銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

1942年竣工(1930年竣工の説もあり)
2015年解体

1階フロアのカーブを描いた壁面がとても洒落ていた戦前築の古ビル。

〒104-0061 東京都中央区銀座4丁目3−6

参考:銀座にある取り壊しになるビルで展覧会「THE MIRROR」がこの秋開催されます。 _ 青い日記帳
参考:多摩美 環境デザインマニアック 名古屋商工会館

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

ドアのいかめしい金文字は竣工当時からのものかどうか不明だがレトロ

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

ドア上のルームナンバープレート

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

こちらもドア上のプレート。タイプライターで打ったみたいな書体。竣工当初のものか不明だが、これも古そうだ。

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

 

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

銀座 名古屋商工会館(解体済み) 1942年竣工 2015年解体

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

大正13年(1924年)に完成した、洒落た王冠風の双頭給水塔。ちょうど柵や木に隠れるくらいの微妙な高さで、地上からだと二頭を写真におさめるのが難しい。

〒154-0016東京都世田谷区弦巻2丁目41-5

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

▼細部の装飾

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

▼敷地内には他にも気になる建造物があったが、入れないので間近で見ることができない。

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

警備はかなり厳重な様子。そんなに侵入者がいるんだろうか。

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

ニュースカイビル(軍艦マンション)(珍建築)

ニュースカイビル(軍艦マンション)(珍建築) 

NEW SKYBLDG.
ニュースカイビル(旧第3スカイビル)
1970年竣工
地上14階、地下1階建て
住所:〒169-0072 東京都新宿区大久保1丁目1-10 グンカン東新宿

参考:
渡邊洋治 Wikipedia
ニュースカイビル(軍艦マンション)  関心空間
大久保軍艦マンションがリノベーションされていた件 (1) – 東京DEEP案内.html

地図:
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 東京西部(東京)

2009年当時はおそらく廃墟化していたビル(玄関前からのぞいたら廃墟化しているようだった)。
この写真ではわかりづらいが、建物全体が工事用ネットで覆われていた。
見つけた時は前知識がなく、散策中に見つけてそのいかつさに惹かれ、後にネットで調べて「軍艦マンション」という異名をもつマニアに有名なビルだと知った。
海軍出身の建築家、渡邊洋治氏の設計らしい。
外観は汚れているし、レトロフューチャーなデザインだが、40年近くも前の竣工とは思えなかった。
2012年12月~2014年12月時点でのGoogle Mapsでの表記は「グンカン東新宿」となっている。
その後リノベーション物件として復活を果たしたらしい。

ニュースカイビル(軍艦マンション)(珍建築)

ニュースカイビル(軍艦マンション)(珍建築)

▼職安通りの入り口

ニュースカイビル(軍艦マンション)(珍建築)

新宿遊歩道公園・四季の路(都電軌道跡)

靖国通りから新宿文化センター方面に抜ける約260mの小さな遊歩道「四季の路」。この道は昭和45年(1970年)に廃止された都電の13系統軌道跡を再利用したもの。ゴールデン街の裏側にあたる。平成6年(1994年)新宿区発表の「みどりの新宿30選」に選ばれている。
新宿遊歩道公園:新宿区

新宿遊歩道公園・四季の路(都電軌道跡) toden-shiki_01

子どものころ新宿文化センターに行くのに時々この道を通った。子供心にあまり良い環境ではないのを感じ取れる雰囲気だった。都会住みの子達は慣れきった様子でこの通路を抜けていたが、田舎住みの自分には昼間でもちょっと異様で怖かった。それは新大久保周辺の環境も同様だったと思う。

参考:
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)
東京山手・下町散歩 (どこでもアウトドア) P.22
ぽこぺん都電館

地図:
新宿歌舞伎町1-1(地図)
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 東京西部(東京)

