館清掃工場~法政大学ジョギングコース~榛名尾根ふれあいウォーキングコース

2011年2月22日 館清掃工場~法政大学ジョギングコース~榛名尾根ふれあいウォーキングコース 地図

2010年7月31日に開通した八王子南バイパス。
 昔このあたりはただの突き当りだったのだが。すっかり変わってしまった。

2010年7月31日に開通した八王子南バイパス

館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株)

館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株)

館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株)

拓殖大学の調整池の開渠に架かる古いコンクリート橋 (3)。この調整池は湯殿川を一部埋め立てて作ったそうで、湯殿川の源流がここだとも言われているらしい。親柱に銘板を埋め込む部分はあるが何も埋め込まれておらず橋名も竣工年も不明。

拓殖大学の調整池と湯殿川を結ぶ開渠に架かる古いコンクリート橋 拓殖大学の調整池と湯殿川を結ぶ開渠に架かる古いコンクリート橋
拓殖大学の調整池と湯殿川を結ぶ開渠に架かる古いコンクリート橋 拓殖大学の調整池と湯殿川を結ぶ開渠に架かる古いコンクリート橋
拓殖大学の調整池と湯殿川を結ぶ開渠に架かる古いコンクリート橋  

湯殿川の埋め立てられた部分?

湯殿川の埋め立てられた部分? 地図

館ヶ丘団地 4-9号棟。
2020年10月頃に解体された。

館ヶ丘団地 4-9号棟

館ヶ丘団地 4-15号棟、4-14号棟。2020年10月頃に解体された。

館ヶ丘団地 4-15号棟、4-14号棟 館ヶ丘団地 4-15号棟

館清掃工場
竣工 昭和56年3月
建築構造 鉄骨鉄筋コンクリート
煙突 地上高100メートル
処理能力 150トン/日
焼却炉形式 全連続燃焼式焼却炉(日本鋼管 フェルント式)
所在地 八王子市館町2700番地

象徴的だった館清掃工場の赤帯煙突。
この煙突が大好きだった。
ストリートビューを見ると2017年以前に解体されたようす。

館清掃工場

2011年2月22日 館清掃工場~法政大学ジョギングコース~榛名尾根ふれあいウォーキングコース

館清掃工場

法政大学ジョギングコース。
一般人も散策できる雑木林の中の遊歩道。

法政大学ジョギングコース

法政大学ジョギングコースはそのまま榛名尾根ふれあいウォーキングコースにつながっている。

榛名尾根ふれあいウォーキングコース

榛名尾根ふれあいウォーキングコース
なだらかな丘陵地帯に出る。

榛名尾根ふれあいウォーキングコース

JR東日本の送電線 鉄塔に出る。
八王子大月線 30号
八王子-上野原(八-上)
昭和5年7月 
6万6千ボルト

八王子大月線 30号 八王子大月線 30号

館清掃工場の方から流れてくる沢 (1)。これも水源がよくわからないのだが、館清掃工場あたりで埋め立てられたんじゃなかろうか。陰気臭く樹木が生い茂った場所で、ぐじゅぐじゅした湿地のようになっているが、地形図をみると「田」のマークが付いていてよくわからない。最終的には湯殿川につながっている。

館清掃工場下の沢

法政大学の敷地内にある沼 (2)とその傍らに佇む古い馬頭観世音碑。この沼もよくわからない存在なのだが、なんとなくこの沼と上の沢が地下でつながってるんじゃないかって気がする。

法政大学の敷地内の沼 馬頭観世音

法政大学の敷地内の沼と館清掃工場下の沢の位置図

法政大学の敷地内の沼と館清掃工場下の沢の位置図

館ヶ丘第2団地土木修繕工事 法面工事のお知らせ

館ヶ丘第2団地土木修繕工事 法面工事のお知らせ

昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。

「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行

八王子市 浅川地下壕見学会

浅川地下壕は、通常は非公開。見学会開催の告知を見て参加してきた。見学可能なのはイ・ロ・ハ地区ののうち、イ地区のみ。
民家の裏側に入口があり、入るのに庭を通らせてもらう。

