旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

文京区の菊水湯の営業最終日。
春日駅から歩いて菊水湯に行き、帰りは水道橋駅まで歩いた。
この辺は昔の情緒が所々に残っている町。

▼都営大江戸線の春日駅にて駅スタンプ押印。改札内に設置してある。全1個。

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▼A3だかA4だかよくわからないが、春日駅と後楽園駅が一緒になってる出口から出た。駅を出たら頭の真にシビックセンターがあってびっくりした。
この辺あまり来ないから唐突に奇抜な建造物に出くわすと驚いちゃうわー(おのぼりさん)。

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▼めったに来ないから東京ドームの屋根見るだけでもどきどきしちゃうんだが、それよりも手前の階段上の建物が気になった。これが後楽園駅なのらしい。裏側のごちゃごちゃ具合、昭和の雑居ビルかと思った(目が悪いのでこの時は後楽園駅の文字がみえなかった)。

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▼横断歩道をわたるときに気になる感じのレトロな建物があった。東京電力の大塚制御所という施設らしいが、この辺は再開発事業の指定地域に入ってる。2015年5月のストリートビューでは既に解体告知の看板まで設置されている。建築史的な価値はないんだろうけど、いいビル系で好きだわー。

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▼後楽園ビューハイツ
名前に時代を感じるマンション。1978年5月(昭和53年)築らしい。
道幅のわりに高い建物がそそり立ってる感じ、ニューヨークみたいだな。

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▼右側の一連のビルは再開発により軒並み消える予定

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▼この辺は旧春日町(三丁目)らしい

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▼多津美寿司のわきの道を奥にはいってみる。細い路地に古い木造家屋が取り残されていた。高いビルに見下され窮屈そうだけど、ここだけ時が止まったような情緒が。

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▼家屋の塀には再開発告知の看板が貼られていた

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▼ここもいつ貼られたものなんだろうか

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▼ここも解体予定のアパート

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▼測量会館のビルがこんな裏路地にあるとは思わなかった。日本測量協会は3月30日(月)に移転済みの告知が貼ってある。

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▼地図には別の通りに抜ける道が記載されているのに、該当する場所にはこれといった道がなく、一見して行き止まりのように見える光景で戸惑う。

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▼戸惑いつつも地図のままに歩むと家屋と家屋の間に道とはいえなそうな道(通路)が存在していた。これ私道かな通っていいんかいなと狼狽えながらも…まわりがアパートなので一応セーフそう。ってか、ここも再開発指定地域なのでいずれ区画整理されてこの道も消える運命だと思うので、記念通行。

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▼再開発で消える運命の路地

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▼室外機がたくさんついてる春日スカイハイツビルや、その隣の古ビル、手前の低層家屋も消える予定。室外機のある光景、好きなんだよな。再開発はこの辺のアーケードのある商店街まで行われる模様。

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▼白山通りを横断し、工事中のシビックランド日成の跡地の脇の道をとおって清和公園へ。古い石垣が気になる。

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▼清和公園に昭和8年の石柱があった
参考:文京区 清和公園
『戦前にはすでに遊び場として利用されていましたが、戦災により荒廃していました。近隣住民の署名運動により、昭和26年(1951年)に東京都立公園として開園した後、文京区に移管され、昭和56年から57年にかけて改修を行いました。』
昔は右京山と言われていて、小説の姿三四郎が桧垣源之助と決闘を行った「右京が原」とはここのことらしい。

明治時代~昭和前期までの地形図を見ると、この辺は昔からぜんぜん地形が変わってないんだな。それと、昭和前期(戦前)までずっと謎の★記号が地図上にある。

ヤフー知恵袋に『昔の地図記号のことで教えていただきたいのですが、以前、知恵袋の質問に「☆(星形)の地図記号ってありますか?」というのが出ていて…』という質問があったけど、いまいち何だかわからず。『戦況地図の見方 – 歴史 _ 教えて!goo』でも「星型マークは司令部」と書いてある。やっぱ陸軍司令部のマークだろうか。

