解体中の棟は右側にあり、木の葉の影に隠れていて見えない。数年前まではもっと眺望の良い山道だったが、年々木が成長して視界が遮られるようになってしまった。
![]() |
![]() |
解体中の団地群
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
解体範囲
![]() |
![]() |
居住者のいる団地群とプリン山
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
集合住宅 団地 高層マンション アパートメント Apartments
解体工事中の館ヶ丘団地。先日夜間に解体中の風景を見かけて昼間確認してきた。
4-1号棟、4-2号棟、4-3号棟あたりの解体。
道路側の外壁はすっぽり覆われて見えなくなっている。
4街区への歩道は閉鎖されている。
足場ができてる3-11号棟と、まだ丸裸の3-12号棟。
館ヶ丘団地南集会場 4-16号棟
館ヶ丘名店街&館ヶ丘クリニックの看板。たくぎんは1998年まであった銀行。この看板は12月7日には撤去されていた。
廃墟のような館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株) 。「PCB汚染物保管場所」とも書いてある。看板は新しいが窓ガラスが割れたまま放置されている。波うった赤い屋根が好き。
昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
町を一望できるので、雪が降るたびに雪景色の写真を撮りに行っていた場所があるのだが、最近そこの木が成長して視界が遮られるようになってしまった。樹海に深く沈む廃墟のように見えなくもない古い団地群が気に入っている。
昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5m。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
市営城前団地 改良住宅 建て替え工事進行中
Shiromae,Aizuwakamatsu-shi,Fukushima-ken,Japan
Shiromae Apartments (Danchi)
鶴ヶ城の北東に位置し、江戸時代に多くの武家屋敷が立ち並び、戦時中は陸軍の連隊兵舎等が建設されていた地区。終戦後、連隊兵舎等は改修されて引揚者等のための住宅として利用された。昭和29年から公営住宅として整備され始める。昭和35年から連隊兵舎等を利用した住宅が除却され、改良住宅が整備され、現在の城前団地が整備された。老朽化のため、工期平成26年~41年までの「城前団地建替計画」が平成23年度に策定された。更新住宅・公営住宅へ建て替え工事が順次進んでいる。
公営住宅 15棟 94戸 低層住宅 昭和29年~31年、56年築
改良住宅 28棟 486戸 低層住宅 中層住宅 昭和35年、昭和36年~42年築
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
若松第二中学校の西側に残るレンガ門は連隊兵舎の表門
〒965-0803 福島県会津若松市城前1-2付近
(参考:会津若松市歴史資料センターまなべこ)
![]() |
![]() |
「若松」(新潟4号)
五万分一地形図 参謀本部
大正2年測図
昭和6年修正測図
昭和8年鉄道補入
夕張の旅(3日目) 清水沢訪問
【日程】
徒歩で散策:ビジネスホテルyuubari~南清水沢駅~清陵浴場~北炭夕張新炭鉱通洞(西口)~宮前町炭鉱住宅~宮前浴場~北炭清水沢鉱ズリ山~清栄町炭鉱住宅~旧北炭清水沢発電所~旧北炭清水沢鉱事務所~北炭清水沢鉱坑口~清水沢ダム~清水沢駅前バス停
路線バス:清水沢駅前バス停~社光バス停(運賃550円)
徒歩で散策:社光バス停~石炭の歴史村公園~遊園地跡~夕張医療センターバス停
路線バス:夕張医療センターバス停~レースイリゾートバス停(運賃170円)
鉄道:夕張駅~新夕張駅~新千歳空港駅
飛行機:新千歳空港~成田空港
▼2泊したビジネスホテルyuubariを朝出発。南清水沢駅に向かって歩く。1980年代頃に建てられたホテルだろうか。当時「ナウ」な雰囲気のシティホテルだったのでないか。設備は汚れや老朽化も目立ったが、宿のご主人は親切だった。
▼ビジネスホテルyuubariの近くの古い教会。途中、南清浴場の所在を確かめてくるのを忘れてしまった。
▼南清水沢駅前のスーパーフレッシュ市場店。早朝だったので営業しているか不明だった。南清水沢駅前のAコープゆうばり南清水沢店の方が頻繁に客が出入りしていた。