詳細:浅川地下壕の保存をすすめる会
参考:フィールドワーク 浅川地下壕―学び・調べ・考えよう P.43-45
参考:1950年の浅川地下壕周辺の地形図

八王子市 浅川地下壕見学会

八王子市 浅川地下壕見学会

入口には赤い鉄格子がはめてある。

八王子市 浅川地下壕見学会

出口付近に貼ってある張り紙

八王子市 浅川地下壕見学会

浅川地下壕には東大の地震計測器が設置してある。東日本大震災時の値はどうだったんだろう。

八王子市 浅川地下壕見学会

補強鉄骨。浅川地下壕では1999年にダイナマイトが発見され、撤去作業が行われている。合計3トンものダイナマイトが見つかったらしい。
ちなみに発見者はテレビの取材で訪れていたタレントだったとか。撤去時には高尾警察署や消防署も待機していて、実際に作業を行ったのは自衛隊だったらしい。

八王子市 浅川地下壕見学会

▼平成10年に発見され、撤去作業が行われた、壕の掘削に使用されたと思われるダイナマイト類。
ダイナマイトが詰められていた木箱や包装紙類の資料は、戦時中の地下壕掘削に関する基調な資料となっている。
八王子市郷土資料館 平成12年度特別展『八王子の二十世紀』展示図録より引用

八王子市 浅川地下壕見学会

八王子市 浅川地下壕見学会

八王子市 浅川地下壕見学会

電線は地震計測器用のもの。ここは地下壕の中でもかなり広い部分

八王子市 浅川地下壕見学会

トロッコの枕木が敷設されていた跡

八王子市 浅川地下壕見学会

削岩機の試作のあと。ダイナマイトの発破跡もある。

八王子市 浅川地下壕見学会

ところどころ水が溜まっている部分があり、脇に側溝が掘ってある。

八王子市 浅川地下壕見学会

岩肌は全体的に白っぽくなっていて、光を当てると銀色にキラキラ光る。鉱石のようにも見えたのだが、カビではないかとのこと。

八王子市 浅川地下壕見学会

分岐

八王子市 浅川地下壕見学会

鍾乳石のようなものあった。

八王子市 浅川地下壕見学会

内部の地震計測器が設置してあるところ。地下壕の見学は制限があり、月1回と定められているらしい。
見学者がはいると地震計が揺れてしまうため、見学会を開催時は地主の高乗寺を通じてあらかじめ東大地震研究所に届け出る必要があるらしい。

八王子市 浅川地下壕見学会

外に設置してある東大の地震計測器

八王子市 浅川地下壕見学会

こちらは内部が崩壊して通行不可能な坑口。高乗寺龍雲橋の近くにある。

八王子市 浅川地下壕見学会

こちらも赤い鉄格子。

八王子市 浅川地下壕見学会

立ち入り禁止で鍵もかかっているので入れない。

八王子市 浅川地下壕見学会

紅葉台登山口~拓大西尾根~東高尾山稜~南高尾山稜~相模湖駅(降雪ハイキング)

紅葉台登山口(こうようだい)
拓大分岐(たくだい)
梅の木平分岐(うめのきだいら)
草戸峠(くさどとうげ)
草戸山(くさどやま)
ふれあい休憩所
榎窪山(えのくぼやま)
三沢峠(みさわとうげ)
西山峠(にしやまとうげ)
三井水源林見晴台(みいすいげんりん)
中沢峠(なかざわとうげ)
金比羅山(こんぴらさん)
大洞山(おおぼらやま)
赤馬分岐(あこうまぶんき)
大垂水峠(おおだるみとうげ)
富士屋
峠のお宿(廃屋)
千木良なかがみ屋(ちぎら)
牛鞍神社(うしくらじんじゃ)
弁天橋(べんてんばし)
相模ダム&相模発電所(さがみ)
嵐山洞門(あらしやま)
相模湖大橋
いかりや
相模湖駅(さがみこ)

参考:京王沿線の里地里山を歩こう|京王グループ 
   5 城山湖・草戸峠コース(PDF) [2,665KB]
参考:身近な絶景ポイント 三井水源林登山路|相模原市

