近くにある「大印大館市青果魚類卸売株式会社」の関係設備のようだ。給水塔かな?
〒017-0012 秋田県大館市釈迦内山神社後
給水塔・配水塔・浄水場・水道施設・上水道・下水道 汚水処理場 water-tower-plant kyusuito josui suido
たまねぎのような消化タンク好き。
新田浄化センターは、青森駅から西側の分流区域を対象とした処理施設として昭和61年11月から活性汚泥法による高級処理を開始し、整備面積の拡大に伴い平成15年4月からは2系列目の処理施設が稼働しています。平成24年6月には下水汚泥の処理過程で発生する消化ガスを用いた発電システムが稼働し、下水道が持つエネルギーの有効活用が図られています。
また、平成29年4月からは民間の創意工夫を活かした効率的な維持管理を目的として、包括的民間委託による管理が行われています。下水汚泥の処理過程では、消化ガスと呼ばれるメタンを主成分とした可燃性のガスが発生します。この消化ガスを燃料とする発電機を設置して発電を行い当センターで消費する電力の一部に充てるなど、エネルギーのリサイクルを図っています。
新田浄化センター/青森市
所在地 青森市新田三丁目1番1号
電話番号 017-782-7355
ファックス番号 017-782-0147
供用開始 昭和61年11月
敷地面積 105,900m2
処理能力 最大26,400立方メートル/日(分流)
解体工事中の館ヶ丘団地。先日夜間に解体中の風景を見かけて昼間確認してきた。
4-1号棟、4-2号棟、4-3号棟あたりの解体。
道路側の外壁はすっぽり覆われて見えなくなっている。
4街区への歩道は閉鎖されている。
足場ができてる3-11号棟と、まだ丸裸の3-12号棟。
館ヶ丘団地南集会場 4-16号棟
館ヶ丘名店街&館ヶ丘クリニックの看板。たくぎんは1998年まであった銀行。この看板は12月7日には撤去されていた。
廃墟のような館ヶ丘団地汚水処理場 日本総合住生活(株) 。「PCB汚染物保管場所」とも書いてある。看板は新しいが窓ガラスが割れたまま放置されている。波うった赤い屋根が好き。
昔の地形図。館ヶ丘団地は上館と権現谷の間あたり。 初沢山(初沢城跡)は294.5mの表示。高尾山は左端、画面がきれている。高尾山口駅は「坊ケ谷戸」のあたり。高尾駅は「あさかわ」となっている。
「八王子」(東京11号)
五万分一地形図 大日本帝国陸地測量部
明治39年測図
明治45年第1回部分修正測図
大正5年11月30日発行
老朽化著しいビルだと思ったが、2015年9月以前に解体されてしまったらしい。
〒310-0031 茨城県水戸市大工町2丁目1-30
ストリートビュー:https://goo.gl/maps/wm68QL5FJe92
ストリートビュー:https://goo.gl/maps/wm68QL5FJe92
https://i.gyazo.com/7bf5382fc9f84d3780a2d0178bafb803
泉町二丁目商店街の一角に昭和30年に再建された。
〒310-0026 茨城県水戸市泉町2丁目3-17
ストリートビュー:https://goo.gl/maps/aafvS3fiUk12
参考: http://www.kanto.meti.go.jp/webmag/series/mitsuboshi/1409mitsuboshi.htm
http://www.aplus-design.jp/arc/izumi/