▼現在のGoogle Mapsに昭和44年(1969年)の都電の軌道を加筆してみた。

昭和44年(1969年)の都電の軌道 toden-map_01

新宿遊歩道公園・四季の路(都電軌道跡) toden-shiki_04

新宿遊歩道公園・四季の路(都電軌道跡) toden-shiki_05

新宿遊歩道公園・四季の路(都電軌道跡)toden-shiki_02

↓以下、引用。

新宿遊歩道公園 四季の路は、
昭和45年3月に廃止された都電13系統
(新宿駅前~水天宮前)の専用軌道敷を、
新宿区が東京都より譲渡を受けて整備し、
昭和49年6月24日に遊歩道公園として開園しました。
新宿遊歩道公園:新宿区

↓開園前の様子(都電13系統の軌道とゴールデン街)

開園前の様子(都電13系統の軌道とゴールデン街) 000092905

▼ゴールデン街の裏側。現在「四季の路」になっている都電専用軌道。時期不詳。
『あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)』 ぶよう堂より。

『あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)』 ぶよう堂 toden_01_s

▼ゴールデン街の裏側。写真家の渡辺克巳氏撮影。現・四季の路。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語) toden_02_s

▼都電の回送線があった頃の四季の路。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語) toden_04_s

▼昭和37年、新宿区役所付近を走る都電。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語) toden_03_s

▼『新宿駅前の停留所には3本の都電の線路が平行していた。何本もの都電が連なる光景は珍しいものではなかった。』
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より toden_05_s

▼『都電を待つ人々の列。』
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より toden_06_s

▼都電車内の光景。
あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より。
『当時は車内で様々なコミュニケーションがあった。車掌さんがいる光景はワンマンカー全盛の現代からは新鮮に映る。』

あの日の新宿―昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語)より toden_07_s

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

西新宿の町を歩いていたら、新宿の高層ビル街から周りから取り残されてタイムスリップしたかのように味わいのある小さな商店街の一角を見つけた。「けやき橋商店街」というらしい。鰹節屋さんとか、洋品店とか、団子屋さんとか、まさに昭和の響き。こんな庶民的なドラえもんやサザエさんの世界が高層ビル街から500~600mしか離れていない所にあるなんて。

地図:Google Maps

所在地:東京都新宿区西新宿5丁目近辺

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼商店街でよく見かけるカラフルなプラスチック製の飾りはまだ色褪せてない。
建物は古いけれど暗くなっても開いている店が多いのは、やっぱり新宿という土地柄かな。
商店街の飾りについて→参考:@nifty:デイリーポータルZ:商店街の飾り狩り

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼夜のおもちゃ屋さんっていいな!おもちゃたちが目を覚まして動き始めるのは夜になってからなのよね・・・。これからがおもちゃの時間!

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼この昔ながらの赤と青と白の美容院のくるくる看板(正しくはサインポールというらしい)、レトロで好き。

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼だんごのやよいさん。いいなぁ。
子供達は「ちょっとお団子買ってきて!」とかお母さんからお使い頼まれたのかなぁ。

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼張り紙によると、この一帯は再開発の対象となっている模様。この味のある小さな商店街が解体されるのは寂しい。

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

▼けやき橋商店街の近くを流れる夜の神田川。

夜のけやき橋商店街 西新宿5丁目(再開発/解体)

新橋~銀座~日比谷~京橋界隈 古建築めぐりetc

  1. 二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード
  2. 旧新橋停車場
  3. 中銀カプセルタワービル
  4. 堤第一ビルヂング
  5. 幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード
  6. 内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード
  7. 泰明小学校
  8. 岡本太郎作モニュメント
  9. ソニービル
  10. 銀座クリスタルビル
  11. 有楽町センタービル
  12. 明治大学発祥の地
  13. DNタワー21(旧第一生命館)
  14. 帝国劇場
  15. 警視庁丸の内警察署
  16. 日比谷見附跡
  17. 古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)
  18. 日比谷野外小音楽堂
  19. 日比谷公会堂
  20. 日比谷図書文化館
  21. 京橋の欄干柱(日比谷公園)
  22. ペリカン噴水(日比谷公園)
  23. 日比谷三井ビルディング(現存せず)
  24. 日本生命日比谷ビル・日生劇場
  25. 有楽町ガード下 やきとり 車屋
  26. ヒサヤ大黒堂 ぢ看板
  27. 警察博物館
  28. 銭湯・銀座湯
  29. 竹田ビル(解体済)
  30. 三貴ビルディング(現存せず)
  31. 銀座マトリックスビル
  32. 歌舞伎座(第4期)
  33. 銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)
  34. ヨネイビルディング

