旧坂町機関区 給水塔

羽越本線の車窓から見た旧坂町機関区の給水塔。近くに転車台もあるのだが分かりづらかった。この転車台は現代もSL運行時に使われるらしい。

坂町駅
新潟県村上市坂町
1914年(大正3年)11月1日開業

旧坂町機関区 給水塔

旧坂町機関区 給水塔

旧坂町機関区 給水塔

釧路コールマイン~興津海岸トーチカ~銭湯・望洋湯入浴

2022-10-21 興津小学校バス停~釧路コールマイン~鳥居と祠~興津海岸トーチカ~銭湯・望洋湯~望洋住宅バス停 徒歩

3年前に動いている姿を見かけた釧路コールマインのナローゲージ、気になって来てみたが、うんともすんとも動いてる気配がなかった。最近まったく情報を拾っていないが、廃止されてしまったんだろうか。

釧路コールマイン

釧路コールマイン

釧路コールマイン

斜坑稼働しているところをきちんと見たかった

釧路コールマイン

釧路コールマイン

釧路コールマイン

釧路コールマイン

釧路コールマイン

釧路コールマイン

敷地内のそこら辺に貨車が放置してあるのは以前と同じなのだが…

釧路コールマイン

釧路コールマイン


〒085-0811 北海道釧路市興津3丁目7-29

奇岩をくり抜いたトーチカ(コンクリート掩体)

2022年10月21日 時間帯 13:52~14:43

前回来たのが2022年2月1日、その時もほぼ同じような時間帯だったが、その時は潮位がもっと高く、西日も強くてほとんど見えなかった。気象条件に結構左右される。

前回よりマシだったが、この日もトーチカ間近まで迫る波があり、近くまで行けなかった

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

訪問した時間帯は13:52~14:43。
満潮に近い時間帯だったようだ。

この日の釧路の潮位

2022/10/21 
満潮 時刻13:38 潮位119 
干潮 時刻06:12 潮位43
干潮 時刻19:37 潮位82
参考:気象庁 _ 潮汐・海面水位のデータ 潮位表 釧路(KUSHIRO)

ちなみに2月1日14:35~14:52頃に訪れた時の潮位(新月だった)

2022/02/01(火) 朔(新月)
満潮 時刻04:52 潮位133
満潮 時刻14:09 潮位149
干潮 時刻09:10 潮位110
干潮 時刻21:50 潮位-6

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

人工的なのがわかる

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

少し離れた所から見たトーチカ。上が陥没している。

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

潮位119近い時の波
干潮だと岩場をぐるっと回り込むことができるほどに波が引くようだ

興津海岸を一望できる高台
普通の住宅地もありながら、この世の果てのような気分も味わえる

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

小さな祠と鳥居がある
地形図に路傍祠の記号もない
名前がわからない

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

気持ちのいい高台だ

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

中央の台形的な岩礁が興津海岸トーチカの場所
大きな漁港ではないが、海産物収穫のための漁業設備があり、近くの小屋に出入りして作業している人たちがいた。興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

はまなすが群生している
プチトマトのような実がなっていた

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

興津海岸トーチカ(コンクリート掩体)

望洋湯(ぼうようゆ) _ 北海道公衆浴場業生活衛生同業組合
住所 〒085-0813 釧路市春採6丁目4-5
TEL 0154-42-6522
+81 154-42-6522
営業時間 12:00〜23:00
駐車場 有
定休日 木曜日
お店からのPR 創業:昭和34年 2代目

入浴料480円
サウナ追加料金なしで入れるのが嬉しい
富士溶岩露天風呂あり
内湯は3つの湯船
普通のジェットバス(湯温は熱め)
オレンジ色の湯
薬湯ふくじゅこう
フロント式 フロント前に休憩所あり
休憩所の写真撮らせてもらった
わりとお客さん多い
地元の常連客の人達っぽい
昭和後期か平成初期頃の築に見える。

ホテルYuuBARI~南清水沢駅~夕張新炭鉱通洞~宮前炭鉱住宅~ズリ山~清水沢火力発電所~清水沢ダム~清水沢駅(徒歩)

夕張の旅(3日目) 清水沢訪問

清水沢散策マップ

  1. ビジネスホテルYUUBARI
  2. 南清水沢駅(みなみしみずさわえき) 石勝線
  3. 清陵町・旧炭鉱住宅群、北炭夕張新炭鉱
  4. 清陵浴場
  5. 宮前町の炭鉱住宅(炭住)
  6. 宮前浴場
  7. 北炭清水沢鉱ズリ山
  8. 清栄町・炭鉱住宅(炭住)
  9. 旧北炭 清水沢火力発電所
  10. 夕張市民健康広場センターハウス、健康会館(閉鎖)
  11. 旧北炭 清水沢鉱事務所
  12. 旧北炭 清水沢鉱坑口
  13. 清水沢ダム
  14. 清水沢駅周辺の商店街

【日程】
徒歩で散策:ビジネスホテルyuubari~南清水沢駅~清陵浴場~北炭夕張新炭鉱通洞(西口)~宮前町炭鉱住宅~宮前浴場~北炭清水沢鉱ズリ山~清栄町炭鉱住宅~旧北炭清水沢発電所~旧北炭清水沢鉱事務所~北炭清水沢鉱坑口~清水沢ダム~清水沢駅前バス停
路線バス:清水沢駅前バス停~社光バス停(運賃550円)
徒歩で散策:社光バス停~石炭の歴史村公園~遊園地跡~夕張医療センターバス停
路線バス:夕張医療センターバス停~レースイリゾートバス停(運賃170円)
鉄道:夕張駅~新夕張駅~新千歳空港駅
飛行機:新千歳空港~成田空港

ビジネスホテルYUUBARI

▼2泊したビジネスホテルyuubariを朝出発。南清水沢駅に向かって歩く。1980年代頃に建てられたホテルだろうか。当時「ナウ」な雰囲気のシティホテルだったのでないか。設備は汚れや老朽化も目立ったが、宿のご主人は親切だった。

ビジネスホテルYUUBARI

ビジネスホテルYUUBARI

▼ビジネスホテルyuubariの近くの古い教会。途中、南清浴場の所在を確かめてくるのを忘れてしまった。

ビジネスホテルyuubariの近くの古い教会

▼南清水沢駅前のスーパーフレッシュ市場店。早朝だったので営業しているか不明だった。南清水沢駅前のAコープゆうばり南清水沢店の方が頻繁に客が出入りしていた。

南清水沢駅前のスーパーフレッシュ市場店

南清水沢駅(みなみしみずさわえき) 石勝線

※南清水沢駅は2019年(平成31年)4月1日廃止

南清水沢駅

他の鉄道マニア客が置いていったという由利高原鉄道の使用済み硬券きっぷや飴やティッシュなどを駅員さんにもらった。シーズン中に来れば夕張メロンでも振る舞ってあげたいのにその時期は旅行者が少ないと残念そうに言っていた。

南清水沢駅

南清水沢駅

▼南清水沢駅はボットン便所

南清水沢駅 ボットン便所

南清水沢駅 駅舎内

南清水沢駅 駅舎内

南清水沢駅

南清水沢駅

南清水沢駅

南清水沢駅

清陵町・旧炭鉱住宅群

清陵町・旧炭鉱住宅群 夕張炭鉱

▼清水沢清陵町の商店街、スナック、病院など。

清陵町・旧炭鉱住宅群 夕張炭鉱

清陵町・旧炭鉱住宅群 夕張炭鉱

清陵町・旧炭鉱住宅群 夕張炭鉱

北炭 夕張新炭鉱

▼北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

▼北炭夕張新炭鉱 ふさがれた通洞西口

北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

▼鉄格子の隙間から

北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

▼北炭夕張新炭鉱通洞 砂利があふれてきている

北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地

▼北炭夕張新炭鉱付近に佇む慰霊碑

北炭夕張新炭鉱付近に佇む慰霊碑

清陵浴場

▼清陵浴場。入る隙はないので、とりあえず外観だけを確認。やけに高い塀で囲われていて、比較的新しそうにみえる。

清陵浴場 夕張市

宮前町の炭鉱住宅(炭住)

▼宮前町の炭鉱住宅(炭住)群

建物は老朽化しているが、住民の姿は多く、朝から活発に団地まわりの花の世話をしている人が多かった。

炭鉱操業時から残る炭鉱住宅。1965〜1970年前後に建設されたブロック住宅で、今も元炭鉱マンたちが暮らしている。道ばたの花壇など手入れが行き届いており、炭鉱時代のコミュニティーが良く維持されている。
空知産炭地域●炭鉱遺産めぐり

宮前町の炭鉱住宅(炭住)

宮前町の炭鉱住宅(炭住)

宮前町の炭鉱住宅(炭住)

宮前町の炭鉱住宅(炭住)

本間ストアー

本間ストアー

本間ストアー

宮前浴場

▼宮前浴場。営業時間外なので、外観を確認するのみ。手入れされているのか外観はあまり痛みがないように見える。

宮前浴場 夕張市

入口の張り紙。

宮前浴場

▼宮前浴場とズリ山の間から北側あたりに北丹市水沢鉱選炭場跡があったらしいのだが、見てこれなかった。

北丹市水沢鉱選炭場跡

北炭清水沢鉱ズリ山

▼北炭清水沢鉱ズリ山にのぼる。登山口。

北炭清水沢鉱ズリ山

▼標高263mのズリ山 山頂まで15分ほど

北炭清水沢鉱ズリ山

▼ズリ山は黒っぽい砂利でできていて、山容がなだらか

北炭清水沢鉱ズリ山

▼ズリ山 山頂

北炭清水沢鉱ズリ山

注意書き。足元にも階段が設置してあったり、丁寧に整備されてる。

北炭清水沢鉱ズリ山

▼ズリ山からの眺め 清栄町炭鉱住宅

清栄町炭鉱住宅

▼ズリ山からの眺め 宮前町・炭鉱住宅

宮前町・炭鉱住宅

▼夕張川の対岸に清水沢清陵町の改良住宅(歩いてきた所)

清水沢清陵町の改良住宅

▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株) 清水沢火力発電所周辺

北炭清水沢鉱ズリ山

▼ズリ山からのながめ 清水沢火力発電所

清水沢火力発電所

▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株)付近の小さなズリ山

北炭清水沢鉱ズリ山

▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株)敷地内の施設

北炭清水沢鉱ズリ山

清栄町・炭鉱住宅(炭住)

清栄町・炭鉱住宅(炭住)