※南清水沢駅は2019年(平成31年)4月1日廃止
他の鉄道マニア客が置いていったという由利高原鉄道の使用済み硬券きっぷや飴やティッシュなどを駅員さんにもらった。シーズン中に来れば夕張メロンでも振る舞ってあげたいのにその時期は旅行者が少ないと残念そうに言っていた。
▼南清水沢駅はボットン便所
南清水沢駅 駅舎内
▼清水沢清陵町の商店街、スナック、病院など。
▼北炭夕張炭鉱(㈱) 夕張新炭鉱跡地
▼北炭夕張新炭鉱 ふさがれた通洞西口
▼鉄格子の隙間から
▼北炭夕張新炭鉱通洞 砂利があふれてきている
▼北炭夕張新炭鉱付近に佇む慰霊碑
▼清陵浴場。入る隙はないので、とりあえず外観だけを確認。やけに高い塀で囲われていて、比較的新しそうにみえる。
▼宮前町の炭鉱住宅(炭住)群
建物は老朽化しているが、住民の姿は多く、朝から活発に団地まわりの花の世話をしている人が多かった。
炭鉱操業時から残る炭鉱住宅。1965〜1970年前後に建設されたブロック住宅で、今も元炭鉱マンたちが暮らしている。道ばたの花壇など手入れが行き届いており、炭鉱時代のコミュニティーが良く維持されている。
空知産炭地域●炭鉱遺産めぐり
本間ストアー
▼宮前浴場。営業時間外なので、外観を確認するのみ。手入れされているのか外観はあまり痛みがないように見える。
入口の張り紙。
▼宮前浴場とズリ山の間から北側あたりに北丹市水沢鉱選炭場跡があったらしいのだが、見てこれなかった。
▼北炭清水沢鉱ズリ山にのぼる。登山口。
▼標高263mのズリ山 山頂まで15分ほど
▼ズリ山は黒っぽい砂利でできていて、山容がなだらか
▼ズリ山 山頂
注意書き。足元にも階段が設置してあったり、丁寧に整備されてる。
▼ズリ山からの眺め 清栄町炭鉱住宅
▼ズリ山からの眺め 宮前町・炭鉱住宅
▼夕張川の対岸に清水沢清陵町の改良住宅(歩いてきた所)
▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株) 清水沢火力発電所周辺
▼ズリ山からのながめ 清水沢火力発電所
▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株)付近の小さなズリ山
▼ズリ山からのながめ 東亜建材工業(株)敷地内の施設
▼清栄町・炭鉱住宅
▼清栄町・炭鉱住宅
▼東亜建材工業(株) 入口
ここから5分ほど歩いて、東亜建材工業の受付で旧北炭清水沢火力発電所を見学の手続きをする。
▼東亜建材工業(株)敷地内の施設
古い工場なので気になる形のモノがいっぱい。
▼東亜建材工業(株)の受付で清水沢火力発電所跡の見学をしたい旨を申し出たら、徒歩で来る人はあまりいないようで驚かれたが、快諾してもらえた。11時を過ぎていたが、お昼(12時)になってしまうと誰もいなくなるのでそれまでに引き上げて欲しいと要望された。時間がなく慌てての見学になってしまったのが悔しい。
後で清水沢アートパワープラント _ 清水沢プロジェクトを確認してみたら、公開期間は一応2016年5月30日(月)~10月末ごろまでとなっていた。期間外だったせいか誓約書などは特に要求されなかったが、カンパの見学料を貯金箱に投入してきた。
※清水沢火力発電所跡の見学は2018年から有料&完全予約制になったとのこと。
▼煉瓦倉庫 特別管理産業廃棄物 PCB汚染物保管場所
▼旧北炭清水沢火力発電所 残っている部分だけでもすごいが、かなり解体されたらしい。
▼旧北炭清水沢火力発電所 1F
▼2Fへ
▼ドアノブがアンティーク
▼階段もアンティーク
▼旧北炭清水沢火力発電所 2F
▼旧北炭清水沢火力発電所 地階
▼このサムネイル、眼球が片方溶け落ちたゾンビのように見える。
▼廃墟化している健康会館
夕張市民健康広場センターハウス 閉鎖されているみたい。ってか廃墟。
▼旧北炭清水沢鉱事務所(現在は民間企業「有限会社 盛木」)
▼旧北炭清水沢鉱坑口
▼旧北炭清水沢鉱坑口
小島の上の古い石仏
清水沢ダムからの清水沢火力発電所跡の眺め
清水沢ダム付近の木製電柱
▼年季のある理容のこたけ
▼木製電柱
▼民家のようなお寺 龍仙寺
文化堂
バスの回数券なども販売している模様
▼清水沢駅
▼清水沢駅 駅前食堂
▼宿泊予約を入れたら「もういっぱい」と言われて泊まれなかった清水沢駅前の大黒屋旅館
▼大黒屋旅館向かいの清水沢駅前バス停
▼路線バスに乗って社光に向かう
【徒歩ルート】
解体間近という噂のあるジュリーの昔の下宿先の明月荘を見てきた。
アパート「名月荘(めいげつそう)」には、タイガースのメンバー(ジュリーこと沢田研二含む)全員がデビューする前の1966年頃に下宿していた。