▼紅葉台登山口

▼寺山修司と忌野清志郎も眠る高尾霊園

▼八王子大月線 37号 送電線 鉄塔 昭和5年7月 JR東日本 6万6千ボルト

▼拓大分岐 標高約350m

▼梅の木平分岐

▼草戸峠

▼草戸山 365m(364m)

▼ふれあい休憩所

▼榎窪山 420m

▼三沢峠

▼三沢峠のイノシシ警告看板

▼三沢峠の鳥獣保護区看板

▼登山道 踏み跡の少ないところ

▼西山峠

▼三井水源林 展望台
天気がいい日は津久井方面を一望できるところ

▼三井水源林 展望台 晴天時は津久井の町が一望できる

▼戦前の廃鉄塔 山林にひっそり佇む

▼中沢峠

▼金比羅山 514.7m

▼金比羅山 514.7m

▼スパッツを付けた足元

▼大洞山 536m

▼赤馬分岐

▼大垂水峠

▼大垂水峠橋

▼大垂水峠 昭和8年6月 道路改修記念 東京府 神奈川懸 境界標

▼大垂水峠 昭和8年6月 道路改修記念 東京府 神奈川懸 境界標

▼富士屋 営業中

▼富士屋 営業中

▼大ダルミ峠 石碑

▼大ダルミ峠 石碑

▼大垂水橋 おおたるみばし 昭和48年3月竣功 建設省 相武国道工事

▼大垂水橋 おおたるみばし 昭和48年3月竣功 建設省 相武国道工事

▼大垂水峠橋わきの廃屋

▼大垂水峠橋わきの廃屋

▼雑木林と竹林に埋もれてる廃屋。昔の富士屋と思われる。看板に「富士屋」「観光バスサービスステエション」「たばこ」「森永アイスクリーム」などの文字あり。不明瞭だが「休所」と読めそうな文字も。

▼法面造成された北側の階段に「城山」の道標がある。ここからも登れるのか。

▼甲州街道から南側に立入禁止の私道がのびてる

▼「竹の子盗むな」の看板。この辺一帯は富士屋の土地なのかも。

▼雪の甲州街道をどんどん下る

▼中古別荘の看板。山梨の別荘をここで宣伝するのかと。

▼幻想的に降りしきる雪

▼廃山荘「峠のお宿」むかしは普通に営業していたような気もするが、いつ廃業したのか定かではない。

▼よく臭いと噂があがる。野生動物の豊富なところだから、動物の死体の匂いだろうと言われてる。

▼廃塩ビ管・廃プラ買取センターらしい。違法ヤードのニュースを以前テレビで見たからついつい疑ってしまう。

▼相模湖町消防団第3分団の火の見櫓

▼なかがみ屋 榎本工業 千木良
ここから甲州街道と別れて弁天橋に向かってく

▼牛鞍神社

▼牛鞍神社

▼牛鞍神社付近からの弁天橋と相模川の眺め

▼牛鞍神社から弁天橋および相模川に下る道。古道なのか付近には古い石仏が多い。

▼弁天橋に下る小道の古い石仏

▼弁天橋に下る小道の古い石仏

▼相模川

▼弁天大明神にわたる橋

▼弁天大明神付近の石仏

▼天下茶屋の弁天島温泉。日帰り入浴は税別1,000円。昭和10年に建てられた旅館だそうで、気になる。楽天トラベルを見ると、宿舎までは駐車場から150m~170mほど渓谷の山道を下るらしい。

▼弁天橋休憩所 管理室

▼相模湖駅に向かう看板

▼古い蔵 出発が昼だったし、どんどん暗くなってきた

▼相模ダム

▼相模湖駅前のいかりや商店で買い物。

▼いかりや商店で買ったあんドーナツ。

▼相模湖駅から電車に乗って帰った

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

大正13年(1924年)に完成した、洒落た王冠風の双頭給水塔。ちょうど柵や木に隠れるくらいの微妙な高さで、地上からだと二頭を写真におさめるのが難しい。

〒154-0016東京都世田谷区弦巻2丁目41-5

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

▼細部の装飾

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

▼敷地内には他にも気になる建造物があったが、入れないので間近で見ることができない。

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

警備はかなり厳重な様子。そんなに侵入者がいるんだろうか。

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

駒沢給水塔(渋谷町水道配水塔)

