問
利用したバス(往路)
盛岡都心循環バス 『でんでんむし』号バス 100円
9:00頃 盛岡駅 発
9:20頃 (中三)バスセンター前 着
参考:でんでん案内
参考:でんでんむし号路線図 PDF
レンタサイクル手続き
ふつうのママチャリタイプの自転車
1日料金1000円を払ったのかどうか覚えていない
盛岡市中ノ通1-1-10
プラザおでって2F 情報プラザ
盛岡観光コンペティション協会
TEL 019-604-3305
中三(なかさん)バスセンター前から徒歩3分
参考:レンタサイクル – 盛岡観光情報
自転車散策
09:31 盛岡 プラザおでって
11:14 上米内駅
12:55 大志田駅
14:36 山岸駅
15:54 盛岡 プラザおでって
利用したバス(復路)
でんでんむし号バス 100円
16:00頃 (中三)バスセンター前 発
16:20頃 盛岡駅 着
▼岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館
設計 辰野・葛西建築設計事務所
昭和52年1月20日 盛岡市保存建造物指定
国重要文化財
明治44年建設
参考:保存建造物 旧盛岡銀行|盛岡市
▼旧盛岡貯蓄銀行 (現・盛岡信用金庫本店)
葛西萬司 設計
昭和2年(1927)建設
盛岡市保存建築物指定
参考:保存建造物 旧盛岡貯蓄銀行|盛岡市
▼ござ九(茣蓙九)・森九商店
建築年代は江戸時代から明治年間。保存建造物。
参考:保存建造物 茣蓙九|盛岡市
▼紺屋町番屋
盛岡市消防團第五分團事務所
保存建造物指定
大正2年、消防番屋として建てられた洋風木造建築でその望楼が往時の雰囲気を伝えるとともに、消防組織の変遷を伝える建造物でもある。
参考:保存建造物 紺屋町番屋|盛岡市
▼紺屋町番屋むかいの理容オバラとやきとり塾
▼菊の司酒造株式会社
240余年の歴史を持つ岩手県最古の日本酒蔵元
岩手県盛岡市紺屋町4-20
▼岩手中央タクシー(株)上ノ橋(営)
〒020-0885 岩手県盛岡市紺屋町5-20
この写真では分かりづらいがファザードのカーブとタイルが印象的な建物
▼旧井弥商店
建築年代 店:明治末期,蔵:江戸時代
参考:保存建造物 旧井弥商店|盛岡市
▼盛岡市加賀野の木造住宅
▼米内発電所。昭和17年1月竣工。
岩手県盛岡市下米内佐倉
参考:水力発電所ギャラリー 東北電力米内発電所 – 水力ドットコム
▼米内発電所すぐ近くの米内橋。昭和24年9月竣工。
▼山與 米内砕石工場
▼第2米内川橋りょう
▼第3米内川橋りょう
▼米内川に架かる廃橋
▼上米内駅
▼老朽化した名称不明の橋(Q地図にも名称の記載なし)
盛岡市上米内字畑井野106
▼赤重踏切
▼第10米内川橋りょう
▼第11米内川橋りょう
▼丸太橋
廃橋かと思ったけど、もしかして作業用かも
▼山田線のトンネル(名称不明)の出口付近に、要塞のようにも見える古いコンクリート建造物があって気になった。木の葉が邪魔してよく見えず。
▼東北電力盛岡制御所
▼東北電力盛岡制御所
▼東北電力盛岡制御所付近の古い木製電柱
▼ 名称不明の古い橋(Q地図に記載なし)
岩手県盛岡市浅岸字鍋倉9
▼大志田神社 入口の鳥井
米内川に架かっている参道の橋には倒木が。荒廃している。
▼近郊自然歩道 大志田・中津川コース ゲート 案内板あり
大志田駅から浅岸駅までの林道散策コース
▼盛岡第二信号通信区信通機器室
▼盛岡保線技術センター休憩室
▼大志田駅
▼ホーム上の待合室内
▼山田線 東日本大震災の影響で 2011年4月13日(水)より臨時の時刻表で列車を運転
▼スイッチバック跡は雑草で見えづらくなっている
▼大志田駅周辺の廃屋
▼オリカベ沢トンネル
山田線の下をくぐる暗渠のような小さいトンネル
市道浅岸12号線
完成年 1968年(昭和43年)
延長49.4m
岩手県 盛岡市
参考:Q地図
▼折壁トンネル 175.02
▼百目木橋
▼保存建造物 米内浄水場
1934年竣工
木造モルタル造平屋建瓦葺 鉄筋コンクリート造(出水井など)