〒557-0055 大阪府大阪市西成区千本南1丁目13−1
※追記:2019年4月17日、解体が始まった。
ビッグになっても確かな原点がある(あった)というのは感慨深い…明月荘はファンの心のなかに…
大平湯は解体されて更地になっていた
古書礼讃 津田書店
珈琲館EDEN
あんま天狗堂
加納醫院
磨りガラス好き
あとフェンスや石垣も
いたるところで見かけた喫茶店ケニア
スペースエイジな感じのサンプルウィンドウ
レトロな喫茶店だらけだった 女将さんが大変にこやかで感じの良い喫茶ユウ
大体どこも380円位のモーニングセットがある
柳町児童公園(地図によっては「横山児童公園」となっている)あたりの旧町名は大工町という。市営住宅3棟は柳町児童公園の向かい側にあり、『大館市北秋田郡自治百年史』の記述と竣工時期が若干異なるが、1956年(昭和31年)10月25日に発行された「大館市政だより」(第40号) で「大工町に建設される耐震・耐火4階建鉄筋コンクリート造アパート」と紹介されているのは市営住宅3棟のことだと思われる。
〒017-0843 秋田県大館市中町34
『大館市北秋田郡自治百年史』P.99に「昭和32年(1957年)11月20日 アパート2号(32戸、4階建)竣工」「昭和33年(1958年)3月31日 アパート2号(32戸)竣工」と記載あり(昭和33年竣工の方は「3号」の誤植と思われる)。
※このアパートは2015年~2018年頃に解体された。
2005年2月版のゼンリン住宅地図では、以下のように表記されている。2号棟は24戸となっているが、32室の間違いではないのか。2007年版のゼンリン住宅地図では、1号棟4世帯/24戸、2号棟25世帯/32戸、3号棟15世帯/32戸と記載されているらしい。
市営住宅1号 3世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅2号 16世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅3号 11世帯/32戸(各階に8戸ずつ、4階建)
柳町児童公園(地図によっては「横山児童公園」となっている)あたりの旧町名は大工町という。市営住宅3棟は柳町児童公園の向かい側にあり、『大館市北秋田郡自治百年史』の記述と竣工時期が若干異なるが、1956年(昭和31年)10月25日に発行された「大館市政だより」(第40号) で「大工町に建設される耐震・耐火4階建鉄筋コンクリート造アパート」と紹介されているのは市営住宅3棟のことだと思われる。
〒017-0844 秋田県大館市新町40
『大館市北秋田郡自治百年史』P.98に「昭和31年(1956年)11月20日 アパート1号竣工(48戸)」と記載あり(実際は24戸?)。
昭和31年8月13日の大館大火(東大館駅から出火)のわずか3ヶ月後に竣工された。
※このアパートは2015年頃に解体された。
〒017-0828 秋田県大館市向町3-1
『大館市北秋田郡自治百年史』P.99に「昭和32年(1957年)11月20日 アパート2号(32戸、4階建)竣工」「昭和33年(1958年)3月31日 アパート2号(32戸)竣工」と記載あり。昭和33年竣工の方は「3号」の誤植か。
※このアパートは2015年頃に解体された。
2005年2月版のゼンリン住宅地図では、以下のように表記されている。2号棟は32室の間違いではないのか。2007年版のゼンリン住宅地図では、1号棟4世帯/24戸、2号棟25世帯/32戸、3号棟15世帯/32戸と記載されているらしい。
市営住宅1号 3世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅2号 16世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅3号 11世帯/32戸(各階に8戸ずつ、4階建)
2010年7月31日に開通した八王子南バイパス。
昔このあたりはただの突き当りだったのだが。すっかり変わってしまった。
館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株)
拓殖大学の調整池の開渠に架かる古いコンクリート橋 (3)。この調整池は湯殿川を一部埋め立てて作ったそうで、湯殿川の源流がここだとも言われているらしい。親柱に銘板を埋め込む部分はあるが何も埋め込まれておらず橋名も竣工年も不明。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
湯殿川の埋め立てられた部分?
