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苫小牧西港フェリーターミナル〜新一條通り〜銭湯松の湯入浴
太平洋フェリーきたかみで仙台港から苫小牧にアクセスした。苫小牧西港の工業地帯の風景は何度見ても見入ってしまうが、昼に着港なのでフェリーの係留作業の様子もよく見れてとても面白かった。
苫小牧西港フェリーターミナル 太平洋フェリーきたかみの係留作業。面白くて、下船ギリギリまでデッキで見入ってしまう。気温もまだそこまで低くなかったので助かった。
苫小牧西港フェリーターミナルで路線バスの発車時刻までいろいろ見ていると、太平洋フェリーの船員の女性が「キツネがいる」と教えてくれた。急いで見に行ったが既にカラスしかいなかった。お姉さんは「カラスに攻撃されて逃げたかも」と教えてくれた。
苫小牧西港フェリーターミナルバス停から路線バスに乗り、駅通十字街バス停で降りる。約10分、250円。もう少し時間が早ければシネマ・トーラスで映画を観たかったのだが、上映時間に間に合わず、あきらめて駅通十字街から銭湯松の湯まで、錦町、大町、本町あたりの歓楽街を観て歩くことにした。
この辺は明治、大正時代以降に、王子製紙工場の社宅建設にあわせて整備された市街地で、特に錦町、大町あたりは昭和後期に発展している。
明治、大正時代には幸町、浜町のニヶ所に分かれて遊郭地が存在していたが、幸町の方は大正10年の大火で焼失している。
苫小牧の遊郭の歴史については、「苫小牧市史 下巻」が詳しい。遊郭の建物が王子製紙工場の社宅になったりと、二人三脚の歴史を刻んできたようだ。戦後、それらの遊郭が形を変え、錦町、大町にある新一條通り(親不孝通り)の歓楽街に進出したため、そのあたりはどことなく赤線跡のような雰囲気もあるが、古い建物は大分解体され、最盛期の面影を偲ぶのは難しくなってきている。しかしそれらの建物の合間から今もモクモクと煙を上げる王子製紙工場の大煙突を眺めるのはとても感慨深い。
苫小牧市史 資料編 第2巻 1977年3月 苫小牧市編 国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービスで閲覧可能)
P.27 苫小牧5万分の1図(明治29年)[北海道立図書館蔵]
P.29 苫小牧5万分の1図(大正8年・昭和19年修正)[堀江俊夫蔵]
P.30 苫小牧町管内畧圖(明治45年・苫小牧村)[堀江俊夫蔵]
P.31 苫小牧町管内畧圖(昭和7年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵] /膽振支廳管内圖抄(昭和11年・膽振支庁)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.32 苫小牧町管内圖(昭和15年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵]
P.33 苫小牧町字名改称圖(昭和18年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵]
P.34 苫小牧要図(昭和44年・苫小牧市)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.35 苫小牧村畧圖(明治40年・勇払郡名村市街地略圖)[厚眞町真正寺蔵]
P.36 苫小牧市街地電線路圖(明治44年・王子製紙)[堀江俊夫蔵]
P.37 苫小牧市街圖(昭和16年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵]
P.38 苫小牧町町名地番改称圖(昭和18年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵]
P.39 苫小牧市市街図補足(昭和29年~33年・苫小牧市)[堀江俊夫蔵]
P.40 苫小牧市市街圖(昭和31年・苫小牧市)[堀江俊夫蔵]
P.41 苫小牧市市街図(昭和40年・富士波出版)[堀江俊夫蔵]
P.42 苫小牧新町名全図(昭和49年・ハギ健康堂)[堀江俊夫蔵]