参考:保存建造物 米内浄水場|盛岡市
▼第6米内川橋りょう
▼中津川
▼浅岸橋
昭和43年5月竣功
▼浅岸橋バス停
▼阿部商店 (プラモデル 文房具 駄菓子)
▼山岸駅
▼永福寺
▼山賀屋食堂
参考:山賀屋食堂 – 山岸_レストラン(その他) [食べログ
▼旧南部家別邸(盛岡市中央公民館)
城下町盛岡を象徴する地域の文化遺産であり,和洋の意匠を織り交ぜた明治期建築の造形の規範となる建物として,文化財保護法に基づき平成25年(2013年)12月24日付で有形文化財に登録された。
参考:国登録有形文化財 旧南部家別邸|盛岡市
▼旧中村家住宅(盛岡市中央公民館)
中村家は,「糸屋」または「糸治」とよばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家。現在の母屋は文久元年(1861年)に造られたもの。
参考:国指定重要文化財 旧中村家住宅|盛岡市
▼岩手県公会堂
▼桜山神社参道の商店街
戦後のヤミ市が起源らしい。
▼こういうブロック歩道の細い路地好き。昔はよくこのブロックタイルあった。
▼岩手教育会館。1965年築。
筒石駅 北陸本線 地下トンネル駅 駅スタンプ押印
筒石駅(つついしえき)
業務委託駅 無人駅
1912年(大正元年)12月16日開業
新潟県糸魚川市大字仙納字大谷928
筒石駅 – Wikipedia
日本海ひすいライン – えちごトキめき鉄道株式会社
2015年(平成27年)3月14日にえちごトキめき鉄道の駅となり、2019年(平成31年)3月16日より無人駅となった。
まだ駅員さんがいて、JR西日本管轄の北陸本線であった時代のトンネル駅舎。
まだ青春18きっぷの赤色常備券を販売している時代であった。買っておけば良かった。
国鉄 信越本線(廃線)(横川駅~軽井沢駅) アプトの道 碓氷峠 碓氷線

参考:「鉄道廃線跡を歩く」 宮脇俊三著 1巻P.56 信越本線旧線 横川~軽井沢
日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1 P.6-7
正式な地図があった。ずいぶん洒落たイベントになってしまった。
参考:廃線ウォークとは
横川駅
ラックレールを再利用したドブ板 横川駅前
JR横川駅~碓氷峠鉄道文化むらの間、矢野澤橋付近の川に古い煉瓦壁が残る
鉄道文化むらの施設内の古い建物が気になる。
ホーロー看板を一杯貼ってある家がある
アプトの道を歩いていたら鉄道文化むらから列車が走ってきてびっくりした。EF6311。
アプトの道に掲示されている解説板
特急「あさま」とEF63
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アプトの道沿いに 「避線跡 関長原関所跡 小岩砦 小根山森林公園に至る」とかかれた朽ちた道標があった。左の黒い柱は壊れた鳥居の柱。2本の柱の間に壊れた橋のようなものがあった。気になる。
まるで教会のような丸山変電所
参考:FunkyGoods 廃墟系 信越本線丸山変電所跡
FunkyGoods 信越本線丸山変電所跡画像アーカイヴ (1998年09月)
丸山変電所の表側はすっかり修復されてしまっているが、裏に回るとコンクリート造の部分が廃墟のままだった。しかし柵に覆われて近づくことはできない。
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霧積川橋りょう 1988年6月塗装 橋のたもとに旧碓氷第1橋梁の橋台が残るらしい。
信越本線廃線跡 旧線と新線の分岐(峠の湯付近)
新線(廃止)側は見学対象じゃないので入れない。あちら側にも行ってみたい。
王子久保乙道橋 昭和40年9月13日しゅん功
王子久保乙道橋 日本国有鉄道
設計:日本国有鉄道
王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功
