第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

JR中央線とJR八高線の分岐にある甲武鉄道時代(明治時代)に作られたレンガ積みの橋りょう。2000年頃まで近くの民家の中にも甲武鉄道の煉瓦積み擁壁が残っていたらしいが、2007年に見に行ったら駐車場になっていた。残念ながら解体されたらしい。道の真中に突き刺さってる古い木材も気になる。
参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
参考:JR東日本 中央線の歴史
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ガラケーなので画質が…

第2石曽根橋梁 甲武鉄道時代の煉瓦積み橋梁

No. 2 Ishizone Bridge – Koubu Trains (Kobu Tetsudo)

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴(閉業・解体済)

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴

昭和28年より営業、昔ながらのレトロな銭湯、60年の歴史のある老舗。

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴(閉業・解体済)

※残念ながら施設・設備の老朽化により平成25年(2013年)7月31日をもって営業終了、同年8月末に解体されてしまった。『八王子フィルムコミッション ロケ地情報』(http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/hachioji-fc/location_search/details.htm?locati_no=L110902-013620&category_no=60)に浴室や脱衣所の写真が掲載されている。(2016-05-05時点でリンク切れ)

甲州街道の商店街とは離れた住宅地の中にある銭湯。記憶にある限り、この日で2度目の入浴。浴槽にペンキ絵の壁画、男湯と女湯のしきりにバンビ・猿・ウサギなどの動物が描かれたタイル壁画、洗い場、番台式、神棚、ドライヤー椅子、マッサージ椅子、下駄箱がある昔ながらのオーソドックスな銭湯。脱衣所は結構広い。脱衣所に西八王子の手作り感あふれる地域情報誌(小冊子)が置いてあってもらってきた。

Public Bath Sento Takenoyu Nishi-Hachioji
銭湯 武の湯 西八王子
〒193-0835東京都八王子市千人町1-7-10
TEL 042-661-3114
1-7-10,Sennninncho,Hachioji-shi,Tokyo-to,193-0835 Japan
地図:Google Street View

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴

煙突には「武の湯」の文字。

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴

下駄箱。

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴

料金はまだ値上げ前の430円。

参考:東京都内の銭湯、入浴料金が450円に20円の値上げ – ニュース – nikkei BPnet 2008年6月3日 15時19分 http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz08q2/573522/(リンク切れ)

西八王子 千人町の銭湯 武の湯 入浴

↓30年くらい前までは、高尾町(甲州街道沿い)にも「てんぐ湯」という銭湯があった。私も子供時代に入ったことがある。しかし家屋等の記憶がなく、場所ももっと高尾山寄りのように記憶していた。

213 名前: 多摩っこ 投稿日: 2012/04/17(火) 00:03:19 ID:pQJr2Tgw
かなり地味な話題ですが、JR高尾駅を出て左に20号線を200mくらい歩くと、進行方向左側に銭湯があった。
現在はもう無くなりましたがいつ頃無くなったのでしょうか?
ここの銭湯は2~3回程度しか行ったことがありませんが、週1でここのコインランドリーに通っていました。
確か建物の面影は残っていたような・・・。

237 名前: 多摩っこ 投稿日: 2012/04/24(火) 01:08:09 ID:+RVETxLQ
>>213
小学校のとき確か銭湯行ったな~
もう30年くらい前だけどw
いつなくなったんだろ
煙突があって、瓦が重厚な日本家屋だった気がする>>204
三井住友銀行の隣がたしか原幸とかいうスーパーだった
20年前は普通にあった

238 名前: 多摩っこ 投稿日: 2012/04/24(火) 06:29:12 ID:9K0fBe0Q
>>213>>204です。
>>237返信サンクス。
銭湯は冬場に水道が凍結したときだけ行ったことがある。w
思い出した。そうそう、「原幸」という店名だった。

239 名前: 多摩っこ 投稿日: 2012/04/24(火) 11:44:05 ID:NaNioqpg
てんぐ湯だな

240 名前: 238 投稿日: 2012/04/25(水) 00:06:29 ID:7WVptT5Q
元、てんぐ湯の近くの赤尾飯店はまだ健在だった。結局一度も行かなかったけど・・・。

まちBBS ▲▲▲高尾 36▲▲▲

下壱分方村 福岡 泉町

下壱分方村 福岡 

現・泉町。旧・南多摩郡元八王子村大字下一分方字四ッ谷茶筅村。また下壱分方村(しもいちぶかたむら)字福岡とも。1876年頃には800人以上の被差別部落民が住んでいた(福岡部落)(池田敏雄『人物による日本カトリック教会史: 聖職者および信徒75名伝』 (1968年)140頁)。町名の由来は湧水が多いことから。1972年(昭和47)以降に北浅川南岸の水田地帯を埋め立てて泉町住宅が建設された。丁番を持たない単独町名であり、住居表示未実施区域。

