17時で店じまいのようで閉店してしまった。それまで電気ついて人が出入りしてたからゆっくり入れると思ってたのに。
奥多摩 多摩書房
Tama Bookstore/Tama-Syobo Okutama
都内最西端のレトロ書店。
4-1098,Futamatao,Ome-shi,Toyko-to,198-0171 Jaoan
〒198-0171 東京都青梅市二俣尾4丁目1098
0428-78-8496
店舗わきの小さな階段が気になる
お向かいのクリーニングショップ美洗館も気になる
1942年竣工(1930年竣工の説もあり)
2015年解体
1階フロアのカーブを描いた壁面がとても洒落ていた戦前築の古ビル。
〒104-0061 東京都中央区銀座4丁目3−6
参考:銀座にある取り壊しになるビルで展覧会「THE MIRROR」がこの秋開催されます。 _ 青い日記帳
参考:多摩美 環境デザインマニアック 名古屋商工会館
ドアのいかめしい金文字は竣工当時からのものかどうか不明だがレトロ
ドア上のルームナンバープレート
こちらもドア上のプレート。タイプライターで打ったみたいな書体。竣工当初のものか不明だが、これも古そうだ。
昭和6年創業のキャバレー
Official Website
Cabaret Shiroibara
Address:1-5-18,Ginza,Chuo-ku,Tokyo-to,104-0061 Japan
〒104-0061 東京都中央区銀座3丁目5-18
Telephone:03-3561-2845
Bar (Sakaba), Cabaret, Closed for Business, Entertainment District, Tokyo-to, Tokyo-to Chuo-ku
町田街道入口(熊野神社前バス停)付近。武蔵中央電気鉄道(八王子市営路面電車)跡の浅川原駅と浅川駅前駅の中間あたり。
甲州街道、追分町~高尾町にかけて約4キロメートル続く763本の銀杏並木。昭和2年(1927)の大正天皇の多摩御陵完成に伴い、昭和4年(1929)に道路改修された際に、宮内庁によって植えられたもの。路面電車の運行開始年と植樹年が一緒。今では15メートル以上に達しているものもあるが、当時は2メートルほどの苗だったらしい。秋になると街道がみごとな黄金色に染まる。
廃業した武の湯が告知通りに解体作業を開始。
Sento Takenoyu Nishi-Hachioji Under Demolition Work
隙間からペンキ絵の壁画がみえる (つД`;)
さよなら…
Public Bath Sento Takenoyu Under Demolition Work
銭湯 武の湯 解体工事中 西八王子
1-7-10,Sennninncho,Hachioji-shi,Tokyo-to,193-0835 Japan
〒193-0835東京都八王子市千人町1-7-10
TEL 042-661-3114
map : Google Street View
※昭和28年開店、約60年の歴史のある銭湯。昔ながらのレトロなスタイルで、ペンキ絵の壁画、洗い場、番台、神棚、下駄箱があった。残念ながら施設・設備の老朽化により平成25年(2013年)7月31日をもって営業終了。同年8月末に解体された。『八王子フィルムコミッション ロケ地情報』(http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/hachioji-fc/location_search/details.htm?locati_no=L110902-013620&category_no=60)に浴室や脱衣所の写真が掲載されている。(2016-05-05時点でリンク切れ)
ジョギング帰りに着替え持参で銭湯に立ち寄る案を実行しようと思い、やっと2013年8月11日に実行できたかと思ったら、期待を寄せていた武の湯が廃業になっていてビックリ。「60年営業を続けてきたが7/31で閉店」とのこと。建物はこれから解体されるらしい。せめて最後に一風呂浴びたかった。もしかして2007年6月19日に入浴したのが最後か…
Sento Takenoyu Nishi-Hachioji Dismantling Announcement
Public Bath Sento Takenoyu
武の湯(たけのゆ) 西八王子
Public Bath Sento Takenoyu
〒193-0835東京都八王子市千人町1-7-10
1-7-10,Sennninncho,Hachioji-shi,Tokyo-to,193-0835 Japan
TEL 042-661-3114
map : Google Street View
▼アイロンプリントみたいにのっぺりした「武の湯」の文字。
