江戸時代頃から残る古い坂道。坂道の途中の空壕跡に空襲犠牲者を弔う地蔵尊と歌碑が建てられている。
東京都立川市富士見町5丁目
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
参考:
129.山中坂防空壕跡 – 武蔵野・多摩 MTB散歩
総務省|一般戦災死没者の追悼|立川市における戦災の状況(東京都)
▼残堀川を越えた遠く向こうに富士見町団地の白い給水塔が見える。
江戸時代頃から残る古い坂道。坂道の途中の空壕跡に空襲犠牲者を弔う地蔵尊と歌碑が建てられている。
東京都立川市富士見町5丁目
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
参考:
129.山中坂防空壕跡 – 武蔵野・多摩 MTB散歩
総務省|一般戦災死没者の追悼|立川市における戦災の状況(東京都)
▼残堀川を越えた遠く向こうに富士見町団地の白い給水塔が見える。
中央線の日野~立川間(多摩川付近)で北西の方に見える給水塔。
真っ白でとてもきれい。
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
▼東京都水道局 富士見第三浄水所/東京都水道局 富士見五号水源
▼東京都水道局 富士見第三浄水所/東京都水道局 富士見五号水源
旧陸軍航空工廠跡地(米軍立川駐屯地跡地)沿いの富士見通りにあるバス停。
松任谷由実のアルバム「紅雀」(1978) に収録の楽曲「LAUNDRY-GATEの想い出」の元ネタ地。
旧立川基地のゲート(基地の出入門)の一つで、かつてはゲート脇に洗濯工場があったためランドリー・ゲートと呼ばれ、1998年までこのバス停名も「ランドリー・ゲート」だった。
多摩都市モノレールの開業に伴い1998年11月に「富士見通り バス停」に変更された。
バス停の後ろに見える2本の煙突は、米軍基地時代のものでなく、さらに古い旧陸軍航空工廠時代のものらしい。
ベンチの後ろに見える古いコンクリートの基礎土台は洗濯工場に関係するものか?
▼「紅雀」のアルバムジャケット。山口小夜子を意識したというメイクがいい。
参考:
LAUNDRY-GATEの想い出 / 米軍立川基地 (ユーミンの聖地巡礼)
米軍立川基地の残骸
旧立川基地ランドリーゲート付近
東京都昭島市中神町1357-14付近
富士見通り
地図:
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Yahoo!地図
▼ランドリーゲート周辺の戦跡MAP
▼いつの間にかGoogle Mapsに観光名所として位置登録されているのに驚いた。しかしストリートビューを見ると工事の仮囲いに覆われ、かつての風情が失われている。
昭和記念公園の敷地の北側、赤い屋根に真っ白な米軍ハウスが整然と並ぶ一角。Google Mapsの航空写真を見て気になっていたが、出かけてみたら50年代のアメリカの絵本に出てきそうな平屋建ての小さな家屋が連なっていた。居住者以外立ち入り禁止の札が掲げられていたので敷地内部まで行けなかったが、ぐるっと回ってわき道からそっとのぞいてみた。
↓山金アメリカ村に関しては、こちらの記述が参考になる。
山金アメリカ村管理事務所
〒190-0032 東京都立川市上砂町1丁目1-1
TEL 042-535-8084
地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
1944-1954年の地図を見てみると、この一帯はまだ何もない。1961年~1969年の空中写真で整然と立ち並んだ様子が確認できる。
▼※2015年12月20日追記:Google Maps航空写真を見ると東側は完全に解体されていて、残る敷地部分も空き地が目立ってきている。
▼参考:アメリカ村の周辺地図
▼アメリカ村と同じ上砂町にある「大浦動物病院 OURA PET CLINIC Trimming Hotel」。米軍立川基地跡地(陸軍航空工廠跡地)に面している。塀に落書き風のアメリカンテイストなイラストと病院名が英語で直書きしてある。米兵向けだったんだろうか。
〒190-0032東京都立川市上砂町1-9-13
TEL 042-536-3227
参考:Pet@QLife 大浦動物病院
地図:Google Maps
※ストリートビューを見ると大浦動物病院は2014年3月以前に解体されて更地になっている。
昭和記念公園から残堀川を挟んで対岸に見ることのできる米軍立川基地跡地の煙突。
私が確認できたのは全部で6本・・・だったかな?
この煙突は、もしかしたら米軍建造のものではなく、陸軍航空工廠時代の遺構かも。
有名な風景だけど、なかばジャングル化した空地から巨大煙突が3本頭を出しているのはとても幻想的な風景に思えるのだった。
現在、残念ながらこの跡地には刑務所・少年院等が移転してくる計画が建てられているらしい(→詳細)。
その前に、せめても敷地内を見学させてもらえたらいいのにと思うのだった。
敷地周辺には所々に「刑務所建設反対」ののぼりが掲げられていた。
東京都昭島市福島町
東京都立川市
参考:米軍立川基地の残骸
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps(航空写真のほうが見やすい)
Yahoo!地図
▼残堀川は松風橋付近で工事していて、川が乾いていた。いつもは流れがあるのかな?