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

新橋駅から有楽町駅あたりにかけて、古い煉瓦造りの見事な鉄道アーチ橋が続く。明治40年(1907年)の完成らしい。

参考:歴史の浪漫街道_雑多な情報館・煉瓦造りの高架
地図:国土地理院1:25000地形図 東京西南部(東京)
地図:Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る

「東京山手・下町散歩 (どこでもアウトドア) 昭文社」(P.38 1C)にはイギリス積みと説明してあるが、煉瓦の積み方(きまぐれ旅写真館)を見ると、この部分は小口積みにみえる。

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

▼二葉橋架道橋の内部

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

二葉橋架道橋 東海道線(9)二葉橋ガード

鉄道歴史展示室 旧新橋停車場

旧新橋停車場
鉄道歴史展示室 旧新橋停車場
汐留に新名所「旧新橋停車場」がオープン~史跡の保存と活用~

鉄道歴史展示室 旧新橋停車場

中銀カプセルタワービル

東京都中央区銀座8-16-10
1972年(昭和47年)竣工
地上11階一部13階、地下1階
設計者 黒川紀章
構造形式 SRC造一部S造
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト – facebook
地図:Google Maps

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル

堤第一ビルヂング(現存せず)

大正九年、關東大震災前に建てられたRC造の貴重な建築。
2015年4月のストリートビューではすっかり解体されている。

堤第一ビルヂング(現存せず)

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

新橋1丁目3
ストリートビュー
この辺はきれいなイギリス積み

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

幸橋架道橋 東海道線(8)幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸町1丁目6
内幸町1丁目7
右翼のアジビラの跡や落書きがすごいが、その後きれいに清掃されて消されている。西側の高架部分は煉瓦造りの連続アーチ橋で明治時代のもの。

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

内幸橋架道橋 東海道線(7)内幸橋ガード

中央区 泰明小学校

震災復興事業の一つとして建てられた小学校。カーブを描く壁面やアーチ窓等、全体的に表現派風の意匠をもつ建物。玄関脇に「島崎藤村 北村透谷 幼きはここに学ぶ」の石碑あり。

建築年: 1929年(昭和4)
設計者: 東京市土木局建築課/原田俊之助
施工者: 銭高組
構造: 鉄筋コンクリート造
規模: 地下1階・地上3階
所在地: 東京都中央区銀座5-1-13

参考:都選定歴史的建造物(東京都都市整備局)
地図:Google Maps

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

中央区 泰明小学校

岡本太郎作のモニュメント『若い時計台』

1966年(昭和41年)、奉仕団体「銀座ライオンズクラブ」から「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」が独立したことを記念し、両クラブからの依頼を受けて岡本太郎がデザインを担当した時計台。
銀座・数寄屋橋公園「若い時計台」を修復-岡本太郎生誕100周年で – 銀座経済新聞

岡本太郎作のモニュメント『若い時計台』

ソニービル

建築年: 1966年(昭和41)
設計者: 芦原義信(芦原義信建築設計研究所)
管  理:大成建設
ヒストリー/建築|ソニービル

ソニービル

(不二家 数寄屋橋店)銀座クリスタルビル

1953年に開店した不二家数寄屋橋店(地上3階建)の跡地に建設したビル。1982年6月に竣工。
銀座クリスタルビル – Wikipedia

銀座クリスタルビル(不二家 数寄屋橋店)