館ヶ丘団地 4-9号棟。
2020年10月頃に解体された。
館ヶ丘団地 4-15号棟、4-14号棟。2020年10月頃に解体された。
![]() |
![]() |
館清掃工場
竣工 昭和56年3月
建築構造 鉄骨鉄筋コンクリート
煙突 地上高100メートル
処理能力 150トン/日
焼却炉形式 全連続燃焼式焼却炉(日本鋼管 フェルント式)
所在地 八王子市館町2700番地
象徴的だった館清掃工場の赤帯煙突。
この煙突が大好きだった。
ストリートビューを見ると2017年以前に解体されたようす。
法政大学ジョギングコース。
一般人も散策できる雑木林の中の遊歩道。
法政大学ジョギングコースはそのまま榛名尾根ふれあいウォーキングコースにつながっている。
榛名尾根ふれあいウォーキングコース
なだらかな丘陵地帯に出る。
JR東日本の送電線 鉄塔に出る。
八王子大月線 30号
八王子-上野原(八-上)
昭和5年7月
6万6千ボルト
![]() |
![]() |
館清掃工場の方から流れてくる沢 (1)。これも水源がよくわからないのだが、館清掃工場あたりで埋め立てられたんじゃなかろうか。陰気臭く樹木が生い茂った場所で、ぐじゅぐじゅした湿地のようになっているが、地形図をみると「田」のマークが付いていてよくわからない。最終的には湯殿川につながっている。
法政大学の敷地内にある沼 (2)とその傍らに佇む古い馬頭観世音碑。この沼もよくわからない存在なのだが、なんとなくこの沼と上の沢が地下でつながってるんじゃないかって気がする。
![]() |
![]() |
法政大学の敷地内の沼と館清掃工場下の沢の位置図
館ヶ丘第2団地土木修繕工事 法面工事のお知らせ
昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
間藤駅から北に300mほど歩いた所にある間藤橋。渡良瀬川にかかっているが、通行禁止の廃橋。前方に見える赤いガーダー橋は休止線(事実上廃線)の足尾線・間藤駅~足尾本山駅間。昭和13年(1938年)4月竣工。
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
全国Q地図
深沢社宅の入口にあり、深沢共同浴場と隣り合う売店。廃業時期不明。50mほど先に深沢売店がある。足尾銅山には通洞、深沢、中才、愛宕下などに、古くからの生協があり、深沢や中才は2009年1月時点で営業を続けている。
〒321-1504 栃木県日光市足尾町上間藤14-7
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
ゼンリン
深沢社宅を守るように囲う古い赤煉瓦造の防火壁。わたらせ渓谷鐵道の足尾駅の少し手前の民家の間にこれと似た赤煉瓦造の壁が一瞬見えた気がしたが、それも防火壁だったか気になる。
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
▼深沢の案内板の地図によれば、防火壁の前に広がる空き地は昔エビス座だった模様。
▼横から見ると厚みが一定でなく三角形になっている。
▼深沢売店側から見た赤煉瓦防火壁。
▼深沢橋から見た赤煉瓦防火壁。その背後の平屋の家が深沢社宅跡
COOP赤倉売店出張前から分岐している坂道を50mくらい登ると、深沢社宅跡に着く。
更にま~っすぐ歩き続けると日光に着くらしい(徒歩のみ)。
深沢社宅は現在荒れ放題の廃屋になっている。
※これらもだいぶ解体されたあとだが、2011年初頭に一部の遺構を残しすべて解体されたとのこと。
地図:
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
航空写真:
社宅が解体される前(2011年初頭以前)の航空写真
1975年の航空写真
古地図:
昭和前期の五万分一地形図
明治大正時代の地形図
▼昭和47年頃の深沢社宅
▼地図拡大
▼エビス座の跡の空き地(案内板参考)
▼深沢社宅から南橋および青い屋根の旧南橋社宅(現・日光市足尾市営住宅)を眺める
▼煙害で禿山になった所に植林されている
▼右側の建物が寄合所?