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

コース:JR高尾駅(バス)→小仏バス停→小仏峠→長久保架道橋→小原宿本陣→JR相模湖駅 (天気くもり)

中央本線の高尾駅~相模湖駅間の車窓から見える古い煉瓦造りのトンネルが気になって、徒歩で小仏トンネル及び小仏峠周辺を歩いてみた。甲武鉄道時代のものかな。

参考:
明治大正時代の五万分一地形図
昭和前期の五万分一地形図

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏バス停。高尾駅から小仏バス停までバスで20分ほど、運賃220円。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼舗装路が途切れ、登山道に入るところに小さな滝や石碑がある

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠に到着。小仏峠のタヌキ

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠のバス時刻表

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠に貼ってあった新聞記事。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠 石碑

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠 甲州道中 歴史案内板

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小仏峠 甲州道中 歴史案内板(拡大)

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州古道 小仏峠の道標

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼底沢方面の小仏峠登山口

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼底沢方面の小仏峠登山口 東海自然歩道の案内板が設置してある

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼東海自然歩道 案内板

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼3. JR中央本線 上り線 小仏トンネル 山梨側 古い煉瓦積み

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州道中 美女谷 美女谷温泉入口

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼美女谷伝説(相模湖町 底沢) 照手姫ものがたり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼中央道の下 「甲州道中・板橋」の碑がある(甲州古道)

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州道中 板橋の説明(甲州古道)

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼ユニオン建設の車両

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼4. 長久保架道橋 古い煉瓦積み

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼長久保架道橋 わきに「甲州道中・長久保」道標

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼長久保架道橋 背後は中央自動車道

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼5. JR中央本線・下り線 横吹第一トンネル八王子側 古い煉瓦積みの築堤

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼5. JR中央本線・下り線 横吹第一トンネル八王子側 古い煉瓦積み築堤

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼横吹第一トンネル八王子側

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼底沢バス停の待合所と底沢橋

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼底沢橋 美女谷温泉入口

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼相模原市 小原の郷(レクリエーション施設)
小原宿関連の施設なのだろうけど、具体的に何をするところかは知らない。
観光施設っぽいのに周囲は閑散としていた。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼横吹第一トンネル(約399m) 相模湖側 JR中央本線 下り線
横吹第一トンネルは両端ともコンクリート造だと、石造の石垣は古そう。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼横吹第一トンネル(約399m) 相模湖側

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州街道 小原宿 これより二町半

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州街道 小原宿

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼6. 小原宿本陣屋敷。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼階段わきの昭和七年・五月成の文字が気になる。民家は解体されたらしい。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼JR中央本線 上り線 小原トンネル

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼7. JR中央本線 下り線 小原トンネル(81m) 山梨側出口は古い煉瓦積み

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼7. JR中央本線 下り線 小原トンネル(81m) 山梨側

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼小原バス停 古めの蔵

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼古い民家

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼南無阿弥陀仏碑

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼南無阿弥陀仏碑

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州街道 小原宿

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼民宿ひらの 昭和な風情が素敵 わきに「甲州道中・平野」の道標あり。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼周囲に何もない道路沿いに古びた県立陣馬相模湖自然公園の道標がたててある

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼新平野トンネル 238m JR中央本線 下り線 コンクリート造の相模湖側

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼新平野トンネル 238m JR中央本線 下り線

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼上の山トンネル 八王子側

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼上の山トンネル 八王子側坑門 JR中央本線 上り線 925m コンクリート造
反対側の出口は古そうな石造

参考:JR中央線高尾以西の狭小トンネルとは? – 教えて!goo

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼7. JR中央本線 上り線 上の山トンネル(925m) 古そうな石積みの山梨側出口。
並列する下り線トンネル出口はコンクリート造。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼上の山トンネル付近にあった看板。ここで置石事件があったらしい。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼7. JR中央本線 上の山トンネル 上り線(左)と下り線(右) 法面がすごい