と思ったら、雨が降らないと川の流れが途絶える「瀬切れ」が1991年頃から起き始めた、らしい。
▼左側の建物は米軍?陸軍?どちらのものだろう。
何かの残骸がある。日本の陸軍のものか米軍のものかさえも分からないけど、なんとなくこういう建造物は米軍というより陸軍っぽいイメージ。周りに何もないので、どこかから移動してきた設備かなぁ。
廃屋がある。詳しいことは分からないけれど、建物に振られている番号が米軍っぽい。立入禁止だけど、サラ金の看板とかが不法投棄されているので、変な人が出入りしていそう・・・。
昭和記念公園・玉川上水口近くの残堀川に架かる松風橋。
残堀川は「瀬切れ」で有名な川らしい。瀬切れと関連するのか分からないけど、工事を行っていて水は枯れていた。
残堀川に沿った遊歩道(ジョギングコース)はここから狭山池の方まで長く伸びているみたいだけど、ここから西側は立入禁止の立川基地跡地に突入するので、昭和記念公園・玉川上水口あたりで途切れている。
ちなみに立川周辺の橋は竣工年を刻印しないのが多いみたいで、いつの竣工かわからなかった。
参考:
Wikipedia 残堀川
東京ロケハンNAVI 多摩小さな橋
かつて立川基地に通じていた引込線跡を再利用した道路。
参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.65
米軍立川基地の残骸(整備前の廃線跡の写真が載っている)
国土地理院1:25000地形図 拝島(東京)
Google Maps
〒196-0022 東京都昭島市中神町1315−56
▼分岐点の歩道に引込線の線路と枕木が展示されている。
子供が遊んでいた。平和な風景だなぁ…。
『この道路は、青梅線中神駅から敷設されていた貨物専用の引込線廃線跡で、ここから北は2路線に分岐していました。引込線は、この地域の歴史を物語るように工廠線、あるいは立川基地引込線とも呼ばれました。引込線が敷設されたのは昭和18年(1943年)といわれ、陸軍唯一の飛行機製造部門として昭和15年(1940年)4月1日に設置された航空工廠への資材運搬用路線でした。昭和20年(1945年)、太平洋戦争が終わると航空工廠を含む立川飛行場一帯はアメリカ軍に接収され、立川基地となりました。工廠線は、そのままアメリカ軍専用線(1.9km)として使用され、主に航空機燃料や重油が運ばれました。立川基地は、昭和52年(1977年)11月30日、日本に全面返還され、引込線も昭和53年(1978年)7月1日付けで正式に廃止されました。このほど道路として整備したもので、レールや転轍機(ポイント変換機)は当時のものです。 平成12年(2000年)3月 昭島市』
旧梅田診療所(国登録有形文化財)
東京都立川市高松町3-10-1
昭和前(昭和4)
木造平屋建、瓦葺、建築面積86㎡
参考:文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=138382&imageNum=1 (リンク切れ)
立川市 指定文化財等一覧
※2012年12月に解体された。
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
立川をぶらぶら歩いていて見かけた古建物。よく見たら有形文化財の表示が玄関脇にあった。が、他には何の案内板もなく、繁華街の中にひっそりと地味に佇んでいるだけだった。一般公開もされていない様子だった。中を見ることはできないのかな。
一度利用してみたさに駆られる古びたビジネスホテルだったが、2017年1月前に閉業し、新しいホテルに変わった。
ファーストイン八王子 カプセルホテル ビジネスホテル
〒192-0085 東京都八王子市中町6−2
武蔵中央電気鉄道とは、1929(昭和4)年から1939(昭和14)年まで10年間運行された八王子市内の市営の路面電車である。
▼八王子郷土資料館展示の路線図(『京王帝都電鉄三十年史』をもとに作成)
▼昭和7年(1932年)発行の地形図に武蔵中央電気鉄道の軌道をピンクでなぞってみた。停車駅は、東から西に向けて「東八王子駅前駅 – 新町駅 – 横山町駅 – 八日町駅 – 八幡町駅 – 追分駅 – 千人町駅 – 地蔵堂駅 – 横山車庫前駅 – 横山駅前駅(旧・武蔵横山駅) – 浅川新地駅 – 御陵前駅 – 浅川原駅 – 浅川駅前駅」のはずだが、現在の地名と微妙にずれているので、場所の正確さには自信なし。この地図の1年後に「浅川駅前~高尾橋」間まで延長したらしい。 京王御陵線は昭和6年3月20日に開通しているが、この地図には反映されていない。
路面電車の敷石の一部は八王子郷土資料館に展示されている。甲州街道沿いの長安寺の参道にも敷石が再利用されている。
▼御陵線のガードをくぐる武蔵中央電気鉄道(昭和初期)。横山駅前駅付近の交差と思われる。
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼甲州街道をわたる京王御陵線。武蔵中央電気鉄道の軌道をまたぐ形で交差している。上の写真と同じ場所と思われる。 昭和10年頃