▼清栄町・炭鉱住宅

清栄町・炭鉱住宅

▼清栄町・炭鉱住宅

清栄町・炭鉱住宅

旧北炭清水沢火力発電所

▼東亜建材工業(株) 入口
ここから5分ほど歩いて、東亜建材工業の受付で旧北炭清水沢火力発電所を見学の手続きをする。

旧北炭清水沢火力発電所

▼東亜建材工業(株)敷地内の施設
古い工場なので気になる形のモノがいっぱい。

東亜建材工業(株)

東亜建材工業(株)

▼東亜建材工業(株)の受付で清水沢火力発電所跡の見学をしたい旨を申し出たら、徒歩で来る人はあまりいないようで驚かれたが、快諾してもらえた。11時を過ぎていたが、お昼(12時)になってしまうと誰もいなくなるのでそれまでに引き上げて欲しいと要望された。時間がなく慌てての見学になってしまったのが悔しい。

後で清水沢アートパワープラント _ 清水沢プロジェクトを確認してみたら、公開期間は一応2016年5月30日(月)~10月末ごろまでとなっていた。期間外だったせいか誓約書などは特に要求されなかったが、カンパの見学料を貯金箱に投入してきた。
※清水沢火力発電所跡の見学は2018年から有料&完全予約制になったとのこと。

東亜建材工業(株)

東亜建材工業(株)

▼煉瓦倉庫 特別管理産業廃棄物 PCB汚染物保管場所

煉瓦倉庫 特別管理産業廃棄物 PCB汚染物保管場所

▼旧北炭清水沢火力発電所 残っている部分だけでもすごいが、かなり解体されたらしい。

旧北炭清水沢火力発電所

▼旧北炭清水沢火力発電所 1F

旧北炭清水沢火力発電所 1F

旧北炭清水沢火力発電所 1F

旧北炭清水沢火力発電所 1F

旧北炭清水沢火力発電所 1F

旧北炭清水沢火力発電所 1F

▼2Fへ

旧北炭清水沢火力発電所

▼ドアノブがアンティーク

旧北炭清水沢火力発電所

▼階段もアンティーク

旧北炭清水沢火力発電所

▼旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

旧北炭清水沢火力発電所 2F

▼旧北炭清水沢火力発電所 地階

旧北炭清水沢火力発電所 地階

▼このサムネイル、眼球が片方溶け落ちたゾンビのように見える。

旧北炭清水沢火力発電所 地階

旧北炭清水沢火力発電所 地階

夕張市民健康広場センターハウス、健康会館(閉鎖)

▼廃墟化している健康会館

夕張市民健康広場センターハウス、健康会館(閉鎖)

夕張市民健康広場センターハウス、健康会館(閉鎖)

夕張市民健康広場センターハウス 閉鎖されているみたい。ってか廃墟。

夕張市民健康広場センターハウス

夕張市民健康広場センターハウス

旧北炭清水沢鉱事務所

▼旧北炭清水沢鉱事務所(現在は民間企業「有限会社 盛木」)

旧北炭清水沢鉱事務所(現在は民間企業「有限会社 盛木」)

旧北炭清水沢鉱事務所(現在は民間企業「有限会社 盛木」)

 

旧北炭清水沢鉱事務所(現在は民間企業「有限会社 盛木」)

旧北炭清水沢鉱坑口

▼旧北炭清水沢鉱坑口

旧北炭清水沢鉱坑口

▼旧北炭清水沢鉱坑口

旧北炭清水沢鉱坑口

旧北炭清水沢鉱坑口

清水沢ダム

清水沢ダム

清水沢ダム

清水沢ダム

小島の上の古い石仏

清水沢ダムの小島の上の古い石仏

清水沢ダムからの清水沢火力発電所跡の眺め

清水沢ダム

清水沢ダム付近の木製電柱

清水沢ダム付近の木製電柱

清水沢駅周辺の商店街

▼年季のある理容のこたけ

理容のこたけ

▼木製電柱

木製電柱

▼民家のようなお寺 龍仙寺

民家のようなお寺 龍仙寺

文化堂
バスの回数券なども販売している模様

文化堂

▼清水沢駅

清水沢駅

▼清水沢駅 駅前食堂

清水沢駅 駅前食堂

▼宿泊予約を入れたら「もういっぱい」と言われて泊まれなかった清水沢駅前の大黒屋旅館

大黒屋旅館

▼大黒屋旅館向かいの清水沢駅前バス停

清水沢駅前バス停

▼路線バスに乗って社光に向かう

清水沢駅前バス停

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里信号場(とみさとしんごうじょう)
地上駅 無人駅
2面2線ホーム
北海道旅客鉄道(JR北海道) 石勝線
1998年度乗車人員 5人/日(降車客含まず)
1962年(昭和37年)12月25日開業
2016年(平成28年)3月26日より信号場に格下げ
北海道夕張市紅葉山

十三里駅は2016年(平成28年)3月26日に廃駅になり、信号場に格下げされた。

「十三里駅」とでかでかと書かれた建物は駅舎ではなく継電器室。

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

▼跨線橋の入口が待合室になっている

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

▼駅前のスノーシェルター

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

▼駅前のバス停

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

▼跨線橋 十三里停車場

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

十三里駅(廃止)→十三里信号場 石勝線 無人駅

高尾駅 4番線 レンガ積みプラットホーム JR中央本線

高尾駅 4番線 煉瓦積ホーム JR中央本線

高尾駅が開業した当時の明治34年(1901年)は、デッキにステップのついた列車のみが発着しており、ホーム高は今より低かった。その後ステップ不要の車両に対応するために、ホームはかさ増しされた。現在の高尾駅のホームは土台はすべて甲武鉄道時代に作られた煉瓦積みのもの。ただし外壁が塗りつぶされていて、煉瓦が確認しづらくなっている。2番線ホームは塗装の剥がれ落ちた部分からレンガ積み部分の土台を確認できるが、4番線ホームの煉瓦はむき出しになっている(南口から確認可能)。高尾駅だけでなく、相模湖駅や鳥沢駅四方津駅などでも甲武鉄道時代の煉瓦ホームが確認できる。

Google MapsMapFan

高尾駅 4番線 煉瓦積ホーム JR中央本線

国鉄 信越本線(廃線)(横川駅~軽井沢駅) アプトの道 碓氷峠 碓氷線

国鉄 信越本線 廃止区間(横川駅~軽井沢駅)の地図

国鉄 信越本線(廃止)(横川駅~軽井沢駅) 地図
※以前自分用に記録した地図なので、場所等不正確です。

日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1 P.6-7

参考:「鉄道廃線跡を歩く」 宮脇俊三著 1巻P.56 信越本線旧線 横川~軽井沢
日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1 P.6-7

正式な地図があった。ずいぶん洒落たイベントになってしまった。

廃線ウォーク

参考:廃線ウォークとは

横川駅

横川駅

ラックレールを再利用したドブ板 横川駅前

ラックレールを再利用したドブ板 横川駅前

ラックレールを再利用したドブ板 横川駅前

JR横川駅~碓氷峠鉄道文化むらの間、矢野澤橋付近の川に古い煉瓦壁が残る

JR横川駅~碓氷峠鉄道文化むらの間、矢野澤橋付近の川に古い煉瓦壁が残る

JR横川駅~碓氷峠鉄道文化むら間・矢野澤橋付近に残された古い煉瓦壁

鉄道文化むらの施設内の古い建物が気になる。

鉄道文化むらの施設内の古い建物が気になる。

ホーロー看板を一杯貼ってある家がある

ホーロー看板を一杯貼ってある家がある

アプトの道を歩いていたら鉄道文化むらから列車が走ってきてびっくりした。EF6311。

アプトの道を歩いていたら鉄道文化むらから列車が走ってきてびっくりした。EF6311。

アプトの道に掲示されている解説板

特急「あさま」とEF63

アプトの道 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板

アプトの道沿いに 「避線跡 関長原関所跡 小岩砦 小根山森林公園に至る」とかかれた朽ちた道標があった。左の黒い柱は壊れた鳥居の柱。2本の柱の間に壊れた橋のようなものがあった。気になる。

「避線跡 関長原関所跡 小岩砦 小根山森林公園に至る」とかかれた道標(右)。左の黒い柱は壊れた鳥居の柱。

「避線跡 関長原関所跡 小岩砦 小根山森林公園に至る」とかかれた朽ちた道標

まるで教会のような丸山変電所
参考:FunkyGoods 廃墟系 信越本線丸山変電所跡
FunkyGoods 信越本線丸山変電所跡画像アーカイヴ (1998年09月)

丸山変電所

丸山変電所の表側はすっかり修復されてしまっているが、裏に回るとコンクリート造の部分が廃墟のままだった。しかし柵に覆われて近づくことはできない。

丸山変電所

丸山変電所 丸山変電所
丸山変電所 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板
アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 丸山変電所 解説板

霧積川橋りょう 1988年6月塗装 橋のたもとに旧碓氷第1橋梁の橋台が残るらしい。

霧積川橋りょう 1988年6月塗装 橋のたもとに旧碓氷第1橋梁の橋台が残るらしい。

霧積川橋りょう 1988年6月塗装 橋のたもとに旧碓氷第1橋梁の橋台が残るらしい。 霧積川橋りょう 1988年6月塗装 橋のたもとに旧碓氷第1橋梁の橋台が残るらしい。

信越本線廃線跡 旧線と新線の分岐(峠の湯付近)

廃止された新線と旧線の分岐

新線(廃止)側は見学対象じゃないので入れない。あちら側にも行ってみたい。

信越本線廃線跡 旧線と新線の分岐(峠の湯付近)

王子久保乙道橋 昭和40年9月13日しゅん功

王子久保乙道橋 昭和40年9月13日しゅん功

王子久保乙道橋 日本国有鉄道
設計:日本国有鉄道

王子久保乙道橋 昭和40年9月13日しゅん功

王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功

王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功

王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功
写真がぶれてしまって3月か8月か読み取れない。

王子久保橋りょう 昭和40年3月(8月?)31日 しゅん功

北原白秋の歌碑

北原白秋の歌碑

北原白秋の歌碑

旧碓氷第1トンネル 横川側坑口

旧碓氷第1トンネル 横川側抗口

旧碓氷第1トンネル 横川側抗口

旧碓氷第1トンネルの内部。

旧碓氷第1トンネル 横川側抗口

旧碓氷第1トンネル内部 煉瓦で造られた退避坑

旧碓氷第1トンネル内部の退避坑

旧碓氷第1トンネルの軽井沢側坑口。このわきから中山道に入れる。中山道の道標あり。

旧碓氷第1トンネルの軽井沢側抗口。このわきから中山道に入れる。中山道の道標あり。

碓氷第二橋梁の電線掛。「鉄道廃線跡を歩く」 宮脇俊三著 1巻P.56 信越本線旧線(横川~軽井沢)によると、どうやら意図的な装飾のよう。

碓氷第二橋梁

碓氷第二橋梁

碓氷第二橋梁 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板

旧碓氷第2号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第2号トンネル 横川側抗口

旧碓氷第2号トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第2号トンネル 軽井沢側出口

碓氷湖
神秘的だ…東山魁夷の絵画みたい。こっちの方がめがね橋に見えてくる。

碓氷湖

碓氷湖

坂本ダム 碓氷湖

坂本ダム 碓氷湖

アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板

旧碓氷第三号トンネル 横川駅側坑口

旧碓氷第三号トンネル 横川駅側坑口

旧碓氷第3号トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第3号トンネル 軽井沢側抗口

旧碓氷第4号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第4号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第4号トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第4号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第4号トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第4号トンネル 軽井沢側坑口

アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板
アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板 アプトの道 解説板

旧碓氷第5号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第5号トンネル 横川側坑口

旧碓氷第5号トンネルと抜けると碓氷第3橋梁(通称めがね橋)。碓氷第3橋梁(通称めがね橋)は遠目に見ると立派だが、橋の上は意外にあっさりしている。

旧碓氷第5号トンネル内から見た第3橋梁めがね橋

碓氷第3橋梁(通称めがね橋)から見える新線上り線の橋梁 (碓氷第3ずい道と第2ずい道の間?)