王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功
写真がぶれてしまって3月か8月か読み取れない。
北原白秋の歌碑
旧碓氷第1トンネル 横川側坑口
旧碓氷第1トンネルの内部。
旧碓氷第1トンネル内部 煉瓦で造られた退避坑
旧碓氷第1トンネルの軽井沢側坑口。このわきから中山道に入れる。中山道の道標あり。
碓氷第二橋梁の電線掛。「鉄道廃線跡を歩く」 宮脇俊三著 1巻P.56 信越本線旧線(横川~軽井沢)によると、どうやら意図的な装飾のよう。
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旧碓氷第2号トンネル 横川側坑口
旧碓氷第2号トンネル 軽井沢側坑口
碓氷湖
神秘的だ…東山魁夷の絵画みたい。こっちの方がめがね橋に見えてくる。
坂本ダム 碓氷湖
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旧碓氷第三号トンネル 横川駅側坑口
旧碓氷第3号トンネル 軽井沢側坑口
旧碓氷第4号トンネル 横川側坑口
旧碓氷第4号トンネル 軽井沢側坑口
旧碓氷第4号トンネル 軽井沢側坑口
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旧碓氷第5号トンネル 横川側坑口
旧碓氷第5号トンネルと抜けると碓氷第3橋梁(通称めがね橋)。碓氷第3橋梁(通称めがね橋)は遠目に見ると立派だが、橋の上は意外にあっさりしている。
碓氷第3橋梁(通称めがね橋)から見える新線上り線の橋梁 (碓氷第3ずい道と第2ずい道の間?)
旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口。去年まではこんな工事フェンスなかったのに。
※今は第6号トンネルも通行可能になっていて熊ノ平駅跡まで自由に行けるらしい。この時はめがね橋止まりだった(2021年12月12日追記)。
フェンスの外から旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口を撮影してみる。
碓氷湖~めがね橋 遊歩道案内板。
遊歩道敷の道標があるが、草が生い茂ってとても遊歩道があるようには見えなかった。
旧碓氷第6隧道の横坑 乙 C=55
国鉄 横-熊線 31号 高崎電力區の看板 (碓氷第4橋梁そば) C=59付近
碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財
旧碓氷第6トンネル 軽井沢側坑口 C=59付近
旧碓氷第6トンネル 出口付近から見た軽井沢方面の廃線跡
※この時はまだ「アプトの道」のコースではなかったので荒れていた(2021年12月12日追記)。
旧碓氷第7トンネル 横川側坑口
旧碓氷第7トンネル 軽井沢側坑口
旧碓氷第8トンネル 横川駅側坑口
旧碓氷第8トンネル 軽井沢側坑口
旧碓氷第8トンネルと第9トンネル間の碓氷第6橋梁。正面に見えるのは第9トンネル。C=69付近
碓氷第6橋梁 C=69付近
旧碓氷第9トンネル 横川駅側坑口付近より眺める。
旧碓氷第9トンネル横川駅側坑口 第6橋梁上から眺めたところ C=69付近
旧碓氷第9トンネル 軽井沢側坑口
ひどくぶれてしまった。
旧碓氷第10トンネル 横川側坑口 C=75付近
旧碓氷第10トンネルを出ると、そこは熊ノ平駅の跡地。工事業者が様々な機材や資材を置いている。作業員さんと少し挨拶をかわした。熊ノ平はアプトの道コースではないので、何か言われるかと思ったが、そんなことはなく、軽井沢のほうに行きたいといったら「このトンネルをまっすぐ行けば軽井沢につく」と言われ、安心して(?)突き進んでいった。最後のトンネルを抜けたところで「立入禁止」の札を目にした。今はもっと管理が厳しくなっているかもしれない。
熊ノ平には神社や殉難碑もある。
熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。