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼甲州街道(2009年2月)
▼横山町米屋呉服店屋上より八日町八幡町方面を望む 昭和5年 『多満乃誇』
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼高尾山録付近の武蔵中央電気鉄道 昭和11年 『東京府史』
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼武蔵中央電気鉄道の軌道と石畳が敷かれた八王子の商店街。昭和12年 『八王子商工案内』
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼市電のレール撤去作業。昭和14年。小林正申氏蔵。
この敷石の一部は祥霊山 長安寺(参道)や八王子市郷土資料館に残されている。
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼八王子市街(追分町通り) 昭和はじめ 国土地理院・地形図での位置
▼追分付近(2009年2月8日)。国道20号(右側の道路)が市電の跡。
※追分の歩道橋は2015年に架け替えられた。
参考:国道20号追分第一・第二歩道橋改良 _ 相武国道事務所 _ 国土交通省 関東地方整備局
▼八王子市街(八日町通り) 昭和はじめ 国土地理院・地形図での位置
▼夜の八王子市街(横山町三丁目)
昭和11年頃に八王子市役所が発行した絵葉書より。
正確な時期不詳だが、横山町三丁目の両側にネオンサインが設置されたのが昭和9年(1934)7月20日であることから、それ以降に撮影された風景である。
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より引用
▼八王子市街(横山町通り) 昭和はじめ 国土地理院・地形図での位置
▼新地大通りを走る市電 昭和7年 国土地理院・地形図での位置
昭和4年、路面電車の運行開始の年に、甲州街道の追分~高尾間に植えられた2mほどのイチョウの苗の並木道は、現在15mに達する大木となって約4kmの道のりを覆い尽くしている。
▼八王子市郷土資料館に展示されている市電の敷石
(八王子郷土資料館は2021年3月31日をもって閉館)
▼長安寺の参道に再利用されている市電の敷石
▼追分付近(2013年8月)
名称 | 武蔵中央電気鉄道(むさしちゅうおうでんきてつどう) |
名称 | 武中電車 |
概要 | かつて八王子の市街地を走っていた市営の路面鉄道(武蔵中央電気鉄道)の路線跡を古い地図上に見ることができる。 |
住所 | 東京都(旧・東京府)八王子市 |
営業期間 | 1929(昭和4)年4月~1939(昭和14)年 |
運行年数 | 10年 |
運行時間 | 八王子駅前~高尾橋間は6:30 ~21時台まで8 ~16分間隔 東八王子駅前 ~横山町間は7時台から20時台まで7分間隔 |
営業区間 | 現・京王八王子駅~現・高尾山口駅付近 |
駅一覧 | 東八王子駅前駅(現・京王八王子駅) – 新町駅 – 横山町駅 – 八日町駅 – 八幡町駅 – 追分駅 – 千人町駅 – 地蔵堂駅 – 横山車庫前駅 – 横山駅前駅(旧・武蔵横山駅) – 浅川新地駅 – 御陵前駅 – 浅川原駅 – 浅川駅前駅(現・高尾駅) – 川原宿駅 – 小名路駅 – 落合駅 – 高尾橋駅 ※京王合併前のデータ |
駅数 | 18駅(起終点駅含む) |
開業理由 | 大正天皇崩御のため造営された多摩御陵へ多くの参拝客が集まったため。 |
休止理由 | 世界恐慌(市内の繊維産業の不振)や業績不足(中央本線での電車運転開始や京王御陵線の開通で乗客が伸び悩む)のため、1939(昭和10)年6月に 休止 |
合併 | 1939(昭和10)年6月に運行休止してから、一部区間を取り残す形で京王御陵線に合併されたが、その御陵線も戦局の悪化に伴って約6年後に廃止された。 |
地図 | 運行期間が短いので、路線を確認できる地図は少ない。 |
軌間 | 1067mm |
路線距離 | 8.4km |
複線区間 | 全線単線 |
電化区間 | 全線電化(直流600V) |
閉塞方式 | 軌道のため閉塞方式はなし |
歴史 |
|
地図 | MapFan.web Google Maps |
参考 | 武蔵中央電気鉄道 – Wikipedia |
▼町田街道入口(熊野神社前バス停)にて。浅川原駅と浅川駅前駅の中間あたり。
追分町~高尾町にかけて約4キロメートル続く銀杏並木は、昭和2年(1927)の大正天皇の多摩御陵完成に伴い、昭和4年(1929)に道路改修された際に、宮内庁によって植えられたもの。路面電車の運行開始年と植樹年が一緒の誕生日。今では15メートル以上に達しているものもあるが、当時は2メートルほどの苗だったらしい。
参考:甲州街道イチョウ並木|八王子市
NEW SKYBLDG.