P.46 道内における王子製紙経営鉄道配置図[王子製紙社史第4巻]
P.47 苫小牧管内道路網圖(大正15年・苫小牧町)[堀江俊夫蔵]
P.86 渋川又平作成の明治末期より大正にかけての苫小牧市概略図[市立苫小牧図書館蔵]
P.87 苫小牧大火概況図(昭和52年・田中平美作成)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.89 苫小牧案内(昭和12年・苫小牧商工会)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.121 苫小牧市々街案内図 昭和31年12月1日現在 北海道交通社出版局
P.125 苫小牧町案内圖 昭和9年3月現在 苫小牧商工會
堀江俊夫さん所蔵の地図が多いが、「苫小牧地方鉄道史」の著者の堀江俊夫さんか…
苫小牧市史 下巻 1976年 苫小牧市 国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービスで閲覧可能)
P.2 苫小牧案内(昭和12年・苫小牧商工会)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.25 明治35年ごろの苫小牧の商店街
P.33 大正10年大火時の苫小牧中心部概要図
P.62 錦町商店街(昭和29年)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.66 飲食店が建ち並ぶ親不孝通り(昭和50年)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.69 一条銀座商店街(昭和51年)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.74 明治末期の商店街/大正時代の商店街/昭和前期の商店街/昭和後期の商店街
P.75 現在の主要商店街
P.90 新設になった苫小牧市公設地方卸売市場(昭和50年)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.96 一条銀座商店街(昭和46年・昭和51年)[苫小牧市史編さん室蔵]
P.97-108 第三節 遊郭の変遷 戦前の遊郭/戦後の遊郭
樽前山 : 甦える火の山-その自然と人間の記録 竹馬敏広 著 苫小牧郷土文化研究会 1979.8 国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービスで閲覧可能)
P.36 王子製紙苫小牧工場と樽前山
目でみる苫小牧の百年 : 苫小牧市開基百年記念 苫小牧市市史編さん室 苫小牧市 1973 国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービスで閲覧可能)
P.37 娯楽・遊興
P.105 一条商店街の形成の契機になった鶴丸デパート(昭和31年)
P.65 舗装前の錦町一条通り(昭和30年)
王子製紙㈱ 苫小牧工場社宅街について 日本建築学会計画系論文集 第619号 165-172 2007年9月
錦町出雲神社は新一條通り(親不孝通り)にある神社で、明治45年に建てられた。竣工当時は鬱蒼とした樹林の中にあり、沼もあったらしい。かつてもっと広かった境内はいずも公園の敷地となり、公衆トイレも設置されている。逆に神社のほうがおまけのような雰囲気に見えてしまう小ぶりさだが、味わいはある。山口時計店は社務所の名残りらしい。地元のお婆ちゃんが参拝していた。
苫小牧の錦町・大町・本町あたりの商店街&歓楽街。新一條通り(親不孝通り)/一条通り(大町銀座ストリート)/二条通り/三条通り。
王子製紙工場・南門と、その近くにある映画館シネマ・トーラス&ボーリング場の中央ボウル。大正時代、このあたりには苫小牧尋常高等小学校があったようだ。
浜町にある銭湯・松の湯で入浴する。先代から80年位やっている銭湯らしい。苫小牧町案内圖(昭和9年3月現在)[苫小牧商工會]を見ると「松の湯」の名が確認できる。2022年は昭和97年なので確かに80年以上の歴史だ…苫小牧市史 下巻には以下のような記述もある。