水戸市街の低地部分に給水を行うために建設された配水塔。昭和7年竣工。平成8年12月26日登録有形文化財に登録。(敷地内には入れるが、内部は公開していない。)半円状のアーチ窓、丸窓、西欧風の壁面レリーフなどが目を引くドーム形の建築物。
水戸市水道低区配水塔(みとしすいどうていくはいすいとう)
昭和7年(1932)築
国登録有形文化財
茨城県水戸市北見町2-11
▼流量計室
▼つるはしなどの道具を修理する茶室風の鍛冶舎
東日本大震災で被災したため耐震補強・改築復元工事が施された。
昭和5年(1930) 竣工
置塩章 設計
〒310-0011 茨城県水戸市 三の丸1丁目5-38
大通りから奥まったところにある。家屋自体は古い民家の再利用かな。まったくのレプリカとも見えない感じで気になった。
〒310-0026 茨城県水戸市泉町2丁目2-30
おお、この木目の車は…
ラーメン1杯250円。水戸では有名な中華そば屋らしい。店内は狭く長居できるスペースはないがさっと食べて出ていく一人客が途切れなく出入りしていた。
〒310-0031 茨城県水戸市大工町1丁目1-12 029-231-1845
若かりし頃の藤原紀香のポスターが
有名な廃墟物件だが、現役ソープランドの黒服さんが周囲に屯していて凄かった。
登録有形文化財(建造物)
昭和7年(1932)竣工
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町4-22付近
桐生市堤町一丁目5番7号付近
(有)中島酒造場
〒192-0154東京都八王子市下恩方町725
042-651-3002
http://www.nakajima-sake.co.jp/
Google Maps/MapFan
参考:65 下恩方の酒造場(下恩方町725)|八王子市http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003281.html(リンク切れ)
江戸時代末期に創業した八王子の地酒の醸造元のひとつ。昔は建物の背後に高木が数本生え、畑に囲まれ、ひなびた風景だった。
※2010年9月末に閉業した。
看板に主力販売商品の地酒「高尾山」「陣馬山」「日出山」の文字(看板は後に撤去)。酔い人「空太郎」の日本酒探検(http://blogs.yahoo.co.jp/qoopontan2/33289893.html%E2%80%8E)(リンク切れ)さんによると「昭和18年に戦時統制下で酒造りを中止、13年間のブランクを経て昭和31年に酒造りを再開」とのこと。木造以外にも古い建物が連なる。
▼手前の2棟の建物は、2013年5月には解体され、更地になっていた。
中島酒造場の近く(本木バス停&菅原神社付近)にある巨大庚申塔
少し離れた場所にある東京都水道局の川町配水所(周囲は観栖寺の霊園)
中央線の日野~立川間(多摩川付近)で北西の方に見える給水塔。
真っ白でとてもきれい。
国土地理院1:25000地形図 立川(東京)
Google Maps
▼東京都水道局 富士見第三浄水所/東京都水道局 富士見五号水源
▼東京都水道局 富士見第三浄水所/東京都水道局 富士見五号水源
この日はわたらせ渓谷鐵道に乗って桐生駅→間藤駅と移動し、間藤駅で自転車をレンタルして小滝方面を見て回った(中国人殉難烈士慰霊塔付近で腕時計を落としたことに気づき、戻って探してみたが、見つからなかった)。
古川の創業者・古河市兵衛が明治10(1877)年に足尾銅山(栃木県)の経営を開始し、古河鉱業が大正7(1918)年に設立された。古河鉱業(株)は平成15年に古河キャステック(株)になった。これらは創業当時の建物だろうか?