ニュースカイビル(旧第3スカイビル)
1970年竣工
地上14階、地下1階建て
住所:〒169-0072 東京都新宿区大久保1丁目1-10 グンカン東新宿
参考:
渡邊洋治 Wikipedia
ニュースカイビル(軍艦マンション) 関心空間
大久保軍艦マンションがリノベーションされていた件 (1) – 東京DEEP案内.html
地図:
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 東京西部(東京)
2009年当時はおそらく廃墟化していたビル(玄関前からのぞいたら廃墟化しているようだった)。
この写真ではわかりづらいが、建物全体が工事用ネットで覆われていた。
見つけた時は前知識がなく、散策中に見つけてそのいかつさに惹かれ、後にネットで調べて「軍艦マンション」という異名をもつマニアに有名なビルだと知った。
海軍出身の建築家、渡邊洋治氏の設計らしい。
外観は汚れているし、レトロフューチャーなデザインだが、40年近くも前の竣工とは思えなかった。
2012年12月~2014年12月時点でのGoogle Mapsでの表記は「グンカン東新宿」となっている。
その後リノベーション物件として復活を果たしたらしい。
▼職安通りの入り口
靖国通りから新宿文化センター方面に抜ける約260mの小さな遊歩道「四季の路」。この道は昭和45年(1970年)に廃止された都電の13系統軌道跡を再利用したもの。ゴールデン街の裏側にあたる。平成6年(1994年)新宿区発表の「みどりの新宿30選」に選ばれている。
新宿遊歩道公園:新宿区
子どものころ新宿文化センターに行くのに時々この道を通った。子供心にあまり良い環境ではないのを感じ取れる雰囲気だった。都会住みの子達は慣れきった様子でこの通路を抜けていたが、田舎住みの自分には昼間でもちょっと異様で怖かった。それは新大久保周辺の環境も同様だったと思う。
参考:
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)
東京山手・下町散歩 (どこでもアウトドア) P.22
ぽこぺん都電館
地図:
新宿歌舞伎町1-1(地図)
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 東京西部(東京)
▼現在のGoogle Mapsに昭和44年(1969年)の都電の軌道を加筆してみた。
↓以下、引用。
新宿遊歩道公園 四季の路は、
昭和45年3月に廃止された都電13系統
(新宿駅前~水天宮前)の専用軌道敷を、
新宿区が東京都より譲渡を受けて整備し、
昭和49年6月24日に遊歩道公園として開園しました。
新宿遊歩道公園:新宿区
↓開園前の様子(都電13系統の軌道とゴールデン街)
▼ゴールデン街の裏側。現在「四季の路」になっている都電専用軌道。時期不詳。
『あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)』 ぶよう堂より。
▼ゴールデン街の裏側。写真家の渡辺克巳氏撮影。現・四季の路。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
▼都電の回送線があった頃の四季の路。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
▼昭和37年、新宿区役所付近を走る都電。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
▼『新宿駅前の停留所には3本の都電の線路が平行していた。何本もの都電が連なる光景は珍しいものではなかった。』
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
▼『都電を待つ人々の列。』
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
▼都電車内の光景。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
『当時は車内で様々なコミュニケーションがあった。車掌さんがいる光景はワンマンカー全盛の現代からは新鮮に映る。』
西新宿の町を歩いていたら、新宿の高層ビル街から周りから取り残されてタイムスリップしたかのように味わいのある小さな商店街の一角を見つけた。「けやき橋商店街」というらしい。鰹節屋さんとか、洋品店とか、団子屋さんとか、まさに昭和の響き。こんな庶民的なドラえもんやサザエさんの世界が高層ビル街から500~600mしか離れていない所にあるなんて。
地図:Google Maps
所在地:東京都新宿区西新宿5丁目近辺
▼商店街でよく見かけるカラフルなプラスチック製の飾りはまだ色褪せてない。
建物は古いけれど暗くなっても開いている店が多いのは、やっぱり新宿という土地柄かな。
商店街の飾りについて→参考:@nifty:デイリーポータルZ:商店街の飾り狩り
▼夜のおもちゃ屋さんっていいな!おもちゃたちが目を覚まして動き始めるのは夜になってからなのよね・・・。これからがおもちゃの時間!
▼この昔ながらの赤と青と白の美容院のくるくる看板(正しくはサインポールというらしい)、レトロで好き。
▼だんごのやよいさん。いいなぁ。
子供達は「ちょっとお団子買ってきて!」とかお母さんからお使い頼まれたのかなぁ。
▼張り紙によると、この一帯は再開発の対象となっている模様。この味のある小さな商店街が解体されるのは寂しい。
▼けやき橋商店街の近くを流れる夜の神田川。
新橋駅から有楽町駅あたりにかけて、古い煉瓦造りの見事な鉄道アーチ橋が続く。明治40年(1907年)の完成らしい。
参考:歴史の浪漫街道_雑多な情報館・煉瓦造りの高架
地図:国土地理院1:25000地形図 東京西南部(東京)
地図:Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る