左は旧碓氷第10トンネル軽井沢側坑口。
右は旧下り押下線(引込線で行き止まり)。
熊ノ平。横川方面に並ぶトンネル。
新碓氷第2ずい道(上り線)(左)
碓氷第3ずい道(下り線)(右)
熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。左から順に
新碓氷第2ずい道(上り線)
碓氷第3ずい道(下り線)
旧碓氷第10トンネル
旧下り押下線(引込線で行き止まり)
行き止まりのトンネルはスイッチバック用の突っ込みトンネルか。
お化け屋敷のような熊ノ平変電所
昭和12年 1937年
鉄筋コンクリート造、建築面積336.24㎡、東面トラバーサー附属
1棟
群馬県安中市松井田町
重文指定年月日:20180817
重要文化財
松井田と軽井沢の間にある旧信越本線の鉄道施設。煉瓦造の橋梁7基、隧道11基、変電所3棟等からなる。橋梁・隧道は明治26年鉄道開通時(橋梁は明治29年に補強)、変電所は大正元年電化時及び昭和12年の建設。路線には峠越えの急勾配を克服するアプト式が用いられていた。
旧碓氷峠鉄道施設 熊ノ平変電所本屋 文化遺産オンライン
旧熊ノ平駅ホーム
旧熊ノ平駅碑、アプト式開通の碑などがある。
熊ノ平神社
熊ノ平神社 御由緒
熊ノ平 殉難碑
熊ノ平 旧碓氷第11隧道(下りの突込線?)付近に残された古い煉瓦造の壁
熊ノ平。軽井沢方面に並ぶ3つのトンネル。
(左)旧碓氷第11ずい道(下りの突込線?)
(真ん中)碓氷第4ずい道(下り線)
(右)新碓氷第3ずい道(上り線)
(左)旧碓氷第11ずい道(下りの突込線?)
(右)碓氷第4ずい道(下り線)
(左)碓氷第4ずい道(下り線)
(右)新碓氷第3ずい道(上り線)
熊ノ平 新碓氷第3ずい道(上り線)
横川側出口のプレート 昭和37年12月31日しゅん功
ぶれぶれになってしまった。
碓氷第4ずい道(下り線) 横川側坑口のプレート
熊ノ平 昭和40年8月31日しゅん功
碓氷第4ずい道の軽井沢側坑口から眺めた第5ずい道(下り線)。右のトンネルはたぶん新碓氷第4ずい道(上り線)。
C=93 熊ノ平駅に通じる旧線トンネルゲート(旧碓氷第11ずい道)
これもスイッチバック用の突っ込みトンネルだったのか(?)。
新碓氷第3ずい道と第4ずい道間にある橋梁(上り線)
碓氷第5ずい道(下り線)横川側坑口。「5T」のプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したものらしい。
碓氷第5ずい道(下り線)軽井沢側坑口 5Tのプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したトンネルらしい。
碓氷第6ずい道(下り線)軽井沢側坑口。6Tのプレートあり。
碓氷第6ずい道と第7ずい道(下り線)間から見える上り線の橋梁。
碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口 7Tの表記あり
碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口のプレート
昭和40年8月31日しゅん功 7T
碓氷第7ずい道(下り線)軽井沢側坑口 7Tのプレートあり
碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口 8Tのプレートあり
碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口のプレート
昭和40年8月31日しゅん功 8T
碓氷第8ずい道(下り線)軽井沢側出口 8Tのプレートあり
碓氷第9ずい道(下り線)横川側出坑口 9Tのプレートあり
碓氷第9ずい道(下り線)横川側坑口 昭和40年8月31日しゅん功
碓氷第9ずい道(下り線)内の退避坑に書かれた「鉄労粉砕」の文字
碓氷第9隧道(下り線)軽井沢側坑口。9Tのプレートあり。
旧線跡(第13号橋梁)?