〒321-1506 栃木県日光市足尾町下間藤3番5号
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
古河キャステック
間藤駅前にある鉄筋コンクリート二階建ての建物は長い間、化学分析を行っていた施設で、もともと本山にあったが、大正5~8年の間に間藤に移転。のちに新製品の研究課へと変わった。敷地内は老朽化した建物ばかりだが、どれも現役のよう。操業中なので敷地の外から眺めるだけ。
▼走行中のわたらせ渓谷鐵道の車窓から撮影。
▼背後の山は備前楯山。
※2019年以前のストリートビューでこれらの建物が解体もしくは改築されたことを確認。
建物の間にいろいろと煉瓦構造物が見えて気になる。
煉瓦をぶっこぬいて配管を通している。
▼古河とは関係ないかもしれないが、古河技術課の隣の空き地にいろいろな残骸があった。
一応古河の敷地から通じる道のある空き地だから、古河関連の設備でないか。
ゼンリン
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Yahoo!地図
間藤駅から先の、足尾線の廃線跡を、ちょっとだけ歩いてみる。
石積みの沢があった。
落石防止用のネットが破れ、土砂が線路に流入していた。
線路に車がとめてある。地元の人が駐車場代わりに使ってるのかな、風流だな、と思って見ていたら…
秋田ナンバーの車だった。遠方から訪れた廃墟マニアか…
踏切は埋め立てられ、線路は途中で塞がされている。欄干の低い橋がいいな。
ストリートビュー
ガーダー橋は間藤橋と交差する。
遠方の古い橋が気になる。
間藤駅から300mほど北にある間藤橋。渡良瀬川にかかっているが、通行禁止の廃橋。赤いガーダー橋は休止線(事実上廃線)の足尾線・間藤駅~足尾本山駅間。昭和13年4月竣工。
全国Q地図橋梁マップ
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
以前は橋の袂にいろいろな設備の残骸が散らばっていたが、2013年以前に撤去されてしまった模様。
渡良瀬川の川原に残る煉瓦造りの発電所跡。上流の砂防ダムによる土砂減少の影響で昭和59年に埋没していた基礎土台部分が突然出現した。明治23(1890)年12月竣工。明治39(1906)年に完成した日光細尾発電所の稼動に伴い使命を終えた。設備の撤去日時は不明。
「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」P.38-39
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps(水圧鉄管)
Google Maps(川原にある発電所の基礎部部)
▼川床に残る発電所の基礎土台。前方に見える橋は間藤橋(廃橋)と足尾線(廃線)のガーダー橋(間藤駅~足尾本山駅間)。
▼青い橋は上間藤橋か。左手の山の斜面は備前楯山、雪をかぶった山の奥に中禅寺湖がある(越えてみたい)。
▼道路脇に残されたリベット接合の水圧鉄管。水圧鉄管のすぐ脇に案内標識があり、ここから本山を経て銀山平まで6.7km、通洞駅まで2.9kmと書いてある。
▼水圧鉄管はこの急な岩壁に寄りかかるように伸びていたのか。水圧鉄管の背後・北方向の裏山には周りくねった階段がある。上の平を経て間藤方向に行く回り道らしい。
▼赤い矢印がかつての水圧鉄管。
対岸に登録有形文化財の本山小学校講堂が見える。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積308㎡ 1棟
栃木県日光市足尾町上間藤16-1
登録年月日:20161129
登録有形文化財(建造物)
上間藤市街地の松木川対岸の旧校地に建つ。切妻造平屋建の講堂で、校庭側の西を正面とする。正側面には縦長の窓を並べ、その間には木製バットレスを付す。妻壁は木骨を意匠的に配したハーフティンバー風の造りとする。足尾銅山の歴史を伝える遺構。
旧本山小学校講堂 文化遺産オンライン
本山小学校があるエリア。
参考:産業遺産の見どころ _ まちなか写真館本山坑エリア – 足尾銅山の世界遺産登録を推進する会
上間藤バス停
県道250号沿いは整然としてしまっているので昔を偲べる面影はあまりないが、道筋は昔のままらしい。
迫りくる山容がすごい。
松木川を挟んだ対岸に南橋社宅が見える。
大正/1914
鋼製3連桁橋、橋長56m、橋台及び橋脚付 1基
栃木県日光市足尾町字田元
登録年月日:20091102
登録有形文化財(建造物)渡良瀬川とほぼ並行して足尾・桐生間に建設された旧足尾鐵道の施設。渡良瀬川上流に架かる橋長56m、単線仕様の鋼製3連桁橋で、桁はプレートガーダーとする。橋脚は頂部まで丁寧に石貼した石積躯体に、イギリス製の錬鉄トレッスル橋脚を載せる特殊な造り。
わたらせ渓谷鐵道第一松木川橋梁 文化遺産オンライン
工事していた。
立派な煉瓦と石積みの脚
こちらは昭和2年竣工の田元橋
田元橋(たもとばし)
構造物種別 橋梁
路線名 市道足223001号線
完成年(度) 1927年(S2年)