風呂屋では明治39年まで倉嶋の経営する「松の湯」一軒であったが、王子製紙の工場建設が進展するにしたがい増えはじめ、同43年には5軒、昭和に入ると10軒を超えるようになった。
「松の湯」は苫小牧の銭湯の元祖のようだ。
松の湯(まつのゆ) 北海道公衆浴場業生活衛生同業組合
〒053-0014 苫小牧市浜町2丁目6-12
TEL 0144-72-4417
営業時間 14:00〜21:00
定休日 毎週月曜、第1・第3火曜
16時頃に入店、まだそれほど客はいないだろうと考えていたら地元のお年寄りで大混雑していた。こんなに活気ある銭湯は久々だ。ちょっと嬉しくなってしまった。昔ながらの番台式の銭湯で、脱衣所も浴室も人がいっぱい。女将さんがとても親切で愛想の良い人で、甲斐甲斐しく常連さんの面倒を見ながらこちらにも色々と案内してくれた。カランのお湯が熱いので自分で水と混ぜて温度調節するようにとアドバイスされたが、シャワーのお湯は冷たさを感じないぬる湯だったので、そのまま髪などを洗った。浴槽はジェットマッサージ風呂と普通の風呂。湯船の湯温は熱め。ぬる湯が好きなお客さんは水を入れて温度調節していたが、熱湯が好きな自分は歩き回って冷えた体を一気に温められて生き返った心地になった。お風呂から上がって着替えていると女将さんが冷たい水をコップに注いでくれた。熱い湯船にじっくり浸った後に飲む冷水はとても美味しい。いつまでもこんな活気ある銭湯でいてほしいと思った。
薄暗くなった街道を、苫小牧駅まで徒歩で移動する。王子製紙工場の煙突は暗くなっても煙を吐き続けていた。王子製紙工場の社宅も煙突と共に夕陽に照らされていた。錦町の駐車場に、ぽつんと山下清(裸の大将)の看板が掲げてあった。不思議に思って写真を撮ったが、こんなエピソードがあるらしい。
西八王子駅ホーロー(琺瑯)の行先標~バラック呑み屋(解体)
渋谷Bunkamuraル・シネマ映画「カブールのツバメ」鑑賞〜渋谷百軒店商店会~名曲喫茶ライオン〜とりかつチキン
渋谷Bunkamuraル・シネマ2で1週間(10月8日〜10月14日)限定上映をやってる映画「カブールのツバメ」を鑑賞してきた。
「カブールのツバメ」
タリバン支配下にある1998年アフガニスタンの首都カブールが舞台のフランス映画。淡い水彩画のような色調のアニメーション。
予告編の冒頭で使われている音楽は、アフガニスタンで2002年に爆誕したと言われている謎のガールズバンド・ブルカバンドによる「ブルカブルー」という曲。タリバンに抗議するためにカブール出身の女性たちが匿名で結成したインディーズバンドだそうな。
カブールのツバメ _ ル・シネマ _ Bunkamura
カブールのツバメ _ フランス映画祭2019
ユーロスペースでやる予定のイスラム映画祭も気になるのだ。
Bunkamuraのシアターコクーンでやってる「パ・ラパパンパン」のイラストが気になって誰が描いたのか調べたらヒグチユウコさんだったわ。そういえば、その絵柄だ…。
絵を描かせていただいたチラシが届きました。
明日の営業からお会計の際に一枚おつけします。#松尾スズキ #Bunkamura #大人計画#パラパパンパン pic.twitter.com/UkvwJjgeHE— Yuko higuchi ヒグチユウコ (@nekonoboris) August 11, 2021
Bunkamuraに入ったの久しぶりな感じがする。1989年竣工。バブルの名残。
Bunkamura _ 石本建築事務所
http://www.ishimoto.co.jp/products/124/
所在地:東京都渋谷区
構造:SRC造
規模:地上7階・地下2階
延床面積:31,994m2
竣工:1989年06月
客席数/2,150・747席
映画館/150・126席石本、東急設計コンサルタント、MIDI総合設計研究所、ヴィルモット・ジャポンJV
1990年 北米照明学会賞Awards of Merit佳作
1990年 繊研賞
1990年 商環境デザイン賞特別賞
映画鑑賞後は、千代田稲荷神社、中川稲荷大明神に立ち寄り、その後、名曲喫茶ライオンへ。