▼寄合所?
少し散策してみる
▼流し台だろうか、井戸だろうか…
▼不自然に陥没した水たまり。深さ50~60cm位ありそうな穴だった。
▼直径30cmくらいの穴だが、水深最低でも30cmくらいありそうだった。
▼社宅跡が点在
▼ここにも井戸(?)のようなものが。
▼備前館山
▼滑り台や鉄棒などの遊具が残っていた
大きな石碑
▼下閣條橋
深沢の社宅に行く坂道の入口にある深沢の共同浴場。まだ現役の浴場(2009年1月18日現在)。入浴客は見かけなかったが、夕方になったら屋内の電気が灯っていた。足尾銅山の社宅の多くは内風呂がなく、いたるところに共同浴場施設またはその跡を見る事ができる。小滝の浴場跡は円形だったが、ここの浴場はどういうタイプだったんだろう。隣にはCOOP赤倉売店出張がある。
〒321-1504 栃木県日光市足尾町上間藤14-14-7
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
ゼンリン
▼入口に真新しい張り紙が掲示してあった。
「入浴料のお知らせ 一般の方でやむなく浴場を利用する方は、下記の通り入浴料を撤収しますのでご承知下さい。大人260円 子供(小中学生)130円 その他(幼児)無料 足尾製錬(株)総務課」
よそ者は歓迎されない雰囲気を感じた。地元住民の人達にとっては迷惑なんだろうなあと思って、外観を見るにとどめておいた。
きのう足尾銅山生協のオリジナル羊羹を買った深沢売店、今日は休業していた。
▼左背後に深沢社宅前の赤煉瓦防火壁が見える
※2013年5月のストリートビューで解体確認。
地名が「南橋(なんきょうと読む、みなみばしではない)」なので、それに架かる橋「南橋橋(なんきょうばし)」。ややこしい。深沢橋の近くにある。
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
全国Q地図
▼南橋橋から眺めた足尾銅山の旧製錬所。
備前楯山の麓にに広がる平屋建ての南橋社宅(現日光市足尾市営住宅)。南橋橋を渡ったすぐのところにある。現在も住民が住んでいる。写真を撮っている時も比較的若い親子連れが家の中から出てきて車でどこかへ出かけていった。
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
▼吊橋の南橋が記載されているが、撤去済みのようで、私は見かけなかったし、2009年の住宅地図にも記載されていない。
「本山を経て銀山平6.0km」と書いてあるけど、南橋社宅から足尾線に沿って本山方面へ出る道は途中で通行止めなので、この道標は意味をなさない。「関東ふれあいの道」はうちの地元の八王子の山にもあるから、こんな所までつながっているのか!!!と感慨深い…
▼昔は本当に火事が多かったんだろうなぁ・・・
▼渡良瀬川を挟んだ対岸の山は煙害でハゲたのを治山中。
▼南橋社宅のすぐ脇をかけぬける足尾線のレール。
▼南橋社宅前から旧足尾町立本山小学校方面を眺めたところ。足尾線の1つ目の隧道が見える。下間藤トンネルか。
▼旧南橋社宅と足尾線の間にある神社。住宅地図には神社名の記載なし。
▼廃止された足尾線の大岩沢橋梁
向赤倉トンネル(?)に腕木式信号機が残る。
足尾銅山 本山精錬所
〒321-1508 栃木県日光市足尾町本山1−1
明治10年(1877年)に足尾銅山を引き継いだ古河市兵衛が明治17年(1884年)に直利橋分工場として開設した(直利橋は古河橋の前身)。明治30年(1897年)、政府から鉱毒予防工事の命令が出され、亜硫酸ガスの排出が厳格に規制され、小滝製錬所が廃止され、足尾銅山は直利橋分工場に一本化、直利橋分工場は足尾銅山の中央製錬所になった。大正4年には足尾本山駅での鉱石貯蔵庫が完成。大正4年8月には亜硫酸ガスを希釈して高さ35mの大煙突で放出する設備が完成したが、煙害の範囲が広がる事態となった。戦時中にはニッケル製錬も行われたが、原料鉱石の途絶で中止。昭和31年4月には最先端の自溶炉と硫酸工場が竣工。昭和40年代になると製錬粗銅のうち足尾産銅は10%台に低下し、輸入精鉱を港からの鉄道貨物輸送に依存する厳しい事態になった。昭和48年(1973年)2月、足尾銅山は採掘を終了。国鉄の民営化で足尾線の貨物輸送も廃止され、平成元年3月で足尾製錬の操業は事実上停止した。