延長 46.6m
幅員 2m
管理者名 日光市
所在市区町村 栃木県 日光市
点検実施年度 H28
判定区分 3(早期措置段階)
全国Q地図 橋梁マップ
コンクリート製の古い欄干が残っていた。
1935年(昭和10年)竣工
全国Q地図 橋梁マップ
新渡良瀬橋と並行する。(旧)渡良瀬橋は歩行者専用になっている。
栃木県日光市足尾町松原6-2
0288-93-2308
日曜定休
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
通洞駅から50~60m歩いた突き当たりにある肉屋ますや。
その場で買って立ち食い。
コロッケが美味しいという噂をきいていたので以前から立ち寄りたいと思っていたが、民家のように見える店構えなうえに看板類がないので、昨日は気づかずに通り過ぎてしまった(よく見ると商店街の街灯に「ますや肉店」の表記があるのに気づく)。
揚げ物の香りがサインかも。コロッケ100円、メンチカツ90円、折り鶴が印刷された紙の小袋に入れてもらった。
ツウな人々はこの店を当たり前のように知っているようで、こんな小さな店舗なのにわりと頻繁にいろんな人が出入りしていた。
レンタルした自転車の荷台の上において。
冬だったからあつあつうまーなのだった。
お店でソースもかけてくれる。
大正/1912
鋼製単桁橋、橋長14m、橋台付 1基
栃木県日光市足尾町中才
登録年月日:20091102
登録有形文化財(建造物)
通洞橋梁より約200m西方に位置する。渡良瀬川水系有越沢に架かる橋長14m、単線仕様の鋼製単桁橋で、桁はスティフナーをJ形とし、2本の主桁をT字鋼によるロ字形ブラケットで連結するプレートガーダーとする。橋台は花崗岩をイギリス積風に精緻に積む。
わたらせ渓谷鐵道有越沢橋梁 文化遺産オンライン
山あいにある白い塔は選鉱場の鉄索塔。大きな抗口が気になって仕方がない。
1938年 昭和13年竣工の橋
全国Q地図 橋梁マップ
ストリートビュー
有越沢橋梁&通洞選鉱所のシックナーのそばにある小さな沢に架かるミニサイズの水管橋。可愛らしい。
この日は何も買わなかった。自転車で素通り。
※1年後の2010年3月22日、備前楯山登山の帰りにも立ち寄って買い物した。2014年11月のストリートビューをみると撤去されてしまっているが、以前は店の前に赤いコスモス自販機があった。
栃木県日光市足尾町中才10−1
0288-93-477
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
Google Maps ストリートビュー
足尾銅山閉山後も機能の廃水集中処理施設。
明治30(1897)年の鉱毒予防工事命令に従い新設された。工業廃水のろ過・沈殿を行っている。
「銅山の町足尾を歩く―足尾の産業遺産を訪ねて」P.103参照。
古河機械金属(株)中才浄水場事務所
〒321-1522 栃木県日光市足尾町中才9-11
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
参考:文化財詳細-文化財目録一覧-日光市の指定文化財-BUNKAZAI.EDU.NIKKOCITY
廃屋がある。
1970年(昭和45年)竣工
全国Q地図 橋梁マップ
小滝でよく見かけるタイプの橋
こっちもダム関連施設なのか…不明。発電関連施設ではあるようだ。
汚泥ホッパーと拙く書いてあるのがかわいい。
全国Q地図 橋梁マップ→地図の位置は間違っている。正しい場所はこのあたり(ストリートビュー)。
1991年(平成3年)竣工の橋だが、脇に旧橋と石碑がある。
足尾地震観測施設もあった。
専念寺小滝説教所跡(?)の石碑(小滝方面)
梅橋から銀山平方面に少し歩いたところの西側にあった小さな石碑。とくに文字も刻まれておらず、何の石碑かわからないけれど、この辺りに専念寺小滝説教所があったらしいので、その石碑かな~?と思う。この近くには朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑もあった。
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
梅橋を数十メートル過ぎたあたりにあった足尾朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑。
どの地図にもまったく載っていない。
銀山平付近にある中国人殉難烈士慰霊塔との規模の違いに驚く。
造花の色が褪せていないので、最近慰霊式があったのかな。
専念寺小滝説教所跡あたりに近い(小さな石碑が近くにあった)。
「足尾銅山朝鮮人強制連行犠牲者名」皆ハングル文字でなく普通の日本語名だった。
県道293号線にある古足尾橋(こあしおばし)は1998年(平成10年)竣工のありふれた橋だが、その傍らに詳細不明の旧橋がある。全国Q地図橋梁マップに記載はない。
ストリートビュー
畑尾鉱員社宅跡と古足尾橋の間にあった小さなダム。地形図への記載はなし。
文字の読み取りが難しい。
「標高 663.0m 高さ54.0m 建設省」…?