百軒店商店会はラブホ街。昭和末期か平成初期ごろにできたかと思われるラブホ群の合間合間に古びた家屋や細路地が残る。
千代田稲成神社と中川稲荷大明神と渋谷百間店商店会。路地の突き当りでせめぎ合ってる。
千代田稲成神社向かいの店舗(旧中村ビル)。1985年竣工だそう。
1926年創業の名曲喫茶ライオン
店内撮影禁止なのが残念だが、大変アンティークな店内も素敵である。
今日はベルリオーズの日だった。
アメリカの雑誌オーディオに演奏装置が写真入りで掲載された喫茶店。
スピーカーなど巨大なのだが、レコードは結構ブツブツゴミのノイズ音と針飛びが多かった。
レコード時代は、そういうのが当たり前のデリケートな時代だった…それがCDに変わり、MP3などのデジタルデータに変わり…
メニューは飲み物only。価格帯は600円~800円。暗い店内で静かにクラシック音楽を聴くことに集中する。
コロナのせいで9月18日まで休業していたようだ。
9月27日~10月1日も休み。
10月2日以降は月曜日のみ休業。
営業時間は休業前と同じ13時~20時。
名曲喫茶ライオンのお隣は1969年創業のロック喫茶BYG。この建物も石造り(?)っぽく見える外観がクラシカル。ライブハウス開店当初は、はっぴいえんど、はちみつぱい、頭脳警察などが出演していたそうだ。
渋谷百間店の細路地にあるとりかつCHICKEN(チキン)。細い路地に面した定食屋。創業は昭和52年(1977年)だそう。名物のとりかつ定食は600円→650円→700円と値上げされてて、ネオンに600円時代の表示が残ってる。
細く小曲がりした入口に貼ってある丸川珠代&松本文明のポスター。自民党が好きなんだろうか。
入り口は立ち食いそば屋のように狭くて小さい。
店内も立ち食いそば屋のように狭い。カウンターがメインだが、椅子はある。
とりかつ定食¥700を注文。揚げたてのサクサクしたとりかつが美味しい。お冷は麦茶。
『大都会 闘いの日々』第11話(1976年3月16日放送)から渋谷百軒店裏路地を定点対比。とりかつチキンはまだ無い。
※地図は1973#旧景 pic.twitter.com/l6YV1e6VXE— なびすこ (@hiyajisu) October 10, 2021
とりかつチキンのある建物、地図を見ればわかりやすいのだが、先端が先細った変形ビル。地形に合わせて作ってある。この通りがいい感じに庶民的で荒んでいる。
アロエ類の植物。増えすぎて手に負えなくなったか…
道頓堀劇場。ストリップシアターだそうだ。
派手なネオンで大阪のくいだおれ感があるが、公式サイトを見ると、女性割引などもあり、意外にも芸術性やアート性を強調した宣伝ぶりである。
昨年観た純愛ストリップ映画「彼女は夢で踊る」を思い出した。
道頓堀劇場の近くにある鳥升。建物がいい感じ。
渋谷百間店のゲート。
そういえばBunkamuraに行く途中で見かけた109、マンガ味ある広告が目に飛び込み意外に思ったが、モンパカパーンってモンスターストライク(ゲーム)のキャンペーンらしい。知らなかった…
多治見めぐり(西ヶ原遊郭跡、たじみ広小路、銀座センター、多治見銀座商店街)
多治見市の旅館 清楽さんに泊まり、その後、西ヶ原遊郭跡、たじみ広小路、銀座センター、多治見銀座商店街などを見て回る。以前このあたりに一度ちょこっと来たことがあるけれど、その時にあった多治見温泉の建物は解体されてなくなっていた。
清楽さんのビルからの眺め。多治見の街が一望できる。
おいしい朝ごはん。
部屋に備え付けのゴミ箱がレトロで可愛かった。あとレトロなエアコン。
新羅神社の参道と路傍祠。新羅神社はあまり見なかったけど遊郭の軌跡があっただろうか。
新羅神社が建物をまたぐ形で建っている。
M字型のモータープール。関東だとこういうの珍しい気が。
西ヶ原遊郭跡の玉突き場跡。
住んでる方がいらっしゃるようで、テレビの音声が聞こえてきた。
レトロな写真館
元お肉屋さんだったみたい
写真が分かりづらいのだが、テレビ共同聴視の鑑札と金属製の腕木
中華天国金山店
昭和43年から営業しているそうな。
ちょうどこの時開店準備をし始めたところのようだった。
銀座センター
量水器の蓋など。「岐」の文字入り。
たじみ広小路
キャッスル感が可愛い店舗跡?