碓氷第3橋梁(通称めがね橋)から見える新線上り線の橋梁 (碓氷第3ずい道と第2ずい道の間?)

碓氷第3橋梁(通称めがね橋)から見える新線上り線の橋梁 (碓氷第3ずい道と第2ずい道の間?)

碓氷第3橋梁めがね橋 碓氷第3橋梁めがね橋

碓氷第3橋梁めがね橋

碓氷第3橋梁めがね橋

旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口。去年まではこんな工事フェンスなかったのに。
※今は第6号トンネルも通行可能になっていて熊ノ平駅跡まで自由に行けるらしい。この時はめがね橋止まりだった(2021年12月12日追記)。

旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口

フェンスの外から旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口を撮影してみる。

旧碓氷第6号トンネル 横川駅側坑口

碓氷湖~めがね橋 遊歩道案内板。

碓氷湖~めがね橋 遊歩道案内板

遊歩道敷の道標があるが、草が生い茂ってとても遊歩道があるようには見えなかった。

碓氷湖~めがね橋 遊歩道案内板

旧碓氷第6隧道の横坑 乙 C=55

旧碓氷第6隧道の横坑 乙 C=55

国鉄 横-熊線 31号 高崎電力區の看板 (碓氷第4橋梁そば) C=59付近

碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財

碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財

碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財

碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財

碓氷第4橋梁 碓氷峠鉄道施設 国指定重要文化財

旧碓氷第6トンネル 軽井沢側坑口 C=59付近

旧碓氷第6トンネル 軽井沢側坑口 C=59付近

旧碓氷第6トンネル 出口付近から見た軽井沢方面の廃線跡
※この時はまだ「アプトの道」のコースではなかったので荒れていた(2021年12月12日追記)。

旧碓氷第6トンネル出口付近から見た軽井沢方面の廃線跡

旧碓氷第7トンネル 横川側坑口

旧碓氷第7トンネル 横川側坑口

旧碓氷第7トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第7トンネル軽井沢側坑口

旧碓氷第8トンネル 横川駅側坑口

旧碓氷第8トンネル横川駅側坑口

旧碓氷第8トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第8トンネル軽井沢側坑口

旧碓氷第8トンネルと第9トンネル間の碓氷第6橋梁。正面に見えるのは第9トンネル。C=69付近

旧碓氷第8トンネルと第9トンネル間の碓氷第6橋梁。正面に見えるのは第9トンネル。C=69付近

旧碓氷第8トンネルと第9トンネル間の碓氷第6橋梁。正面に見えるのは第9トンネル。C=69付近

碓氷第6橋梁 C=69付近
旧碓氷第9トンネル 横川駅側坑口付近より眺める。

旧碓氷第9トンネル横川駅側出口付近より眺めた碓氷第6橋梁 C=69付近

旧碓氷第9トンネル横川駅側坑口 第6橋梁上から眺めたところ C=69付近

旧碓氷第9トンネル横川駅側出口 第6橋梁上から眺めたところ C=69付近

旧碓氷第9トンネル 軽井沢側坑口
ひどくぶれてしまった。

旧碓氷第9トンネル 軽井沢側坑口

旧碓氷第10トンネル 横川側坑口 C=75付近

旧碓氷第10トンネル 横川側坑口 C=75付近

旧碓氷第10トンネルを出ると、そこは熊ノ平駅の跡地。工事業者が様々な機材や資材を置いている。作業員さんと少し挨拶をかわした。熊ノ平はアプトの道コースではないので、何か言われるかと思ったが、そんなことはなく、軽井沢のほうに行きたいといったら「このトンネルをまっすぐ行けば軽井沢につく」と言われ、安心して(?)突き進んでいった。最後のトンネルを抜けたところで「立入禁止」の札を目にした。今はもっと管理が厳しくなっているかもしれない。

旧碓氷第10トンネル内から眺めた熊ノ平

熊ノ平には神社や殉難碑もある。

熊ノ平

熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。
左は旧碓氷第10トンネル軽井沢側坑口。
右は旧下り押下線(引込線で行き止まり)。

熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。左は旧碓氷第10トンネル軽井沢側出口。右は旧下り押下線(引込線で行き止まり)。

熊ノ平。横川方面に並ぶトンネル。
新碓氷第2ずい道(上り線)(左) 
碓氷第3ずい道(下り線)(右)

熊ノ平 横川方面に並ぶトンネル 新碓氷第2ずい道(上り線)(左) 碓氷第3ずい道(下り線)(右)

熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。左から順に
新碓氷第2ずい道(上り線)
碓氷第3ずい道(下り線)
旧碓氷第10トンネル
旧下り押下線(引込線で行き止まり)

行き止まりのトンネルはスイッチバック用の突っ込みトンネルか。

日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1 P.6-7

参考:日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1 P.6-7

熊ノ平。横川方面に並ぶ4つのトンネル。

お化け屋敷のような熊ノ平変電所

昭和12年 1937年
鉄筋コンクリート造、建築面積336.24㎡、東面トラバーサー附属
1棟
群馬県安中市松井田町
重文指定年月日:20180817
重要文化財
松井田と軽井沢の間にある旧信越本線の鉄道施設。煉瓦造の橋梁7基、隧道11基、変電所3棟等からなる。橋梁・隧道は明治26年鉄道開通時(橋梁は明治29年に補強)、変電所は大正元年電化時及び昭和12年の建設。路線には峠越えの急勾配を克服するアプト式が用いられていた。
旧碓氷峠鉄道施設 熊ノ平変電所本屋 文化遺産オンライン

熊ノ平変電所

旧熊ノ平駅ホーム

旧熊ノ平駅ホーム

旧熊ノ平駅碑、アプト式開通の碑などがある。

旧熊ノ平駅碑

旧熊ノ平駅碑

熊ノ平神社

熊ノ平神社

熊ノ平神社 御由緒

熊ノ平神社

熊ノ平 殉難碑

熊ノ平 殉難碑

熊ノ平 殉難碑

熊ノ平 旧碓氷第11隧道(下りの突込線?)付近に残された古い煉瓦造の壁

熊ノ平 旧碓氷第11隧道(下りの突込線?)付近に残された古い煉瓦造の壁

熊ノ平。軽井沢方面に並ぶ3つのトンネル。
(左)旧碓氷第11ずい道(下りの突込線?) 
(真ん中)碓氷第4ずい道(下り線) 
(右)新碓氷第3ずい道(上り線)

熊ノ平。軽井沢方面に並ぶ3つのトンネル。

(左)旧碓氷第11ずい道(下りの突込線?) 
(右)碓氷第4ずい道(下り線) 

熊ノ平。軽井沢方面に並ぶ3つのトンネル。

(左)碓氷第4ずい道(下り線) 
(右)新碓氷第3ずい道(上り線)

熊ノ平。軽井沢方面に並ぶ3つのトンネル。

熊ノ平 新碓氷第3ずい道(上り線) 
横川側出口のプレート 昭和37年12月31日しゅん功
ぶれぶれになってしまった。

熊ノ平 新碓氷第3ずい道(上り線) 横川側出口のプレート 昭和37年12月31日しゅん功

碓氷第4ずい道(下り線) 横川側坑口のプレート 
熊ノ平 昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第4ずい道(下り線) 横川側坑口のプレート 熊ノ平 昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第4ずい道の軽井沢側坑口から眺めた第5ずい道(下り線)。右のトンネルはたぶん新碓氷第4ずい道(上り線)。

碓氷第4ずい道の軽井沢側坑口から眺めた第5ずい道(下り線)。右のトンネルはたぶん新碓氷第4ずい道(上り線)。

C=93 熊ノ平駅に通じる旧線トンネルゲート(旧碓氷第11ずい道)
これもスイッチバック用の突っ込みトンネルだったのか(?)。

C=93 熊ノ平駅に通じる旧線トンネルゲート(旧碓氷第11ずい道)

新碓氷第3ずい道と第4ずい道間にある橋梁(上り線)

新碓氷第3ずい道と第4ずい道間にある橋梁(上り線)

碓氷第5ずい道(下り線)横川側坑口。「5T」のプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したものらしい。

碓氷第5ずい道(下り線)横川側坑口。「5T」のプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したものらしい。

碓氷第5ずい道(下り線)軽井沢側坑口 5Tのプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したトンネルらしい。

碓氷第5ずい道(下り線)軽井沢側坑口 5Tのプレートあり。旧碓氷第12隧道を改良したトンネルらしい。

碓氷第6ずい道(下り線)軽井沢側坑口。6Tのプレートあり。

碓氷第6ずい道(下り線)軽井沢側坑口。6Tのプレートあり。

碓氷第6ずい道と第7ずい道(下り線)間から見える上り線の橋梁。

碓氷第6ずい道と第7ずい道(下り線)間から見える上り線の橋梁。

碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口 7Tの表記あり

碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口 7Tの表記あり

碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口のプレート
昭和40年8月31日しゅん功 7T

碓氷第7ずい道(下り線)横川側坑口のプレート 昭和40年8月31日しゅん功 7T

碓氷第7ずい道(下り線)軽井沢側坑口 7Tのプレートあり

碓氷第7ずい道(下り線)軽井沢側坑口 7Tのプレートあり

碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口 8Tのプレートあり

碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口 8Tのプレートあり

碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口のプレート 
昭和40年8月31日しゅん功 8T

碓氷第8ずい道(下り線)横川側坑口のプレート 昭和40年8月31日しゅん功 8T

碓氷第8ずい道(下り線)軽井沢側出口 8Tのプレートあり

碓氷第8ずい道(下り線)軽井沢側出口 8Tのプレートあり

碓氷第9ずい道(下り線)横川側出坑口 9Tのプレートあり

碓氷第9ずい道(下り線)横川側出坑口 9Tのプレートあり

碓氷第9ずい道(下り線)横川側坑口 昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第9ずい道(下り線)横川側坑口 昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第9ずい道(下り線)内の退避坑に書かれた「鉄労粉砕」の文字

碓氷第9ずい道(下り線)内の退避坑に書かれた「鉄労粉砕」の文字\Resized

碓氷第9隧道(下り線)軽井沢側坑口。9Tのプレートあり。

碓氷第9隧道(下り線)軽井沢側坑口。9Tのプレートあり。

旧線跡(第13号橋梁)?
碓氷第9隧道と第10隧道(下り線)の間、新線の南側にある煉瓦造の橋梁。

旧線跡(第13号橋梁)?碓氷第9隧道と第10隧道(下り線)の間、新線の南側にある。

旧線跡(第13号橋梁)?