山上卓樹(カトリック伝道師・部落解放運動家)
1855年に裕福な被差別民として当地で生まれた。キリスト教を通じて自由・平等思想に触れ、山口重兵衛らとともに被差別部落への差別に抗議して自由民権運動に参加し、1878年(明治11)に聖瑪利亜教会(せいマリアきょうかい)(現カトリック泉町教会)を建てた。それまでカトリック泉町教会の位置にあった白山神社は廃社になった(本田豊『白山神社と被差別部落』p.113)。1892年の大火で全村のほとんどが灰塵と化したが、1927年に創立50周年を記念して聖堂が再建された。現在の聖堂は当時からのもの。泉町会館・泉町児童遊園がある敷地は山上卓樹や山口重兵衛らの同志の柏木豊次郎の邸宅跡で、民権運動の全盛期は板垣退助が訪れたという。自由民権運動を称える先覚之碑が建立されている。

昔の福岡部落 周辺地図
明治(2万)明治大正(5万)1920年地図1930年地図昭和前期(5万)1950年地図1970年地図地理院地図Google Maps

▼泉町湧水群

下壱分方村 福岡

▼泉町湧水群。豊かな水草。

下壱分方村 福岡

▼市営泉町団地。北浅川南岸の水田地帯を埋め立てて建設されたという平屋建て長屋家屋群。とっくに解体されてしまったが、昔の都営長房団地もこんな感じだったなあ。

下壱分方村 福岡

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

下壱分方村 福岡 

参考:<八王子市 自然体験講座> 元八王子の歴史を訪ねる~若葉の元八湧水をめぐる~[PDF]
参考:Web八王子事典 下壱分方村 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E4%B8%8B%E5%A3%B1%E5%88%86%E6%96%B9%E6%9D%91 (リンク切れ) 
参考:Web八王子事典 山口重兵衛 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E9%87%8D%E5%85%B5%E8%A1%9B(リンク切れ) 
参考:Web八王子事典 山上卓樹http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%8D%93%E6%A8%B9(リンク切れ) 
参考:生涯学習情報提供システム <えひめの記憶> 二 自由民権運動と被差別部落 http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/48/view/6432(リンク切れ)
参考:[mixi] 源六郎さん _ 八王子市さんぽ「陣馬街道④・諏訪宿から追分道標」
参考:八王子・泉町を歩く – 三多摩の鐘
参考:カトリック泉町教会 – 三多摩の鐘
参考:カトリック泉町教会 _ カトリック東京大司教区 ウェブサイト
参考:先覚之碑 八王子散歩見聞録 
参考:ケイ・スチュワートの世界 19.03部落問題委員会
参考:第9章 被差別部落のたたかい – 多摩 自由民権 自由民権資料館
参考:岡本洋之「明治期多摩における被差別民の運動と教育―山上卓樹(1855-1931)を中心に―」・2014-12-13境界研発表[PDF]
参考:【八王子市の生糸に関する人物】カトリックの浸透<山上卓樹の活躍>
参考:東京都 – 同和地区
参考:泉町 (八王子市) – Wikipedia
参考:Web八王子事典 泉町 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E6%B3%89%E7%94%BA(リンク切れ)  
参考:Web八王子事典 泉町住宅 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E6%B3%89%E7%94%BA%E4%BD%8F%E5%AE%85(リンク切れ)
参考:Web八王子事典 カトリック泉町教会 聖瑪利亜教会 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E8%81%96%E7%91%AA%E5%88%A9%E4%BA%9C%E6%95%99%E4%BC%9A(リンク切れ)
参考:叶谷榎池・泉町湧水群と水のまちづくり|八王子市 http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kurashi/life/002/004/004/p006620.html(リンク切れ)
参考:八王子の湧水|八王子市公式ホームページ
参考:ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版.html

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

管理が大変厳しい団地で、外から建物の写真を撮っているだけで守衛さんが飛んできて写真はダメだと怒られてしまった。他のサイトさんを見ても「公団なのに部外者を頑なに拒む団地」等と書いてあった。原宿団地物語という小説の題材にもなっていたし、訪れる人も結構いるだろうと思っていたので、神経質で排他的な対応にびっくりしてしまった。

参考:原宿団地 – Wikipedia

所在 – 東京都渋谷区神宮前三丁目(住居表示変更前の住所は原宿一丁目)
構成 – 6棟から構成、全112戸
中層フラット棟 – 4棟(4階建て、北廊下型)(2、3、4、5号棟)
スターハウス – 2棟(5階建て)(1、6棟)
竣工 – 1957年(昭和32年)
閉鎖 – 2010年(平成22年)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

公団 原宿団地 (スターハウス)(解体済み)

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿団地から200~300mほど離れた所にあるVILLA ROSA ビラ・ローザという10階建てのヴィンテージマンション。1969年の竣工らしい。内部には豪華なシャンデリアが飾ってあった。水色の色使いがレトロで、どことなくプチリゾートホテルのような雰囲気。

[住所] 東京都渋谷区神宮前3-31-17
[アクセス]外苑前駅より徒歩9分
[築年]1969
[設計]堀田英二
[構造]鉄骨鉄筋コンクリート造
[階数]地上10階建
[総戸数]19戸
[土地権利]
[施工会社]安藤建設株式会社
[分譲会社]興和商事株式会社

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

原宿 ヴィラ・ローザ VILLA ROSA 堀田英二設計

調べてみると、設計者の堀田英二氏によるビラシリーズというマンションは全部で7棟あるそうで、そのうち一番最初(1964年)に造られたビラ・ビアンカというマンションの方がビラローザより格好良いのであった。しかし螺旋階段まわりのデザインはかなり似ている。ビラ・ビアンカは、原宿駅からは800mの距離。