良い感じの喫茶店
多治見銀座商店街
多治見銀座商店街の中にある喫茶モリタ。
時間がなくて迷ったが、アメリカンコーヒー(400円)だけ頂いてささっと出てきた。マスターのおじいさんの対応、コーヒーの味、店内の雰囲気、価格、メニューすべてにおいて素晴らしかったので、また今度きてゆっくり味わいたい。
多治見銀座商店街の中に井戸があった
洒落たタイル使いの木製ショーウィンドウ
倉庫の中で瀬戸物の無人販売をやっていた。香炉も100円で売っていた。
タイル感がいい病院と珠算教室
この鰻屋さん、GoToトラベルに対応していた。知っていたら利用したかった気も…
細い開渠が気にかかる
↓新羅神社の場所が確認できる。下の煙突マークは何の工場だろう。
「瀬戸」(豊橋13号)
五万分一地形図 内務省
明治24年測図
大正?年修正測図
昭和5年鉄道
夜の八王子の買い物(ハードオフ、古本屋)
連休最終日、夜の八王子に出かける。天気も良かったし、本当は昼間に出かけたかったが。ハードオフ八王子大和田店に出かけたら20%オフセールをやっていた。しかも10日間近くも。知っていたらもっと早く出かけてあれこれ買い込んだのに。ハードオフのアプリは入れてあるし、通知も切っていないのに、20%オフの通知は来なかった。webチラシもないみたいだし、Twitterにアカウントはあるけどセールの告知はしていなかった。こまめに自分の足で出かけてセール期間を把握するしかないのか。でもその方が掘り出し物を奪われにくいかもしれない。8月に見かけて気になっていた「神奈川県都市計画図」は消えていた。なくなると買っておけば良かったような気になる。安かったのに。
せっかくの20%オフセールなのに、商品を選ぶ暇もあまりなくて残念だったが、着物コーナーで紫のビーズバッグが格安で売られているのを発見して即買い。税込264円になった。あまりカワイイとは言えないデザインなんだけど…以前ずらっと並んでいたこけしはなくなっていたな。またミニこけし買いたかったのに。あと新品に近そうなミリタリー帆布っぽいカーキのザックも安かった。税込1205円。即購入。
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まだ古い家が残る夜道を通る。
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銀杏並木が紅葉してる。このマンションなんか可愛くて好きなんだよね。
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佐藤書房に立ち寄る。保育社カラーブックスの「ぬいぐるみ」(河原フミコ著)を見つけて買ってしまう。持ってるんだけど…予備用に。本を入れてくれた紙袋がかわいい。
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市内の商店街の真ん中に堂々とソープランドがあるのがよくわからないのだけど、堂々営業中だったスチュワーデス。昭和感あふれる佇まい。以前から営業しているのかしていないのか分からない状態だったスナック紫野、テープで閉鎖されていた。
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昔の地形図。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
厚木基地周辺の歓楽街
新型コロナウィルス 緊急事態宣言下のスナック
東京の緊急事態宣言は一応5月25日をもって措置終了という形になったけど、5月5日前に営業再開した店も多かった。地元の店ではバッティングセンター、ビリヤード場、ボーリング場など。でも元々それほど人がそれほど多くない施設なので、問題はなかったんじゃないかと思う
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釧路歓楽街 栄町 永楽街 末広町
京成立石 呑んべ横丁(解体済)~立石駅通り商店街
夜の中町花街 八王子三業組合 黒塀通り
会津若松 楽天地飲食街と栄町歓楽街
高崎 柳川町花街 赤線跡
柳川町が今のように飲食店街となる前は東京吉原のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったらしい。
〒370-0815 群馬県高崎市柳川町33~40あたり