旧線跡(第13号橋梁)?

碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口。10Tのプレートあり。左にコンクリで塞がれた旧碓氷第18隧道の入口があるらしい。

碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口。10Tのプレートあり。左にコンクリで塞がれた旧碓氷第18隧道の入口があるらしい。

碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長71M44。昭和40年8月しゅん功

碓氷第10ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長71M44。昭和40年8月しゅん功

碓氷第10ずい道(下り線)軽井沢側坑口。10Tのプレートあり。
延長71M44。昭和40年8月しゅん功

碓氷第10ずい道(下り線)軽井沢側坑口。10Tのプレートあり。延長71M44。昭和40年8月しゅん功

碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長256M10。昭和40年8月31日しゅん功。

碓氷第11ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長256M10。昭和40年8月31日しゅん功。

碓氷第11ずい道(下り線)の横坑と軽井沢側の坑口

碓氷第11ずい道(下り線)の横坑(左)と軽井沢側出口(右)

碓氷第11ずい道(下り線)の横坑を出たところ

碓氷第11ずい道(下り線)の横坑を出たところ

碓氷第11ずい道(下り線)軽井沢側坑口。11Tのプレートあり。

碓氷第11ずい道(下り線)軽井沢側坑口。11Tのプレートあり。

碓氷第12隧道(下り線)横川側坑口。12Tのプレートあり。

碓氷第12隧道(下り線)横川側坑口。12Tのプレートあり。

碓氷第12ずい道(下り線)軽井沢側坑口。12Tのプレートあり。

碓氷第12ずい道(下り線)軽井沢側坑口。12Tのプレートあり。

碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口。13Tのプレートあり。

碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口。13Tのプレートあり。

碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長293M50。昭和40年8月しゅん功。

碓氷第13ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長293M50。昭和40年8月しゅん功。

碓氷第13ずい道(下り線)軽井沢側坑口。13Tのプレートあり。

碓氷第13ずい道(下り線)軽井沢側坑口。13Tのプレートあり。

碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口。14Tのプレートあり。

碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口。14Tのプレートあり。

碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口のプレート

碓氷第14ずい道(下り線)横川側坑口のプレート

碓氷第14ずい道(下り線)軽井沢側坑口。14Tのプレートあり

碓氷第14ずい道(下り線)軽井沢側坑口。14Tのプレートあり

碓氷第15ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第15ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第15ずい道(下り線)横川駅側坑口のプレート。延長31(91?)M00

碓氷第15ずい道(下り線)横川駅側坑口のプレート。延長31(91?)M00

碓氷第15ずい道(下り線)軽井沢側坑口。15Tのプレートあり。

碓氷第15ずい道(下り線)軽井沢側坑口。15Tのプレートあり。

碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口。

碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口のプレート

碓氷第16ずい道(下り線)横川側坑口のプレート

碓氷第16ずい道(下り線)

碓氷第16ずい道(下り線)

碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口。17Tのプレートあり。

碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口。17Tのプレートあり。

碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。
延長31M50。昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第17ずい道(下り線)横川側坑口のプレート。延長31M50。昭和40年8月31日しゅん功

碓氷第17ずい道(下り線)軽井沢側坑口。17Tのプレートあり。

碓氷第17ずい道(下り線)軽井沢側坑口。17Tのプレートあり。

碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口。18Tのプレートあり。

碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口。18Tのプレートあり。

碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口の苔むしたプレート

碓氷第18ずい道(下り線)横川側坑口のプレート

碓氷第18ずい道(下り線)軽井沢側坑口

碓氷第18ずい道(下り線)軽井沢側坑口

矢ヶ崎信号所跡地

矢ヶ崎信号所跡地

新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口

新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口

新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口

新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口 銘板

新碓氷第11隧道(上り線)軽井沢側坑口 銘板

JRの駅員さんしか通行できない踏切

JRの駅員さんしか通行できない踏切

軽井沢駅に到着 
しなの鉄道の廃止ホーム 屋根には古レールが使われているらしい

軽井沢駅 しなの鉄道の廃止ホーム 屋根には古レールが使われているらしい

雨降りの中を歩き続けたら、ヤマビルに吸い付かれ、帰りの電車の中にまでヤマビルを持ち込んでしまった。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間) 明治22年竣工(甲武鉄道時代) 日野市

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

1889年(明治22年)7月に完成した甲武鉄道会社線の多摩川橋梁(明治21年11月から着工、開業1889年8月11日)。当初の全長は1373フィート8インチ(418.7m)で、単線だったが、1937年(昭和12年)頃に複線化し、全長も439.98mに伸びた。

▼写真手前の上り線側が明治の甲武鉄道時代に架けられた古い鉄橋で、右後方の下り線が昭和12年頃に完成した鉄橋。上り線の橋台は所々コンクリート造に変えられているが、甲武鉄道時代の古い煉瓦造の橋台も残っている。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

2009年2月に訪れたら、いつの間にか、1つの煉瓦造の橋台を除いて灰色のペイントが施されていた。上り線のプレートガーダーの側面にはJ型スティフナー(補鋼材)が垂直に取り付けられている。J型スティフナーは明治30年代以前に設計された典型的な英国式ポーナル形の桁。ガーダーには緑色の新しい塗料が施されており、一見して古い鉄橋とはわかりづらい。

参考:
多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 口絵写真P.13, P.91-97, P.100-101
JR東日本八王子支社|中央線まめ知識|中央線の歴史 1880~1899年
多摩川橋梁 菊地博和のホームページ

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

〒191-0001 東京都日野市23

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

▼日野寄りの橋詰部分

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

避溢橋の橋台跡(煉瓦造) 甲武鉄道時代 中央線 立川市

避溢橋の南側橋台(煉瓦造) 

甲武鉄道時代、中央線・日野~立川間の多摩川に多摩川橋梁が設けられた際、水害防止のために立川寄りの低湿地に、全長532フィート8インチ(162.4m)の避溢橋も設けられた。 後に避溢橋は解体されたが、今でも新奥多摩街の北側の小道を跨ぐ橋台に避溢橋の南側部分の煉瓦造を見ることができる。読みは「ひいつばし」?「ひいつきょう」?どちらだろう。使われているのは日野煉瓦製造所製レンガなのかな。

参考書籍:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.100-101

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
東京都立川市富士見町/東京都立川市柴崎町

避溢橋の南側橋台(煉瓦造)

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

かつて立川基地に通じていた引込線跡を再利用した道路。

参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.65
     米軍立川基地の残骸(整備前の廃線跡の写真が載っている)

国土地理院1:25000地形図 拝島(東京)
Google Maps
〒196-0022 東京都昭島市中神町1315−56

▼分岐点の歩道に引込線の線路と枕木が展示されている。

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

子供が遊んでいた。平和な風景だなぁ…。

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

『この道路は、青梅線中神駅から敷設されていた貨物専用の引込線廃線跡で、ここから北は2路線に分岐していました。引込線は、この地域の歴史を物語るように工廠線、あるいは立川基地引込線とも呼ばれました。引込線が敷設されたのは昭和18年(1943年)といわれ、陸軍唯一の飛行機製造部門として昭和15年(1940年)4月1日に設置された航空工廠への資材運搬用路線でした。昭和20年(1945年)、太平洋戦争が終わると航空工廠を含む立川飛行場一帯はアメリカ軍に接収され、立川基地となりました。工廠線は、そのままアメリカ軍専用線(1.9km)として使用され、主に航空機燃料や重油が運ばれました。立川基地は、昭和52年(1977年)11月30日、日本に全面返還され、引込線も昭和53年(1978年)7月1日付けで正式に廃止されました。このほど道路として整備したもので、レールや転轍機(ポイント変換機)は当時のものです。 平成12年(2000年)3月 昭島市』

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

中神引込線通り(立川基地引込線跡)  

中神引込線通り(立川基地引込線跡)

新橋~銀座~日比谷~京橋界隈 古建築めぐりetc

  1. 二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード
  2. 旧新橋停車場
  3. 中銀カプセルタワービル
  4. 堤第一ビルヂング
  5. 幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード
  6. 内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード
  7. 泰明小学校
  8. 岡本太郎作モニュメント
  9. ソニービル
  10. 銀座クリスタルビル
  11. 有楽町センタービル
  12. 明治大学発祥の地
  13. DNタワー21(旧第一生命館)
  14. 帝国劇場
  15. 警視庁丸の内警察署
  16. 日比谷見附跡
  17. 古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)
  18. 日比谷野外小音楽堂
  19. 日比谷公会堂
  20. 日比谷図書文化館
  21. 京橋の欄干柱(日比谷公園)
  22. ペリカン噴水(日比谷公園)
  23. 日比谷三井ビルディング(現存せず)
  24. 日本生命日比谷ビル・日生劇場
  25. 有楽町ガード下 やきとり 車屋
  26. ヒサヤ大黒堂 ぢ看板
  27. 警察博物館
  28. 銭湯・銀座湯
  29. 竹田ビル(解体済)
  30. 三貴ビルディング(現存せず)
  31. 銀座マトリックスビル
  32. 歌舞伎座(第4期)
  33. 銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)
  34. ヨネイビルディング

