南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

【徒歩ルート】

待ち時間の合間に少し「塩の道」にも行ってみた。いつかきちんと訪れたい。

南小谷駅(みなみおたりえき)
1935年(昭和10年)11月29日開業
直営駅(管理駅)
みどりの窓口有
地上駅
標高513.1m
2面3線ホーム
2012年度乗車人員 102人/日(降車客含まず)
2015年度乗車人員 121人/日(降車客含まず)
長野県北安曇郡小谷村大字千国乙10356
東日本旅客鉄道(JR東日本)
参考:南小谷駅 – Wikipedia

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

2面3線ホーム。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

改札

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

ホームに飾ってある旧駅名板。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

窓口前(改札外)に設置されている駅スタンプ。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

南小谷駅解説パネル。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

畳まである新しい待合室。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅名標。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

南小谷駅~松本駅区間の車両。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅前の「塩の道 千国街道」の道標。

南小谷駅 大糸線 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

 

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

2年ぶり位に訪問。前回は列車、今回は代行バス。シーズン中は登山者の利用が多い駅。駅前の水道蛇口は使用可能で、時々登山者が汚れた靴などを洗っている。

1957年(昭和32年)8月15日開業
無人駅
標高263m
2011年度の1日の平均乗車人員は6人
西日本旅客鉄道(JR西日本)
新潟県糸魚川市大字大所字平岩
参考:平岩駅 – Wikipedia

駅前の平岩簡易郵便局と蓮華温泉行きのバス車両

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

JRの代行バス。登山者の人がバスを待ってた。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

木製の駅名板。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

入口脇に貼ってある建物財産標。
鉄 駅本屋 03-2001 昭和31年11月。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

普段は無人駅なので駅スタンプは押せないけど、夏季の日中だけ駅員がいるようでスタンプを押すことができた。ただし1つはかなり状態が悪い。駅に保管のインクパッドも乾いてほとんど押せない状態だった。念の為カバンにインクパッドを忍ばせておいて助かった。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

状態が悪く、かすれかすれになってしまう。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

こちらはわりと新しいようで大丈夫だった。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

1面1線ホーム。踏切を渡ってホームに行く。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

ラッセル車と車庫。遠くには白馬大仏が。
参考:適当な日記 大糸線に行ってきました その4 雪かき列車の除雪見学

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅前の行楽の看板が懐かしい。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

保線小屋

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

レールスクーター!楽しそう!

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

ホームから見える白馬大仏。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅名標。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

ガランとした駅舎内。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅舎内。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅舎内に貼ってある蓮華温泉までのバス時刻表。いつかこのルートから鉱山道を通って白馬岳に登ってみたいと思っているが…。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

ホームと駅舎間の通路。よく天井にツバメが巣を作ってて、ここを通ると親ツバメが心配そうに周囲をうろうろ飛び回る。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅前の平岩簡易郵便局
「よってらっしゃい。道案内等は当局へ」と書いてある。道案内を兼ねるほど行楽客が多い時代があった。
2015年4月1日から一時閉鎖となっている。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅前の平岩簡易郵便局と蓮華温泉行きのバス車両。

駅前の平岩簡易郵便局と蓮華温泉行きのバス車両

駅前にある石碑は昭和38年11月に建立された元小谷村村長の戸澤三千太郎翁の頌徳碑。登山者が靴とビールを置いている。
参考:大糸線 鉄道記念碑
汽車旅悦楽館 大糸線その3

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

戸澤三千太郎翁頌徳碑の裏側、上部が欠けて文章が読めなくなっている。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅舎横にある信号機器室。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

信号機器室の建物財産標。

信号機器室の建物財産標

信号機器室の建物財産標

駅前の商店や廃屋など

現在駅前唯一の店舗、藤屋商店。自販機があるだけでも助かる。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

駅前に設置してある案内地図

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

JR代行バス車内。基本、大糸線の代行バス車内はいつも満員なイメージ。平岩駅から南小谷駅にかけては座ることができて良かった。

平岩駅 大糸線 無人駅 駅スタンプ押印

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

穂高駅(ほたかえき)
2011年度乗車人員 1,260人/日(降車客含まず)
2015年度乗車人員 1,152人/日(降車客含まず)
1915年(大正4年)7月15日開業
直営駅
標高546.0m
東日本旅客鉄道(JR東日本)
長野県安曇野市穂高5944