▼「東京山手・下町散歩 (どこでもアウトドア) 昭文社」(P.38 1C)にはイギリス積みと説明してあるが、煉瓦の積み方(きまぐれ旅写真館)を見ると、この部分は小口積みにみえる。
▼二葉橋架道橋の内部
旧新橋停車場
鉄道歴史展示室 旧新橋停車場
汐留に新名所「旧新橋停車場」がオープン~史跡の保存と活用~
東京都中央区銀座8-16-10
1972年(昭和47年)竣工
地上11階一部13階、地下1階
設計者 黒川紀章
構造形式 SRC造一部S造
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト – facebook
地図:Google Maps
大正九年、關東大震災前に建てられたRC造の貴重な建築。
※2015年4月のストリートビューではすっかり解体されている。
新橋1丁目3
ストリートビュー
この辺はきれいなイギリス積み
内幸町1丁目6
内幸町1丁目7
右翼のアジビラの跡や落書きがすごいが、その後きれいに清掃されて消されている。西側の高架部分は煉瓦造りの連続アーチ橋で明治時代のもの。
震災復興事業の一つとして建てられた小学校。カーブを描く壁面やアーチ窓等、全体的に表現派風の意匠をもつ建物。玄関脇に「島崎藤村 北村透谷 幼きはここに学ぶ」の石碑あり。
建築年: 1929年(昭和4)
設計者: 東京市土木局建築課/原田俊之助
施工者: 銭高組
構造: 鉄筋コンクリート造
規模: 地下1階・地上3階
所在地: 東京都中央区銀座5-1-13
参考:都選定歴史的建造物(東京都都市整備局)
地図:Google Maps
1966年(昭和41年)、奉仕団体「銀座ライオンズクラブ」から「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」が独立したことを記念し、両クラブからの依頼を受けて岡本太郎がデザインを担当した時計台。
銀座・数寄屋橋公園「若い時計台」を修復-岡本太郎生誕100周年で – 銀座経済新聞
建築年: 1966年(昭和41)
設計者: 芦原義信(芦原義信建築設計研究所)
管 理:大成建設
ヒストリー/建築|ソニービル
1953年に開店した不二家数寄屋橋店(地上3階建)の跡地に建設したビル。1982年6月に竣工。
銀座クリスタルビル – Wikipedia
1984年9月竣工
有楽町センタービル – Wikipedia
明治大学発祥の地 – 千代田区観光協会
千代田区有楽町2-2
戦前最後の現存する大規模建築。昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設された。終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収された。現在でもマッカーサー総司令官室が保存されていいる(※通常、一般公開はされていない)。都選定歴史的建造物。
千代田区観光協会 旧第一生命館(DNタワー21)
まちブログ(皇居周辺・丸の内・有楽町周辺) 【最速レポート】マッカーサ―記念室 期間限定 一般公開
▼館名が右から書かれてる。くずし字で読みづらいが、たぶん「第一生命保険株式会社」?
1911年3月1日開館
現在の帝国劇場は谷口吉郎の設計で1966年(昭和41年)9月29日に落成。
帝国劇場 – Wikipedia
建物がいいが、公式ホームページもいい感じ。阿部寛のホームページに共通するものを感じる。いつまでもこのままでいて欲しい。
江戸城を囲む「江戸城三十六見附」のひとつで、日比谷御門があったところ
古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)。スカンジナビアが1957年2月24日に日本への空路を開拓し、開設10周年記念に寄贈したもの。スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字を模している。1967年設置。
日本最古の野外音楽堂。治時代に小音楽堂が開設され、大正時代に大音楽堂が開設された。
日比谷野外音楽堂 – Wikipedia
▼小音楽堂前の水飲み場。古い。
全体をスクラッチタイルで覆われている。
浅沼稲次郎暗殺事件など、黒い歴史もある。
※2016年(平成28年)から改修工事のため当面休館。
昭和4年(1929年)竣工
東京都千代田区日比谷公園1-3 市政会館
03-3591-6388
ようこそ!日比谷公会堂・日比谷公園大音楽堂公式ホームページへ
日比谷公会堂 Wikipedia
国土地理院 電子国土Web 東京西南部(東京)
Google Maps
1957年10月落成。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定。東京都建築局設計。
参考:建築探訪_東京都立日比谷図書館 http://www.k4.dion.ne.jp/~r231/arc/tokyo/arc_tokyo05.html(リンク切れ)
明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたもの。当時は、橋名を刻んだ親柱もあったが、昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移された。日比谷公園内。
1903年(明治36年)の開園当時にデザインされた幾何学文様の洋風の第一花壇。
見どころ|日比谷公園|公園へ行こう!
佳景探訪 – 日比谷公園 (東京都千代田区)
▼第一花壇内のアメリカノウゼンカズラの棚
▼第一花壇は航空写真でみると幾何学模様のデザインがわかりやすい
1960年8月竣工
設計:鹿島建設・松田平田設計事務所
※2011年1月解体
所在地: 千代田区有楽町1-1-1
建築年: 1963年(昭和38)
設計者: 村野藤吾(村野・森建築事務所)
施工者: 大林組
構造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
規模: 地上8階・地下5階
日生劇場 – Wikipedia