参考:ビラ・ローザ _ 青山賃貸.com
参考:VILLA BIANCA【昭和卅九年のデザイナーズマンション】 _ だnow
参考:ビラ・シリーズ kobarinの散歩道(建築物/ビル・ウォッチング)
参考:『かっこいいマンション』の検索結果 – ヨコハマ退屈日記
参考:堀田英二設計「ビラ・ビアンカ」を訪れて _ 新潟 _ 東京 _ 金子勉建築設計事務所DIARY

▼ビラ・ビアンカ

▼ビラシリーズの他の建物はわりと普通の外観だが、1974年築のビラモデルナなどは気になる。

京王電鉄(京王電気軌道)・御陵線と御陵線の橋脚

京王電鉄(京王電気軌道)・御陵線(廃線)の地図

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

旧「横山駅」をわたって100mほどしたところに現在でも残っている御陵線の橋桁。橋桁の上に植木鉢が置いてあり、日常生活に埋没している。

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

京王電鉄・御陵線と御陵線の橋脚

▼昭和49(1974)年の航空写真上に、御陵線が走っていたと思われるところをピンクの線でなぞってみた。

※左の長方形のピンクのポイントが多摩御陵前駅で、右の長方形のピンクが武蔵横山駅と思われるところ(微妙に場所は違っているかも)。長房南団地の敷地内を横切る感じで揺く左折している。真ん中に見える四角い敷地は遺跡公園。
引用元:国土情報システム発行 昭和49年(1974年)CKT-74-16 昭和49年度 八王子 1/8000 C33

京王電鉄・御陵線跡

▼現代の地形図に山田~多摩御陵前駅の御陵線の跡をピンクでひいてみたもの。

引用元地図:国土地理院 2万5千分の1 地形図 八王子

京王電鉄・御陵線跡

住所 八王子市長房町450付近 (橋桁の跡)
名称 京王御陵線(けいおうごりょうせん)
概要 1945年(昭和20年)に運行休止された御陵線の橋脚が今でも長房団地近くの住宅街にひっそりとたたずんでいる。
営業期間 1931(昭和6)年3月20日~1945(昭和20)年1月21日
運行年数 14年
営業区間 北野駅~多摩御陵前駅
駅一覧 北野駅 – 片倉駅 (現、京王片倉駅) – 山田駅 – 武蔵横山駅 (休止のち廃止) – 多摩御陵前駅 (休止のち廃止)
駅数 5駅(起終点駅含む)
開業理由 大正天皇崩御のため造営された多摩御陵へ多くの参拝客が集まったため。
休止理由 戦局の悪化
正式廃止日 1964年11月26日
再利用 御陵線休止から22年後の昭和42(1967)年10月1日、一部区間(北野~山田・めじろ 台)を再利用する形で京王高尾線が開通。
地図 運行期間が短いので、路線を確認できる地図は少ない。
軌間 1372mm
路線距離 6.2km
複線区間 なし(全線単線)
電化区間 全線(直流600V)- 営業当時、京王線も直流600V電化。
交通
  1. JR高尾駅北口から徒歩20分位(橋脚跡まで)
  2. 西八王子駅(中央本線)1246m 徒歩19分
  3. めじろ台駅(京王高尾線)1362m 徒歩20分
  4. 狭間駅(京王高尾線)1474m 徒歩22分
参考書籍 「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」山田俊明
旧版地図 旧版地図 [昭和前期] (5万) ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版(御陵線記載あり)
地図 MapFan.web
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都営長房団地 給水塔(解体済み)

38号棟そばの給水塔
都営第2団地一帯の解体とともに2008年頭頃(?)に解体された。
子供の頃、この給水塔が大好きだった。

都営長房団地 給水塔(解体済み)

↓2008年現在、現存している53号棟そばの給水塔。でも38号棟そばの給水塔は解体されたので、いつか解体される?かも。

都営長房団地 給水塔(解体済み)

御陵線橋脚南団地の間の路地(高村商店付近)から見た53号棟そばの給水塔。頭をちょっぴりのぞかせている。

都営長房団地 給水塔(解体済み)

↓54号棟越しに見た53号棟そばの給水塔。頭がにょっきり。

都営長房団地 給水塔(解体済み)

53号棟そばの給水塔のアップ。

都営長房団地 給水塔(解体済み)

↓色がとても可愛い!給水塔。手前の茶色い団地は都営長房北アパート。場所はココ

都営長房団地 給水塔(解体済み)

〒193-0824東京都八王子市長房町

長房団地一帯が竣工された昭和42(1967)年~昭和44(1969)年頃の竣工と思われる。

JR西八王子駅から路線バスあり。京王バス 長房団地バス停まで 所要時間約12分、運賃170円、区間距離約2.4km(2008年11月現在)

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高尾駅北口の古井戸(解体済み)