▼〒370-0815 群馬県高崎市柳川町33番地の長谷川たばこ店のご主人はせちゅう(長谷川忠)さん執筆の書籍。残念ながら絶版だが、柳川町のクラブビショップのサイト内の「Yanagawa-cho Story」にて出典元とされているので大雑把に概要をつかむことはできる。
柳川町花街物語 はせちゅうシリーズ〈第3集〉2002/5 はせちゅう(著)
【徒歩ルート】
高崎駅~中央銀座商店街~柳川町遊郭~オリオン座~高崎電気館~柳川町 台湾料理 來來~高崎スカイビル~高崎駅
糸魚川市本町 雁木造の古歓楽街
新潟県糸魚川市本町4
▼割烹やぶ
20歳未満禁止の風俗営業の割烹、特徴的な装飾の古い歓楽街、細路地、気になる。
松山市三番町の歓楽街
千舟町 松山市 愛媛県
青線の名残と言われる界隈。ちょんの間地帯。
2010年9月の愛媛新聞で「千舟町2丁目の元旅館で売春をさせた疑いで2容疑者逮捕」と報道されたとか。具体的にどこかは不明。
以下のページに体験談が記載されている。
http://pinsalo.info/reports/kfr_tyo2.htm
http://moruda.net/x-file/nisinihon/matuyama/matuyama.html
▼少し離れた所にあるアダルトショップ千舟 大人のおもちゃ屋。
▼アダルトショップなのにゴルフ・マージャン・贈答品までと手広い。もう廃業しているようだ。
三津浜の遊郭
三津浜の遊郭を調べてみると、3つ位候補地が出てきて、はっきりした場所や変遷がわからない。
1.十軒茶屋 住吉町の上手から住吉橋付近を経て旧堀川橋(芳野はきもの店前)通りにか けたところが十軒茶屋といわれる置屋,料理屋の町であった。
2.稲荷新地 十軒茶屋が明治26年に移転し発展した遊郭。もと御船場。北浜の北側に位置する。現在の住吉神社は嘉永7年の火災を機に稲荷新地から移されたもの。
3.柳町商店街? 町名は無給町・泉町→船頭町→柳町と変化。大正,昭和にかけて、住吉町 3丁目か ら柳町が娯楽・花柳界の中心となっていった。
参考
「松山市三津浜の港町としての盛衰について」 池田善昭
辻井戸公園 石碑
▼以下、柳町商店街、旧柳町と思われる界隈の路地を歩いてみたもの。この辺は芸妓中心だったかも。
▼比較的最近建物が解体されてできた空き地らしい。
▼隣の家屋が解体されて壮絶な外観になったビル。
▼掲示板に面白そうな写真展の案内が
▼これはいいタイル。
丸三横丁 谷ラーメン 移転前・最後の営業日 有楽町
ソープヤングレディ~すすきの市場~玉宝禅寺祖院(薄野遊郭)~豊水すすきの駅
移動コース
スワンキーホテル・オートモ→玉宝禅寺祖院(薄野遊郭)→豊水すすきの駅→さっぽろ駅(札幌市営)→札幌駅前BT(高速ゆうばり号バス乗り遅れ)
前晩はスワンキーホテル・オートモという、1泊3,100円(税込)と安いが新しくてきれいなビジネスホテルに宿泊。1階のカフェエリアでパン、コーヒー、ジュース等の軽朝食(無料)を食べてから出発。
▼お腹の足しにはならないけど、無料としては満足できるサービス
▼泊まったのは808号室
▼ホテルを出ると目の前を札幌市電の路面電車が走っていた。
▼玉宝禅寺祖院方面に向かって歩くと、可愛らしい民家風のイタリアンダイニングバーLilyの家、その隣に ソープ ヤングレディ。
▼2軒揃ってリカちゃんハウス風なピンク基調で可愛らしい。
▼おもちゃの家みたいなこのピンクは心くすぐられる。
▼本間商店 札幌市中央区南6条西4丁目
▼うなぎのふかやま
廃業ではなく、休業中らしい
札幌市中央区南6条西5丁目
▼住居表示板が横に貼ってある。こういうのもありなのか。
▼レトロなタイル可愛い
▼すすきの市場・ススキノアパート・すすきのゼロ番地
札幌市中央区南6条西4丁目
大正11年(1922)に札幌で2カ所目の公設市場として設置された「第二公設廉売市場」が前身の市場。時間がなくてパスだが、ここは今度じっくり見てみたい。
▼レトロな外観のローソン。まつや会館というらしい。
札幌市中央区南7条西5丁目10
▼豊川稲荷 玉宝禅寺祖院
札幌市中央区南7条西4丁目
薄野遊郭についての所以がいろいろ書いてあるが、ゆっくり読む暇などなく、足早に写真だけ撮って通り過ぎ。
▼豊川会館
ここも時間がある時にゆっくり立ち寄ってみたい居酒屋雑居ビル
▼第一すすきのビル
▼豊水すすきの駅に到着