昭和15年築の駅舎、「日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越」にも名駅舎として紹介されているが、2010年に昭和15年以来の改修工事が行われてしまい、あまり古さを感じさせない雰囲気になっていた。

参考:穂高駅 – Wikipedia
参考:穂高駅改修完成2010年3月

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅スタンプ。改札係員が管理。全1個。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

建物財産標はのこっていたけれど、かなり読み取りづらい状態になっていた。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅名板。新しい。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅の解説パネル。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

道祖神の駅名標。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

ホームと駅舎をむすぶ踏切。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

島式1面2線ホーム。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

ホームには北アルプスの展望図パネルが設置されていたけど、稜線は雲で見えなかった。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅前の道祖神。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅舎内。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

穂高駅前にあるJR東日本の穂高変電所。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

改札前にある伊達政宗の人形。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

駅前の通りでお祭りをやっていたので、いつもより雰囲気は賑わっていたかもしれない。

穂高駅 大糸線 木造駅舎 駅スタンプ押印

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

【徒歩ルート】

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

頸城大野駅(くびきおおのえき)
1934年(昭和9年)11月14日開業
無人駅
西日本旅客鉄道(JR西日本)
2011年度の1日の平均乗車人員12人
新潟県糸魚川市大字大野字稲場1751
参考:頸城大野駅 – Wikipedia

列車運休のため、徒歩と代行バスで訪問。

古そうだけど左書きだから戦後のものかな。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

建物財産標 鉄 駅 待合所 05-2001 昭和9年12月。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

ホーム。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

ホーム。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

ホーム。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

駅舎内。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

駅舎内。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

駅名標。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

駅舎入口。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

地元の小学生による活動レポート。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

代行バスの乗り場案内。駅では時々代行バスの運行状況の案内放送がかかる。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

「糸魚川市消防団 糸魚川消防隊 第7分団 第31部 下大野」のあるT字路が大糸線の代行バスのりば。頸城大野の駅から70mくらい離れてる。暑いのに日陰が少ないのはちょっと辛い。
南小谷7:51発・糸魚川行きの代行バスの車両は高速バスと同じタイプの4列シートで全員座れたけど(その代わり糸魚川まで直通だった、途中駅で上下車する人はどうするんだろう?)、頸城大野10:51発(糸魚川10:43発)・南小谷行きは路線バスと同じタイプで混雑していて座れなかった。

頸城大野駅 大糸線 木造駅舎 無人駅

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線 駅スタンプ押印

明治30年5月築。簡易委託駅。2011年度の1日の平均乗車人員は829人。
富山県高岡市戸出町二丁目4-1
参考:戸出駅 – Wikipedia

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

建物財産標。鉄 駅本屋 03-2001 明治30年5月。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅スタンプ押印。全1個。改札係員が管理。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

福野駅と戸出駅では下車印も押してもらう。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

キハ47 1092。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

改札口。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

フラワーラインの案内板。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅舎内。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅名板。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅ホームの待合室。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

跨線橋。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

線路沿いに転がってた古い木製電柱。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅前。東町商店街のプレートがあったけど、駅前にはほとんど店がなかった。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅前の看板建築。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

駅前通の廃店舗。

戸出駅(といでえき) 木造駅舎 JR城端線

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線 駅スタンプ押印

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅(ふくのえき)
1897年(明治30年)5月4日開業
富山県南砺市松原新1767
簡易委託駅
2011年度の1日の平均乗車人員は742人

建物財産標の写真を撮るのを忘れた。明治30年5月築。黒い能登瓦とパステルグリーンの木造駅舎。

参考:福野駅 (富山県) – Wikipedia
参考:福野駅(JR西日本・城端線・福野駅)
参考:趣の瓦屋根の木造驛舎へ《城端線》

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

ディーゼルカー キハ47 1092。

ディーゼルカー キハ47 1092

丸石積みのホーム。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅の駅スタンプ。全1個。改札係員が管理。

福野駅の駅スタンプ。全1個。改札係員が管理。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

駅舎内。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

跨線橋。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

跨線橋は昭和34年築。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

営業時間変更のお知らせ。

福野駅 (富山県) 木造駅舎 JR城端線

キハ47 66。高岡市PR”あみたん娘”ラッピング車輌らしい。

キハ47 66。高岡市PR"あみたん娘"ラッピング車輌

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

越中中川駅(えっちゅうなかがわえき)
簡易委託駅
1916年(大正5年)4月1日開業
2011年度乗車人員 1,260人/日(降車客含まず)
2014年度乗車人員 1,155人/日(降車客含まず)
富山県高岡市中川一丁目2