碓氷第9隧道と第10隧道(下り線)の間、新線の南側にある煉瓦造の橋梁。
碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口。10Tのプレートあり。左にコンクリで塞がれた旧碓氷第18隧道の入口があるらしい。
碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長71M44。昭和40年8月しゅん功
碓氷第10ずい道(下り線)軽井沢側坑口。10Tのプレートあり。
延長71M44。昭和40年8月しゅん功
碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口。
碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長256M10。昭和40年8月31日しゅん功。
碓氷第11ずい道(下り線)の横坑と軽井沢側の坑口
碓氷第11ずい道(下り線)の横坑を出たところ
碓氷第11ずい道(下り線)軽井沢側坑口。11Tのプレートあり。
碓氷第12隧道(下り線)横川側坑口。12Tのプレートあり。
碓氷第12ずい道(下り線)軽井沢側坑口。12Tのプレートあり。
碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口。13Tのプレートあり。
碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長293M50。昭和40年8月しゅん功。
碓氷第13ずい道(下り線)軽井沢側坑口。13Tのプレートあり。
碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口。14Tのプレートあり。
碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口のプレート
碓氷第14ずい道(下り線)軽井沢側坑口。14Tのプレートあり
碓氷第15ずい道(下り線)横川側坑口。
碓氷第15ずい道(下り線)横川駅側坑口のプレート。延長31(91?)M00
碓氷第15ずい道(下り線)軽井沢側坑口。15Tのプレートあり。
碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口。
碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口のプレート
碓氷第16ずい道(下り線)
碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口。17Tのプレートあり。
碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。
延長31M50。昭和40年8月31日しゅん功
碓氷第17ずい道(下り線)軽井沢側坑口。17Tのプレートあり。
碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口。18Tのプレートあり。
碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口の苔むしたプレート
碓氷第18ずい道(下り線)軽井沢側坑口
矢ヶ崎信号所跡地
新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口
新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口 銘板
JRの駅員さんしか通行できない踏切
軽井沢駅に到着
しなの鉄道の廃止ホーム 屋根には古レールが使われているらしい
雨降りの中を歩き続けたら、ヤマビルに吸い付かれ、帰りの電車の中にまでヤマビルを持ち込んでしまった。
中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり
コース:JR高尾駅(バス)→小仏バス停→小仏峠→長久保架道橋→小原宿本陣→JR相模湖駅 (天気くもり) |
中央本線の高尾駅~相模湖駅間の車窓から見える古い煉瓦造りのトンネルが気になって、徒歩で小仏トンネル及び小仏峠周辺を歩いてみた。甲武鉄道時代のものかな。
参考:
●明治大正時代の五万分一地形図
●昭和前期の五万分一地形図