有楽町センタービル

1984年9月竣工
有楽町センタービル – Wikipedia

有楽町センタービル

明治大学発祥の地

明治大学発祥の地 – 千代田区観光協会
千代田区有楽町2-2

明治大学発祥の地碑

DNタワー21(旧第一生命館)

戦前最後の現存する大規模建築。昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設された。終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収された。現在でもマッカーサー総司令官室が保存されていいる(※通常、一般公開はされていない)。都選定歴史的建造物。
千代田区観光協会 旧第一生命館(DNタワー21)
まちブログ(皇居周辺・丸の内・有楽町周辺) 【最速レポート】マッカーサ―記念室 期間限定 一般公開

DNタワー21(旧第一生命館)

▼館名が右から書かれてる。くずし字で読みづらいが、たぶん「第一生命保険株式会社」?

DNタワー21(旧第一生命館)

帝国劇場

1911年3月1日開館
現在の帝国劇場は谷口吉郎の設計で1966年(昭和41年)9月29日に落成。
帝国劇場 – Wikipedia

帝国劇場

警視庁丸の内警察署

建物がいいが、公式ホームページもいい感じ。阿部寛のホームページに共通するものを感じる。いつまでもこのままでいて欲しい。

警視庁丸の内警察署

日比谷見附跡

江戸城を囲む「江戸城三十六見附」のひとつで、日比谷御門があったところ

日比谷見附跡(日比谷公園)

古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)

古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)。スカンジナビアが1957年2月24日に日本への空路を開拓し、開設10周年記念に寄贈したもの。スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字を模している。1967年設置。

古代スカンジナビア碑銘譯(日比谷公園)

日比谷野外小音楽堂

日本最古の野外音楽堂。治時代に小音楽堂が開設され、大正時代に大音楽堂が開設された。
日比谷野外音楽堂 – Wikipedia

日比谷野外小音楽堂

▼小音楽堂前の水飲み場。古い。

日比谷野外小音楽堂

日比谷野外小音楽堂

日比谷公会堂

全体をスクラッチタイルで覆われている。
浅沼稲次郎暗殺事件など、黒い歴史もある。
※2016年(平成28年)から改修工事のため当面休館。

昭和4年(1929年)竣工
東京都千代田区日比谷公園1-3 市政会館
03-3591-6388

ようこそ!日比谷公会堂・日比谷公園大音楽堂公式ホームページへ
日比谷公会堂 Wikipedia
国土地理院 電子国土Web 東京西南部(東京)
Google Maps

日比谷公会堂

 

日比谷公会堂

日比谷公会堂

日比谷公会堂

日比谷図書文化館

1957年10月落成。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定。東京都建築局設計。
参考:建築探訪_東京都立日比谷図書館  http://www.k4.dion.ne.jp/~r231/arc/tokyo/arc_tokyo05.html(リンク切れ)

日比谷図書文化館

京橋の欄干柱(日比谷公園)

明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたもの。当時は、橋名を刻んだ親柱もあったが、昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移された。日比谷公園内。

京橋の欄干柱(日比谷公園)

ペリカン噴水(日比谷公園)

1903年(明治36年)の開園当時にデザインされた幾何学文様の洋風の第一花壇。
見どころ|日比谷公園|公園へ行こう!
佳景探訪 – 日比谷公園 (東京都千代田区)

日比谷公園 ペリカン噴水

日比谷公園 ペリカン噴水

▼第一花壇内のアメリカノウゼンカズラの棚

日比谷公園 ペリカン噴水

▼第一花壇は航空写真でみると幾何学模様のデザインがわかりやすい

日比谷公園 ペリカン噴水

日比谷三井ビルディング(現存せず)

1960年8月竣工
設計:鹿島建設・松田平田設計事務所
※2011年1月解体

日比谷三井ビルディング(現存せず)

日本生命日比谷ビル・日生劇場

所在地: 千代田区有楽町1-1-1
建築年: 1963年(昭和38)
設計者: 村野藤吾(村野・森建築事務所)
施工者: 大林組
構造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
規模: 地上8階・地下5階
日生劇場 – Wikipedia