青春18きっぷで越中中川駅のみを訪問した。 現在の外壁は富山県立高岡工芸高校デザイン科の学生により2009年8月5日に塗装されたもの。

参考:越中中川駅│駅情報:JRおでかけネット
参考:駅舎の旅-越中中川駅・氷見線・JR西日本

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

窓口。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

駅スタンプを押印。全1個。改札係員が管理。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

駅舎内。学生が多かった。開業当初から学生の乗降のためのみの駅舎だったらしい。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

駅舎内(改札方向)。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

氷見線。国鉄キハ47 1091 ディーゼルカー。
参考:JR氷見線・城端線 車両紹介

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

駅名標。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

単式1面1線ホーム。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

単式1面1線ホーム。

越中中川駅 木造駅舎 JR氷見線 駅スタンプ押印

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

黒光りする重厚な能登瓦とパステルグリーンの木造建築。城端線はパステルグリーンが基調の木造駅舎や待合室が多い。2011年度の1日平均乗車人員は230人。
簡易委託駅。
1897年(明治30年)10月31日開業
富山県南砺市是安385
参考:城端駅 – Wikipedia

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

手入れが行き届いた小綺麗な駅

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

キハ47 1092。国鉄末期の1977年から量産された一般形気動車。ディーゼルカーなので音がうるさい。
参考:JR氷見線・城端線 車両紹介

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

パステルグリーンが可愛らしい

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

メルヘンチックな木製の駅名標

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

きれいなホーロー駅名標

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

建物財産票。明治31年10月 駅本屋 鉄
城端線と城端駅の開業年(明治30年)の翌年の竣工か

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

縄ヶ池みずばしょう群生地の解説板

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

窓口時間外のため残念ながら駅スタンプを押せず。せめて18時半までなら。業務は簡易委託。

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

駅舎内。大きな笠。城端の特産品や民芸品が展示してある。

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

海抜123.4m

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

木造のお手洗い

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

城端線キハ47 1092の車内

城端駅(じょうはなえき) 木造駅舎 JR城端線

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

青春18きっぷで訪問

西富山駅(にしとやまえき)
無人駅
1927年(昭和2年)9月1日開業
2011年度乗車人員 321人/日(降車客含まず)
2014年度乗車人員 342人/日(降車客含まず)
富山県富山市寺町1186
参考:西富山駅 – Wikipedia

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

建物財産標 鉄 駅本屋 03-1001 昭和2年9月

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

高山本線キハ120 351
参考:JR西日本キハ120形気動車 – Wikipedia

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

2番ホーム 木製電柱

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

駅名標

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

改札口

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

駅舎内。

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

駅案内図。

西富山駅 木造駅舎 高山本線 無人駅

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中)とその周辺 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色

北陸新幹線開通に向けて再開発中の糸魚川駅周辺
参考:1975年の航空写真

糸魚川駅 周辺 地図 map

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

青春18きっぷとムーンライト信州号を利用しての訪問。大糸線(南小谷駅~糸魚川駅間)は代行バスだった。

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

▼JR大糸線の代行バスとアーケードがすっかり撤去されたヒスイロード。

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

▼アーケードがすっかり撤去されたヒスイロード。まるで別の町のようだ…。かんのや旅館はまるでビジネスホテルのような新しいビルに変わっている(右手前ベージュの建物)。
2014年頃から新しいアーケードが作られ始めた模様。

アーケードがすっかり撤去されたヒスイロード

糸魚川駅前 ヒスイロード

▼ヒスイロードに残る古い商店。黒瓦の屋根が印象的。

糸魚川駅前

糸魚川駅
1912年(大正元年)12月16日開業
直営駅
海抜5.2m
2011年度の1日の平均乗車人員は970人
新潟県糸魚川市大町一丁目
参考:糸魚川駅(いといがわえき) – Wikipedia
参考:国鉄457系電車 – Wikipedia