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼甲州古道 与瀬下宿

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼廃青果店。

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼相模湖駅前の商店街

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼相模湖駅前ロータリー

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

▼相模湖駅ホームから 土手に「かんげい さがみこ」の文字
昔はただ「さがみこ」だけだったような

中央本線 小仏トンネル・小仏峠周辺の古トンネルと旧跡めぐり

奥多摩駅周辺~奥多摩工業~日原橋梁(東京都水道局小河内線)

駅前の工場と東京都水道局小河内線(廃線)の日原橋梁付近だけをちょろっと見て歩いた。

奥多摩駅ホーム眼前のセメント工場(稼働中)。奥多摩駅からの最後の石灰石貨物輸送は1998年であった(行先は浜川崎駅のセメント工場)。

奥多摩工業
〒198-0212 東京都西多摩郡奥多摩町氷川243−2
http://www.okutama.co.jp/
0428-83-2311

奥多摩工業

奥多摩工業

奥多摩工業

この建物はなんだろう。

奥多摩工業

JR青梅線 奥多摩駅。ヨーロッパのロッジ風の駅舎。東京最高所の駅。駅舎は開業した1944年(昭和19年)当時のもの。開業当時は「氷川駅」だった。1971年(昭和46年)、奥多摩駅に改称。

奥多摩駅

奥多摩駅前の商店。何軒かは後に廃業・解体されてしまった。

奥多摩駅前

西東京バス氷川サービスステーション細い文字がレトロでいい。

西東京バス

北氷川橋を渡った先の民家と石積み

北氷川橋

北氷川橋は昭和39年3月成。

北氷川橋

1967年(昭和42年)竣工(?)の夫婦橋

1967年(昭和42年)竣工の夫婦橋

夫婦橋。全国Q地図 橋梁マップには1967年(昭和42年)竣工と書いてあるけど、欄干には「昭和44年3月成」と書いてある。

夫婦橋

東京都水道局小河内線(廃線)の日原橋梁と日原川。東京都水道局小河内線は1952年(昭和27年)に小河内ダムの建設資材運搬用鉄道として敷設された。1957年(昭和32年)、小河内ダムの竣工間近に運行休止。

参考:鉄道廃線跡を歩く〈3〉 JTBキャンブックス 宮脇 俊三 (著) P.62-64

東京都水道局小河内線の日原橋梁

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川
段々になってる

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川

東京都水道局小河内線(廃線) 日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

トンネル入口に何かぶら下がってる。今日はここまで。

東京都水道局小河内線の日原橋梁

高尾霊園(紅葉台)登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)(登山)

雪降の日の高尾山への登山。GPSのログを途中で消失してしまったので、四辻からは適当に手動修正。実際のコースは違うかも。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪) 地図

高尾霊園わきの登山道。この時はまだヤブも生い茂らずフェンスもきっちり設置されて整備されていた(後年ヤブが生い茂りほとんど通れなくなった)。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

高尾霊園

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大西尾根の登山道とりかかりはとても眺めが良くて館ヶ丘団地を一望できたが、後年、すっかり木が成長して視界が遮られるようになってしまった(2020年追記)。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

左よりのひときわ高いビルはJR八王子駅南口のサザンスカイタワー八王子。その手前の4体のマンションは狭間駅近くのタウンズ八王子。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

館清掃工場の赤帯の煙突はまだ稼働中。老朽化のため、2010年9月30日で操業停止。2020年頃(?)に解体された。

竣工 昭和56年3月
建築構造 鉄骨鉄筋コンクリート
煙突 地上高100メートル
処理能力 150トン/日
焼却炉形式 全連続燃焼式焼却炉(日本鋼管 フェルント式)
所在地 八王子市館町2700番地

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大西尾根の雪ぐあい。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

拓大分岐

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻をおりたところ、ちょうど道標のある登山口で、開花している桜の花に出会う(追記:この桜、2020年には12月初旬に花をつけた。河津桜だろうか?)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

四辻方面への登山口

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

峯尾商店の横を通りケーブルカー・リフトのりばを経て高尾山頂に向かう。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

GPSのログを消失してしまい明確な登山ルートは不明だが、景色の良いルート。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