日本生命日比谷ビル・日生劇場

有楽町ガード下 やきとり 車屋

明治時代のガード下にあるやきとり屋(串揚屋?)。下町的な風情がある。
東京都千代田区有楽町2-4-4
03-3214-9034
国土地理院1:25000地形図 東京首部(東京)
Google Maps

有楽町ガード下 車屋

有楽町ガード下 車屋

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

銀座クレッセントビルの屋上に看板がある。手前右は銀座一丁目交番。

参考:やきそばかおるの右脳と左脳をいったりきたり _ 「銀座のド真ん中にある、これが本当のTHE(ぢ)ビル」

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

ヒサヤ大黒堂 ぢ看板

警察博物館

無料で昔の警察資料や制服や車両を見れたりする。記念スタンプもある。ピーポくんのうたも聴ける楽しいところ。
警察博物館見学 :警視庁
リニューアルに伴い平成28年4月1日(金曜日)から平成29年春まで閉館。

警察博物館

銭湯・銀座湯

1~2度入浴したことがあるが、仕事帰り(仕事中?)のサラリーマンが多く、人の出入りが結構激しかった。銭湯の裏側は小さな公園になっているので、夏なら湯上りに夕涼みできる。
東京都中央区銀座1-12-2
03-3561-2550
営業時間 15:00~23:00
定休日 日曜日・祝日
地図:Google Maps

銀座湯

竹田ビル(解体済)

※2015年4月時点で、解体の話が出ている。→2016年似解体された。
あまりに画質がひどい写真なので、外観はストリートビュー参照で。前を通りかかった時に気になるボロ具合で写真を撮ったが、実はこれは裏側で、表側のほうが戦前築の立派な古建築らしい。でも個人的には裏側のボロっちい風情も廃墟然としていて好きなんだけどね。
1932(昭和7)年竣工、瓦屋根の6階は増築、元はホテル
地図でみると多角形のめちゃくちゃな形をしているのだが、これも先のブログの内容にあるように増築を重ねたからだろうか。

参考:
多摩美 環境デザインマニアック 竹田ビル
竹田ビル、横田ビル/銀座2丁目 – ぼくの近代建築コレクション

竹田ビル(解体予定?)

▼竹田ビルの裏側外観。自分で撮ったのがあまりにひどい写真なのでGoogleからもらってきた

竹田ビル

▼竹田ビルの表側外観。

竹田ビル

三貴ビルディング(現存せず)

これも写真が酷すぎるので、ストリートビュー参照で。ただ、どうやら2013年7月以前に解体された模様。
浅草橋~田町_ 雅万歩  http://nabe-masao.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-f06e.html(リンク切れ)
昭和28年(1953)竣工。東化工株式会社は平成22(2010)年8月に閉店。

三貴ビルディング(現存せず)

▼三貴ビルディングの外観。Googleから拝借。

三貴ビルディング

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

2008年4月竣工。2008年のグッドデザイン賞受賞。

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

▼これも写真がひどいからGoogleから拝借。

銀座マトリックスビル(旧アルファ・マトリックスビル)

歌舞伎座(第4期)

1950年12月竣工
建屋:4階建(一部5階)
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
歌舞伎座 – Wikipedia
2002年、国登録有形文化財に指定。第5期の建物を新築するため、2010年に登録抹消、解体された。

歌舞伎座(第4期)

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

映画館(銀座テアトルシネマ)があったが、2013年5月31日をもって閉業してしまった。2014年8月25日から解体工事に着手したらしい。1987年1月31日竣工。
ホテル西洋銀座 – Wikipedia

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)