高尾駅北口の古井戸

旧ひいらぎ横丁(初沢踏切から国道20号に抜ける通り)から高尾駅北口側に入って数メートル、あさかわ食堂の並びにある古井戸。この古井戸は、かつて平屋建ての木造民家の庭にあったものだが、2007~2008年頃に民家が解体されてしまい、古井戸だけが残った。2008年暮れ現在、この一帯はガランとした駐輪場になり、ひいらぎ横丁も拡幅されて、すっかり風情が変わってしまった。井戸だけでも残されたのは嬉しいけど、子供の頃から慣れ親しんだ風景が消えるのは寂しい。 井戸脇にあった祠も2014年~2015年頃に解体された

※2014年2月27日、浅川食堂通りの古い民家や祠が一斉に解体されていた。2014年3月13日、とうとう古井戸2つも解体されてしまった。民家が解体されても古井戸が残されていたのは、地元住民の方の思い入れもあったのでないかと思うので残念。

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新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街

子供の頃から歌舞伎町は恐ろしい街だと聞かされていて、実際中学生くらいまでは周辺(都電跡の四季の道を通って新宿文化センターまで)を歩くことがあっても汚くて猥雑なイメージしか持てず好きになれなかった。でも昼間のゴールデン街界隈は外に洗濯物がほしてあったりして、意外にものどかな生活感を醸し出してる。

このときは知らなかったのだが、ゴールデン街は私道のため撮影禁止らしい。古今、写真家の人達が好んで撮影してるイメージがあったけど、昔はさすがに許可制ではなかったろうな。

11-7,Kabuki-cho,Shinjuku-ku,Tokyo-to,Japan (Uramado)
Shinjuku Golden Gai
東京都新宿区歌舞伎町1丁目1-7(裏窓)
A Guide To Tokyo’s Golden Gai | Nightlife in Tokyo | Rough Guides
Shinjuku Golden Gai – Wikipedia
新宿ゴールデン街公式サイト(誠美興業)
新宿ゴールデン街 ホームページ (三光商店街組合)
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新宿ゴールデン街

▼浅川マキのポスターが貼ってある裏窓。 Uramado Maki Asakawa

新宿ゴールデン街

▼ロンリー?

新宿ゴールデン街

子供の頃から歌舞伎町は恐ろしい街だと聞かされていて、実際中学生くらいまでは周辺(都電跡の四季の道を通って新宿文化センターまで)を歩くことがあっても汚くて猥雑なイメージしか持てず好きになれなかった。でも昼間のゴールデン街界隈は外に洗濯物がほしてあったりして、意外にものどかな生活感を醸し出してる。

このときは知らなかったのだが、ゴールデン街は私道のため撮影禁止らしい。古今、写真家の人達が好んで撮影してるイメージがあったけど、昔はさすがに許可制ではなかったろうな。

大学セミナーハウス 本館 吉阪隆正+U研究室設計 八王子八十八景

大学セミナーハウス 本館

吉阪隆正+U研究室設計、1965(昭和40)年開館、小高い丘の上に建つ。規模はそれほど大きくないが、打ちっぱなしのコンクリート外壁が迫力ある。2006年ごろだか、老朽化のため一部宿泊施設が取り壊された(?)とか。

参考:八王子八十八景 建築物の景68 八王子セミナーハウス(大学セミナーハウス)(下柚木1987-1)|八王子市 http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003284.html(リンク切れ)
参考:八王子八十八景パンフレットダウンロード
参考:八王子セミナーハウス
参考:大学セミナー・ハウス – Wikipedia

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階段上の建物の目が見下ろしている。

大学セミナーハウス 本館

大学セミナーハウス 本館

裏は意外と生活感ある。

大学セミナーハウス 本館

以前はセミナーハウスの前に茅葺屋根の家屋が建っていたが、2007年に取り壊されてしまったらしい。
参考:大学セミナーハウスでのスケッチ – 水彩画作品 – Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tueda67/38961447.html (リンク切れ)

大学セミナーハウス 本館

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」

新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」

10/14~10/17

参考:東京国際ファンタスティック映画祭 – Wikipedia
Sankou :新宿TOKYU MILANO – Wikipedia

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

表紙絵は井上三太

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 * 東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

地下幻燈劇画 少女椿 / MIDORI 丸尾末広 1992年/52分/日本/デジタル/霧生館 ゲスト:絵津久秋(監督)  ■指定席作品:前売1,500円/当日1,800円 10月14日(水)開場21:00/開映21:20 ※『地下幻燈劇画 少女椿』は、18歳未満の方はご入場はできませんので、ご了承ください。※指定席券が売切れの場合、当日立見券を販売する予定です。 【発売】チケットぴあ

ミラノ座って、客席数1288で、国内最大の映画館らしい

トークショー・ゲスト:絵津久秋(監督)、丸尾末広(原作・体調崩し欠席)、犬神凶子(犬神サアカス團)、いとうせいこう

悲しい事に、少し遅れて到着してしまい、ゲストの紹介を見逃した・・・。丸尾末広が体調崩し欠席は残念。

客入りは盛況で、こんなに大勢の人が一堂に会して背徳的でアンダーグラウンドなアニメ映画を見るのかと不思議なくらい。会場はにぎやかで明るい。まあ映画のお祭りだし。
上映されたのが大ヒット御礼のハリウッド映画じゃなかっただけ。

アニメ映画の音楽担当は寺山修司作品でも有名なJ・A・シーザー。丸尾末広と寺山修司が直接つながりがあったのかは知らないけど、この場では両者の境界がまったくわからないような雰囲気だった。