明治時代のガード下にあるやきとり屋(串揚屋?)。下町的な風情がある。
東京都千代田区有楽町2-4-4
03-3214-9034
国土地理院1:25000地形図 東京首部(東京)
Google Maps
銀座クレッセントビルの屋上に看板がある。手前右は銀座一丁目交番。
参考:やきそばかおるの右脳と左脳をいったりきたり _ 「銀座のド真ん中にある、これが本当のTHE(ぢ)ビル」
無料で昔の警察資料や制服や車両を見れたりする。記念スタンプもある。ピーポくんのうたも聴ける楽しいところ。
警察博物館見学 :警視庁
※リニューアルに伴い平成28年4月1日(金曜日)から平成29年春まで閉館。
1~2度入浴したことがあるが、仕事帰り(仕事中?)のサラリーマンが多く、人の出入りが結構激しかった。銭湯の裏側は小さな公園になっているので、夏なら湯上りに夕涼みできる。
東京都中央区銀座1-12-2
03-3561-2550
営業時間 15:00~23:00
定休日 日曜日・祝日
地図:Google Maps
※2015年4月時点で、解体の話が出ている。→2016年似解体された。
あまりに画質がひどい写真なので、外観はストリートビュー参照で。前を通りかかった時に気になるボロ具合で写真を撮ったが、実はこれは裏側で、表側のほうが戦前築の立派な古建築らしい。でも個人的には裏側のボロっちい風情も廃墟然としていて好きなんだけどね。
1932(昭和7)年竣工、瓦屋根の6階は増築、元はホテル
地図でみると多角形のめちゃくちゃな形をしているのだが、これも先のブログの内容にあるように増築を重ねたからだろうか。
参考:
多摩美 環境デザインマニアック 竹田ビル
竹田ビル、横田ビル/銀座2丁目 – ぼくの近代建築コレクション
▼竹田ビルの裏側外観。自分で撮ったのがあまりにひどい写真なのでGoogleからもらってきた
▼竹田ビルの表側外観。
これも写真が酷すぎるので、ストリートビュー参照で。ただ、どうやら2013年7月以前に解体された模様。
浅草橋~田町_ 雅万歩 http://nabe-masao.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-f06e.html(リンク切れ)
昭和28年(1953)竣工。東化工株式会社は平成22(2010)年8月に閉店。
▼三貴ビルディングの外観。Googleから拝借。
2008年4月竣工。2008年のグッドデザイン賞受賞。
▼これも写真がひどいからGoogleから拝借。
1950年12月竣工
建屋:4階建(一部5階)
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
歌舞伎座 – Wikipedia
2002年、国登録有形文化財に指定。第5期の建物を新築するため、2010年に登録抹消、解体された。
映画館(銀座テアトルシネマ)があったが、2013年5月31日をもって閉業してしまった。2014年8月25日から解体工事に着手したらしい。1987年1月31日竣工。
ホテル西洋銀座 – Wikipedia
建設年 昭和5年(1930年)
設計者 森山松之助
構造・規模(地下) SRC造 6階
参考:都選定歴史的建造物詳細 16~18/東京都都市整備局
JR立川駅の東側にある北口と南口を結ぶ、可愛い塗装を施した連絡地下通路。2009年当時は塗装したてだったのか、かなり鮮やかだったが、5年経った2014年現在、残念ながらかなり色あせてしまっている。
有喜堂 高尾せんべい
〒193-0844 東京都八王子市高尾町2302
参考:(有)有喜堂本店 _ 八王子市商店会連合会
左脳:(有)有喜堂本店 こんなお店 _ 八王子市商店会連合会
電話:042-661-0048
営業時間:8:00~18:00
定休日:火曜日
Google Maps/MapFan
『高尾山御用達の店。創業明治30年代の老舗です。高尾せんべい・高尾まんじゅうを製造し、販売しております。』
国道20号沿い、高尾山口駅と高尾橋の中間にある明治創業の老舗の和菓子店。(有)有喜堂本店 八王子市商店会連合会さんによると「明治30年代、大本山高尾山御用達として創業」したのだそう。昭和初期、この店の前の通りを武蔵中央電気鉄道という路面電車が走り、高尾橋付近には高尾橋駅(『高尾駅』だった説も。現在の高尾駅は『浅川駅』だった)があった。高尾橋駅の乗降客が多数お菓子を購入していただろう。この建物は昭和2年(1927年)築。大きな看板は2015年頃にはずしてしまったよう。八王子市の公式サイトでも八王子八十八景 建築物の景 70 高尾山麓の老舗(高尾町)として紹介されている。
御菓子司 有喜堂 北口支店
〒193-0844 東京都八王子市高尾町1623
042-661-0146
Google Maps/MapFan
高尾山口駅付近にある『有喜堂 高尾せんべい』とは無関係の店舗のよう。隣に消防署があり、その火の見櫓が見える。
峯尾商店 (高尾橋の前)
Google Maps/MapFan
〒193-0844 東京都八王子市高尾町2293
+81 42-661-9045
するさしの豆腐などを売っている。東高尾山陵(四辻)への登山口はこのお店の左の小道を上がっていく。
稲毛屋支店 高尾山口駅前
〒193-0844 東京都八王子市高尾町2280
+81 42-661-8231
昔よく入って親子丼を食べたが、『本店』がどこにあるのか気になっている。
藤本屋 JR高尾駅・北口
〒193-0844 東京都八王子市高尾町1583
+81 42-661-0301
Google Maps/ MapFan
となりの岸本屋とともに老舗の土産店。
2番線ホーム相模湖寄り(南側)先端。外壁が赤いセメントで塗りつぶされているが、セメントが剥げ落ちた部分に煉瓦積みプラットホームを確認することができる。積み増しされずに、元のホームの高さを留めている部分が残っている。甲武鉄道時代のものと思われる。
4番線のホームは煉瓦がむき出しになっている。