▼北陸新幹線開業に向けて工事中の駅舎。駅前ロータリーから。旧駅舎の姿が見えなくなってきている。

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

▼工事中の糸魚川駅。奴奈川姫像とヒスイ原石は元の位置のまま残されているが、商店街のアーケードは撤去され、歩道のタイルも剥がされた。

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

糸魚川駅前の奴奈川姫像

▼奴奈川姫像の解説パネル。

糸魚川駅前の奴奈川姫像

▼ヒスイロードの案内板。

糸魚川駅前の奴奈川姫像

駅前の「かんのや旅館」はすっかり解体され、新しい建物が建てられかけている。

糸魚川駅前のかんのや旅館

▼北陸新幹線の工事が着々と進み、糸魚川駅前のアーケードもラーメンとん太も解体されてしまった。2012年頃から駅舎も改築され始めた。ラーメンとん太があった通りの民家は現在も続々と(?)解体中。純喫茶あかねと駅弁たかせはまだ残っている。
純喫茶あかねと駅弁たかは2014年以前に解体され、2018年頃にホテルジオパークとなった模様。

純喫茶あかねと駅弁たかせ

純喫茶あかねと駅弁たかせ

糸魚川駅前の工事現場の歩行者用迂回路

糸魚川駅前の工事現場の歩行者用迂回路

糸魚川駅前の工事現場の歩行者用迂回路

改札に向かうと旧駅舎がまだ残っている。

糸魚川駅

糸魚川駅の仮設駅舎。小さい。新幹線の停車駅とは思えないほどこぢんまりとしている。

糸魚川駅の仮設駅舎

糸魚川駅の仮設駅舎

糸魚川駅の仮設駅舎

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

▼糸魚川駅で下車印を押してもらった。

糸魚川駅

▼改札内に設置してあった駅スタンプ。全1個。

糸魚川駅(北陸新幹線開業に向けて工事中) 大糸線 北陸本線100周年記念475系国鉄色 

▼北陸新幹線開通に向けて工事中の糸魚川駅構内。

北陸新幹線開通に向けて工事中の糸魚川駅構内

▼北陸本線クモハ475系。

北陸本線クモハ475系

▼北陸本線クモハ475-51

北陸本線クモハ475-51

▼北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成

北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成

▼北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成

北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成

北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成に乗って富山駅に向かう。

北陸本線全線開通100周年記念号 475系国鉄色編成に乗って富山駅に向かう。

白馬駅 大糸線(駅スタンプ押印)~蕨平石仏群

【徒歩ルート】

ムーライト信州号を終点の白馬駅で降りる。到着時間は早朝の5:40。6:56発の糸魚川行の大糸線まで時間があるので、白馬ハイランドスキー場&蕨平石仏群の方まで散歩してみた。

標高:697.2m
東日本旅客鉄道(JR東日本)
直営駅(管理駅)
2面3線ホーム
長野県北安曇郡白馬村大字北城四ッ谷
1932年(昭和7年)開業
参考:白馬駅 – Wikipedia

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅舎正面。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

ムーンライト信州の終着駅。方向幕を回転中。急行アルプスとかあさまとかレトロなのがいろいろ出てくる。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅舎内・待合室の隅に飾ってある旧駅名板。昔は白馬駅でなく信濃四ツ谷駅という駅名だったようだ。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅舎・待合室の隅には他にもいろいろと展示物あり。でも半分むしろで隠されていたし暗かったので、あまりよく見れなかった。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅名の由来は、たしか代馬(しろうま)→白馬(しろうま)→白馬(はくば)なんだっけ。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

昔の駅舎の写真っぽかったけど、暗くてあまり良く見えなかった。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅名標。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅舎内・待合室(改札外)に設置してある駅スタンプを押印。全1個。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅の由来解説パネル。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

駅舎内・待合室。ムーンライト信州で到着した人達。午前5時台の早朝なのに南小谷方面の接続列車が約1時間後なので、多くの人達が時間を持て余してる。

白馬駅 大糸線 駅スタンプ押印

白馬駅ホームにある古い洗面台。

白馬駅ホームにある古い洗面台。

白馬駅前ロータリー。看板に1998年冬季長野オリンピックの名残がある。

白馬駅前ロータリー。看板に1998年冬季長野オリンピックの名残がある。

昭和時代からある白馬駅前の土産物店「おじさんの店」。貸しアイゼン(軽アイゼン)も取り扱っている。ムーンライト信州号の到着に合わせてなのか、それとも元々登山者多い夏季シーズンはこうなのか、観光ショップは早朝から営業している。レンタサイクル、宿の予約もOK。