ヨネイビルディング

建設年 昭和5年(1930年)
設計者 森山松之助
構造・規模(地下) SRC造 6階
参考:都選定歴史的建造物詳細 16~18/東京都都市整備局

ヨネイビルディング

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

同潤会 上野下アパートメントハウス
東京都台東区東上野5丁目4番
建設完成生年月日 1929年4月30日
棟数 2棟、 4階建て
戸数 76戸

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

モーリス・ベジャール追悼公演「ザ・カブキ」を東京文化会館に見に行く前にふらっと立ち寄ってみた。

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

見学会にも行きたかったなあ…

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

同潤会 上野下アパートメントハウス(解体済み)

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

▼新宿区役所がある東京都新宿区歌舞伎町1丁目の区画内にある古い裏路地。全長約50~60m、幅は2~3mほど。付近には、区役所通りをはさみ、都電の軌道跡である四季の路や戦後の混沌とした飲屋の面影をそのまま残したようなゴールデン街がある。ここにもまだ、バラック酒場のような場所が残っていた。「区役所通り」「歌舞伎町花道通り」「東通り」「銀座通り」に囲まれた区画だが、もしこの通りに名前があるなら知りたい。➔ ストリートビューを見ると、2009年12月頃から「思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951」と名付けられて整備された様子。

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

参考:
歌舞伎町の主要な通りのご紹介 歌舞伎町の歩き方
都会に残ったバラック酒場 ゴールデン街
新宿三光商店街振興組合 公式サイト ゴールデン街・JP

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所在地:東京都新宿区歌舞伎町1丁目3付近

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

▼ごみを漁ってエサを探し求めている野良猫がいた。

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

▼2009年12月のストリートビュー

Image from Gyazo

▼この路地を出た向かい側には、暴力団の抗争による発砲事件が起きた喫茶パリジェンヌがある(風林会館内)。歌舞伎町の中では比較的こぎれいな外観の喫茶店だと思う。2005年秋頃、何も知らずにその喫茶店に入った。清潔な雰囲気の店内には客がまばらにしかいなかったが、しばらくして連れの人が「あの隅の方にいる男達はヤクザだと思う」と気まずそうな表情をしながら小声で話し始めたので驚いた。男達は皆背広を着ていて、目の悪い私には普通のサラリーマンとの見分けがつかなかった。家に帰ってきてからネットで調べて実態を知り、冷や汗が出てきた。無知ほど恐ろしいものはない…

歌舞伎町の喫茶店で発砲 組員2人死傷、2人逃走
 27日午後7時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町、「風林会館」1階の喫茶店「グリル・パリジェンヌ」店内で、アジア系外国人とみられる男2人が男性2人に向け拳銃数発を発砲した。  指定暴力団住吉会系藤本組の白石和雄幹部(34)=新宿区下落合=が頭や胸など4カ所を撃たれ約1時間半後に死亡、同組幹部(36)=大田区=が太ももにけが。ほかの客や店員にけがはなかった。警視庁新宿署は殺人事件として撃った2人の行方を追っている。  調べでは、犯人らは5人ぐらいのグループで来店。別の席に座っていた白石幹部らと「約束が違う」「やれるもんならやってみろ」などと口論になり、2人がそれぞれ所持していた拳銃を発砲した。  犯人は、1人は身長170-175センチ。短髪で黒いセーターを着ていた。もう1人は約165センチで髪にパーマをかけていた。
2002/09/27 16:30 47NEWS

参考:
歌舞伎町パリジェンヌ事件 キツネ目事件調書 (アサヒ芸能11月7日)
中国人2人を殺人で逮捕 歌舞伎町の発砲事件 2002/10/23 47NEWS(リンク切れ)
www.47news.jp/CN/200210/CN2002102301000350.html

Image from Gyazo パリジェンヌ 関心空間

新宿 思い出の抜け道 新宿センター街 since 1951(歌舞伎町1丁目の細路地と風林会館の喫茶パリジェンヌ)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

管理が大変厳しい団地で、外から建物の写真を撮っているだけで守衛さんが飛んできて写真はダメだと怒られてしまった。他のサイトさんを見ても「公団なのに部外者を頑なに拒む団地」等と書いてあった。原宿団地物語という小説の題材にもなっていたし、訪れる人も結構いるだろうと思っていたので、神経質で排他的な対応にびっくりしてしまった。