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

新橋駅から有楽町駅あたりにかけて、古い煉瓦造りの見事な鉄道アーチ橋が続く。明治40年(1907年)の完成らしい。

参考:歴史の浪漫街道_雑多な情報館・煉瓦造りの高架
地図:国土地理院1:25000地形図 東京西南部(東京)
地図:Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る

「東京山手・下町散歩 (どこでもアウトドア) 昭文社」(P.38 1C)にはイギリス積みと説明してあるが、煉瓦の積み方(きまぐれ旅写真館)を見ると、この部分は小口積みにみえる。

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

▼二葉橋架道橋の内部

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

鉄道歴史展示室 旧新橋停車場

旧新橋停車場
鉄道歴史展示室 旧新橋停車場
汐留に新名所「旧新橋停車場」がオープン~史跡の保存と活用~

鉄道歴史展示室 旧新橋停車場

中銀カプセルタワービル

東京都中央区銀座8-16-10
1972年(昭和47年)竣工
地上11階一部13階、地下1階
設計者 黒川紀章
構造形式 SRC造一部S造
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト – facebook
地図:Google Maps

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

堤第一ビルヂング(現存せず)

大正九年、關東大震災前に建てられたRC造の貴重な建築。
2015年4月のストリートビューではすっかり解体されている。

堤第一ビルヂング(現存せず)

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

新橋1丁目3
ストリートビュー
この辺はきれいなイギリス積み

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸町1丁目6
内幸町1丁目7
右翼のアジビラの跡や落書きがすごいが、その後きれいに清掃されて消されている。西側の高架部分は煉瓦造りの連続アーチ橋で明治時代のもの。

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

中央区 泰明小学校

震災復興事業の一つとして建てられた小学校。カーブを描く壁面やアーチ窓等、全体的に表現派風の意匠をもつ建物。玄関脇に「島崎藤村 北村透谷 幼きはここに学ぶ」の石碑あり。

建築年: 1929年(昭和4)
設計者: 東京市土木局建築課/原田俊之助
施工者: 銭高組
構造: 鉄筋コンクリート造
規模: 地下1階・地上3階
所在地: 東京都中央区銀座5-1-13

参考:都選定歴史的建造物(東京都都市整備局)
地図:Google Maps

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

岡本太郎作のモニュメント『若い時計台』

1966年(昭和41年)、奉仕団体「銀座ライオンズクラブ」から「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」が独立したことを記念し、両クラブからの依頼を受けて岡本太郎がデザインを担当した時計台。
銀座・数寄屋橋公園「若い時計台」を修復-岡本太郎生誕100周年で – 銀座経済新聞

岡本太郎作のモニュメント『若い時計台』

ソニービル

建築年: 1966年(昭和41)
設計者: 芦原義信(芦原義信建築設計研究所)
管  理:大成建設
ヒストリー/建築|ソニービル

ソニービル

(不二家 数寄屋橋店)銀座クリスタルビル

1953年に開店した不二家数寄屋橋店(地上3階建)の跡地に建設したビル。1982年6月に竣工。
銀座クリスタルビル – Wikipedia

銀座クリスタルビル(不二家 数寄屋橋店)

有楽町センタービル

1984年9月竣工
有楽町センタービル – Wikipedia

有楽町センタービル

明治大学発祥の地

明治大学発祥の地 – 千代田区観光協会
千代田区有楽町2-2

明治大学発祥の地碑

DNタワー21(旧第一生命館)

戦前最後の現存する大規模建築。昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設された。終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収された。現在でもマッカーサー総司令官室が保存されていいる(※通常、一般公開はされていない)。都選定歴史的建造物。
千代田区観光協会 旧第一生命館(DNタワー21)
まちブログ(皇居周辺・丸の内・有楽町周辺) 【最速レポート】マッカーサ―記念室 期間限定 一般公開

DNタワー21(旧第一生命館)

▼館名が右から書かれてる。くずし字で読みづらいが、たぶん「第一生命保険株式会社」?

DNタワー21(旧第一生命館)

帝国劇場

1911年3月1日開館
現在の帝国劇場は谷口吉郎の設計で1966年(昭和41年)9月29日に落成。
帝国劇場 – Wikipedia

帝国劇場

警視庁丸の内警察署

建物がいいが、公式ホームページもいい感じ。阿部寛のホームページに共通するものを感じる。いつまでもこのままでいて欲しい。

警視庁丸の内警察署

日比谷見附跡

江戸城を囲む「江戸城三十六見附」のひとつで、日比谷御門があったところ

日比谷見附跡(日比谷公園)

古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)

古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)。スカンジナビアが1957年2月24日に日本への空路を開拓し、開設10周年記念に寄贈したもの。スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字を模している。1967年設置。

古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)

日比谷野外小音楽堂

日本最古の野外音楽堂。治時代に小音楽堂が開設され、大正時代に大音楽堂が開設された。
日比谷野外音楽堂 – Wikipedia

日比谷野外小音楽堂

▼小音楽堂前の水飲み場。古い。

日比谷野外小音楽堂

日比谷野外小音楽堂

日比谷公会堂

全体をスクラッチタイルで覆われている。
浅沼稲次郎暗殺事件など、黒い歴史もある。
※2016年(平成28年)から改修工事のため当面休館。

昭和4年(1929年)竣工
東京都千代田区日比谷公園1-3 市政会館
03-3591-6388

ようこそ!日比谷公会堂・日比谷公園大音楽堂公式ホームページへ
日比谷公会堂 Wikipedia
国土地理院 電子国土Web 東京西南部(東京)
Google Maps

日比谷公会堂

 

日比谷公会堂

日比谷公会堂

日比谷公会堂

日比谷図書文化館

1957年10月落成。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定。東京都建築局設計。
参考:建築探訪_東京都立日比谷図書館  http://www.k4.dion.ne.jp/~r231/arc/tokyo/arc_tokyo05.html(リンク切れ)

日比谷図書文化館

京橋の欄干柱(日比谷公園)

明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたもの。当時は、橋名を刻んだ親柱もあったが、昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移された。日比谷公園内。

京橋の欄干柱(日比谷公園)

ペリカン噴水(日比谷公園)

1903年(明治36年)の開園当時にデザインされた幾何学文様の洋風の第一花壇。
見どころ|日比谷公園|公園へ行こう!
佳景探訪 – 日比谷公園 (東京都千代田区)

日比谷公園 ペリカン噴水

日比谷公園 ペリカン噴水

▼第一花壇内のアメリカノウゼンカズラの棚

日比谷公園 ペリカン噴水

▼第一花壇は航空写真でみると幾何学模様のデザインがわかりやすい

日比谷公園 ペリカン噴水

日比谷三井ビルディング(現存せず)

1960年8月竣工
設計:鹿島建設・松田平田設計事務所
※2011年1月解体

日比谷三井ビルディング(現存せず)

日本生命日比谷ビル・日生劇場

所在地: 千代田区有楽町1-1-1
建築年: 1963年(昭和38)
設計者: 村野藤吾(村野・森建築事務所)
施工者: 大林組
構造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
規模: 地上8階・地下5階
日生劇場 – Wikipedia

日本生命日比谷ビル・日生劇場

有楽町ガード下 やきとり 車屋

明治時代のガード下にあるやきとり屋(串揚屋?)。下町的な風情がある。
東京都千代田区有楽町2-4-4
03-3214-9034
国土地理院1:25000地形図 東京首部(東京)
Google Maps

有楽町ガード下 車屋

有楽町ガード下 車屋

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

銀座クレッセントビルの屋上に看板がある。手前右は銀座一丁目交番。

参考:やきそばかおるの右脳と左脳をいったりきたり _ 「銀座のド真ん中にある、これが本当のTHE(ぢ)ビル」

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

警察博物館

無料で昔の警察資料や制服や車両を見れたりする。記念スタンプもある。ピーポくんのうたも聴ける楽しいところ。
警察博物館見学 :警視庁
リニューアルに伴い平成28年4月1日(金曜日)から平成29年春まで閉館。

警察博物館

銭湯・銀座湯

1~2度入浴したことがあるが、仕事帰り(仕事中?)のサラリーマンが多く、人の出入りが結構激しかった。銭湯の裏側は小さな公園になっているので、夏なら湯上りに夕涼みできる。
東京都中央区銀座1-12-2
03-3561-2550
営業時間 15:00~23:00
定休日 日曜日・祝日
地図:Google Maps

銀座湯

竹田ビル(解体済)

※2015年4月時点で、解体の話が出ている。→2016年似解体された。
あまりに画質がひどい写真なので、外観はストリートビュー参照で。前を通りかかった時に気になるボロ具合で写真を撮ったが、実はこれは裏側で、表側のほうが戦前築の立派な古建築らしい。でも個人的には裏側のボロっちい風情も廃墟然としていて好きなんだけどね。
1932(昭和7)年竣工、瓦屋根の6階は増築、元はホテル
地図でみると多角形のめちゃくちゃな形をしているのだが、これも先のブログの内容にあるように増築を重ねたからだろうか。

参考:
多摩美 環境デザインマニアック 竹田ビル
竹田ビル、横田ビル/銀座2丁目 – ぼくの近代建築コレクション

竹田ビル(解体予定?)