白馬駅前の土産物店や観光ショップは早朝から営業してる。

そば屋も営業している。

そば屋も営業している。

蕨平踏切をわたる。白馬駅構内にまだムーンライト信州号がいる。

蕨平踏切をわたる。白馬駅構内にまだムーンライト信州号がいる。

団地がある。どうやら白馬観光開発(株)社員寮らしい。

団地がある。どうやら白馬観光開発(株)社員寮らしい。

白馬ハイランドスキー場と白馬ハイランドホテル。
※白馬ハイランドスキー場は2008~2009年シーズンをもって閉業した。開業は昭和47年(1972年)~昭和48年(1973年)頃らしい。リフトや照明などは全て2010年秋までに撤去・解体されたらしい。白馬ハイランドホテルのホームページが懐かしい思い出を残したままで嬉しい。

白馬ハイランドスキー場

なだらかな白馬ハイランドスキー場の跡地。八方尾根スキー場を利用した時にこちらの方まで足を伸ばしたことがあったと思うが、スキー場として利用したことはない。

なだらかな白馬ハイランドスキー場の跡地。

蕨平橋のたもとにあった石仏。

蕨平橋のたもとにあった石仏。

道祖神ではないような?

蕨平橋のたもとにあった石仏。

1970年(昭和45年)竣工の蕨平橋

1970年(昭和45年)竣工の蕨平橋。

1970年(昭和45年)竣工の蕨平橋。

1970年(昭和45年)竣工の蕨平橋。

蕨平橋から見た姫川。糸魚川に出る時に姫川は巨大だが、白馬での姫川はまだこんなに細い。

1970年(昭和45年)竣工の蕨平橋。

蕨平橋たもとの庚申塔

蕨平橋たもとの庚申塔

水場と道標とベンチがある。水場は「弁天の水」というらしい。

水場と道標とベンチがある。水場は「弁天の水」というらしい。

八方尾根方面に白馬ジャンプ競技場が見える。それにしても朝靄がなんてきれいなんだろう。

白馬ジャンプ競技場

白馬ハイランドホテルは白馬ハイランドスキー場が閉業しても営業を続けているようだ。利用したことはないが、昭和のペンションチックなお洒落なイメージがあった。

白馬ハイランドホテル

蕨平石仏群まで200m。

白馬ハイランドホテル 蕨平石仏群

天神坂を登って白馬ハイランドホテルを見下ろす。

天神坂を登って白馬ハイランドホテルを見下ろす。

古い民宿群。「しの」と書いてあるが、「よしの」の「よ」の字がとれたようだ。

古い民宿群

古い民宿群

ほかにも諸々の古い石碑。

道中の石碑。 道中の石碑。

天神坂を登ったところに蕨平石仏群がある。それにしても田んぼがなんてきれいなんだろう。

天神坂

天神坂

蕨平石仏群
延命地蔵、万能地蔵、六地蔵、馬頭観音、庚申塔などが祀られている。

蕨平石仏群

蕨平石仏群

蕨平石仏群

山深い集落では昔は病院もなく産婆さんも少なく、お産も大変なことであったので、お地蔵様がお産の手助けをしたという地蔵信仰のお話が書いてある。

蕨平石仏群

蕨平石仏群

駅に戻る。蕨平集落センターなるものがある。

蕨平集落センター

白馬ハイランドスキー場のリフト跡。

白馬ハイランドスキー場のリフト跡。

白馬駅を出口と反対側から眺めたところ。

白馬駅を出口と反対側から眺めたところ。

白馬は「四ッ谷」と「四ッ家」の表記になっている。

高尾駅~八王子霊園~下恩方町~琴平神社~向山~小津林道~力石峠~上恩方町~高尾駅(ジョギング&登山)