(参考:銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて)
※2014年(平成26年)3月に国史跡に追加指定されたが、2010年にかなりの施設が解体されている。
参考:日光市/足尾銅山の歴史
参考:日光市/足尾銅山の産業遺産の紹介
参考:足尾銅山 – Wikipedia
↓旧版地図 [明治大正] (5万)
明治20(1887)年の火災を教訓に燃えない橋として道路用鉄橋が明治23年に架けられた。
トラス構造48.5mの橋は、ドイツから輸入したもので、日本に残されている道路用鉄橋としては古いものに数えられる。
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)/中禅寺湖(日光)
Google Maps
Yahoo!地図
全国Q地図
愛宕下(あたごした)にはカラミ煉瓦製の防火壁が3つ連なっている。
明治40(1907)年代から製錬所に働く人々のために社宅が造られ、大正時代に社宅が増設され「赤長屋」と呼ばれた。
当時は火事が多く延焼を防ぐため防火壁が作られた。
材料は銅製錬するときに出るカラミ(不純物)を型に流し固めたもの。
深沢地区には赤煉瓦製の防火壁がある。
道路を挟んで向かい側には三養会生協と共同浴場がある。
※2013年5月のストリートビューで三養会生協と共同浴場の解体を確認。
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
▼第1防火壁 ストリートビュー
▼第2防火壁 ストリートビュー
▼このカラミは妙に黒くてスカスカしている気がする。
▼第3防火壁 ストリートビュー
▼足尾銅山社宅 愛宕下往時のようす。
深沢などと同じ三養会の生協売店だが、大分前に廃業してしまったようだ。この建物のとなりは共同浴場になっている。
※2013年5月のストリートビューで解体確認。
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
カラミ煉瓦防火壁の向かいにあり、生協愛宕下売店のとなりにある。
※2013年5月のストリートビューで解体確認。
ゼンリン
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
▼木造とトタン製。屋根の変色に味がある。一度こういう浴場で入浴してみたかった。
▼窓ガラスは割れっ放しの荒れ放題。
▼左半分の家屋は浴場でなく三養会生協売店かも。
見分けがつきにくかった。
有木坑口から出川を少し下がった出川左岸寄りにあった本山動力。日光発電所から送電された高圧電力を変圧して立坑や電車、コンプレッサ等の直流と光熱用に使用する交流電力に変圧して供給した。明治23(1890)年暮れから送電を開始した間藤発電所の電力は、ここで変圧され、動力用と電燈用に分けられて配線され、それぞれの目的に応じて使用された。
参考:「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」 P.19
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
▼本山動力の横にあるコンクリ壁は防火壁かなぁ?と勝手に想像。
本山坑に行く途中にある変電所。
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