JR八王子駅の歴史 1889年(明治22年)8月11日 甲武鉄道の八王子停車場として開業。1代目駅舎が八王子合同庁舎~都立繊維工業試験場~保健所のあたりに建てられた。 1901年(明治34年)8月1日 現在の場所より西へおよそ150m先の地点(多摩相互病院跡付近(解体済み))へ移動。 2代目駅舎。 1937年(昭和12年) 現在地に移設。3代目駅舎。旧駅跡地は東京都立産業技術研究所八王子庁舎として利用。 1945年(昭和20年)8月2日 空襲にて駅舎焼失。 1945年(昭和20年)10月6日 仮駅舎竣成。 1952年(昭和27年)4月15日 4代目新駅舎竣成。モダンな建築。 1983年(昭和58年)11月 5代目の駅舎となる駅ビル「八王子ナウ」竣工、核テナントとして「八王子そごう」オープン。 2009年(平成21年)8月11日 開業120周年。 参考:Wikipedia |
八王子駅の地図・航空写真
▼1983年(昭和58年)に完成した5代目駅舎。
駅ビルNOWとそごうは2012年1月31日で閉店し、建物はそのままに、その後「セレオ八王子」として生まれ変わった。
昔の駅ビルそごうには、3~4階あたりに吹き抜けのイベント催事場ホールがあった。豪華なクリスタルシャンデリアが天井にあり、ステージにはグランドピアノが置いてあった。エスカレーター周囲にも透明のダイヤ型のガラスビーズが散りばめられていて、グランドピアノは白かったように記憶している。子供の頃はあのキラキラした世界に惹かれたが、おとなになったら成金趣味だなと思うようになった。しかし、その成金趣味な感じが懐かしくて久々に廃業間際のそごうに行ってみたら、あのゴージャス感たっぷりのイベント会場はなくなっていた。
▼ロータリーと丸井以外の建物は昭和末期からほとんど変わらない。
くまざわ書店の細長いビルには谷内六郎氏の壁画。
参考:谷内六郎 公式サイト/谷内六郎館 横須賀美術館/谷内六郎 表紙絵ギャラリー|新潮社
▼Google ストリートビューより、2010年4月の八王子駅。
▼八王子停車場時代の2代目八王子駅舎。大正10年頃。
明治34年(1901年)官設の中央線・八王子~上野原間が開通するに及んで、甲武鉄道と接続させるために、八王子合同庁舎~都立繊維工業試験場~保健所あたりから現在の位置より150mほど西側(旧多摩相互病院付近(解体済み))に移転され、共同駅となった。まだ人力車も大いに活躍している頃。昭和12年まではこの付近にあったらしい。
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より
▼八王子停車場時代の八王子駅。大正14年頃。
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より
▼ 「八王子名所 八王子驛」 古写真より。時期不明。
▼昭和6年頃に八王子市役所が発行した絵葉書より。2代目駅舎の時代。
1998年度特別展 八王子市郷土資料館 展示図録「セピア色の風景-写真で見る明治・大正・昭和の八王子-」より
▼昭和23年の八王子駅と東八王子駅(現京王八王子駅)の周辺地図。八王子市役所復興拠原図(一部)
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼Hachioji Train Station, 1952 [Flickr]
1952年(昭和27年)4月15日竣成の4代目八王子駅舎。昭和27年、米軍人が撮影したらしい。あまりにもモダンなスタイルで驚く。
▼同じく、Hachioji Train Station, 1952 [Flickr]より、昭和27年、米軍人が撮影したらしい八王子駅の写真
▼昭和28(1953)年
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼八王子駅北口 昭和34(1959年)年頃 旭町
「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子」 植松森一著 揺籃社 (2005)より引用。
上の写真と同じ4代目駅舎。周囲にタクシー乗り場などのアーケードが増設された?この駅舎は、昭和58年(1983年)に現在の5代目駅舎が完成するまで存在したと思われる。
『八王子駅は、1945年(昭和20年)8月に太平洋戦争の戦禍により駅舎を焼失。現在の駅ビルは1983年に完成、9月16日に南北通路延長124.8mが開通、11月1日駅ビルを開業した。1989年(平成元年)、八王子駅開業100周年を迎えた。駅ビル完成前の駅の階段は木製だった。』
▼八王子駅北口 昭和35年(1960年)頃 旭町
「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子」 植松森一著 揺籃社 (2005)より引用。
『八王子の表玄関、JR中央線・横浜線・八高線の3線とバスターミナル、さらに1983年(昭和58年)から駅ビル(そごう)を擁し、東京西部の交通・商業施設の中核を誇っている。甲武鉄道(現中央線)は1889年(明治22)8月開通した。写真の広告塔は、1960年(昭和35)7月、八王子織物買継商業同組合等により設置された。コンクリート製、高さ15m、円形花壇に噴水、広告塔の白亜に赤色ネオンで「織物の八王子」とある。これは、八王子の町のシンボルだった。八王子駅北口再開発によりこの風景は消えた。』
※「織物の八王子」のモニュメント通称「織物タワー」の広告塔は1997年に解体されたらしい(Wikipedia参照)。
▼八王子駅北口より写す 桑並木 昭和37年頃 旭町 植松森一氏撮影
「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子」 植松森一著 揺籃社 (2005)および開発と観光の時代へ-昭和30~40年代の八王子の風景より引用。