【ジョギング&登山】

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

元八王子市民センターで映画「気違い部落」の無料上映会があったので見て来た。DVD化はされていないので、作品の舞台に近い場所で鑑賞できる貴重な機会。過激なタイトルで勘違いされそうだけど、被差別部落についてのタブーについて触れた作品ではない。部落という言葉も本来の意味である集落を意味するもの。極貧の山奥の部落(現在の下恩方町に当たる)に住む田舎者達の奇妙な風習をユーモアや皮肉を交えながら描写した作品。ただし冒頭であっけらかんと犬を犬鍋に調理して食べてしまうシーンが出てきてびっくり。ドギツい描写にも思えるが、情緒を一切排除した所が妙に爽快にも思える。葬式は坊さんに読経してもらうのでなく、お経のレコードで済ませてしまうという滑稽さ。総じておかしな人々の集いなのだけど、ラストで村人達から村八分にされた主人公(伊藤雄之助)が「この部落を出てどこに行っても結局は同じだ」というセリフを吐き、どーんと現実に引き寄せられ重みにはまる。今の私達の暮らしぶりの中にも『気違い部落』な要素はたくさんあるのかもしれない。ただし自分達を『気違い』扱いしたということで、当時きだみのるへの地元民への反発は凄まじかったらしい。

監督:渋谷実 
原作:きだみのる
音楽:黛敏郎
脚色:菊島隆三

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

きだみのるの原作は読んでないけど(図書館で予約待ち)、映画が面白かったので「気違い部落」のモデル地である下恩方町の辺名集落を、新たなジョギングロードの開拓も兼ねて散策してみた。きだみのるは太平洋戦争末期に廃寺だった医王寺に疎開してきて、1943年(48才)から1965年(70才)までの22年間にわたり下恩方町・辺名(へんな)部落で過ごしたらしい。

参考:きだみのる「気違い部落」 松岡三五郎のひとりごと
参考:きだみのる – Wikipedia
参考:Web八王子事典 きだ みのる http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%A4%AD%A4%C0%A1%A1%A4%DF%A4%CE%A4%EB (リンク切れ)
参考:公平な分け方は悪徳に分類される強欲の所産である(きだみのる)
参考:「気違い部落周游紀行」の原風景~八王子市上恩方町上案下 – 澎湖島のニガウリ日誌
参考:気違い部落周遊紀行 きだみのる everyman’s Rock etc
参考:Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る – 辺名地区
参考:MapFanWeb(地図)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

辺名地区の変遷 大正10年(1921年)昭和12年(1937年)昭和24年(1949年)昭和41年(1966年)現在(2013年)

  • 大正時代
    辺名は「邊名」と記載されている。
    木の工房くさ野」がある所あたりに病院があったらしい。
    医王寺の南西部の山(砕石のために切り崩されてしまった)が標高300mと記載されている。
    川原宿に郵便局の記号も確認できる。
  • 昭和初期(戦前)
    大正時代の地図とさして変化はない。
    川原宿の郵便局はどうやら移動したらしい。
    小津川の表示が大正時代よりはっきりしなくなっている。
  • 戦後(昭和24年)
    地形的に大きな変化はない様子。
    「邊名」が「辺名」の表記に変わり、右書きから左書きに変化している。
    木の工房くさ野」あたりにあったらしい病院はなくなっている。
  • 高度成長期
    小津川が非常にくっきり描写されるようになった。
    川の位置は大正時代とさほど変わっていないようす。
    辺名の桜塚から新たに道路が敷設され(モリアオガエルの道)、三叉路ができあがっている。
    都道61号線も敷設されている(右上)。
  • 現代
    作成年月不明の地図だが、上の地図から40年近くブランクがあると思われ、地形が非常に大きく変わっている。
    平地部に満遍なく建物が立ち並び、工場地帯もでき、圏央道や支線道路が作られている。
    川原宿の郵便局はなくなってしまった。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

訪問地リスト
1.コンクリブロックの祠に入った古地蔵
2.古い木製電柱
3.御嶽神社
4.壊れかけた古い石仏
5.古地蔵の大きめ祠
6.辺名の桜(辺名の三叉路)
7.元神社跡(?)の小さな祠
8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑
9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
10.現在の醫王寺(医王寺)
11.金山神社
12.辺名部落
13.自家製酵母パン屋グルヌイユ

3.御嶽神社
鬱蒼とした山の麓にある神社。この神社の境内で映画「きちがい部落」のロケが行われたらしい。映春に百八灯祭が行われる。

参考:ひなたぼっこの縁側日記 春祭り(百八灯祭)
参考:柏書房 『江戸東京歳時記をあるく』 第43回:下恩方上宿の百八灯

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

3.御嶽神社
周囲には他にも木造小屋や古い石造の祠や踏み跡などがあった。

御嶽神社

3.御嶽神社 太子堂

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

3.御嶽神社 太子堂
太子堂前の古い石仏

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

2.古い木製電柱
正面の山の裏側に、きだみのるが住み着いた廃寺、医王寺がある。
民家が14軒しかなかった辺名集落と違い、こちらの川原宿の集落は大正時代から栄えていたようだ。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