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▼右京山(清和公園)を抜けて少し歩くと、古建築にしか見えない小洒落たマンサード屋根の民家が見えてきた。史跡とか文化財に指定されていてもおかしくなさそうな見た目なのに、現役住宅なのでちょっと困惑。あとで調べたら、やはり旧東京市営真砂町住宅という大正12年築の古建築だった。古建築だけど、ちゃんと手入れが行き届いていてとてもきれいだ。

参考:文京区本郷の近代建築|東京都文京区 – 伝統の日本紀行伝統の日本紀行
参考:旧東京市営真砂町住宅(東京都文京区)_ 日常旅行日記
参考:東京市営真砂町住宅(1)/文京区本郷4丁目 – ぼくの近代建築コレクション

東京市は1923年(大正12年)~1925年(大正14年)に本郷台の右京山を開発し、住宅不足緩和のために真砂町に公営住宅を46棟75戸建てた。この2棟は第2期に造られたものらしい。

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▼こちらも近くにあった旧東京市営真砂町住宅の民家
古建築が退役せず現役のまま大切に使われ続けている光景はいいものだな

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明治時代1950年の地形図で田町と表記されてるあたり。中層ビルと低層民家がごっちゃになっていて面白い。南に清和公園(右京山)があり、昔からこの辺りはいびつな地形になっていたみたいだ。

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▼いびつな道を折れて菊水湯の方に向かって行く。丈のある古い石垣が気になる。どうやらこの辺の石垣は大谷石を使っているらしい。先ほどの清和公園の石垣も大谷石だったのだろう。いつか巨大地下空間のある大谷資料館に行ってみたい。

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▼石垣にあいた穴が面白い。自然の年月が生み出した造形だろうな。こんなのもあった→大谷石の石垣アート:豊島区・文京区にて ( 東京都 ) – 日々の泡 L’Écume des jours – Yahoo!ブログ。人工と自然が庶民的な形で共存してる。

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▼この辺は旧菊坂町らしい。昭和40年までの町名。500年以上も前の昔、長禄年間(1457-1460)このあたりは菊畑が広がっていたらしい。
参考:佳景探訪 – 本郷/菊坂界隈(東京都文京区)

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▼更に細い路地際には丸窓のある古民家も残る

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▼コンクリート製ながら、地形に沿った曲線の造成がおもしろい

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▼鐙坂(あぶみざか)入口の三叉路に到着

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▼鐙坂の石垣 いい石垣

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▼鐙坂 反対側は大谷石(?)の石垣

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▼鐙坂。狭い路地への入口。樋口一葉の旧居跡へはここからも行けるみたい。

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▼狭い路地の入口の石垣には「相生荘」の表札があった。しかし地図でしらべると現在この辺には「相生荘」という名のアパートはない。

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▼昭和の小中学校の図画工作などでも好まれた銅板工作のレリーフだな。いい味わい。

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▼鐙坂から菊水湯の煙突がみえる

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▼鐙坂にて2つ目の細路地。ここから樋口一葉の旧居跡へ行ける。

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▼鐙坂には金田一京助・春彦の旧居跡もある

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▼この辺は旧真砂町らしい

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▼鐙坂を登り切ったところには財務省関東財務局の真砂住宅がある

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▼蔦だらけのすてきな古家屋がある

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▼電線までもが蔦まみれ

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▼文京区の下水道マンホール

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▼鐙坂を引き返して、菊水湯に向かう

菊水湯(きくすいゆ)
〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目30−16
03-3815-2637
営業時間 15:30~25:00
定休日 金曜
2015年9月30日をもって廃業
460円

唐破風、懸魚飾り、富士山の大きなペンキ絵、井戸水、薪炊き、高い天井、宝寿湯、日替りハーブ湯(冬のみ)、番台、昭和造りの昔風の銭湯

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▼菊水湯の向かいには「バーバーみながわ」がある。可愛らしくも味わい深い家屋