※追記:寺山修司は丸尾末広の存在を知っていたらしい。

参考:寺山修司は天井桟敷のポスター画を丸尾末広に依頼しようとしたことがある – 惚れたといったら嘘になる恋といったら笑うだろ

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

舞台脇に球体関節人形が置いてあった。作者はよく分からないが、たぶん清水真理さん…?それから見世物小屋の看板美術と。
清水真理・ストロベリーフィールズ

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

「少女椿」の原作漫画は読んだことがないのだけど、「夢のQ-SAKU」を中学生の頃に親に隠れてこっそり読み衝撃を受けて気分が悪くなったりしていた。高校生の時に丸尾末広を持ってるのが親にバレるとまずいからという理由で作品集か何かを友達から預からされたこともあった。それらに比べると少女椿はグロ描写や過激成分が控えめで女性でも抵抗なく鑑賞できそうだし、主人公がみどりちゃんという可愛い女の子なのも感情移入しやすい雰囲気。丸尾末広作品というと、それまで自分の中ではバタイユ眼球譚をもっとグロテスクにしたような泥臭いイメージばかりがあったのだけど、「少女椿」ではお洒落っぽさやキャッチーな雰囲気が備わった感があるなーと思った。

変なたとえかもだけど、林静一の小梅ちゃん、丸尾末広のみどりちゃん、内田春菊のでんこちゃんみたいに、イラストレーターや漫画作家が売れるには、わかりやすくて親しみやすくてキャッチーなキャラクターが一人二人いた方がいいのかもしれないなー。

▼館内展示のセル画

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

東京国際ファンタスティック映画祭2004 新宿ミラノ座 「地下幻燈劇画 少女椿 MIDORI」 *

▼もらったパンフ類の宣伝文。日本で出せないものを海外でDVD化するらしい。

ヨーロッパ発!地下幻燈劇画 少女椿DVD 「MIDORI」 
●あの幻の作品「少女椿」がいよいよヨーロッパ限定でDVD発売されるらしい。霧生館(きりゅうかん)主宰・絵津久秋氏によると「本作品は日本で公開されたものの再編集版で四ヵ国字幕付きです。フランスと共同制作です。日本での販売は、勿論ありません。輸入ビデオショップなどには出てくるので、見つけて買ってください。」 少女椿ファン倶楽部「みどり」拾四号 平成十六年十月吉日 赤猫座発行 より