平たい整地が小滝坑の鉱員たちの畑尾鉱員社宅跡。小滝製錬所から出るカラミや廃石などを堆積した土地に、役宅や鉱夫長屋が建てられていた。上流には馬立橋がかけられており、また第3発電所もこの付近にあった。平地にはまばらに背の高い木が生えており、一見整然としているが、建物が随分前に解体されたことを物語っている。
小滝小学校跡 第三中学校跡
明治26年銅山私立小の分校として開校。大正7年児童991人。中学校は昭和28年に統合され、小学校は同31年に廃校した。(坂の上に校舎の跡あり)
大分昔の話なので、基礎が残る以外、往時を偲べるものは目立ってなかった。
小滝坑閉山前の小滝中心部のようす
足尾銅山の三山(坑)のひとつであった小滝の始まりは、明治18年(1885)に旧坑跡の開発の着手したところ、すぐに富鉱を発見したので翌年には選鉱所と製錬所を設け、次いで坑夫飯場も各所に建て、道路を開削し馬車鉄道を通すなど生産機能を拡大してからのことである。更に病院や学校も建て町家が並ぶようになり、」大正5年(1916)の最盛期には一万人余人の人口となった。
その時の「商業家便覧」によると数軒の料理屋や芸妓屋もあり、坑夫達の格好な場として賑わったことがうかがえる。しかし徐々に経営の合理化が進められ、遂に小滝坑は昭和29年(1954)に閉坑され銅山の施設は一挙に撤収となり、小滝は僅か数戸を残し廃墟同然となった。
今は、昔日の夢の跡として「ここに小滝の里ありき」の大石碑が建てられたが、苔むした石垣の上から“山晴れ 水澄む 我等の小滝・・・・”の歌が坑夫の声高らかに聞こえてくるようである。
▼地図だけ切り取ってみた。
▼赤や青のカラーリングは、以前自分で勝手に書き込みしたもの。信用しないよーに。
小滝の里は広々とした公園になっていて、駐車場もトイレも整っている。ここには小滝製錬所跡・選鉱所跡がある。案内板の地図によれば、索道の停車場や事務所・配給所などもあったみたい。観光案内のパンフといまいちずれた場所もある。
▼小滝の里碑。
「昭和29年に小滝坑が廃止され、人々は思い思いに山を去ったが、盛んであった昔を偲び昭和39年に碑を建て、「小滝会」を結成した。(昭和61年再建)」とある。この大きく立派な石碑は昭和61年建立。昭和39年の碑はどこにいったのだろう。
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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ゼンリン
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Mapion マップコード 489 785 846
製錬所・選鉱所跡
「小滝坑が開坑され、この地に製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)が設けられた。往時の煉瓦の跡が偲ばれる。」
日光市
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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林の中にかつての選鉱所の煉瓦造やコンクリート造の土台が散乱している。
廃止が昭和でなく明治や大正って、相当昔だなぁ・・・。
すぐそばに小滝の里があり、選鉱所跡の案内板もあるので、決して見落とすことはない。
が、あちこちに点在する建造物を探して回るのはちょっと楽しい。
しかしこの木々の生い茂った山の斜面にどうやって選鉱所を設けたのだろう・・・。
まったく想像がつかない。
▼ちょっと離れた場所にあったのだが、これはカラミ煉瓦かな?