▼竹田ビルの裏側外観。自分で撮ったのがあまりにひどい写真なのでGoogleからもらってきた

竹田ビル

▼竹田ビルの表側外観。

竹田ビル

三貴ビルディング(現存せず)

これも写真が酷すぎるので、ストリートビュー参照で。ただ、どうやら2013年7月以前に解体された模様。
浅草橋~田町_ 雅万歩  http://nabe-masao.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-f06e.html(リンク切れ)
昭和28年(1953)竣工。東化工株式会社は平成22(2010)年8月に閉店。

三貴ビルディング(現存せず)

▼三貴ビルディングの外観。Googleから拝借。

三貴ビルディング

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

2008年4月竣工。2008年のグッドデザイン賞受賞。

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

▼これも写真がひどいからGoogleから拝借。

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

歌舞伎座(第4期)

1950年12月竣工
建屋:4階建(一部5階)
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
歌舞伎座 – Wikipedia
2002年、国登録有形文化財に指定。第5期の建物を新築するため、2010年に登録抹消、解体された。

歌舞伎座(第4期)

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

映画館(銀座テアトルシネマ)があったが、2013年5月31日をもって閉業してしまった。2014年8月25日から解体工事に着手したらしい。1987年1月31日竣工。
ホテル西洋銀座 – Wikipedia

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

ヨネイビルディング

建設年 昭和5年(1930年)
設計者 森山松之助
構造・規模(地下) SRC造 6階
参考:都選定歴史的建造物詳細 16~18/東京都都市整備局

ヨネイビルディング

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅(たうらえき)
業務委託駅(早朝時間帯無人駅)
1904年(明治37年)5月1日開業
2015年度乗車人員 2,353人/日(降車客含まず)
東日本旅客鉄道(JR東日本)
神奈川県横須賀市田浦町一丁目6

北海道の小幌駅のように、駅の両端をトンネルに囲まれている。

▼田浦駅の東側(横須賀駅方面)にある七釜(しっかま)トンネル(ななかまではない)。左から順に昭和18年、明治22年、大正13年の築。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼大正13年の複線化により増設された煉瓦造の七釜トンネル。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼横須賀線開通の明治22年に完成した七釜トンネル。その後の電化で大幅に改造されたらしい。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼海軍の要請で造られた軍需輸送専用の引込み線用の昭和18年築の七釜トンネル。今は廃線で雑草が生い茂っている。
参考:田浦地区をあるく

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅の西側(逗子駅方面)にある田浦トンネル。
こちらは双方とも煉瓦造。
左が大正、右が明治の築。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦トンネルには解説板が設置されている。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼明治時代の田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼大正時代の田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅 跨線橋

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼駅舎内

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅 南口

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅 南口 駅前。鬱金の櫻。

「葉桜と間違うような「薄緑色」ですが山桜を改良した葉桜の一種です。非常に珍しいものです。樹齢は約40年位です。身頃は4月下旬。」

田浦地区をあるく」によれば鬱金(うこん)というのは誤りで、御衣黄(ぎょいこう)という里ざくらの一種という説が有力らしい。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅 南口バスロータリー前に謎の穴ぐらあり。地下壕?

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼田浦駅 南口バスロータリー前の穴ぐら
中は木の柱が組み込まれ、石油タンクなどが放置されている。倉庫?

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼他にも岩壁の下方に穴ぐららしきものが。壕の試し掘り?

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

▼JR田浦駅 北口。

田浦駅 横須賀線 七釜トンネル 田浦トンネル

足尾銅山施設(本山製錬所、深沢・南橋・愛宕下の社宅跡地、共同浴場、三養会・赤倉売店、赤レンガ・カラミ煉瓦防火壁、鉱山神社、本山動力、北村商店ほか)


訪問地

 

  1. 間藤橋(廃橋)(まとうばし)
  2. 足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済)
  3. 南橋橋(なんきょうばし)
  4. 南橋社宅
  5. 本山製錬所(ほんざん)
  6. 愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1・第2・第3)
  7. 旧三養会 生協 愛宕下売店(解体済)
  8. 愛宕下社宅 共同浴場(解体済)
  9. 本山動力(コンプレッサー室)
  10. 本山変電所
  11. 本山病院跡
  12. 本山鉱山神社 本山地区
  13. 足尾製錬(株)足尾製錬所 間藤製造所 研究課 古河機械金属・足尾事業所技術課 古河キャステック 
  14. 大畑沢(おおはたさわ) 緑の砂防ゾーン
  15. 高原木(こうばらぎ) 堆積場跡・社宅跡地
  16. 足尾砂防堰堤 銅親水公園
  17. 松原の商店街
  18. 赤倉の商店街
  19. 古河橋 明治時代のトラス橋
  20. 赤沢のアールデコな古家屋
  21. 北村商店 食料品店 足尾駅前

足尾銅山散策マップ

間藤橋(廃橋)

 

間藤駅から北に300mほど歩いた所にある間藤橋。渡良瀬川にかかっているが、通行禁止の廃橋。前方に見える赤いガーダー橋は休止線(事実上廃線)の足尾線・間藤駅~足尾本山駅間。昭和13年(1938年)4月竣工。

Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
全国Q地図

間藤橋(廃橋)

間藤橋(廃橋)

COOP 赤倉売店出張 上間藤

COOP 赤倉売店出張 足尾町上間藤

深沢社宅の入口にあり、深沢共同浴場と隣り合う売店。廃業時期不明。50mほど先に深沢売店がある。足尾銅山には通洞、深沢中才愛宕下などに、古くからの生協があり、深沢や中才は2009年1月時点で営業を続けている。

〒321-1504 栃木県日光市足尾町上間藤14-7
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
ゼンリン

COOP 赤倉売店出張 足尾町上間藤

COOP 赤倉売店出張 足尾町上間藤

COOP 赤倉売店出張 足尾町上間藤

深沢 赤煉瓦防火壁

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

深沢社宅を守るように囲う古い赤煉瓦造の防火壁。わたらせ渓谷鐵道の足尾駅の少し手前の民家の間にこれと似た赤煉瓦造の壁が一瞬見えた気がしたが、それも防火壁だったか気になる。

ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

▼深沢の案内板の地図によれば、防火壁の前に広がる空き地は昔エビス座だった模様。

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

▼横から見ると厚みが一定でなく三角形になっている。

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

深沢売店側から見た赤煉瓦防火壁。

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

▼深沢橋から見た赤煉瓦防火壁。その背後の平屋の家が深沢社宅跡

足尾町 深沢 赤煉瓦防火壁

深沢社宅(解体済み) 

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

COOP赤倉売店出張前から分岐している坂道を50mくらい登ると、深沢社宅跡に着く。
更にま~っすぐ歩き続けると日光に着くらしい(徒歩のみ)。
深沢社宅は現在荒れ放題の廃屋になっている。
※これらもだいぶ解体されたあとだが、2011年初頭に一部の遺構を残しすべて解体されたとのこと。

参考:足尾銅山深沢集落 – 廃墟検索地図

地図:
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図

航空写真:
社宅が解体される前(2011年初頭以前)の航空写真
1975年の航空写真

古地図:
昭和前期の五万分一地形図
明治大正時代の地形図

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼昭和47年頃の深沢社宅

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼地図拡大

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼エビス座の跡の空き地(案内板参考)

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼深沢社宅から南橋および青い屋根の旧南橋社宅(現・日光市足尾市営住宅)を眺める

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼煙害で禿山になった所に植林されている

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼右側の建物が寄合所?

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼寄合所?

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

少し散策してみる

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼流し台だろうか、井戸だろうか…

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼不自然に陥没した水たまり。深さ50~60cm位ありそうな穴だった。

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼直径30cmくらいの穴だが、水深最低でも30cmくらいありそうだった。

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼社宅跡が点在

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼ここにも井戸(?)のようなものが。

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼備前館山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼滑り台や鉄棒などの遊具が残っていた

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

大きな石碑

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

▼下閣條橋

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢社宅(解体済み) 足尾銅山

深沢 共同浴場 上間藤

深沢の社宅に行く坂道の入口にある深沢の共同浴場。まだ現役の浴場(2009年1月18日現在)。入浴客は見かけなかったが、夕方になったら屋内の電気が灯っていた。足尾銅山の社宅の多くは内風呂がなく、いたるところに共同浴場施設またはその跡を見る事ができる。小滝の浴場跡は円形だったが、ここの浴場はどういうタイプだったんだろう。隣にはCOOP赤倉売店出張がある。

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

〒321-1504 栃木県日光市足尾町上間藤14-14-7
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
ゼンリン

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

▼入口に真新しい張り紙が掲示してあった。

「入浴料のお知らせ 一般の方でやむなく浴場を利用する方は、下記の通り入浴料を撤収しますのでご承知下さい。大人260円 子供(小中学生)130円 その他(幼児)無料 足尾製錬(株)総務課」

よそ者は歓迎されない雰囲気を感じた。地元住民の人達にとっては迷惑なんだろうなあと思って、外観を見るにとどめておいた。

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

深沢 共同浴場 足尾町上間藤

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 

きのう足尾銅山生協のオリジナル羊羹を買った深沢売店、今日は休業していた。

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 2日目

▼左背後に深沢社宅前の赤煉瓦防火壁が見える

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 2日目

2013年5月のストリートビューで解体確認。

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 2日目

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 2日目

足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい) 深沢売店(解体済) 2日目

南橋橋

地名が「南橋(なんきょうと読む、みなみばしではない)」なので、それに架かる橋「南橋橋(なんきょうばし)」。ややこしい。深沢橋の近くにある。

Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
全国Q地図

南橋橋

▼南橋橋から眺めた足尾銅山の旧製錬所。

南橋橋

南橋橋

南橋(なんきょう)社宅 福長屋

足尾銅山 南橋社宅

備前楯山の麓にに広がる平屋建ての南橋社宅(現日光市足尾市営住宅)。南橋橋を渡ったすぐのところにある。現在も住民が住んでいる。写真を撮っている時も比較的若い親子連れが家の中から出てきて車でどこかへ出かけていった。

Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図

南橋(なんきょう)社宅 福長屋

備前楯山の麓にに広がる平屋建ての旧南橋社宅(現日光市足尾市営住宅)。 南橋橋を渡ったすぐのところにある。 現在も住宅として機能しており、住民が住んでいる。 写真を撮っている時、比較的若い親子連れが家の中から出てきて車でどこかへ出かけていった。  Google Maps 国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮) ゼンリン Yahoo!地図

足尾銅山 南橋社宅

▼吊橋の南橋が記載されているが、撤去済みのようで、私は見かけなかったし、2009年の住宅地図にも記載されていない。

足尾銅山 南橋社宅

「本山を経て銀山平6.0km」と書いてあるけど、南橋社宅から足尾線に沿って本山方面へ出る道は途中で通行止めなので、この道標は意味をなさない。「関東ふれあいの道」はうちの地元の八王子の山にもあるから、こんな所までつながっているのか!!!と感慨深い…

足尾銅山 南橋社宅

▼昔は本当に火事が多かったんだろうなぁ・・・

足尾銅山 南橋社宅

▼渡良瀬川を挟んだ対岸の山は煙害でハゲたのを治山中。

足尾銅山 南橋社宅

足尾銅山 南橋社宅

▼南橋社宅のすぐ脇をかけぬける足尾線のレール。

足尾銅山 南橋社宅

▼南橋社宅前から旧足尾町立本山小学校方面を眺めたところ。足尾線の1つ目の隧道が見える。下間藤トンネルか。

足尾銅山 南橋社宅

▼旧南橋社宅と足尾線の間にある神社。住宅地図には神社名の記載なし。

足尾銅山 南橋社宅

足尾銅山 南橋社宅

▼廃止された足尾線の大岩沢橋梁

足尾銅山 南橋社宅

足尾銅山 南橋社宅

向赤倉トンネル(?)に腕木式信号機が残る。

 