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▼バーバーみながわ 店頭のぶどう棚は実がなっていた

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▼バーバーみながわ

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▼バーバーみながわ やばいタイルかわいい

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▼菊坂と菊水湯を結ぶ小さな階段

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▼菊水湯のわきには昔ながらのダストボックスが残る。昭和のダストボックス好き。

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▼営業最終日なので、菊水湯前には人だかり。三脚やビデオカメラを抱えた撮影隊もいた。なんとかタイミングを見計らって人のいない写真を撮影。桜湯は明治時代に営業を始めたとされ、100年以上の歴史をもつ銭湯だった。

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▼菊水湯 建築計画のお知らせ

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▼夭本医院という産婦人科は既にない模様

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▼菊水湯 閉業の挨拶

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▼菊水湯 下駄箱

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▼下駄箱はあたらしめだが、傘ロッカーは定番のレトロなさくら製

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▼この日も深夜1時までの営業だった。東大やNHKも撮影にきたし、結構な人が最後まで見送ったのかな。

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▼脱衣所入口。脱衣所には金魚や亀を飼ってる水槽が3つもあった。番台の写真も撮らせていただいた。

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▼営業最終日だからか入浴客全員に菊水湯の名入りのタオルを配布していた。ありがたく頂く。

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▼脱衣所の置物

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▼このカエルが可愛くてヤバイ

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▼ちょうど湯上がりに脱衣所のテレビで菊水湯閉業のニュースを放送しだした。菊水湯にいながら菊水湯のニュースを見るというシチュエーションに入浴客の間でクスクス笑いが起きる。

記憶にある限りの菊水湯の浴室(女湯)のメモ。ペンキ絵は浴槽側と出入り口側の二ヶ所あり。入口は立山ライトレールの絵。浴槽側は富士道(だったと思う)2011.5.13ナカジマサイン入り。宝寿湯(ぬるい薬湯)と、通常湯温のエレキマッサージ湯とポイントマッサージ湯。浴槽は2つ。シャワー台は20個以上あり。シャワーの勢いがとても良い。ハンドドライヤーは故障していて使えなかった。ドライヤー椅子も使えず、生乾きのまま出てきた。冬じゃなくて良かった。定番のレトロなドライヤー椅子、籐カゴ、ケロリン桶、さくら下駄箱あり。番台式。

東大の研究グループが360度の画角で撮影できるカメラを持ち込んで撮影していったというから、浴室の写真もいずれ公開されることを期待したい。

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▼湯上り後、鐙坂を登って水道橋駅に向かう

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▼背の高いビルの合間に古い家屋が残された一角を見かける

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▼この辺は旧弓町というらしい

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朝陽館 本家という純和風な旅館を見かけた。以下のブログで室内写真を確認できるが、宿泊料が極端に高いわけでもないし、いつか泊まってみたい気分にも駆られる。
参考:きまじめチキン日記_朝陽館 本家 – livedoor Blog(ブログ)

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▼本郷ハウスという昭和感あふれながらも奇抜な形のビルをみかける。

↓こちらのブログのほうが明るい時の写真で奇抜な全体像がわかりやすい。
参考:異形のせり出しタワー 「本郷ハウス」 -東京冒険紀行

↓以下のブログ、サイトにも別アングル写真が掲載されている。不動産屋の物件情報にすら「畏怖すら感じる圧倒的な迫力。要塞の名がふさわしい質実剛健のヴィンテージマンション」と書かれてるのはすごい。
本郷ハウス 808号室 (文京区の不動産情報)実用春日ホーム
鳳明館、炭団坂、朝陽館本家 本郷の木造旅館と坂 – 墳丘からの眺め

ストリートビューもすごい

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▼東洋学園大学本郷キャンパスのモザイクレリーフ。建築家今井兼次によるデザインで1961年完成。2007年竣工の新1号館に引き継がれたらしい。

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▼佐藤桂子舞踊研究所なる建物をみかける

旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

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▼昭和2年(1927年)築の旧元町小学校(現・順天堂病後児ルームみつばち)に行き当たる