▼こちらのプレハブも変電所かな。
本山変電所と本山動力(コンプレッサー)の間に、かつて本山病院があったらしい。本山医局という木造二階建の立派な病院も製錬所対岸の平地にあったらしいが、それと同病院かは不明。前方の黒い建物が本山動力。
参考:「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」 P.20
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
案内板こそあるものの、山神社は荒れていた。
木造の橋などはもう朽ちて渡れない。
本山には男性用と女性用の共同浴場がタイル付きで残っていた。ピンク色と水色。
煙突まで…
いろいろな建物の基礎が残っている。
このあたりは何の建物なのだろう。
間藤駅前にある鉄筋コンクリート造の2階建ての建物。長い間、化学分析所として親しまれたが、新製品の研究課へと変わった。足尾銅山の化学分析は、当初、本山医局の西側、出川右側にあった。主として鉱石鉱物や排煙、排水の化学分析を行っていた。化学分析所が本山から間藤に移った時期は不明だが、大正5年から8年の間と推測される。
駐車場、公衆トイレなどがあるスペース。
大畑沢 緑の砂防ゾーンあたりから対岸の山を眺めると、古い配管橋に大きなつららがかかっていた。現状、立ち入りできない場所だと思うが、何なのか気になる。
大畑沢 緑の砂防ゾーン~足尾砂防堰堤 銅親水公園間で対岸に見えるなだらかな丘は高原木(こうばらぎ)堆積場跡・社宅跡地。
この地図上にある『ガソリンカー軌道』とは馬車鉄道のことらしい。
参考:足尾銅山馬車鉄道 – Wikipedia
『わたらせ川 源流の碑』はここにあるが、渡良瀬川の起点は足尾砂防ダムよりさらに約12kmさかのぼった松木川上流の皇海山にある。1200年前は(旧渡良瀬橋)から150mの上流の、松木川と神子内川の合流地点が渡良瀬川の起点だったが、昭和40年(1965年)に松木川の上流に変更された。
天気が悪く、非常に荒涼とした風景だった。
荒井屋洋品店
〒321-1523 栃木県日光市足尾町松原4-7
https://goo.gl/maps/g4TjwXZbqRM2
通洞駅から100~200mほどの松原の商店街の一角にある洋品店の廃屋。2階の窓ガラスは割れたままだし、大分荒れているけどけど、アールデコなデザインがお洒落で一目惚れ。店名が右書きだが、戦前の築だろうか。見ていると段々「荒井屋洋品店」か「奈井屋洋品店」か分からなくなってくる(いちおう荒井屋にしておく)。この店が営業していた当時にタイムスリップして買い物に訪れてみたい気分になった。
当時の小学生、「小学○年生」とか毎月楽しみにして買ってただろうな~。
大野書店
栃木県日光市足尾町松原2-18
TEL 0288-93-2165
ゼンリン いつもNAVI
Google Maps
スクラッチタイル張りの永瀬たばこ店。
永瀬商店(永瀬たばこ店)
栃木県日光市足尾町松原1-17
ゼンリン
Google Maps
Yahoo!地図
左隣はクラタ金物店、右隣はアパレルイシヤマ(前・吉田屋)
渡辺金物店(解体済)
カオスな看板と純和風家屋が味わいのあるワタナベ金物店。
特に2階ガラス窓が素敵。
※2013年5月のストリートビューで解体確認。
栃木県日光市足尾町松原1-15
TEL 0288-93-2034
ゼンリン
Google Maps
Yahoo!地図
おみやげ岩本(岩本菓子店) 足字銭最中 おみやげと菓子の店
栃木県日光市足尾町松原5-1
TEL 0288-93-2170
ゼンリン
Google Maps
足尾の最中が食べたくて商店街をさまよい歩いたが、この日はどの店も営業していなかった。最中の店はいくつかあったのに。足尾の最中は廃れてしまうのか・・・?