▼建築計画のお知らせと最後の挨拶
ジョギング銭湯と最後の風呂納めの夢がかなわず、悔しくって、後日解体工事中にも再訪問してしまった。すきまからペンキ絵を見るのがやっとだった。
昭和28年より営業、昔ながらのレトロな銭湯、60年の歴史のある老舗だっったが、残念ながら施設・設備の老朽化により平成25年(2013年)7月31日をもって営業終了、同年8月末に解体されてしまった。『八王子フィルムコミッション ロケ地情報』(http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/hachioji-fc/location_search/details.htm?locati_no=L110902-013620&category_no=60)に浴室や脱衣所の写真が掲載されている。(2016-05-05時点でリンク切れ)
【ジョギング&登山】
元八王子市民センターで映画「気違い部落」の無料上映会があったので見て来た。DVD化はされていないので、作品の舞台に近い場所で鑑賞できる貴重な機会。過激なタイトルで勘違いされそうだけど、被差別部落についてのタブーについて触れた作品ではない。部落という言葉も本来の意味である集落を意味するもの。極貧の山奥の部落(現在の下恩方町に当たる)に住む田舎者達の奇妙な風習をユーモアや皮肉を交えながら描写した作品。ただし冒頭であっけらかんと犬を犬鍋に調理して食べてしまうシーンが出てきてびっくり。ドギツい描写にも思えるが、情緒を一切排除した所が妙に爽快にも思える。葬式は坊さんに読経してもらうのでなく、お経のレコードで済ませてしまうという滑稽さ。総じておかしな人々の集いなのだけど、ラストで村人達から村八分にされた主人公(伊藤雄之助)が「この部落を出てどこに行っても結局は同じだ」というセリフを吐き、どーんと現実に引き寄せられ重みにはまる。今の私達の暮らしぶりの中にも『気違い部落』な要素はたくさんあるのかもしれない。ただし自分達を『気違い』扱いしたということで、当時きだみのるへの地元民への反発は凄まじかったらしい。
監督:渋谷実
原作:きだみのる
音楽:黛敏郎
脚色:菊島隆三
きだみのるの原作は読んでないけど(図書館で予約待ち)、映画が面白かったので「気違い部落」のモデル地である下恩方町の辺名集落を、新たなジョギングロードの開拓も兼ねて散策してみた。きだみのるは太平洋戦争末期に廃寺だった医王寺に疎開してきて、1943年(48才)から1965年(70才)までの22年間にわたり下恩方町・辺名(へんな)部落で過ごしたらしい。
参考:きだみのる「気違い部落」 松岡三五郎のひとりごと
参考:きだみのる – Wikipedia
参考:Web八王子事典 きだ みのる http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%A4%AD%A4%C0%A1%A1%A4%DF%A4%CE%A4%EB (リンク切れ)
参考:公平な分け方は悪徳に分類される強欲の所産である(きだみのる)
参考:「気違い部落周游紀行」の原風景~八王子市上恩方町上案下 – 澎湖島のニガウリ日誌
参考:気違い部落周遊紀行 きだみのる everyman’s Rock etc
参考:Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る – 辺名地区
参考:MapFanWeb(地図)
辺名地区の変遷 大正10年(1921年)|昭和12年(1937年)|昭和24年(1949年)|昭和41年(1966年)|現在(2013年) |
訪問地リスト 1.コンクリブロックの祠に入った古地蔵 2.古い木製電柱 3.御嶽神社 4.壊れかけた古い石仏 5.古地蔵の大きめ祠 6.辺名の桜(辺名の三叉路) 7.元神社跡(?)の小さな祠 8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑 9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体 10.現在の醫王寺(医王寺) 11.金山神社 12.辺名部落 13.自家製酵母パン屋グルヌイユ |
3.御嶽神社
鬱蒼とした山の麓にある神社。この神社の境内で映画「きちがい部落」のロケが行われたらしい。映春に百八灯祭が行われる。
参考:ひなたぼっこの縁側日記 春祭り(百八灯祭)
参考:柏書房 『江戸東京歳時記をあるく』 第43回:下恩方上宿の百八灯
3.御嶽神社
周囲には他にも木造小屋や古い石造の祠や踏み跡などがあった。
2.古い木製電柱
正面の山の裏側に、きだみのるが住み着いた廃寺、医王寺がある。
民家が14軒しかなかった辺名集落と違い、こちらの川原宿の集落は大正時代から栄えていたようだ。