参考:原宿団地 – Wikipedia

所在 – 東京都渋谷区神宮前三丁目(住居表示変更前の住所は原宿一丁目)
構成 – 6棟から構成、全112戸
中層フラット棟 – 4棟(4階建て、北廊下型)(2、3、4、5号棟)
スターハウス – 2棟(5階建て)(1、6棟)
竣工 – 1957年(昭和32年)
閉鎖 – 2010年(平成22年)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿団地から200~300mほど離れた所にあるVILLA ROSA ビラ・ローザという10階建てのヴィンテージマンション。1969年の竣工らしい。内部には豪華なシャンデリアが飾ってあった。水色の色使いがレトロで、どことなくプチリゾートホテルのような雰囲気。

[住所] 東京都渋谷区神宮前3-31-17
[アクセス]外苑前駅より徒歩9分
[築年]1969
[設計]堀田英二
[構造]鉄骨鉄筋コンクリート造
[階数]地上10階建
[総戸数]19戸
[土地権利]
[施工会社]安藤建設株式会社
[分譲会社]興和商事株式会社

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

調べてみると、設計者の堀田英二氏によるビラシリーズというマンションは全部で7棟あるそうで、そのうち一番最初(1964年)に造られたビラ・ビアンカというマンションの方がビラローザより格好良いのであった。しかし螺旋階段まわりのデザインはかなり似ている。ビラ・ビアンカは、原宿駅からは800mの距離。

参考:ビラ・ローザ _ 青山賃貸.com
参考:VILLA BIANCA【昭和卅九年のデザイナーズマンション】 _ だnow
参考:ビラ・シリーズ kobarinの散歩道(建築物/ビル・ウォッチング)
参考:『かっこいいマンション』の検索結果 – ヨコハマ退屈日記
参考:堀田英二設計「ビラ・ビアンカ」を訪れて _ 新潟 _ 東京 _ 金子勉建築設計事務所DIARY

▼ビラ・ビアンカ

▼ビラシリーズの他の建物はわりと普通の外観だが、1974年築のビラモデルナなどは気になる。

新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街

子供の頃から歌舞伎町は恐ろしい街だと聞かされていて、実際中学生くらいまでは周辺(都電跡の四季の道を通って新宿文化センターまで)を歩くことがあっても汚くて猥雑なイメージしか持てず好きになれなかった。でも昼間のゴールデン街界隈は外に洗濯物がほしてあったりして、意外にものどかな生活感を醸し出してる。

このときは知らなかったのだが、ゴールデン街は私道のため撮影禁止らしい。古今、写真家の人達が好んで撮影してるイメージがあったけど、昔はさすがに許可制ではなかったろうな。

11-7,Kabuki-cho,Shinjuku-ku,Tokyo-to,Japan (Uramado)
Shinjuku Golden Gai
東京都新宿区歌舞伎町1丁目1-7(裏窓)
A Guide To Tokyo’s Golden Gai | Nightlife in Tokyo | Rough Guides
Shinjuku Golden Gai – Wikipedia
新宿ゴールデン街公式サイト(誠美興業)
新宿ゴールデン街 ホームページ (三光商店街組合)
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ゼンリン
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新宿ゴールデン街

▼浅川マキのポスターが貼ってある裏窓。 Uramado Maki Asakawa

新宿ゴールデン街

▼ロンリー?