建設中のジャンクションが見える。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

高尾山の頂上。何も見えない。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

琵琶滝コースで下山。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

雪が溶けていた

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

ケーブルカー・リフトのりば前の広場に降りてきた。この建物もかなり古いと思う。

2010年2月2日 高尾霊園登山口~拓大西尾根~拓大分岐~四辻~高尾山(降雪)

昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。

「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 「八王子 八十八景」

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

(有)中島酒造場
〒192-0154東京都八王子市下恩方町725
042-651-3002
http://www.nakajima-sake.co.jp/
Google MapsMapFan

参考:65 下恩方の酒造場(下恩方町725)|八王子市http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003281.html(リンク切れ)

江戸時代末期に創業した八王子の地酒の醸造元のひとつ。昔は建物の背後に高木が数本生え、畑に囲まれ、ひなびた風景だった。

※2010年9月末に閉業した。

看板に主力販売商品の地酒「高尾山」「陣馬山」「日出山」の文字(看板は後に撤去)。酔い人「空太郎」の日本酒探検(http://blogs.yahoo.co.jp/qoopontan2/33289893.html%E2%80%8E)(リンク切れ)さんによると「昭和18年に戦時統制下で酒造りを中止、13年間のブランクを経て昭和31年に酒造りを再開」とのこと。木造以外にも古い建物が連なる。

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 「八王子 八十八景」

▼手前の2棟の建物は、2013年5月には解体され、更地になっていた。

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

中島酒造場の近く(本木バス停&菅原神社付近)にある巨大庚申塔

中島酒造場の近く(本木バス停&菅原神社付近)にある巨大庚申塔

少し離れた場所にある東京都水道局の川町配水所(周囲は観栖寺の霊園)

東京都水道局 川町配水所

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

八王子市小比企町 中小比企バス停の北側に磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)がある。牧場の北側の斜面に計12本の横穴式地下壕が残っている。戦中、三鷹町にあったエンジンのキャブレーター製造会社、三鷹航空機工業が疎開していた。疎開 計画は軍需大臣が1945年(昭和20年)4月に国内の航空機製造会社に出した命令によるもの。工事が始まったのは6月8日で、建設計画の10%ほどで敗 戦を迎えた。唯一内部まで観察できる第2坑は奥まで34m、横幅2.2m~2.5m、高さ約2m。第3坑は天井部分が崩落し、上の林に大きな穴が空いている。その他は入口がふさがったり、土地の造成によって消滅したため、壕内の状況を確認することはできない。

参考:フィールドワーク 浅川地下壕―学び・調べ・考えよう P.50
参考:産地発!たべもの一直線「八王子市発~東京の牛乳」 NHK総合 2008年6月1日(日) 6:15~6:50放送
参考:磯沼牧場 磯沼ミルクファーム(公式サイト)
参考:Web八王子辞典 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/print.php?NAME=%B0%EB%BE%C2%BE%EF%B1%A6%B1%D2%CC%E7 (リンク切れ)
参考:八王子事典 八王子事典の会 かたくら書店

地図:Google Maps
地図:国土地理院地形図

▼赤い線が引いてあるこんもりと木が生い茂った一帯が小比企地下壕の建設された場所。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼北西のほうから見た地下壕のある一帯。
中央の大きな木がこんもりと生い茂った一帯に地下壕が建設された。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼北東(大林禅寺の墓地北側)より眺めた地下壕のある一帯。
中央の大きな木の生い茂った一帯に地下壕が建設された。
この傾斜のきつい地形が地下壕建設に一役買ったのかな。
大林禅寺の墓地北側は非常に眺めが良く、北野街道や湯殿川をはさみ小比企町を一望できる。
左中央に見える肌色の3階建ての建物は磯沼商店。この店の手前に中小比企バス停がある。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