▼小仏バス停。高尾駅から小仏バス停までバスで20分ほど、運賃220円。
▼舗装路が途切れ、登山道に入るところに小さな滝や石碑がある
▼小仏峠に到着。小仏峠のタヌキ
▼小仏峠のバス時刻表
▼明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所
▼小仏峠に貼ってあった新聞記事。
▼小仏峠 石碑
▼小仏峠 甲州道中 歴史案内板
▼小仏峠 甲州道中 歴史案内板(拡大)
▼甲州古道 小仏峠の道標
▼底沢方面の小仏峠登山口
▼底沢方面の小仏峠登山口 東海自然歩道の案内板が設置してある
▼東海自然歩道 案内板
▼3. JR中央本線 上り線 小仏トンネル 山梨側 古い煉瓦積み
▼甲州道中 美女谷 美女谷温泉入口
▼美女谷伝説(相模湖町 底沢) 照手姫ものがたり
▼中央道の下 「甲州道中・板橋」の碑がある(甲州古道)
▼甲州道中 板橋の説明(甲州古道)
▼ユニオン建設の車両
▼4. 長久保架道橋 古い煉瓦積み
▼長久保架道橋 わきに「甲州道中・長久保」道標
▼長久保架道橋 背後は中央自動車道
▼5. JR中央本線・下り線 横吹第一トンネル八王子側 古い煉瓦積みの築堤
▼5. JR中央本線・下り線 横吹第一トンネル八王子側 古い煉瓦積み築堤
▼横吹第一トンネル八王子側
▼底沢バス停の待合所と底沢橋
▼底沢橋 美女谷温泉入口
▼相模原市 小原の郷(レクリエーション施設)
小原宿関連の施設なのだろうけど、具体的に何をするところかは知らない。
観光施設っぽいのに周囲は閑散としていた。
▼横吹第一トンネル(約399m) 相模湖側 JR中央本線 下り線
横吹第一トンネルは両端ともコンクリート造だと、石造の石垣は古そう。
▼横吹第一トンネル(約399m) 相模湖側
▼甲州街道 小原宿 これより二町半
▼甲州街道 小原宿
▼6. 小原宿本陣屋敷。
▼階段わきの昭和七年・五月成の文字が気になる。民家は解体されたらしい。
▼JR中央本線 上り線 小原トンネル
▼7. JR中央本線 下り線 小原トンネル(81m) 山梨側出口は古い煉瓦積み
▼7. JR中央本線 下り線 小原トンネル(81m) 山梨側
▼小原バス停 古めの蔵
▼古い民家
▼南無阿弥陀仏碑
▼南無阿弥陀仏碑
▼甲州街道 小原宿
▼民宿ひらの 昭和な風情が素敵 わきに「甲州道中・平野」の道標あり。
▼周囲に何もない道路沿いに古びた県立陣馬相模湖自然公園の道標がたててある
▼新平野トンネル 238m JR中央本線 下り線 コンクリート造の相模湖側
▼新平野トンネル 238m JR中央本線 下り線
▼上の山トンネル 八王子側
▼上の山トンネル 八王子側坑門 JR中央本線 上り線 925m コンクリート造
反対側の出口は古そうな石造
参考:JR中央線高尾以西の狭小トンネルとは? – 教えて!goo
▼7. JR中央本線 上り線 上の山トンネル(925m) 古そうな石積みの山梨側出口。
並列する下り線トンネル出口はコンクリート造。
▼上の山トンネル付近にあった看板。ここで置石事件があったらしい。
▼7. JR中央本線 上の山トンネル 上り線(左)と下り線(右) 法面がすごい
▼甲州古道 与瀬下宿
▼廃青果店。
▼相模湖駅前の商店街
▼相模湖駅前ロータリー
▼相模湖駅ホームから 土手に「かんげい さがみこ」の文字
昔はただ「さがみこ」だけだったような
中央本線旧線めぐり(鳥沢駅~猿橋駅間)&八ツ沢発電所・第一号水路橋&名勝猿橋 2回目
2回目の訪問。→1回目の訪問
中央本線 鳥沢駅~大月駅間開通 1902年(明治35年) 新線(現在線)への切替 1968年(昭和43年) |
参考:
明治大正 五万分一地形図
昭和前期 五万分一地形図
1975年の航空写真
【経路】 鳥沢駅~御領沢橋跡(トラス橋)~第1富浜トンネル~竹沢橋梁跡~八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋~(宮谷トンネル)~大原トンネル~八ツ沢発電所・第一号水路橋~猿橋~猿橋駅 |
鳥沢駅
▼鳥沢駅。駅前に古い煉瓦造の土台の駐車場がある。どうやら昔の貨物側線のプラットホームっぽい。
▼鳥沢駅。木造駅舎。
標高312m。
開業:明治35年6月1日。
住所:山梨県 大月市富浜町鳥沢。
▼福地権現神社
▼中央本線旧線分岐付近
▼中央本線旧線分岐付近。旧線に沿ってゆるやかにカーブしている右の歩道。