▼豊水すすきの駅 駅スタンプ押印 全1個 改札内に設置
▼札幌地下鉄東豊線
▼さっぽろ駅(札幌市営)で下車したが、駅スタンプを探す余裕なく。東京オリンピック開催に向けてか、1972年札幌オリンピック時のポスターが掲示してある。
▼夕張に行くためにさっぽろ駅(札幌市営)で降りたけども、目の前にあるはずの札幌駅前BTへの入口がわからず、迷っているうちに『高速ゆうばり号』バスに乗り遅れてしまった。地元の人に聞いても札幌駅前BTへの入口がわからないと言われ、バス乗車券売り場の人に乗り場をたずねても「あそこでいいと思いますけど~」と曖昧な返事をされ。頼むよ~。
▼走って乗り場についた時にはバスが発車した後だった。目の間にバスはいるけど、信号待ちで既に乗れない状態。1日に3往復しかないバスなので、泣く泣く電車に切り替える。ここからJR札幌駅までの道のりがまた結構長くてこたえた。慣れてるってこともあるけど、やっぱり東京の都心は案内表示が大きくて目の悪い自分には助かる。しかもJRはビニール袋が架線に引っかかったとかで遅延しているとかで、とりあえず今日中に夕張に行ければいいや気分で電車に乗り込む。
夕張本町キネマ街道~ユックさかい~梅ヶ枝通り
【この日の行程】
鉄道で移動:札幌駅→夕張駅
徒歩で移動:夕張駅→本町水郷公園→渡辺商店→夕張市立夕張中学校(閉校)→夕張市立夕張小学校跡→ハローワーク夕張→アディーレ会館ゆうばり(閉鎖)→夕張本町キネマ街道→本町ふれあい公園→簗詰医院跡→ユックさかい→西野回陽堂→ホテルシューパロ前→ラーメンのんきや→梅ヶ枝通り歓楽街跡→大法寺→石切夕張神社(解体)→夕張駅 鉄道:夕張駅→南清水沢駅
徒歩で移動:南清水沢駅→ビジネスホテルYuuBARI
石勝線・夕張支線の終着、夕張駅で降りて、そこから夕張本町キネマ街道、ゆうばりホテルシューパロ、梅ヶ枝通りの方まで徒歩散策。
▼本町水郷公園。池の跡らしきものがある。
▼渡辺商店と和洋菓子あかま商店。渡辺商店に立ち寄って、ジュース類を購入。
▼夕張市立夕張中学校跡(閉校)
突然、廃墟
▼既に廃止されているがアディーレ会館ゆうばりの建物はモダンな感じで格好いい。
夕張本町キネマ街道へ。
▼簗詰医院
▼夕張再建炭鉱建設(株)
▼(おもちゃ喫茶)さかい玩具店 トイズ&コーヒーユックさかい
店内のおもちゃは既に処分セール中だった。おもちゃ屋としてはやめてしまう様子だった。
▼ユックさかいで休憩してアイスコーヒーを飲んだ。450円。
▼夕張観光プレイガイド インフォメーションセンター。閉鎖されていた。
▼ゆうばりホテルシューパロと西野回陽堂。西野回陽堂はNPOの本部があって、夕張関連の書籍も販売しているらしい。
ラーメンのんきや 休み
▼梅ヶ枝通り。炭鉱全盛期の名残を残す飲み屋街。近年閉鎖したと思われるスナックも多い。今は数軒残して廃業。この通りと下を平行して走る本通りとの高度差が炭鉱の採炭現場の坑道と似ているため「上部坑道」と呼ばれていたらしい。
▼スナックエリートのサンシェードが剥がれ落ちて石で抑えられていた
崩壊を待つだけのような家屋も…
スナック梵
▼比較的新しいナイトスポットグレース
▼ナイトスポットグレースも閉業していた。もしかしたら梅ヶ枝通りの店は全滅かもしれない。
▼古いコンクリ部分ににゃんこの足跡が…
この界隈には猫が多い
▼古い京呉服屋
▼喫茶コンパ。営業していなかった。
▼大法寺
▼大法寺そばの観音堂をのぞいたら水子供養堂のようになっていた。
▼炭鉱殉職者追悼之碑 昭和57年だから極端に古いわけではない
▼朽ちたおみくじ箱
▼石切夕張神社に続く階段わきに、以前はケーブルカーが設置されていたようなのだが(ワンダーJAPAN vol.05 北海道ワンダー参照)、今はその形跡なく、階段も雑草が生い茂って荒廃している。階段を登って石切夕張神社まで行ってみたが、石切夕張神社は解体され更地になっていた。石切夕張神社跡は高台にあるので、夕張の町が一望できる。階段わきの腕が折れた像は昔から極彩色だったわけでないみたい。
▼比較的新しそうなシャツが放り投げてあった。底が抜けそうで恐いので外からのぞくのみ。
▼洗濯機など、数年前まで居住していた雰囲気はある。
▼夕張名物ソバの藤の家 廃業
▼旭町町内会活動目標
▼市立夕張図書館 夕張市青少年相談センター 閉鎖
完全に朽ちてる
▼中山肉店(廃業)
▼夕張小売酒販組合/夕張地方たばこ販売協同組合
▼下山洋服店