1.コンクリブロックの祠に入った古地蔵
上宿町会会館の駐車場内にある。
上宿町会会館の南西の細い路地は近年拡張されたものらしく、昔の地図には載っていない。古地蔵は比較的小さい。
4.壊れかけた古い石仏
辺名の三叉路にあるのと同じ腕が6本タイプのものに見える。
5.古地蔵の大きめ祠
祠は昭和53年(1978年)に作られたもの。
6.辺名の桜(辺名の三叉路)
東に伸びている道は昭和24~41年(1949~1966)の間に拡張されたもののようで、アスファルト自体は新しめ。
この道路は「モリアオガエルの道」として小津町の方まで続いている。
その整備された道路の真ん中に不釣り合いな古い石仏群が鎮座している。
参考:八王子よいとこ_モリアオガエルの道-1 東京八王子UTR不動産のつぶやき日記
参考: 下恩方町辺名の三又路にある.昔から土地の人は“小津(乙)な所に辺名の桜”と呼んできた.江戸期,千人同心たちが大山参りの際に桜の幹の上で酒杯を交わしたと伝えられ,「日本老樹名木誌」に記載された名木であった.現在,枯死した幹の両側に2本の桜が植えられている.木株の下に芭蕉の句碑がある(『三多摩風土誌』). |
(左)芭蕉の句碑 参考:ひなたぼっこの縁側日記 謎が解けた三叉路
(右)腕が6本ある古い石仏 「天明三年(癸卯)八月朔日」の刻印。1783年の石仏のわりには風化が少ないように感じる。
7.元神社跡(?)の路傍祠
医王寺入口の分岐、更地の隅っこにある詳細不明の小さな木の祠。
1966年頃まではこの辺に神社があったようで、地図に記載されているが、それが「金山神社」(現在は辺名町会館の裏にある)なのかは不明。
12.辺名部落。医王寺入口の分岐。
戦中この一帯に14世帯の民家が立ち並んでいた。
この道の突き当り、正面の山の右手側の麓に醫王寺(医王寺)ある。
正面の山の左側の麓に御嶽神社がある。
11.金山神社と辺名町会館
辺名町会館(右)と、その真裏にある金山神社(左)。
やけに新しいので、以前別の場所にあったのを移設したのか?と推察。
9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
かなり古そうだけど、文字類は風化していて判読不可能。
きだみのるが醫王寺(医王寺)で暮らしていた当時からこの付近にあったものを整備後に移転したもの?
10.現在の醫王寺(医王寺)
きだみのるが戦中に疎開してきた当時は廃寺だったらしい医王寺。再建したのか。
▼山の斜面に墓地がある。造成されてるかもだけど、急な地形が映画「気違い部落」のイメージに重なる。
醫王寺(医王寺)の裏側は人工的に整地されていて、きだみのるが住んでいた当時とは雰囲気が異なっていそう。1970年代か1980年代に造成されたみたい。かつて標高300mの山が寺の南西部にそびえていたようだが、1970年代から採石場→圏央道と変遷を遂げ、砕石のためにすっかり切り崩されてしまったようす。
▼醫王寺(医王寺)の東側の山を越えた向こう側には、映画「気違い部落」のロケが行われた御嶽神社があり、ぐるっと回らずに近道できれば便利そうだが、この岩肌の目立つ急斜面だと往来できる気がしない。
8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑
辺名集落のはずれの空き地に建立された石碑。
参考:下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地|八王子市
13.グルヌイユ(自家製天然酵母パンとお菓子のお店)
辺名の三叉路(辺名の桜)近く。辺名部落にあるお店はここ一軒だけなので、記念に。
久しぶりに訪れた中島酒造場、いつのまにか廃業して工場棟も解体され、古い建物を残して更地になっていた。2010年9月末をもって閉業したらしい。江戸時代末期に創業した、八王子の地酒の醸造工場だったのに。公式サイトは現在、なぜか富士山と人形の写真置き場になっている。
(有)中島酒造場
〒192-0154東京都八王子市下恩方町725
042-651-3002
http://www.nakajima-sake.co.jp/ Google Maps/MapFan
参考:
東京の中島酒造場が廃業(涙) – 酔い人「空太郎」の日本酒探検 – Yahoo!ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/qoopontan2/33289893.html%E2%80%8E(リンク切れ)
参考:65 下恩方の酒造場(下恩方町725)|八王子市http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003281.html(リンク切れ)
▼新しい木の杭。解体の準備かなにか?