足尾銅山 本山製錬所

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_10

足尾銅山 本山精錬所
〒321-1508 栃木県日光市足尾町本山1−1

明治10年(1877年)に足尾銅山を引き継いだ古河市兵衛が明治17年(1884年)に直利橋分工場として開設した(直利橋は古河橋の前身)。明治30年(1897年)、政府から鉱毒予防工事の命令が出され、亜硫酸ガスの排出が厳格に規制され、小滝製錬所が廃止され、足尾銅山は直利橋分工場に一本化、直利橋分工場は足尾銅山の中央製錬所になった。大正4年には足尾本山駅での鉱石貯蔵庫が完成。大正4年8月には亜硫酸ガスを希釈して高さ35mの大煙突で放出する設備が完成したが、煙害の範囲が広がる事態となった。戦時中にはニッケル製錬も行われたが、原料鉱石の途絶で中止。昭和31年4月には最先端の自溶炉と硫酸工場が竣工。昭和40年代になると製錬粗銅のうち足尾産銅は10%台に低下し、輸入精鉱を港からの鉄道貨物輸送に依存する厳しい事態になった。昭和48年(1973年)2月、足尾銅山は採掘を終了。国鉄の民営化で足尾線の貨物輸送も廃止され、平成元年3月で足尾製錬の操業は事実上停止した。
(参考:銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて
※2014年(平成26年)3月に国史跡に追加指定されたが、2010年にかなりの施設が解体されている。

参考:日光市/足尾銅山の歴史
参考:日光市/足尾銅山の産業遺産の紹介
参考:足尾銅山 – Wikipedia

↓旧版地図 [明治大正] (5万)

ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版 明治大正 5万分1

足尾銅山 本山精錬所 IMGP8881_s

足尾銅山 本山精錬所 IMGP9124_s

足尾銅山 本山精錬所 IMGP9115_s

足尾銅山 本山精錬所 

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_06_s

足尾銅山 本山精錬所  IMGP8814_s

足尾銅山 本山精錬所 IMGP9122_s

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_09

足尾銅山 本山精錬所 IMGP8820_s

足尾銅山 本山精錬所 

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_11_s

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_02_s

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_03_s

足尾銅山 本山精錬所 ashio-dozan_01_s

古河橋 明治時代のトラス橋

明治20(1887)年の火災を教訓に燃えない橋として道路用鉄橋が明治23年に架けられた。
トラス構造48.5mの橋は、ドイツから輸入したもので、日本に残されている道路用鉄橋としては古いものに数えられる。

ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)/中禅寺湖(日光)
Google Maps
Yahoo!地図
全国Q地図

古河橋 明治時代のトラス橋

古河橋 明治時代のトラス橋

古河橋 明治時代のトラス橋

古河橋 明治時代のトラス橋

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1・第2・第3)

愛宕下(あたごした)にはカラミ煉瓦製の防火壁が3つ連なっている。
明治40(1907)年代から製錬所に働く人々のために社宅が造られ、大正時代に社宅が増設され「赤長屋」と呼ばれた。
当時は火事が多く延焼を防ぐため防火壁が作られた。
材料は銅製錬するときに出るカラミ(不純物)を型に流し固めたもの。
深沢地区には赤煉瓦製の防火壁がある。
道路を挟んで向かい側には三養会生協共同浴場がある。
2013年5月のストリートビュー三養会生協共同浴場の解体を確認。

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図

▼第1防火壁 ストリートビュー

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

▼第2防火壁 ストリートビュー

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

▼このカラミは妙に黒くてスカスカしている気がする。

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

▼第3防火壁 ストリートビュー

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

▼足尾銅山社宅 愛宕下往時のようす。

足尾銅山社宅 愛宕下往時のようす

足尾銅山社宅 愛宕下往時のようす

足尾銅山社宅 愛宕下往時のようす

愛宕下社宅 カラミ煉瓦 防火壁(第1~第3)

旧三養会 生協 愛宕下売店(解体済)

足尾銅山 旧三養会 生協 愛宕下売店 解体済み

深沢などと同じ三養会の生協売店だが、大分前に廃業してしまったようだ。この建物のとなりは共同浴場になっている。
2013年5月のストリートビューで解体確認。

ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図

足尾銅山 旧三養会 生協 愛宕下売店 解体済み

愛宕下社宅 共同浴場(解体済)

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

カラミ煉瓦防火壁の向かいにあり、生協愛宕下売店のとなりにある。
2013年5月のストリートビューで解体確認。

ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図

▼木造とトタン製。屋根の変色に味がある。一度こういう浴場で入浴してみたかった。

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

▼窓ガラスは割れっ放しの荒れ放題。

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

▼左半分の家屋は浴場でなく三養会生協売店かも。
見分けがつきにくかった。

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

愛宕下社宅 共同浴場(解体済み) 足尾銅山

本山動力(コンプレッサー室)

足尾銅山 本山動力(コンプレッサー室)

有木坑口から出川を少し下がった出川左岸寄りにあった本山動力。日光発電所から送電された高圧電力を変圧して立坑や電車、コンプレッサ等の直流と光熱用に使用する交流電力に変圧して供給した。明治23(1890)年暮れから送電を開始した間藤発電所の電力は、ここで変圧され、動力用と電燈用に分けられて配線され、それぞれの目的に応じて使用された。

参考:「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」 P.19

Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図

足尾銅山 本山動力(コンプレッサー室)

足尾銅山 本山動力(コンプレッサー室)

▼本山動力の横にあるコンクリ壁は防火壁かなぁ?と勝手に想像。

足尾銅山 本山動力(コンプレッサー室)

足尾銅山 本山動力(コンプレッサー室)

本山変電所

本山坑に行く途中にある変電所。

Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図

本山変電所

本山変電所

本山変電所

本山変電所

本山変電所

▼こちらのプレハブも変電所かな。

本山変電所

本山変電所

本山変電所  

本山病院跡

本山変電所本山動力(コンプレッサー)の間に、かつて本山病院があったらしい。本山医局という木造二階建の立派な病院も製錬所対岸の平地にあったらしいが、それと同病院かは不明。前方の黒い建物が本山動力。

参考:「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」 P.20

Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図

本山病院跡

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区 

本山鉱山神社 本山地区

案内板こそあるものの、山神社は荒れていた。

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

木造の橋などはもう朽ちて渡れない。

本山鉱山神社 本山地区

本山には男性用と女性用の共同浴場がタイル付きで残っていた。ピンク色と水色。

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

足尾銅山 本山地区

煙突まで…

本山鉱山神社 本山地区

いろいろな建物の基礎が残っている。

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

本山鉱山神社 本山地区

このあたりは何の建物なのだろう。

足尾銅山 本山地区

足尾銅山 本山地区

足尾製錬(株)足尾製錬所 間藤製造所 研究課 古河機械金属・足尾事業所技術課 古河キャステック

足尾製錬(株)足尾製錬所 間藤製造所 研究課 古河機械金属・足尾事業所技術課 古河キャステック

足尾製錬(株)足尾製錬所 間藤製造所 研究課 古河機械金属・足尾事業所技術課 古河キャステック

間藤駅前にある鉄筋コンクリート造の2階建ての建物。長い間、化学分析所として親しまれたが、新製品の研究課へと変わった。足尾銅山の化学分析は、当初、本山医局の西側、出川右側にあった。主として鉱石鉱物や排煙、排水の化学分析を行っていた。化学分析所が本山から間藤に移った時期は不明だが、大正5年から8年の間と推測される。

大畑沢(おおはたさわ) 緑の砂防ゾーン

駐車場、公衆トイレなどがあるスペース。

大畑沢 緑の砂防ゾーン

大畑沢 緑の砂防ゾーンあたりから対岸の山を眺めると、古い配管橋に大きなつららがかかっていた。現状、立ち入りできない場所だと思うが、何なのか気になる。

大畑沢 緑の砂防ゾーン

大畑沢 緑の砂防ゾーン

大畑沢 緑の砂防ゾーンから眺めた銅親水公園・足尾砂防堰堤

大畑沢 緑の砂防ゾーン 

高原木(こうばらぎ) 堆積場跡・社宅跡地

大畑沢 緑の砂防ゾーン足尾砂防堰堤 銅親水公園間で対岸に見えるなだらかな丘は高原木(こうばらぎ)堆積場跡・社宅跡地。

高原木(こうばらぎ) 堆積場跡・社宅跡地

高原木(こうばらぎ) 堆積場跡・社宅跡地

この地図上にある『ガソリンカー軌道』とは馬車鉄道のことらしい。
参考:足尾銅山馬車鉄道 – Wikipedia

高原木(こうばらぎ) 堆積場跡・社宅跡地

足尾砂防堰堤 銅親水公園

『わたらせ川 源流の碑』はここにあるが、渡良瀬川の起点は足尾砂防ダムよりさらに約12kmさかのぼった松木川上流の皇海山にある。1200年前は(旧渡良瀬橋)から150mの上流の、松木川と神子内川の合流地点が渡良瀬川の起点だったが、昭和40年(1965年)に松木川の上流に変更された。

足尾砂防堰堤 銅親水公園

足尾砂防堰堤 銅親水公園

足尾砂防堰堤 銅親水公園

足尾砂防堰堤 銅親水公園

天気が悪く、非常に荒涼とした風景だった。

足尾砂防堰堤 銅親水公園

 

 

松原商店街(新梨子村)

松原の商店街

荒井屋洋品店 yohinten_01

荒井屋洋品店
〒321-1523 栃木県日光市足尾町松原4-7
https://goo.gl/maps/g4TjwXZbqRM2

通洞駅から100~200mほどの松原の商店街の一角にある洋品店の廃屋。2階の窓ガラスは割れたままだし、大分荒れているけどけど、アールデコなデザインがお洒落で一目惚れ。店名が右書きだが、戦前の築だろうか。見ていると段々「荒井屋洋品店」か「奈井屋洋品店」か分からなくなってくる(いちおう荒井屋にしておく)。この店が営業していた当時にタイムスリップして買い物に訪れてみたい気分になった。

荒井屋洋品店 yohinten_03

荒井屋洋品店 yohinten_02

大野書店

当時の小学生、「小学○年生」とか毎月楽しみにして買ってただろうな~。

大野書店

大野書店
栃木県日光市足尾町松原2-18
TEL 0288-93-2165
ゼンリン いつもNAVI
Google Maps

永瀬商店(永瀬たばこ店) nagase-syoten_01

スクラッチタイル張りの永瀬たばこ店。

永瀬商店(永瀬たばこ店)
栃木県日光市足尾町松原1-17
ゼンリン
Google Maps
Yahoo!地図

永瀬商店(永瀬たばこ店) nagase-syoten_02

左隣はクラタ金物店、右隣はアパレルイシヤマ(前・吉田屋)

渡辺金物店(解体済) watanabe-kanamono_01

渡辺金物店(解体済) 
カオスな看板と純和風家屋が味わいのあるワタナベ金物店。
特に2階ガラス窓が素敵。
2013年5月のストリートビューで解体確認。

栃木県日光市足尾町松原1-15
TEL 0288-93-2034
ゼンリン
Google Maps
Yahoo!地図

おみやげ岩本(岩本菓子店) 足字銭最中 おみやげと菓子の店 omiyage-iwamoto_01

おみやげ岩本(岩本菓子店) 足字銭最中 おみやげと菓子の店
栃木県日光市足尾町松原5-1
TEL 0288-93-2170
ゼンリン
Google Maps

足尾の最中が食べたくて商店街をさまよい歩いたが、この日はどの店も営業していなかった。最中の店はいくつかあったのに。足尾の最中は廃れてしまうのか・・・?