新宿ゴールデン街

子供の頃から歌舞伎町は恐ろしい街だと聞かされていて、実際中学生くらいまでは周辺(都電跡の四季の道を通って新宿文化センターまで)を歩くことがあっても汚くて猥雑なイメージしか持てず好きになれなかった。でも昼間のゴールデン街界隈は外に洗濯物がほしてあったりして、意外にものどかな生活感を醸し出してる。

このときは知らなかったのだが、ゴールデン街は私道のため撮影禁止らしい。古今、写真家の人達が好んで撮影してるイメージがあったけど、昔はさすがに許可制ではなかったろうな。

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」

新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」

10/14~10/17

参考:東京国際ファンタスティック映画祭 – Wikipedia
Sankou :新宿TOKYU MILANO – Wikipedia

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

表紙絵は井上三太

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 * 東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

地下幻燈劇画 少女椿 / MIDORI 丸尾末広 1992年/52分/日本/デジタル/霧生館 ゲスト:絵津久秋(監督)  ■指定席作品:前売1,500円/当日1,800円 10月14日(水)開場21:00/開映21:20 ※『地下幻燈劇画 少女椿』は、18歳未満の方はご入場はできませんので、ご了承ください。※指定席券が売切れの場合、当日立見券を販売する予定です。 【発売】チケットぴあ

ミラノ座って、客席数1288で、国内最大の映画館らしい

トークショー・ゲスト:絵津久秋(監督)、丸尾末広(原作・体調崩し欠席)、犬神凶子(犬神サアカス團)、いとうせいこう

悲しい事に、少し遅れて到着してしまい、ゲストの紹介を見逃した・・・。丸尾末広が体調崩し欠席は残念。

客入りは盛況で、こんなに大勢の人が一堂に会して背徳的でアンダーグラウンドなアニメ映画を見るのかと不思議なくらい。会場はにぎやかで明るい。まあ映画のお祭りだし。
上映されたのが大ヒット御礼のハリウッド映画じゃなかっただけ。

アニメ映画の音楽担当は寺山修司作品でも有名なJ・A・シーザー。丸尾末広と寺山修司が直接つながりがあったのかは知らないけど、この場では両者の境界がまったくわからないような雰囲気だった。

※追記:寺山修司は丸尾末広の存在を知っていたらしい。

参考:寺山修司は天井桟敷のポスター画を丸尾末広に依頼しようとしたことがある – 惚れたといったら嘘になる恋といったら笑うだろ

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

舞台脇に球体関節人形が置いてあった。作者はよく分からないが、たぶん清水真理さん…?それから見世物小屋の看板美術と。
清水真理・ストロベリーフィールズ

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

「少女椿」の原作漫画は読んだことがないのだけど、「夢のQ-SAKU」を中学生の頃に親に隠れてこっそり読み衝撃を受けて気分が悪くなったりしていた。高校生の時に丸尾末広を持ってるのが親にバレるとまずいからという理由で作品集か何かを友達から預からされたこともあった。それらに比べると少女椿はグロ描写や過激成分が控えめで女性でも抵抗なく鑑賞できそうだし、主人公がみどりちゃんという可愛い女の子なのも感情移入しやすい雰囲気。丸尾末広作品というと、それまで自分の中ではバタイユ眼球譚をもっとグロテスクにしたような泥臭いイメージばかりがあったのだけど、「少女椿」ではお洒落っぽさやキャッチーな雰囲気が備わった感があるなーと思った。

変なたとえかもだけど、林静一の小梅ちゃん、丸尾末広のみどりちゃん、内田春菊のでんこちゃんみたいに、イラストレーターや漫画作家が売れるには、わかりやすくて親しみやすくてキャッチーなキャラクターが一人二人いた方がいいのかもしれないなー。

▼館内展示のセル画

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

▼もらったパンフ類の宣伝文。日本で出せないものを海外でDVD化するらしい。

ヨーロッパ発!地下幻燈劇画 少女椿DVD 「MIDORI」 
●あの幻の作品「少女椿」がいよいよヨーロッパ限定でDVD発売されるらしい。霧生館(きりゅうかん)主宰・絵津久秋氏によると「本作品は日本で公開されたものの再編集版で四ヵ国字幕付きです。フランスと共同制作です。日本での販売は、勿論ありません。輸入ビデオショップなどには出てくるので、見つけて買ってください。」 少女椿ファン倶楽部「みどり」拾四号 平成十六年十月吉日 赤猫座発行 より

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