▼民家のような建物も周辺に数棟あり。住居を兼ねた工場だったのかな。
北浅川に架かる八王子の違法手作り橋(勝手橋・仮橋・流れ橋)。
大幡町の住民の人達による手づくり橋。違法を警告する看板が傍らに設置してある。川は浅く水深10cmもなさそう。コンクリ製の輪っかと細くて貧弱な金属の骨組みの上に薄いベニヤ板が渡してあるだけ。渡るうちに板をぶち抜きそうで怖い。地元学生はこの橋を自転車で難なく渡る。
2012年6月17日にTBSの「噂の東京マガジン」で報道されたこともあり、知る人ぞ知るマニア物件らしい。その直後、台風で破壊→修理→復活(古くからそれを繰り返している模様)。
参考:東京都八王子市 「住民手造りの橋」訪問記 – 埼玉発 おとなの小探険 – Yahoo!ブログ
噂の東京マガジンの 仮橋を見に行く – バナゴン 90 アトランテック – Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/kiuchivw26/31951135.html (リンク切れ)
▼2013年4月、10ヶ月ぶり位に訪問。また残骸が散らばっていた。この橋を渡れないと、車道沿いに約1.4km遠回りする必要がある。隣の下流の橋は2.5kmほど先の松枝橋らしい。陵北大橋を渡って約1.4km遠回りしかけた。が、これまで行き止まりだと思っていた藪(西寺方グラウンド・陵北公園の北方)に新しく砂利を敷き詰めた歩道ができていたので、1.2km前後の遠回りで済んだ。
▼新しく砂利を敷き詰めて作った道かな。以前はこんな道なかったような気がする。
この橋はGoogle MapsもYahoo!地図も一本線で描かれているが、NAVITIMEは車も通行可能そうな立派な表記(2017年2月現在、修正済み)。
▼大幡町会の看板はなくなってたが、違法を警告する看板は健在だった。
▼2013年5月初旬、再々訪問。みごとに修復されて復活していた。ずっとこの繰り返しなんだろうなあ。
▼昭和初期の地形図
▼昭和41年の地形図にもはっきり橋が描かれている。
参考:1950年(昭和25年)の手作り橋周辺の地形図
参考:昭和前期の手作り橋周辺の五万分一地形図
参考:1930年(昭和5年)の手作り橋の周辺地形図
参考:1920年(大正9年)の手作り橋の周辺地形図
参考:明治大正時代の手作り橋の周辺地形図
「噂の東京マガジン」公式サイトによると、地元住民が「噂の東京マガジン」側に取材を依頼したらしい。違法性を指摘される問題物件でありながらも、皆で協力しあって橋を作ることで住民の結束が高まるという良い効果も生み出しているらしい。
番組公式サイト:TBS「噂の東京マガジン」 是か非か?掟破りの「手作り橋」 2012年6月17日放送
▼2013年6月20日、テレビ朝日 ワイド!スクランブルでも報道されたらしい。
違法…でも便利“手作り橋”に行政がNO!! ワイド!スクランブル 2013年6月20日 12 25放送 – TVログサーチ 放送内容 川を渡った先にある、郵便局やバス停、八王子駅方面まで、手作り橋を利用すれば400mのところを、陵北大橋を使用すると3倍の1200mになる。実際に 歩いて時間を測ってみると、手作り橋を利用すると4分、利用しないと15分もかかった。大畑町会にも最寄りのバス停があるが、八王子方面に出かける場合、 往復で100円多くかかるという。しかしこの橋には問題があり、年に3~4回大雨で流されてしまうという。地域住民は流される度に3~40人で作り直すと いう。さらにもう1つ、河川法に違反しているというのだ。そのため、東京都は3年前橋を作った住民に「橋を撤去」するよう警告していた。しかしこの場所に は江戸時代から橋はあったと住民は言い、旅人の安全を祈願するために建てられた「馬頭観音地蔵」もあった。