昔は「小引」ともいったらしい。

小比企村

▼磯沼ミルクファームのウッシー達。この牧場ではホルスタイン(白黒ブチ)、ブラウンスイス(グレーがかった茶)、ジャージー(茶・大きな瞳)牛の3種類を飼っていて、3種類の乳をブレンドした牛乳が売られている。 ホルスタインはさわやかで、ブラウンスイスはコクがあり、ジャージーはマイルドな味なのだそーだ。多頭が放牧されており、交通量もそれなりにある道路に面した牧場なのに、のどかな風景。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼南西(北野街道側)から見た地下壕のある一帯。奥の林が地下壕の作られた斜面。第8坑、第7坑付近。右手前は磯沼牧場の牛舎。大きなウッシー達が多数モグモグ草を食べている場所。磯沼牧場は消臭対策としてカカオ殻やコーヒーかすを使用しており、それが匂いの少ない堆肥としても人気を得ているらしいが、この場所は堆肥らしい匂いが少々漂う。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼牛舎のウッシー達。間近で見るととても大きくて迫力がある。ジャージー牛はつぶらな瞳でとっても可愛い。この写真は尻向きだが…

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼第8坑、第9坑が作られたあたりの斜面。現在この傾斜のきつい林は太りすぎた牛をダイエットさせるための放牧場所となっている。かつての地下壕の上をウッシー達がのっそのっそ歩き回っているなんて。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼第10坑の入口付近にある石仏。「宝暦二壬申申歳(1752年) 右意趣者願望成就修也 九月吉日 武州小比企村 磯沼常右エ門」と刻まれている。手前は新しめなので近年建てられた?ちなみに磯沼常右衛門  http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/print.php?NAME=%B0%EB%BE%C2%BE%EF%B1%A6%B1%D2%CC%E7(リンク切れ)は小比企村の名主。磯沼牧場の磯沼さん宅は江戸時代(?)から続く名家のようだ。すごいなぁ。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼道の左側の林に第10坑、右側の林に第9坑と第8坑が作られた。右側の林はダイエット牛用の放牧地となっている。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

▼頭しか見えないので太っているのか分からないけど・・・ダイエット放牧地でもぐもぐ草を食べていた牛たち。

小比企地下壕跡(三鷹航空機工業小比企疎開地下工場跡)

第8坑~第12坑あたりは牧場として使用されているが、第1~第7坑付近は牧場として活用されていないのかな。
近くまで行けなかったのでよく分からなかった。

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前の商店街。古風な銅版建築は「いも仙」というお店。2014年12月現在、ストリートビューで確認してみると、再開発のために解体された模様。銅版建築の見事な八百屋さんだったのに…周囲のレトロな商店も軒並み解体され、道路が拡幅されていた。

東京都調布市上石原 1-26-6
電話 0424-83-2327

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布一番街。古い民家と商店が連なり、味わいのある細路地だったが、ストリートビューで確認してみると、このあたりの家屋も2014年12月の時点で再開発のためにかなり解体されたようだ。残念。

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼上石原 大通り商店街
この辺に立ち並んでいた家屋は再開発でこぞって解体された

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼上石原 大通り商店街 解体済み

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布駅前通り 再開発で随分景観が変化した模様

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

▼西調布駅前通り 松屋薬店 2014年6月以前に解体されてしまったようだ

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

西調布駅前通り 石山医院、昇文堂、魚長、HEID、NOJI
再開発でこの辺もこぞって解体された

西調布駅前通り~(銅板建築)いも仙~西調布一番街~上石原大通り商店街

後年、CD-ROMへの焼きこみが失敗してしまい、この日に撮影した写真の多くを紛失してしまった。

国立天文台 三鷹キャンパス

住所:東京都三鷹市大沢2-21-1
入場:無料
時間:10:00~17:00(10月~3月は16:00まで)
電話:0422-34-3600(代表)

1920年(大正9年頃) 地形図 天文臺が記載されている
1930年(昭和5年頃) 国立天文台付近 地形図
昭和前期 国立天文台付近 五万分一地形図
Google Maps
国土地理院
自然科学研究機構 国立天文台(NAOJ) 公式サイト
国立天文台 三鷹キャンパス – MapFan(マップファン)
国立天文台三鷹キャンパス – Wikipedia

▼重厚な門柱

国立天文台 三鷹キャンパス

▼入口を入ったすぐの所にある小さな小屋。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室のそばにあった古い木造電柱