『駅前から甲州街道方向を撮影したもの。道路の両側に桑の木があるが、これは1954年(昭和29)片倉製糸工場より50本寄贈されもので、樹種は一文字である。中央に見られる立札は、81年2月に立てられたものと思われ、由来が記されているようだ。駐車禁止はまだない頃である。昭和54年に桑並木保存会が設立され、56年には新たに設置された市と桑並木保存会による、桑並木由来の碑の除幕式が行われた。現在は、甲州街道の駅入口交差点から、20号北八王子バイパス(北大通り)までの間に、当時の桑の木が両側に計51本織物の町の残照として残されている。』
▼国鉄八王子駅北口 旭町 昭和38年2月 広報所蔵
『写真右手には、ボックス型公衆電話(青電話)とポストが設置されている。』
「開発と観光の時代へ-昭和30~40年代の八王子の風景」より引用
▼昭和39(1964)年、東京オリンピック開催当時の八王子駅前ロータリー。
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼昭和40年(1965年)頃 国鉄八王子駅と織物タワー 瀬沼和重氏撮影
『写真左端に親切都市宣言塔が見える。昭和36年に「八王子親切会」が結成され、「親切なまち八王子」をスローガンに活動を続け、昭和39年5月に市民会館で親切都市宣言が行われた。昭和42年10月には、新しい親切都市宣言塔が設置された。』
開発と観光の時代へ-昭和30~40年代の八王子の風景より引用
▼八王子駅北口と織物タワー 旭町 昭和45年頃 植松森一氏撮影
『三和銀行東側に、中央信託銀行が設置されている。』
開発と観光の時代へ-昭和30~40年代の八王子の風景より引用
▼昭和58(1983)年、国鉄八王子駅仮駅舎。5代目駅舎(現駅ビル)が完成するまで使用された。
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼ 昭和58年(1983年)頃の八王子駅北口駅前ロータリーと織物シンボルタワー
八王子市郷土資料館の展示パネルより
▼平成7(1995)年、駅前ロータリー。東急スクエア建設中。
八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼そごうと東急スクエアの広告。八王子の二十世紀(八王子市郷土資料館)より引用
▼JR八王子駅の駅スタンプ。2011年3月3日押印
▼新宿区役所がある東京都新宿区歌舞伎町1丁目の区画内にある古い裏路地。全長約50~60m、幅は2~3mほど。付近には、区役所通りをはさみ、都電の軌道跡である四季の路や戦後の混沌とした飲屋の面影をそのまま残したようなゴールデン街がある。ここにもまだ、バラック酒場のような場所が残っていた。「区役所通り」「歌舞伎町花道通り」「東通り」「銀座通り」に囲まれた区画だが、もしこの通りに名前があるなら知りたい。➔ ストリートビューを見ると、2009年12月頃から「思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951」と名付けられて整備された様子。
参考:
歌舞伎町の主要な通りのご紹介 歌舞伎町の歩き方
都会に残ったバラック酒場 ゴールデン街
新宿三光商店街振興組合 公式サイト ゴールデン街・JP
地図:
Google Maps
MapFan.web
Google Street View
所在地:東京都新宿区歌舞伎町1丁目3付近
▼ごみを漁ってエサを探し求めている野良猫がいた。
▼2009年12月のストリートビュー
▼この路地を出た向かい側には、暴力団の抗争による発砲事件が起きた喫茶パリジェンヌがある(風林会館内)。歌舞伎町の中では比較的こぎれいな外観の喫茶店だと思う。2005年秋頃、何も知らずにその喫茶店に入った。清潔な雰囲気の店内には客がまばらにしかいなかったが、しばらくして連れの人が「あの隅の方にいる男達はヤクザだと思う」と気まずそうな表情をしながら小声で話し始めたので驚いた。男達は皆背広を着ていて、目の悪い私には普通のサラリーマンとの見分けがつかなかった。家に帰ってきてからネットで調べて実態を知り、冷や汗が出てきた。無知ほど恐ろしいものはない…
歌舞伎町の喫茶店で発砲 組員2人死傷、2人逃走
27日午後7時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町、「風林会館」1階の喫茶店「グリル・パリジェンヌ」店内で、アジア系外国人とみられる男2人が男性2人に向け拳銃数発を発砲した。 指定暴力団住吉会系藤本組の白石和雄幹部(34)=新宿区下落合=が頭や胸など4カ所を撃たれ約1時間半後に死亡、同組幹部(36)=大田区=が太ももにけが。ほかの客や店員にけがはなかった。警視庁新宿署は殺人事件として撃った2人の行方を追っている。 調べでは、犯人らは5人ぐらいのグループで来店。別の席に座っていた白石幹部らと「約束が違う」「やれるもんならやってみろ」などと口論になり、2人がそれぞれ所持していた拳銃を発砲した。 犯人は、1人は身長170-175センチ。短髪で黒いセーターを着ていた。もう1人は約165センチで髪にパーマをかけていた。
2002/09/27 16:30 47NEWS
参考:
歌舞伎町パリジェンヌ事件 キツネ目事件調書 (アサヒ芸能11月7日)
中国人2人を殺人で逮捕 歌舞伎町の発砲事件 2002/10/23 47NEWS(リンク切れ)
www.47news.jp/CN/200210/CN2002102301000350.html
パリジェンヌ 関心空間
福生駅の東口から3分ほど歩いた場所に広がる旧赤線地帯。目印は「じゅのん亭」のある交差点。そこから南に曲がったところに、昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと建ち並んだ一帯がある。米軍横田基地で有名な街だが、タイやフィリピンなどアジア系の店も多く多国籍情緒が漂っている。貧相で安っぽく派手で薄汚れた歓楽街が妙な哀愁を誘う。
参考書籍:「赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (Bibliotheca Nocturna)」
居酒屋 じゅのん亭 〒197-0011 東京都福生市福生875