しかし河川法が施行され、橋を作るには河川管理 者の認可が必要になり、さらに周辺の住宅地開発に伴い陵北大橋を設置。しかし住民は手作り橋を流される度に作り直しているという。 このままでは手作り橋を作った住民は河川法違反の可能性があり、罰則が与えられる。河川管理者の東京都南多摩西部建設事務所の回答は「河川法の許可を受け ていない橋であることを確認したので現状に回復するうようお話をし看板を設置しました 河川法に違反しているのでこれを認めることはできません」とのことだった。 |
Yahoo!検索(リアルタイム)http://realtime.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%89%8B%E4%BD%9C%E3%82%8A%E6%A9%8B&fr=krank_hb_rt&ei=UTF-8&rkf=1 (リンク切れ)では賛否両論。
自分はこの風情嫌いじゃない。
武蔵野・多摩MTB散歩(members.jcom.home.ne.jp/nobish/bridge.html)(リンク切れ)で今とほぼ変わらない2003年の仮橋の様子を確認できる。
Twitterには「年に4~5回、流されてきた、費用=40万円~50万円、八王子市が開発にともない、立派な「凌北大橋」を作ったが 住民は生活に便利な手作り橋を利用」「戦国時代から在るんですって! 八王子発行の地図に、掲載されている。 徳川様もご利用なさった」「江戸時代から橋があったものが1964年の河川法で違法に」などの情報も。
たまに酔っ払いが川に落ちるとの噂もあるらしい。昭和の漫画っぽい光景のエピソードだなあ。
▼手作り橋の近くにある馬頭観音地蔵。
▼対岸にも馬頭観音地蔵があるらしいが、周辺をざっと探してみたけれど、残念ながら見つけられなかった。こちらのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152/38621907.html(リンク切れ)様に対岸側の馬頭観音が載っていた。今度訪れたら探してこよう。
すっかり薄暗くなって、帰路についた。
昔よく通いつめた八王子のラーメン屋。こぢんまりとした店内で、8人も入れば大混雑になりそうな店。庶民的なラーメン店で、塩系の味が好みだった。チャーハンもよく食べた。はっきり覚えていないが、たぶんこの日注文したのは塩バターラーメン。600円。
2013年7月終わり~8月のあたま頃に照明が点灯しなくなったので心配していたら、本当に閉店してしまった。2013年8月23日には看板が撤去されていた。閉店挨拶の張り紙はとくに張られていないようだった。2013年11月1日、前を通ったら解体されて更地になっていた。最後にもう一度食べたかった。
東京都 八王子市 東浅川町 528-6
https://gyazo.com/860ea5af249a00dbd255b3fd1cd9b46f
https://gyazo.com/cdf326b15c9c5807bb1d1356dea6a08e
高尾駅が開業した当時の明治34年(1901年)は、デッキにステップのついた列車のみが発着しており、ホーム高は今より低かった。その後ステップ不要の車両に対応するために、ホームはかさ増しされた。現在の高尾駅のホームは土台はすべて甲武鉄道時代に作られた煉瓦積みのもの。ただし外壁が塗りつぶされていて、煉瓦が確認しづらくなっている。2番線ホームは塗装の剥がれ落ちた部分からレンガ積み部分の土台を確認できるが、4番線ホームの煉瓦はむき出しになっている(南口から確認可能)。高尾駅だけでなく、相模湖駅や鳥沢駅、四方津駅などでも甲武鉄道時代の煉瓦ホームが確認できる。