足字銭最中本舗 御菓子司 青柳製菓 aoyagi-monaka_01

足字銭最中本舗 御菓子司 青柳製菓
栃木県日光市足尾町松原5-6
TEL 0288-93-2175
マピオン マップコード 489 758 849
ゼンリン いつもNAVI
Google Maps

「火曜定休 9時~17時営業」との情報を受け楽しみにやってきたが・・・店は開いていなかった。もう営業していないのか?楽しみにしていたのに。他の和菓子屋も軒並み営業していなかった。繁忙期ならシャッターを開けるのか?足尾の昔ながらの和菓子が一度食べてみたい。唯一、深沢の生協で足尾銅山羊羹だけ買うことができたけど、これはとても美味しくて家族にも好評だった。

松原商店街の街灯

松原商店街の街灯

赤沢のアールデコな古家屋

赤沢のアールデコな古民家
〒321-1524 栃木県日光市足尾町赤沢12−12
ゼンリン いつもNAVI
https://goo.gl/maps/x6boTXWDaQn
Yahoo!地図

赤沢のアールデコな家屋 akasaw12_01

赤沢のアールデコな家屋 akasaw12_03

赤沢のアールデコな家屋 akasaw12_02

赤沢のアールデコな家屋 akasaw12_05

道ばたに庚申塔 赤沢

赤沢の庚申塔

赤沢の古民家

赤倉の商店街

2019年以前に解体されたようだが、シャッターに「生協酒販売所」の文字が残るので、生協関連の雑貨店か何かだったか。

赤倉の商店街

赤倉の商店街

赤倉の商店街

赤倉の商店街

空き地に古い木造の鳥居が残る

赤倉の商店街 

新井洋品店(アライヤ洋品店) arai-yohin_01

新井洋品店(アライヤ洋品店)
TEL 0288-93-2258
栃木県日光市足尾町赤倉3-15
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図

赤倉の洋品店。「洋品」とか「洋食」とか「洋装」という昭和っぽい言葉の響きに弱い。軒下にある看板が回文みたい。「アライヤの洋品のアライヤ」・・・
通洞駅近くの超レトロな荒井屋洋品店とは関係あるのかな?
TEL 0288-93-2258
栃木県日光市足尾町赤倉3-15

 

赤倉の商店街

赤倉の商店街

赤倉の商店街

北村商店 食料品店 足尾駅前

北村商店 食料品店 足尾駅前

〒321-1512 栃木県日光市足尾町掛水5-16
0288-93-3428
Google Maps
Yahoo!地図
ゼンリン いつもNAVI

北村商店 食料品店 足尾駅前

わたらせ渓谷鐵道の足尾駅前にある唯一のお店・北村商店。

安い上にお店の人が親切。揚げ物は値段からは考えられないくらいボリュームがあって美味しい。
外にある自販機はみんな100円だった。

はじめは営業してるお店だなんて思わなくて素通りしてたけど、夕刻時に足尾駅で電車を待たなければならなくなった時に明るく照明が灯っていたので、何気なく入店してみた。
足尾駅の周辺は本当に何もないので、夜にこうこうと明かりが灯るお店の存在は心強い。
お腹がすいてたので何かすぐ食べられるものないかな~?と思ったら揚げ物類が小さなウィンドウに並んでいて、即買いした(お弁当類は置いていないので)。
この揚げ物類がとても安くてビックリした。コロッケ60円、春巻60円、串カツ100円。
試しに3種類、1つづつ買ってみた。誰もいない駅の待合室で早速食べてみる。
コロッケは具がほとんどジャガイモだけで(ところどころにひき肉の粒が入っているような感じ)味も薄めで素朴だったけど、普通の一回りも二回りもあるような大きさで、食べると結構お腹にたまる。
同様に普通に比べて二~三回り大きそうな春巻を食べてみると、とても具が詰まっていて美味しい!
普通の都会のスーパーなら絶対1本最低でも100円以上しそうな味とボリュームだった。
ものすごく満足して、家へのお土産用にも買おうと思い再度入店したら、つい先ほどまで山積みになっていたコロッケがもう数個しかなかったので驚いた。
お店の人は「この時間になるとすぐ売れちゃうんですよ~」と別のお客さんに説明していた。
やはりそのお客さんも揚げ物狙いだったみたい。
足尾の駅のほかに周りに何もない場所で、しかももう薄暗い時刻なのに、狭い店内には3~4人もお客さんがいた。
地元の住民もいたみたいだけど、結構遠方から(?)車で来て大量に買って去っていくお客さんもいるようだった。通洞の方の商店は1時間に2~3人でもお客さんが来れば良い方に思えてしまうような静けさだったのに、こちらは田舎の一軒屋のわりにぽつぽつ絶え間なくお客さんが訪れるので、結構知ってる人はその存在を知っていて、何かと足を運ぶんだなーと思った。
私もまた足尾に来たときは利用したい。

北村商店 食料品店 足尾駅前

北村商店 食料品店 足尾駅前

▼揚げ物のウィンドウ。買い物当時は気づかなかったけど、よく見るとポテト25円とかも書いてある。激安すぎ。

今度ははんぺん揚げも食べたい。

北村商店 食料品店 足尾駅前

▼左からコロッケ、串カツ、春巻。これで220円。ちゃんとソースとはしまでつけてくれた。安い・・・。

北村商店 食料品店 足尾駅前

▼家に帰ってからまた食べた。

北村商店 食料品店 足尾駅前

北村商店 食料品店 足尾駅前

北村商店 食料品店 足尾駅前

北村商店 食料品店 足尾駅前

※追記:2014年10月のストリートビューを見ると廃業しているような雰囲気に見える。また惣菜食べたかったのに…残念だ…と思ったが、2020年の口コミ投稿を見ると現在も営業しているみたい!良かった!(2021-02-21)

高尾駅 2番線 レンガ積みプラットホーム JR中央本線

高尾駅 2番線 煉瓦積プラットホーム JR中央本線

2番線ホーム相模湖寄り(南側)先端。外壁が赤いセメントで塗りつぶされているが、セメントが剥げ落ちた部分に煉瓦積みプラットホームを確認することができる。積み増しされずに、元のホームの高さを留めている部分が残っている。甲武鉄道時代のものと思われる。

高尾駅 2番線 煉瓦積プラットホーム JR中央本線

高尾駅 2番線 煉瓦積プラットホーム JR中央本線

4番線のホームは煉瓦がむき出しになっている。

第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

JR中央線とJR八高線の分岐にある甲武鉄道時代(明治時代)に作られたレンガ積みの橋りょう。2000年頃まで近くの民家の中にも甲武鉄道の煉瓦積み擁壁が残っていたらしいが、2007年に見に行ったら駐車場になっていた。残念ながら解体されたらしい。道の真中に突き刺さってる古い木材も気になる。
参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
参考:JR東日本 中央線の歴史
Google MapsGoogle Street ViewMapFan.webゼンリン

ガラケーなので画質が…

第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

No. 2 Ishizone Bridge – Koubu Trains (Kobu Tetsudo)

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉駅(廃駅)
開業日:昭和29年8月1日
改称履歴:雪沢鉱泉→雪沢温泉(昭和46年10月1日)
廃止日:平成6年10月1日

昭和30~40年代、大館周辺は黒鉱ブームだったそうで、数多くの鉱床ボーリングが行われたらしい。大館には古い温泉がたくさんあるが、廃業に追い込まれた所もあり、過疎化が進んでいるようである。

雪沢温泉は38年のボーリング探査で噴出したものを大館市が同和鉱業から買い取って市有したものらしい。小坂鉄道は旅客車両としては廃止されたが、小坂製錬所で精製される濃硫酸を輸送するためにDD130形機関車3重連が牽引する貨物が現在も運行されている。

Yahoo!地図

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉駅(廃駅)目前の風景(フィルム多重露光になってしまった)。小坂鉄道は現在貨物のみ運送されていて、旅客は廃止されている。雪沢温泉は現在も営業されているが、鉄道で行けない山の中にあるためか客が非常に少ない。このときも他に人がいなくて、寂れた雰囲気だった。浴場のすぐ裏側が誰でも出入りできるような原っぱの空き地になっていて、ちょっとビックリした。

15時頃入浴。300円。無味。本当に寂れていた。
大館栄町~小雪沢 バス450円

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉のレトロなパンフレット

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉 

矢立峠 奥羽本線旧線

矢立峠 奥羽本線旧線

矢立峠の下をくぐり抜ける長いトンネルができるまでは、矢立温泉の宿の頭上を列車が通っていたらしい。今も旧奥羽本線のトンネルと橋脚が残り、旧国道7号線が天然秋田杉の中を峠に向かって伸びている。

矢立峠の下をくぐり抜ける長いトンネルができるまでは、矢立温泉の宿の頭上を列車が通っていたらしい。今も旧奥羽本線のトンネルと橋脚が残り、旧国道7号線が天然秋田杉の中を峠に向かって伸びている。

参考:鉄道廃線跡を歩く〈4〉 JTBキャンブックス 宮脇俊三 P.4 奥羽本線旧線 宮脇俊三 廃線探訪・矢立峠と大釈迦越え

矢立温泉への交通は、奥羽本線大館駅から矢立ハイツ行きバスで30分、矢立温泉下車。
大館市長走字赤沢湯

矢立峠 奥羽本線旧線

矢立峠 奥羽本線旧線

建物を挟むように橋脚が残っているのは奇妙な風景。

矢立峠 奥羽本線旧線

ホームの跡ではなく、貯炭槽の残骸らしい。ここで奥羽本線の難所として有名な矢立峠を越えるため蒸気機関車に石炭を積み込んだらしい。

矢立峠 奥羽本線旧線

矢立峠 奥羽本線旧線

矢立峠 奥羽本線旧線

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com