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

住所 東京都八王子市長房町
名称 都営長房団地(ながふさだんち) 
※正式な読みは「ながぶさ」らしいが、地元民は「ながふさ」と呼んでいる。
概要 長房団地は、 東京陸軍幼年学校の跡地にできた八王子市内の都営および市営の団地(アパート)棟。
竣工以前の歴史 もともと長房団地の一帯は船田原と呼ばれ、民家もまばらな地域だった。昭和19(1944)年3~4月、陸軍幼年学校が新宿区(市谷)から激化する空襲に伴い疎開のために移転してきて、現在長房団地が建っている広大な敷地全体に20棟くらいの木造校舎を建てた。長房の陸軍幼年学校は天皇により「建武台」と命名されたが、約1年半後の昭和20(1945)年8月2日、米軍爆撃機B29の数万発の焼夷弾投下により焼失。生徒や教官4,500名中10名が死亡した。戦後、土地は地元の人に返され、昭和40年代(1960~1970年代)に長房団地が建てられた。81年横山橋のたもとに「建武台の碑」建立。陸軍幼年学校敷地の西の端からさらに西100m位の所に有志によって観音像と芳名碑も建立されているらしい。
詳細 長房町にある市内最大の住宅団地.1958年(昭和33)市営住宅の建設以後,63年,68年と市営・都営の 住宅建設がつづき,73年から74年にかけて増設して大住宅団地に成長した.居住人口は約2万人.都営住宅が大半の地域をしめ,当初の開発面積 32.0ha,計画戸数3,291戸だった.中央部を幹線道路が縦貫,長房第1,長房北,長房南の都営団地と市営長房第1団地が並び,遺跡公園・人形塚公 園,長房小学校,中央商店街,隣接地に富士森高校などがある.やや離れて市営長房第2団地がある.現在,建て替え計画が進められている. Web八王子事典参考
竣工 昭和38(1963)年頃(都営長房団地)
構造 おもに低層1階建てか2階建てのテラスハウス(都営長房団地)
解体 正確な解体時期は不明だが、1999~2000年頃。
※2003年頃には新しい高層住宅が完成されているが、新高層住宅の竣工時期はよくわからない。
慰霊 毎年4月10日に空襲で戦死した十数名の職員生徒の慰霊祭が多摩御陵と長房団地に隣接している東照寺(東幼観音)で行われている。
陸軍幼年学校について 陸軍幼年学校は全国に仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本の6校があったが、最少時は3校程度になったらしい。市谷の陸軍中央幼年学校は市谷本村町の陸軍士官学校構内にあったが、敷地の大部分はその後陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地と なり、現在は防衛庁となった。
交通
  1. JR西八王子駅から路線バスあり。京王バス 長房団地バス停まで 所要時間約12分、運賃170円、区間距離約2.4km(2008年11月時点)
  2. 狭間駅(京王高尾線) 1622m 徒歩24分
  3. 西八王子駅(中央本線) 1657m 徒歩25分
  4. 高尾駅(中央本線) 1744m 徒歩26分
WEB地図 MapFan.web
ゼンリン
国土地理院 地形図
ヤフー地図
マピオン
Google Street View
Google Maps
旧版地形図
空中写真
  1. USA-M68-A-6-1-82 米軍 1: 11930 整理番号USA コース番号M68-A-6-1 写真番号82 撮影年月日1946/03/09(昭21)
  2. USA-M99-A-5-59 米軍 1: 39921 整理番号USA コース番号M99-A-5 写真番号59 撮影年月日1946/04/09(昭21)
  3. USA-M142-A-5No2-41 米軍 1: 39739 整理番号USA コース番号M142-A-5No2 写真番号41 撮影年月日1946/05/22(昭21)
  4. USA-M389-118 米軍 1: 9877 整理番号USA コース番号M389 写真番号118 撮影年月日1947/08/08(昭22)
  5. USA-R556-No1-173 米軍 1: 11806 整理番号USA コース番号R556-No1 写真番号173 撮影年月日1947/11/14(昭22)
  6. USA-R556-No1-174 米軍 1: 11806 整理番号USA コース番号R556-No1 写真番号174 撮影年月日1947/11/14(昭22)
  7. USA-R1232-2 米軍 1: 15875 整理番号USA コース番号R1232 写真番号2 撮影年月日1948/03/31(昭23)
  8. USA-R1779-81 米軍 1: 14697 整理番号USA コース番号R1779 写真番号81 撮影年月日1948/09/17(昭23)
  9. USA-M318-126 米軍 1: 19703 整理番号USA コース番号M318 写真番号126 撮影年月日1956/03/09(昭31)
  10. USA-M318-169 米軍 1: 19703 整理番号USA コース番号M318 写真番号169 撮影年月日1956/03/09(昭31)
  11. USA-M318-170 米軍 1: 19703 整理番号USA コース番号M318 写真番号170 撮影年月日1956/03/09(昭31)
  12. USA-M1010R1-81 米軍 1: 20000 整理番号USA コース番号M1010R1 写真番号81 撮影年月日1957/10/10(昭32)
  13. USA-M1016-R4-156 (1957/10/16撮影) 米軍 1: 26000
  14. USA-M1016-R4-157 (1957/10/16撮影) 米軍 1: 26000
  15. MKT616-C1-7 国土地理院 1: 10000 整理番号MKT616 コース番号C1 写真番号7 撮影年月日1961/08/31(昭36)
  16. MKT616-C2-7 国土地理院 1: 10000 整理番号MKT616 コース番号C2 写真番号7 撮影年月日1961/08/31(昭36)
  17. MKT648X-C13-4 国土地理院 1: 20000 整理番号MKT648X コース番号C13 写真番号4 撮影年月日1964/05/07(昭39)
  18. MKT646X-C1-4 国土地理院 1: 20000 整理番号MKT646X コース番号C1 写真番号4 撮影年月日1964/05/16(昭39)
  19. MKT646X-C1-5 国土地理院 1: 20000 整理番号MKT646X コース番号C1 写真番号5 撮影年月日1964/05/16(昭39)
  20. MKT684X-C7-5 国土地理院 1: 20000 整理番号MKT684X コース番号C7 写真番号5 撮影年月日1968/05/09(昭43)
  21. MKT711X-C7A-6 国土地理院 1: 20000 整理番号MKT711X コース番号C7A 写真番号6 撮影年月日1971/04/25(昭46)
  22. MKT711X-C7A-5 国土地理院 1: 20000 整理番号 MKT711X コース番号 C7A 写真番号 6 撮影年月日1971/04/25(昭46)
  23. 整理番号CKT7416 コース番号C32 写真番号9 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  24. 整理番号CKT7416 コース番号C32 写真番号10 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  25. 整理番号CKT7416 コース番号C32 写真番号11 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  26. 整理番号CKT7416 コース番号C33 写真番号9 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  27. 整理番号CKT7416 コース番号C33 写真番号10 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  28. 整理番号CKT7416 コース番号C33 写真番号11 撮影年月日1974/12/21(昭49) 縮尺1/8000
  29. 整理番号CKT791 コース番号C27A 写真番号8 撮影年月日1980/01/08(昭55) 縮尺1/10000
  30. 整理番号CKT791 コース番号C27A 写真番号9 撮影年月日1980/01/08(昭55) 縮尺1/10000
  31. 整理番号CKT791 コース番号C27A 写真番号10 撮影年月日1980/01/08(昭55) 縮尺1/10000
  32. 整理番号CKT791 コース番号C27B 写真番号1 撮影年月日1979/12/13(昭54) 縮尺1/10000
  33. 整理番号CKT791 コース番号C27B 写真番号2 撮影年月日1979/12/13(昭54) 縮尺1/10000
  34. 整理番号CKT841 コース番号C26A 写真番号7 撮影年月日1984/12/19(昭59) 縮尺1/10000
  35. 整理番号CKT841 コース番号C26A 写真番号8 撮影年月日1984/12/19(昭59) 縮尺1/10000
  36. 整理番号CKT841 コース番号C26A 写真番号9 撮影年月日1984/12/19(昭59) 縮尺1/10000
  37. 整理番号CKT972X コース番号C5 写真番号5 撮影年月日1997/06/30(平9) 縮尺1/30000
  38. 整理番号KT20003X コース番号C1 写真番号5 撮影年月日2000/07/25(平12) 縮尺1/30000
  39. 整理番号CKT20051X コース番号C1 写真番号23 撮影年月日2005/10/23(平17) 縮尺1/30000
  40. 空中写真 [1963年頃] ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版
  41. 空中写真 [1975年頃] ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版
  42. 空中写真 [1980年頃] ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版
  43. 空中写真 [1985年頃] ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版
  44. 空中写真 [1990年頃] ウェブで過去の地形図や空中写真を見る Leaflet版
参考サイト 私の東京陸軍幼年学校
★★★ 八王子市・長房町 ☆☆☆
その他 参考 八王子図書館の二階に御陵線、幼年学校などの航空写真があるらしい。
「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
「わが武寮―東京陸軍幼年学校史」 1982(昭和57)年 東幼会
赤甍 東京陸軍幼年学校第46期生50年史 東幼46期生会 平成6年発行
「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子―」
八王子郷土資料館