足字銭最中本舗 御菓子司 青柳製菓
栃木県日光市足尾町松原5-6
TEL 0288-93-2175
マピオン マップコード 489 758 849
ゼンリン いつもNAVI
Google Maps
「火曜定休 9時~17時営業」との情報を受け楽しみにやってきたが・・・店は開いていなかった。もう営業していないのか?楽しみにしていたのに。他の和菓子屋も軒並み営業していなかった。繁忙期ならシャッターを開けるのか?足尾の昔ながらの和菓子が一度食べてみたい。唯一、深沢の生協で足尾銅山羊羹だけ買うことができたけど、これはとても美味しくて家族にも好評だった。
松原商店街の街灯
赤沢のアールデコな古民家
〒321-1524 栃木県日光市足尾町赤沢12−12
ゼンリン いつもNAVI
https://goo.gl/maps/x6boTXWDaQn
Yahoo!地図
道ばたに庚申塔 赤沢
2019年以前に解体されたようだが、シャッターに「生協酒販売所」の文字が残るので、生協関連の雑貨店か何かだったか。
空き地に古い木造の鳥居が残る
新井洋品店(アライヤ洋品店)
TEL 0288-93-2258
栃木県日光市足尾町赤倉3-15
Google Maps
国土地理院1:25000地形図 足尾(宇都宮)
ゼンリン
Yahoo!地図
赤倉の洋品店。「洋品」とか「洋食」とか「洋装」という昭和っぽい言葉の響きに弱い。軒下にある看板が回文みたい。「アライヤの洋品のアライヤ」・・・
通洞駅近くの超レトロな荒井屋洋品店とは関係あるのかな?
TEL 0288-93-2258
栃木県日光市足尾町赤倉3-15
〒321-1512 栃木県日光市足尾町掛水5-16
0288-93-3428
Google Maps
Yahoo!地図
ゼンリン いつもNAVI
わたらせ渓谷鐵道の足尾駅前にある唯一のお店・北村商店。
安い上にお店の人が親切。揚げ物は値段からは考えられないくらいボリュームがあって美味しい。
外にある自販機はみんな100円だった。
はじめは営業してるお店だなんて思わなくて素通りしてたけど、夕刻時に足尾駅で電車を待たなければならなくなった時に明るく照明が灯っていたので、何気なく入店してみた。
足尾駅の周辺は本当に何もないので、夜にこうこうと明かりが灯るお店の存在は心強い。
お腹がすいてたので何かすぐ食べられるものないかな~?と思ったら揚げ物類が小さなウィンドウに並んでいて、即買いした(お弁当類は置いていないので)。
この揚げ物類がとても安くてビックリした。コロッケ60円、春巻60円、串カツ100円。
試しに3種類、1つづつ買ってみた。誰もいない駅の待合室で早速食べてみる。
コロッケは具がほとんどジャガイモだけで(ところどころにひき肉の粒が入っているような感じ)味も薄めで素朴だったけど、普通の一回りも二回りもあるような大きさで、食べると結構お腹にたまる。
同様に普通に比べて二~三回り大きそうな春巻を食べてみると、とても具が詰まっていて美味しい!
普通の都会のスーパーなら絶対1本最低でも100円以上しそうな味とボリュームだった。
ものすごく満足して、家へのお土産用にも買おうと思い再度入店したら、つい先ほどまで山積みになっていたコロッケがもう数個しかなかったので驚いた。
お店の人は「この時間になるとすぐ売れちゃうんですよ~」と別のお客さんに説明していた。
やはりそのお客さんも揚げ物狙いだったみたい。
足尾の駅のほかに周りに何もない場所で、しかももう薄暗い時刻なのに、狭い店内には3~4人もお客さんがいた。
地元の住民もいたみたいだけど、結構遠方から(?)車で来て大量に買って去っていくお客さんもいるようだった。通洞の方の商店は1時間に2~3人でもお客さんが来れば良い方に思えてしまうような静けさだったのに、こちらは田舎の一軒屋のわりにぽつぽつ絶え間なくお客さんが訪れるので、結構知ってる人はその存在を知っていて、何かと足を運ぶんだなーと思った。
私もまた足尾に来たときは利用したい。
▼揚げ物のウィンドウ。買い物当時は気づかなかったけど、よく見るとポテト25円とかも書いてある。激安すぎ。
今度ははんぺん揚げも食べたい。
▼左からコロッケ、串カツ、春巻。これで220円。ちゃんとソースとはしまでつけてくれた。安い・・・。
▼家に帰ってからまた食べた。
※追記:2014年10月のストリートビューを見ると廃業しているような雰囲気に見える。また惣菜食べたかったのに…残念だ…と思ったが、2020年の口コミ投稿を見ると現在も営業しているみたい!良かった!(2021-02-21)