御領沢橋跡(トラス橋)
▼トラス橋(御領沢橋梁)築堤跡(右)。
突き当り、大月総合体育館入口、正面は横吹団地。
▼トラス橋(御領沢橋梁)跡。土手を登ると民家前にある。明治期の重厚な石造。
▼トラス橋(御領沢橋梁)跡
▼トラス橋(御領沢橋梁)跡
▼道路に隣接して山際を走る旧線軌道。横吹団地入口バス停付近。
▼横吹団地入口バス停
▼古い石碑群
▼土手を登ると旧線の路盤上に公園が作られている
▼中央本線旧線 路盤跡。そのまま進む。
第1富浜トンネル
▼藪に覆われた第1富浜トンネル鳥沢側の坑門が現れる
▼第1富浜トンネル鳥沢側坑門
▼諏訪神社から国道20号に下りてくる。
▼ぐるっと回って第1富浜トンネルの猿橋側の坑門を見に行く
▼第1富浜トンネル猿橋側の坑門。前年度秋にに訪れた時は藪が生い茂ってほとんど見えなかったけど、今回はばっちり。
▼特急あずさ通過中の新桂川橋梁
竹沢橋梁跡
▼宮谷川にかかる竹沢橋梁の橋台跡を見に行く。これは鳥沢側の方。
▼竹沢橋梁の橋台跡。鳥沢側。
▼竹沢橋梁の橋台跡。鳥沢側。
▼宮谷川をはさんで対岸に竹沢橋梁の猿橋側の竹沢橋梁の橋台跡。
▼竹沢橋梁の橋台跡。鳥沢側。
▼中央道に向かって気になる道が続くが雨の中やぶこぎはしたくないので断念。
八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋。エメラルド色のきれいな水が勢い良く流れていた。
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋。中にも潜ってみる。
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋。これは意図的な装飾なんだろうか。
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋を見てみる。明治時代に造られた立派な五連アーチ橋。
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋。雨のせいで水量が増していそう。
▼八ツ沢発電所巡視路・三号水路橋
▼ちょっとアレな感じのウルトラマンがいっぱい並んだあゆ販売所
▼馬頭観世音。宮谷トンネルの猿橋側の坑門があったあたりの高台にある。
大原トンネル
▼大原トンネルの鳥沢側坑口と築堤跡。馬頭観世音のある高台から見下ろした風景。築堤は2000年頃まであったようだ。
▼山腹にぽっかり穴が開いた大原トンネル鳥沢側の坑門。夏になると木々が生い茂って見えなくなる。
▼大原トンネル鳥沢側の坑門。残念ながら解体されてしまったが、2000年頃までは国道20号をはさんだ築堤側にも立派な橋台が残っていたらしい。
▼大原トンネル鳥沢側の坑門
▼東町バス停
▼東町自治会館前の祠
▼中央本線旧線の橋台の基盤の上に建てられた住宅。
▼旧線の橋台の上に建てられた住宅。絶壁で怖いような気もするが、立派な煉瓦造。
八ツ沢発電所・第一号水路橋
▼国道20号の新猿橋から眺めた八ツ沢発電所 第一号水路橋(重要文化財)
▼猿橋中学校入口バス停
▼仙台屋食堂わきにある大原トンネル猿橋側坑門
猿橋
▼名勝 猿橋
▼八ツ沢発電所 第一号水路橋(手前)と国道20号の新猿橋
▼県道505号の新猿橋
▼三猿塔
▼八ツ沢発電所 第一号水路橋(重要文化財)
▼猿の像
▼猿橋ゲート
▼県道505号の新猿橋
▼はねぎ商店(左端)。
残念ながら右端の金澤酒店の家屋は2012年6月以前に解体されてしまった模様。
▼2012年6月以前に解体されてしまった模様の金澤酒店。
▼新猿橋西。五叉路。火の見櫓あり。
▼国道20号の新猿橋側から見た大原トンネル猿橋側坑門
▼国道20号。ムラタ時計店付近。
▼馬頭観世音(国道20号)
▼しんみせ。駅前の通りは寂れていて、営業している店はないように見える。1997年築の猿橋駅舎がこの辺で一番新しいのかも。
猿橋駅
▼猿橋の刎橋構造を模したデザインの駅舎。1997年築。
▼さよなら中央線201系キャンペーンのポスター
▼猿橋駅の古くて低い煉瓦造りのプラットホーム。現在は使われていない。
▼猿橋駅の古くて低い煉瓦造りのプラットホーム。現在は使われていない。
▼猿橋駅の古くて低い煉瓦造りのプラットホーム。
参考:八ツ沢発電所施設 第三号水路橋 文化遺産オンライン