参考:震災復興小学校と公園、旧元町小学校・元町公園|東京都文京区 – 伝統の日本紀行伝統の日本紀行

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▼このあたりは旧元町一丁目らしい

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▼昭和4年築の昭和第一高等学校(旧昭和第一商業学校)の校舎
屋外のテニスコートでは生徒たちがテニスの試合(練習?)をしていた
参考:ノスタルジックなレトロ建築を訪ねてみよう!~文京区本郷~

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▼旧元町小学校と昭和第一高等学校(旧昭和第一商業学校)の間の坂道をくだっていく

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▼元町公園の壁に不自然に塗りつぶしたことがわかる謎のセメント穴が2ヶ所ある。
これなんだ?

旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

セメントの質が悪く無造作な埋め方なので、隙間から雑草が生えている。
不自然な昭和のトマソン…
ぐぐってみると、元町公園と元町小学校は、関東大震災後に、復興公園および復興小学校として建設されたもので、1943年頃には公園の下に防空壕が造られたらしい。この横穴はその防空壕の何らかの遺構ではないかとの噂。こういうちょっと薄気味悪さを感じさせる都会の情景イイ!(・∀・)

参考:真夏の夜のミステリー「横穴跡とトイレの花子さん、731部隊」 _ 東京坂道ゆるラン
参考:元町公園いろいろ年表

旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

▼水道駅に到着。改札外に設置してある駅スタンプを1個押印して電車に乗った。

旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~銭湯菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

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夜の甲府市内散策 甲府駅~史跡甲府城跡(舞鶴城)~甲府銀座通り商店街・仲見世~連雀問屋街~遊亀温泉~南甲府駅

明治大正時代の五万分一地形図
昭和前期の五万分一地形図
1975年の航空写真

▼甲府駅 コンコース 貴石画製の富士山。寄贈は国際興業株式会社。昭和60年3月。モザイクタイル製かと思ったが、よく見るとキラキラ光ってる。昭和の時代にはこうした貴石画が個人宅にも飾られたものだった。

甲府駅

▼はじめて史跡 甲府城跡(舞鶴城)に行ってみる。階段の手すりがなければ、アンデスの遺跡と言われてもわからなそうな城壁シルエット。

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼尖塔が気になるが、すっかり暗くなってしまって見に行く余裕もない。400年前の城らしい。

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼一番高い天守台からは甲府盆地が一望できて気分が良いから、明るい時に再訪したい。ボランティアガイドもあるらしい。

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼山の向うにニョッキリ頭を出している建造物にちょっとぎょっとしたが、山梨県立科学館らしい。何かの産業遺産かと思った。手前に見えるグリーンの建物は世界救世教山梨教会とかいう宗教団体。高塔は給水塔?

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼甲府城の稲荷櫓の左側に東京ガスのガスタンクが見える

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼八光地産ビル。中央本線の車窓からも見えるこのビル、以前はホテルニュー玉木やビジネスホテル朝日が連なっていて、場末感たっぷりながら安そうだったので、気になっていたのだが、今グーグルマップで確認してみると改装されているし表記がない。廃業してしまったんだろうか。

八光地産ビル

▼甲府駅方面の眺め

史跡 甲府城跡(舞鶴城)

▼後藤スタヂオ。側面を見る限り、それなりに古そう。

後藤スタヂオ

▼いなりずし ゑびすや

いなりずし ゑびすや

▼KOFU JAZZ STREET ダイヤコリド商店街

KOFU JAZZ STREET ダイヤコリド商店街

▼蔦に覆われた建物が良い雰囲気のコットンクラブ甲府。ジャズライブスペース。

コットンクラブ甲府。ジャズライブスペース。

▼コットンクラブ 甲府

コットンクラブ 甲府

▼暗くてあまりよく見えなかったが、コットンクラブと桜商事ビルの間のロフトスペース(?)が良い雰囲気っぽい。

コットンクラブと桜商事ビルの間のロフトスペース(?)