↓東京陸軍幼年学校(建武台)鳥瞰図 
「わが武寮 東京陸軍幼年学校史」より

東京陸軍幼年学校(建武台)鳥瞰図

「わが武寮 東京陸軍幼年学校史」より

建武台跡航空写真

建武台跡航空写真

戦前・昭和7年ごろ発行の長房団地の周辺地図
(昭和7年発行 東京府・八王子 大日本帝國陸地測量部 二万五千分一 地形図 八王子近傍9号)

東京府・八王子 大日本帝國陸地測量部 二万五千分一 地形図 八王子近傍9号

まだ京王線はこの地域に開通していない。長房周辺は「三軒在家(さんけんざいけ)」となっているが、昔は家が三軒くらいしか建っていないような場所を三軒在家とか二軒在家 と呼んだらしく、全国的にこの名前の地区があった(近くの「三軒在家稲荷神社Google Maps)」はその名残と思われる)。

「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) によると、『1624年頃(寛永)、榎本、岸、遠山の三軒が移住し来り、三軒在家発祥のもととなる』とのこと。

高尾駅はまだ浅川駅という名前で、「あさかは」と表記されている。中央本線の上には、1929年から1939年まで創業していた路面線路(武蔵中央電気軌道株式会社による市内電車)の路線を確認できる(撤去されて現存しない)。

「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) より

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

「三軒在家むかしといま」によると、鎌倉街道は三軒在家稲荷神社のわきの道を通っていたらしい。

いちょう祭り~御陵線跡地~三軒在家稲荷神社~長房南アパート~斉藤製作所

 

鎌倉街道は三軒在家を通っていた

~略~

 では三軒在家を通っていたとされる鎌倉街道の道筋はどこだろうか。土地の古老などの話を統合すると、舟田の月夜峰(共立女子学園のあたり)から丸山(長房第一団地西北端)を通り、毛利ポンプ店わきにかかるルートが最も有力視されている(第一ルート)。

 しかしこのルートのほかに次のような説もあるので、どちらをとるべきかにわかには断定し難い。こちらの説は、二分方で別れて横川(横川町)から舟田の自由が丘、長房第二団地、横山橋、散田新地(並木町)、散田(散田町)、俗称「お林」を経て二軒在家で第一ルートに合する(第二ルート)。

 実はこの長房地区には、以上のルートのほかにも中郷地内を通っていたとされる別のルートがあったのである。それは、松木から川原宿(下恩方町)に出て、川村(川町)、中宿(元八王子町)と来て、陵墓地内を通って中郷へ抜け、原(東浅川町)を経て大戸に向う(第三ルート)。

 この道は、のちに後北条氏が興り、関東一円の政治の中心がその根拠地である小田原に移って、氏康の子氏照が八王子城を築いたころには、「小田原街道」または「小田原みち」とも呼ぶようになった。ただし大戸から先は上溝(相模原町)、松田(松田市)、小田原とその流れを変えるようになる。

「三軒在家むかしといま」 青木助三編著 昭和58年10月1日発行 (1983年) 

昭和49年(1974年)の航空写真 長房団地の周辺。区域ごとに色分けしてみた。

昭和49年(1974年)頃の航空写真 

↓八王子市街地消失図 左下に 大字下長房 東京陸軍幼年学校の記載あり

八王子市街地消失図

都営長房団地はおそらく長房一帯の中では一番初めに作られた団地群(住民撤退済)。どうやら昭和42年以前の竣工らしい。

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼夏に盆踊り大会が開催された小さな公園と19号棟。遠くでは既に高層住宅の建て替えが始まっている。

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼夏に盆踊り大会が開催された10号棟(左)近くの小さな公園。この区画は後につぶされた。

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼高層住宅に建て替え中の都営長房団地。

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地

▼403号棟

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

場所はこの辺か・・・・・

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼場所はこの辺

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼412号棟

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼414号棟(左)と413号棟(右) 場所は西の方だと思う