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室 内部

国立天文台 三鷹キャンパス

▼第一赤道儀室の天井。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス ▼大

赤道儀室。天文台歴史館となっていて、内部にはいろいろな展示物がある。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。アンティークな天井。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。焦点距離約10mの巨大望遠鏡。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼大赤道儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼アインシュタイン塔。内部は入場不可。登録有形文化財。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼アインシュタイン塔。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼スクラッチタイル張りの旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。スクラッチタイル張りだったのは建物の表半分だけだった。
裏側は普通の壁面だった。これも可愛いけど。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼旧図書館。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室の内部展示物。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼レプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環。巨大バウムクーヘン巻き巻きエスカルゴハウス。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の内部。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の内部。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環内部から外を眺める。正面はレプソルド子午儀室。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環の窓。

国立天文台 三鷹キャンパス

国立天文台 三鷹キャンパス

▼ゴーチェ子午環近くにあった古い木製電柱。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼森のなかのゴーチェ子午環。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼自動光電子午環。これは比較的新しい。
1982年9月設置、1983年より観測開始。

国立天文台 三鷹キャンパス

▼天文台 地図

天文台 地図

国立天文台 三鷹キャンパス

後年、CD-ROMへの焼きこみが失敗してしまい、この日に撮影した写真の多くを消失してしまった。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間) 明治22年竣工(甲武鉄道時代) 日野市

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

1889年(明治22年)7月に完成した甲武鉄道会社線の多摩川橋梁(明治21年11月から着工、開業1889年8月11日)。当初の全長は1373フィート8インチ(418.7m)で、単線だったが、1937年(昭和12年)頃に複線化し、全長も439.98mに伸びた。

▼写真手前の上り線側が明治の甲武鉄道時代に架けられた古い鉄橋で、右後方の下り線が昭和12年頃に完成した鉄橋。上り線の橋台は所々コンクリート造に変えられているが、甲武鉄道時代の古い煉瓦造の橋台も残っている。

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

2009年2月に訪れたら、いつの間にか、1つの煉瓦造の橋台を除いて灰色のペイントが施されていた。上り線のプレートガーダーの側面にはJ型スティフナー(補鋼材)が垂直に取り付けられている。J型スティフナーは明治30年代以前に設計された典型的な英国式ポーナル形の桁。ガーダーには緑色の新しい塗料が施されており、一見して古い鉄橋とはわかりづらい。

参考:
多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 口絵写真P.13, P.91-97, P.100-101
JR東日本八王子支社|中央線まめ知識|中央線の歴史 1880~1899年
多摩川橋梁 菊地博和のホームページ

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

〒191-0001 東京都日野市23

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

▼日野寄りの橋詰部分

多摩川橋梁・中央線(日野~立川間)

避溢橋の橋台跡(煉瓦造) 甲武鉄道時代 中央線 立川市

避溢橋の南側橋台(煉瓦造) 

甲武鉄道時代、中央線・日野~立川間の多摩川に多摩川橋梁が設けられた際、水害防止のために立川寄りの低湿地に、全長532フィート8インチ(162.4m)の避溢橋も設けられた。 後に避溢橋は解体されたが、今でも新奥多摩街の北側の小道を跨ぐ橋台に避溢橋の南側部分の煉瓦造を見ることができる。読みは「ひいつばし」?「ひいつきょう」?どちらだろう。使われているのは日野煉瓦製造所製レンガなのかな。

参考書籍:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.100-101

地図:
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
東京都立川市富士見町/東京都立川市柴崎町

避溢橋の南側橋台(煉瓦造)

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)(架替済) 甲武鉄道時代の遺構

立川第一陸橋(山中眼鏡橋) 

かつて煉瓦アーチ橋であった、山中めがね橋。橋台部分に煉瓦が残る。この橋台の煉瓦は甲武鉄道建設時に創業した日野煉瓦製造所製のものと思われる。鉄製の部分にはイギリスのバロー社製などの古レールが使われている。

2008年3月26日~2010年9月13日橋りょう工事。
2009年2月23日~2010年4月末頃まで架替工事のため通行止め。

2010年のストリートビューで旧橋が解体されたのを確認。

参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.101,113-116

国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)

立川第一陸橋(山中眼鏡橋)

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