参考:鉄道廃線跡を歩く〈3〉 宮脇俊三 JTBキャンブックス P.81~83掲載
中央本線旧線(信濃境~富士見)
中央本線旧線(信濃境~富士見)
新線切り替え時期:昭和55年(1980年)9月
参考:鉄道廃線跡を歩く 1巻 宮脇俊三 JTBキャンブックス P.86-87
▼冨士見駅側の分岐点から140mほどの地点、瀬沢トンネルの手前。
旧線の切り通し跡 現在は水路のようになっている
▼瀬沢トンネル 富士見側坑口
▼瀬沢トンネル 信濃境側坑口
▼廃止された初代立場川鉄橋の築堤から現在使用されている2代目立場川鉄橋を眺める。特急あずさが走っている。
▼旧立場川橋梁(たつばがわきょうりょう)北西詰め。1904年(明治37年)に開通し、1980年(昭和55年)に運用を終了したボルチモアトラス橋。
▼中央本線の車窓から撮影した旧立場川橋梁
▼旧立場川橋梁(たつばがわきょうりょう)東南詰め。
▼旧立場川橋梁の橋台
▼姥沢(うばさわ)トンネル 富士見側坑口
▼枕木が残る
100mしかない短い隧道なので反対側の出口が見える
▼高山植物のワレモコウ、さすが標高が高い
▼姥沢トンネル 信濃境側坑口
▼乙事(おっこと)トンネル 富士見側坑口
現在はコンクリートで入口が塞がれてしまったようだ
▼昭和43年 五万分一地理院地図より
1.冨士見駅 2.瀬沢トンネル 3.旧立場川鉄橋 4.姥沢トンネル 5.乙事トンネル
ピンクの線は現在の中央本線(手描きなので位置はおおよそ)
群馬鉄山専用線 旧国鉄長野原線 太子駅跡
旧・田浦隧道(廃道) 新旧・船越隧道
神奈川県横須賀市田浦港町6-46付近
▼新旧・船越隧道
左が昭和23年開通の新船越隧道
右が大正12年開通の船越隧道
▼大正12年開通 船越隧道
▼大正12年開通 船越隧道 銘板
「船」の字が「舩」になっている
▼船越隧道のとなりの旧・田浦隧道(閉鎖)
▼明治26年築の素掘りの旧・田浦隧道(旧・船越トンネル)
地下壕かと思った…
現在は閉鎖されている。トンネルの中はほとんど廃棄物処理場になっていた。
参考:田浦地区をあるく
▼旧田浦隧道の岩窟の素掘り部分。
▼大正十二年 大震災 殃死者群霊宝塔(殃死者群靈寳塔) 石碑(旧・田浦隧道わき)
関東大震災時にトンネル内の落盤で亡くなった人を慰めるため、大正13年に在郷軍人会田浦町分会田浦班によって建てられた供養塔。
今でも時々お参りに来る人がいるのか、お花が添えられている。
▼旧・田浦隧道と北村商会の間、16号沿いに木板で塞がれた謎の穴がある
▼北村商会駐車場内にある謎の穴(2ヶ所)
▼こちらは塞がれている
田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル
田浦駅(たうらえき)
業務委託駅(早朝時間帯無人駅)
1904年(明治37年)5月1日開業
2015年度乗車人員 2,353人/日(降車客含まず)
東日本旅客鉄道(JR東日本)
神奈川県横須賀市田浦町一丁目6
北海道の小幌駅のように、駅の両端をトンネルに囲まれている。
▼田浦駅の東側(横須賀駅方面)にある七釜(しっかま)トンネル(ななかまではない)。左から順に昭和18年、明治22年、大正13年の築。
▼大正13年の複線化により増設された煉瓦造の七釜トンネル。
▼横須賀線開通の明治22年に完成した七釜トンネル。その後の電化で大幅に改造されたらしい。
▼海軍の要請で造られた軍需輸送専用の引込み線用の昭和18年築の七釜トンネル。今は廃線で雑草が生い茂っている。
参考:田浦地区をあるく
▼田浦駅の西側(逗子駅方面)にある田浦トンネル。
こちらは双方とも煉瓦造。
左が大正、右が明治の築。
▼田浦トンネルには解説板が設置されている。
▼明治時代の田浦トンネル
▼大正時代の田浦トンネル
▼田浦駅 跨線橋
▼駅舎内
▼田浦駅 南口
▼田浦駅 南口 駅前。鬱金の櫻。
「葉桜と間違うような「薄緑色」ですが山桜を改良した葉桜の一種です。非常に珍しいものです。樹齢は約40年位です。身頃は4月下旬。」
「田浦地区をあるく」によれば鬱金(うこん)というのは誤りで、御衣黄(ぎょいこう)という里ざくらの一種という説が有力らしい。
▼田浦駅 南口バスロータリー前に謎の穴ぐらあり。地下壕?
▼田浦駅 南口バスロータリー前の穴ぐら
中は木の柱が組み込まれ、石油タンクなどが放置されている。倉庫?
▼他にも岩壁の下方に穴ぐららしきものが。壕の試し掘り?
▼JR田浦駅 北口。