石垣に何かの穴。なんだろう。
小滝選鉱所跡・製錬所跡と浴場跡の間にある橋。
▼現在の鉱盛橋も1966年(昭和41年)築と古いが、少し離れた場所にさらに古い石造りの欄干が残っていた。旧橋の位置か。
坑夫浴場跡
「小滝坑の坑夫達は、仕事を終えると何よりも先に、身体の汚れを流し疲れをいやすためにこの「お風呂」に入った。
さぞ四方山話で賑わったであろう。」
日光市
昔のお風呂ってこんな形してたのね・・・。
完成形がどんな風なのか想像もつかないんだけど、真ん中のところに燃料を入れて火をくべたんだろーか。
不思議な形。一緒に入れるのは数人くらいかなぁ?
洗い場は別にあったんだろーか?
建物が解体されて湯船の跡だけが残ったってこと?
本山坑の鉱山神社に行く途中にも同じ遺構があった。
そちらは放置状態で、特に何の説明書きもなかったけど、それも浴場跡だろうなぁ。
お風呂の燃料には資源の有効活用のため銀山平製材所のオガクズを利用していたらしい。
銀山平に製材所があったのね。
▼近くに案内板があるからすぐに場所はわかる。
竣工年月と解体年月知りたかったなあ。
▼浴場の北側にあるこの壁は、坑内に空気を送るコンプレッサー室の防音壁らしい。
といわれても、これまたどんな風だったのか想像もつかないのだけれど・・・。
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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旧小滝火薬庫跡
足尾銅山では明治14年頃から火薬を使って採鉱していた。この火薬庫は明治40年頃まで使用していたものと思われる。
象山の燕岩と呼ばれている大きな岩の中央のくぼんだところにある火薬庫。小滝坑内で使う火薬を一時貯蔵していた。こんな奇怪な形をした岩に倉庫を作るというのもすごい。わざわざこんな穴を開けるまでもなく、岩の前の平地に小屋を建てるのではいけなかったんだろーか?近くに案内板があるので、すぐ見つけられる。
穴の中には仏像入りの小さな祠があり、煉瓦の壁がある。比較的新しく見える。この壁は何だろう。穴の規模は大きくない。巾1m強という感じかな?
▼削岩機の試し操作をしたときにあけた穴らしい。火薬庫から少し上流側に歩いたところにある。ちょっと気持ち悪い・・・。
▼十五夜 5.11B(?)という書き込みが気になる。
▼足元にこんな何やらコンクリート製のものが。何に使ったんだろう。
▼岩壁に打ち付けられた金具。
▼岩から大きなツララが・・・・。
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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旧小滝橋は明治20年に銅山便道として開削された小滝路に唯一残された銅製の橋(長さ26.6m、巾3.05m)で、大正15年に架橋された。
橋は小滝坑口にすぐつながっている。西側には旧小滝火薬庫跡・削岩機試掘跡がある。橋の手前に案内板あり。車は時々通るけれど、降りて見学する人はあまりいなかった。
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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▼小滝坑口と隣接する。
古い欄干が残っていた。竣工年は不明。銅製の橋をかける前にここに架けられていた橋のもの?