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼宮本商店。郵便局のあるあたり。2008年12月現在、現存。

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

都営長房団地 低層テラスハウス(解体済)

▼2007年6月8日の都営長房団地。高層住宅に建て替えられてもしばらくフェンスは古いまま。

都営長房団地

都営長房南団地

昭和40年代に建てられた長房団地の中では北団地と並びもっとも高層の5階建てがメイン。古いけれど、コチラの情報によると立て替えの予定はないらしい。

竣工  昭和42(1967)年~49(1974)年(北団地ならびに南団地

都営長房南団地

住所 東京都八王子市長房町
名称 都営長房南団地(ながふさみなみだんち)
概要 京王・御陵線の敷地の跡に建てられた団地。かつての線路跡の影響により団地の配置が少しよれている。
歴史 竣工以前の周辺一帯の歴史については「都営長房団地・低層テラスハウス(解体)」を参照。
竣工 昭和42(1967)年~49(1974)年(北団地ならびに南団地

北団地ならびに南団地そして第二団地の完成年は不明だが、国土地理院の昭和42年(1967年)発行の地図には記述されておらず、国土計画局の昭和49年(1974年)撮影の航空写真には写っているので、その間に建設されたということになる。

構造 おもに5階建ての中層住宅(?)
解体 2000年頃までは北団地とともに立て替えの予定があったらしいが、コチラの情報によると石原都知事の案により(?)中止になったらしい・・・。
交通
  1. JR西八王子駅から路線バスあり。京王バス 長房団地バス停まで 所要時間約12分、運賃170円、区間距離約2.4km(2008年11月現在)
  2. 狭間駅 (京王高尾線)1426m 徒歩21分
  3. 西八王子駅 (中央本線) 1558m 徒歩23分
  4. めじろ台駅 (京王高尾線)1608m 徒歩24分
地図 MapFan.web
ゼンリン
Google Maps
Google Street View
参考サイト 私の東京陸軍幼年学校
★★★ 八王子市・長房町 ☆☆☆
その他参考 八王子図書館の二階に御陵線、幼年学校などの航空写真があるらしい。
「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
 「わが武寮―東京陸軍幼年学校史」 1982(昭和57)年 東幼会
赤甍 東京陸軍幼年学校第46期生50年史 東幼46期生会 平成6年発行
 「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子―」
八王子郷土資料館

新宿の旧町名「柏木町」 (東京の消えた町名)

新宿の消えた町名「柏木町」

現・新宿区西新宿、北新宿
平安時代の中期に柏木右衛門が平忠常・忠頼兄弟を討った功により、ここに居を構えたことから、「柏木」の地名が起きたという。近くの円照寺には「柏木右衛門桜ゆかりの地」の石碑が建てられている。江戸時代になると、青梅街道沿いに町並みが形成されて、柏木成子町と柏木淀橋町が生まれた。昭和46年新住居表示によって千年もの歴史を有した「柏木」の町名は消えた。
参考:歴史探訪 地図から消えた「東京の町」 (ノン・ポシェット) 祥伝社 黄金文庫  P.177 柏木

昔の地名をそのまま引きずっている成子坂下に近い北新宿2丁目あたりをGoogle Mapsで見てみると、細々としたアパートの密集地帯になっている。現在の新宿区西新宿と北新宿がかつての柏木にあたる。昭和53年には「角筈」(つのはず)の町名も新宿からなくなった。

↓注釈:農研機構が配信していた第一軍管区地方2万分1迅速測図原図が2023年4月に廃止されてしまったため、1880(明治13)年~ 1886(明治19)年の縮尺1/20,000の彩色地図は見れなくなりました。どこか代わりに配信してくれないものか…

地図:
Google Maps
ゼンリン いつもNAVI

新宿の消えた町名「柏木町」

1998年8月~9月頃の北新宿2丁目界隈。当時はそこが「旧・柏木」とは知らなかった。柏木小学校、柏木地域センター等、柏木の町名がついた施設は今も根強く残ってる。

長らく訪れていないが、角筈団地は解体され、けやき橋商店街も解体予定、北新宿一帯は大々的な変化を遂げているので、このページの写真の建物もどうなっているか。

「昭和の東京 1 新宿区 (加藤嶺夫写真全集)」にまったく同じ場所の写真が載っていた。場所はここ(西新宿8-22、北新宿2-2)のようだ。

昭和の東京 1 新宿区 (加藤嶺夫写真全集)

新宿の消えた町名「柏木町」

▼埼玉屋? 日付の「’94 1 1」はセットエラー(フィルムカメラ)。

新宿の消えた町名「柏木町」

▼松浪寝具さん。今でもGoogle Mapsでヒットする。

新宿の消えた町名「柏木町」

ビューティサロン ・・・エム。

新宿の消えた町名「柏木町」

▼スナック エルザ
コーヒーショップ エルザ。
シャワー&ランドリー 24 「遠い明日より今のいま輝け!!」

新宿の消えた町名「柏木町」

▼左が尾林商店、右が佐々木薬品店らしい。右の電柱に「柏木特別出張所」の文字。

新宿の消えた町名「柏木町」

新宿の消えた町名「柏木町」

新宿の消えた町名「柏木町」

新宿の消えた町名「柏木町」

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