1.コンクリブロックの祠に入った古地蔵
上宿町会会館の駐車場内にある。
上宿町会会館の南西の細い路地は近年拡張されたものらしく、昔の地図には載っていない。古地蔵は比較的小さい。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落 きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

4.壊れかけた古い石仏
辺名の三叉路にあるのと同じ腕が6本タイプのものに見える。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

5.古地蔵の大きめ祠
祠は昭和53年(1978年)に作られたもの。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落 きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

6.辺名の桜(辺名の三叉路)
東に伸びている道は昭和24~41年(1949~1966)の間に拡張されたもののようで、アスファルト自体は新しめ。
この道路は「モリアオガエルの道」として小津町の方まで続いている。
その整備された道路の真ん中に不釣り合いな古い石仏群が鎮座している。

参考:八王子よいとこ_モリアオガエルの道-1 東京八王子UTR不動産のつぶやき日記

参考:Web八王子事典 辺名(へんな)の桜 http://www.cs.takushoku-u.ac.jp/is/hachioji/ShowContent.php?NAME=%E8%BE%BA%E5%90%8D%E3%81%AE%E6%A1%9C (リンク切れ)
下恩方町辺名の三又路にある.昔から土地の人は“小津(乙)な所に辺名の桜”と呼んできた.江戸期,千人同心たちが大山参りの際に桜の幹の上で酒杯を交わしたと伝えられ,「日本老樹名木誌」に記載された名木であった.現在,枯死した幹の両側に2本の桜が植えられている.木株の下に芭蕉の句碑がある(『三多摩風土誌』).

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

(左)芭蕉の句碑 参考:ひなたぼっこの縁側日記 謎が解けた三叉路
(右)腕が6本ある古い石仏  「天明三年(癸卯)八月朔日」の刻印。1783年の石仏のわりには風化が少ないように感じる。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落  きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

7.元神社跡(?)の路傍祠
医王寺入口の分岐、更地の隅っこにある詳細不明の小さな木の祠。
1966年頃まではこの辺に神社があったようで、地図に記載されているが、それが「金山神社」(現在は辺名町会館の裏にある)なのかは不明。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

12.辺名部落。医王寺入口の分岐。
戦中この一帯に14世帯の民家が立ち並んでいた。
この道の突き当り、正面の山の右手側の麓に醫王寺(医王寺)ある。
正面の山の左側の麓に御嶽神社がある。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

11.金山神社と辺名町会館
辺名町会館(右)と、その真裏にある金山神社(左)。
やけに新しいので、以前別の場所にあったのを移設したのか?と推察。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落 きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
かなり古そうだけど、文字類は風化していて判読不可能。
きだみのるが醫王寺(医王寺)で暮らしていた当時からこの付近にあったものを整備後に移転したもの?

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

10.現在の醫王寺(医王寺)
きだみのるが戦中に疎開してきた当時は廃寺だったらしい医王寺。再建したのか。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

▼山の斜面に墓地がある。造成されてるかもだけど、急な地形が映画「気違い部落」のイメージに重なる。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

醫王寺(医王寺)の裏側は人工的に整地されていて、きだみのるが住んでいた当時とは雰囲気が異なっていそう。1970年代か1980年代に造成されたみたい。かつて標高300mの山が寺の南西部にそびえていたようだが、1970年代から採石場→圏央道と変遷を遂げ、砕石のためにすっかり切り崩されてしまったようす。

▼採石場になってしまった醫王寺(医王寺)の南西部きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

▼醫王寺(医王寺)の東側の山を越えた向こう側には、映画「気違い部落」のロケが行われた御嶽神社があり、ぐるっと回らずに近道できれば便利そうだが、この岩肌の目立つ急斜面だと往来できる気がしない。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑
辺名集落のはずれの空き地に建立された石碑。
参考:下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地|八王子市

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

13.グルヌイユ(自家製天然酵母パンとお菓子のお店)
辺名の三叉路(辺名の桜)近く。辺名部落にあるお店はここ一軒だけなので、記念に。

きだみのる「気違い部落」の里めぐり – 下恩方町・辺名集落

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)再訪

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

久しぶりに訪れた中島酒造場、いつのまにか廃業して工場棟も解体され、古い建物を残して更地になっていた。2010年9月末をもって閉業したらしい。江戸時代末期に創業した、八王子の地酒の醸造工場だったのに。公式サイトは現在、なぜか富士山と人形の写真置き場になっている。