▼比較的新しい案内板。車通りも少なく、観光客にはほとんど出会わず静かだった。
日光市指定史跡 明治10年(1877年) 足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は小滝の旧坑(250m先までの掘止)を利用し、明治18年(1885年)7月にこの小滝坑を開坑した。 明治26年11月には本山坑(間かく3005m)と貫通し、次に立坑で通洞坑(間かく3276m)とも連絡するようになり備前楯山に向かって3坑から採鉱がすすめられた。 この開坑の功労者は笈川清七と本部末次郎であり、当時下駄づくり小屋が一軒しかなかったこの土地に、小滝坑を中心に銅山の施設と集落が出現し、大正年間には人口一万人余となった。 昭和29年(1954年)銅山の経営合理化により小滝坑が廃止されるとともに銅山の施設が全部撤去されて今日に至っている。 当時の名残りを小滝坑と前岸の削岩機練習のノミ跡にとどめている。小滝坑の小坑は、旧坑の一つである。 (昭和51年3月15日 日光市) |
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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旧小滝橋のすぐ目の前にある小滝坑口。見た目は通洞坑に似ている。この小滝坑が数キロ離れた本山坑や通洞坑と貫通しているというのに驚く。
▼あまりにも完璧なフォントで近年作ったのでないか?と感じてしまうほど。同じ刻印は通洞坑でも見たけれど。昭和六年十一月一日。
▼昭和47.12改修 技術係 保坑
地図:
ゼンリン いつもNAVI
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
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工事している。建物の保守か?こちら側の壁面はあまり傷んでいないように見える。道路沿いの壁面はおどろおどろしく威圧感があるが。
店頭にコスモスのレトロ自販機がある深沢売店。
足尾銅山生活協同組合 三養会(さんようかい)深沢売店は明治41(1908)年に、銅山で働く人々のために作られた生協で、「購売組合本山三養会」として足尾町本山の地に発足した。
名前の由来は蘇東坡の『群談餘採』の3つの「養」からきている。
1. 「安分以養福(安分は養福を以てす)」
2. 「寛胃以養気(胃を寛くして以て気を養なう)」
3. 「省費以養財(費をはぶきて以て財を養なう)」
昔は古河の従業員しか利用することができなかった。
従業員には「通帳」が渡され、それを持って買い物をし、清算は後日給料から天引きされた(現在のクレジットカード方式)。
そのため足尾銅山で働く人々はお金がなくても1ヶ月は生活することができた。
夕方、おなかがすいてパンでも買おうと思って、こちらの生協に入店。レジのそばに 「手作り あしお羊羹」というのが売っていた。足尾オリジナルの羊羹か。豆・栗・塩の3種類、豆のみ550円で、塩と栗は450円。栗を1本買ってみた。
Yahoo!地図
1:25000地形図 足尾(宇都宮)
Google Maps
ゼンリン
販売者は「足尾銅山生活協同組合」
大きい栗が丸ごと入っている羊羹かな~と思ったら、細切れの栗が入っている羊羹だった。でも美味しくて、家族にも好評だった。塩や豆も買えば良かった。
チョコまんというこれまたレトロなお菓子も買ってみた。
翌日も店の前を通ったが、閉店していた。
残念ながら2013年5月のストリートビューを見ると解体されてしまった模様。
38号棟そばの給水塔。
都営第2団地一帯の解体とともに2008年頭頃(?)に解体された。
子供の頃、この給水塔が大好きだった。
↓2008年現在、現存している53号棟そばの給水塔。でも38号棟そばの給水塔は解体されたので、いつか解体される?かも。
↓御陵線橋脚と南団地の間の路地(高村商店付近)から見た53号棟そばの給水塔。頭をちょっぴりのぞかせている。
↓54号棟越しに見た53号棟そばの給水塔。頭がにょっきり。
↓53号棟そばの給水塔のアップ。
↓色がとても可愛い!給水塔。手前の茶色い団地は都営長房北アパート。場所はココ。
〒193-0824東京都八王子市長房町
長房団地一帯が竣工された昭和42(1967)年~昭和44(1969)年頃の竣工と思われる。
JR西八王子駅から路線バスあり。京王バス 長房団地バス停まで 所要時間約12分、運賃170円、区間距離約2.4km(2008年11月現在)
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