(有)中島酒造場
〒192-0154東京都八王子市下恩方町725
042-651-3002
http://www.nakajima-sake.co.jp/ Google MapsMapFan

参考:
東京の中島酒造場が廃業(涙) – 酔い人「空太郎」の日本酒探検 – Yahoo!ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/qoopontan2/33289893.html%E2%80%8E(リンク切れ)
参考:65 下恩方の酒造場(下恩方町725)|八王子市http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/004/006/p003281.html(リンク切れ)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 

▼新しい木の杭。解体の準備かなにか?

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業) 

▼民家のような建物も周辺に数棟あり。住居を兼ねた工場だったのかな。

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

下恩方町 中島酒造場(2010年9月末に廃業)

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津水沼駅から徒歩で立ち寄り。
小さな木造駅舎だが、雪に埋もれて外観見渡せず…。

会津中川駅(あいづなかがわえき)
無人駅
1956年(昭和31年)9月20日開業
福島県大沼郡金山町大字中川字坂下
2004年度乗車人員 5人/日(降車客含まず)
標高302m程度
会津中川駅 – Wikipedia

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

 

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

会津中川駅 只見線 無人駅 木造駅舎

大館市 市営住宅1号/市営住宅3号(解体済み)

【徒歩ルート】

柳町児童公園(地図によっては「横山児童公園」となっている)あたりの旧町名は大工町という。市営住宅3棟は柳町児童公園の向かい側にあり、『大館市北秋田郡自治百年史』の記述と竣工時期が若干異なるが、1956年(昭和31年)10月25日に発行された「大館市政だより」(第40号) で「大工町に建設される耐震・耐火4階建鉄筋コンクリート造アパート」と紹介されているのは市営住宅3棟のことだと思われる。

1956年 10月25日号(No.40) 広報おおだてバックナンバー

市営住宅1号 市営新町住宅

〒017-0844 秋田県大館市新町40
『大館市北秋田郡自治百年史』P.98に「昭和31年(1956年)11月20日 アパート1号竣工(48戸)」と記載あり(実際は24戸?)。
昭和31年8月13日の大館大火(東大館駅から出火)のわずか3ヶ月後に竣工された。
※このアパートは2015年頃に解体された。

市営住宅1号 市営新町住宅

市営住宅1号 市営新町住宅

市営住宅1号 市営新町住宅

市営住宅3号 市営向町住宅

〒017-0828 秋田県大館市向町3-1
『大館市北秋田郡自治百年史』P.99に「昭和32年(1957年)11月20日 アパート2号(32戸、4階建)竣工」「昭和33年(1958年)3月31日 アパート2号(32戸)竣工」と記載あり。昭和33年竣工の方は「3号」の誤植か。
※このアパートは2015年頃に解体された。

2005年2月版のゼンリン住宅地図では、以下のように表記されている。2号棟は32室の間違いではないのか。2007年版のゼンリン住宅地図では、1号棟4世帯/24戸、2号棟25世帯/32戸、3号棟15世帯/32戸と記載されているらしい。

市営住宅1号 3世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅2号 16世帯/24戸(各階に6戸ずつ、4階建)
市営住宅3号 11世帯/32戸(各階に8戸ずつ、4階建)

市営住宅3号 市営向町住宅

市営住宅3号 市営向町住宅

市営住宅3号 市営向町住宅

市営住宅3号 市営向町住宅

中央弘前駅 弘南鉄道・大鰐線 レトロ駅舎 駅スタンプ押印

中央弘前駅(ちゅうおうひろさきえき)
業務委託駅
東北の駅百選選定駅
1952年(昭和27年)1月26日開業
青森県弘前市大字吉野町1-6

中央弘前駅 弘南鉄道・大鰐線 レトロ駅舎 駅スタンプ押印

中央弘前駅 弘南鉄道・大鰐線 レトロ駅舎 駅スタンプ押印

▼駅スタンプ押印 全1個 開札外(窓口前)に設置

中央弘前駅 弘南鉄道・大鰐線 レトロ駅舎 駅スタンプ押印

参考:中央弘前駅 – Wikipedia

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