▼仲見世が突如あらわれる

仲見世

▼仲見世。古くてこじんまりとした店が連なる。

仲見世

▼仲見世。健康マッサージ美人。シャッター街の入口にこうこうと灯る電飾が怪しげに見える…

仲見世。

▼仲見世。「サロンぶりっ娘」とかネーミングが何とも言えない。

仲見世。

▼仲見世。シャッターを開けて小さく細い階段から出入りする人が時々いた。2~3F部分が居住地区になっているとか?

仲見世

▼仲見世。シャッター商店街に見えたが、「健康マッサージ美人」は3階でひっそりと営業していた

仲見世。

▼仲見世。軽食喫茶てんとうむし。昭和レトロテイストが可愛い看板。

仲見世。軽食喫茶てんとうむし。

▼仲見世屋 my mighty

仲見世。

▼仲見世。薄い3階建てビルの上にアーケードがかけられている

仲見世。

▼仲見世。「軽食喫茶てんとうむし」は純喫茶でなくスナック喫茶だった。

仲見世。「軽食喫茶てんとうむし」

▼仲見世。「PABちびちゃん」どこからつっこんでいいのやら…ふぐの富久亭は絶賛営業中

仲見世。

▼仲見世。「よいこの夢のくに おもちゃ 沢登玩具店」

仲見世。「よいこの夢のくに おもちゃ 沢登玩具店」

▼仲見世。銀座ブラザー萬年筆店

仲見世。銀座ブラザー萬年筆店

▼仲見世。甲府銀座通り商店街側の出口。

仲見世。甲府銀座通り商店街側

▼甲府銀座通り商店街に出る。広くて大きなアーケード街。

甲府銀座通り商店街

▼甲府銀座通り商店街

仲見世。

▼甲府銀座通り商店街。佐野美容室。

甲府銀座通り商店街。

▼甲府銀座通り商店街

甲府銀座通り商店街

▼甲府銀座通り商店街

甲府銀座通り商店街

▼遊亀通りをわたり、廃屋。中国料理 香港飯店/中華飯店 男爵亭

中国料理 香港飯店/中華飯店 男爵亭

▼中尾内科/中尾三杏堂醫院。暗がりでよく見えなかった。Google mapの方がいい感じな外観を確認できる。

中尾内科/中尾三杏堂醫院。

▼中尾内科/中尾三杏堂醫院

中尾内科/中尾三杏堂醫院

▼中尾内科/中尾三杏堂醫院

中尾内科/中尾三杏堂醫院

▼連雀問屋街/連雀町通り(れんじゃくまちどおり)。連雀町は江戸前期から昭和39年までの町名。甲府城築城にともなう新城下町造営により成立(当地設置の解説板より)。

連雀問屋街/連雀町通り

▼連雀問屋街。中山化学塗料店。連雀町の町名の由来は武田氏時代にあった連雀小路の名を移したことによる(当地設置の解説板より)。

連雀問屋街。中

▼縁取りタイルが可愛い小林洋服店

連雀問屋街。中

▼廃屋店舗

廃屋店舗

廃店舗

▼都温泉。本当はここに入ろうと思ったが土曜定休のため入れず。

都温泉

▼山本和裁技術研究所

山本和裁技術研究所

こちらも和裁研究所

成島和裁研究所

▼山本和裁技術研究所・横から見るとトマソン物件

山本和裁技術研究所

▼貸し物件。高度成長期な風情の造形。

貸し物件

▼貸し物件

貸し物件

▼昭和ロマンティックな雰囲気のビル

昭和ロマンティックな雰囲気のビル

▼造園&ガーデニング La Feuille ラ・フィーユ。古い家屋をおしゃれに利用してる。

造園&ガーデニング La Feuille ラ・フィーユ。

▼La Feuille ラ・フィーユ

La Feuille ラ・フィーユ

▼一實稲荷神社

一實稲荷神社

▼廃屋

廃店舗

▼廃店舗

廃店舗

▼昭和末期ロマンティックな感じのビル

昭和末期ロマンティックな感じのビル

▼遊亀温泉 入浴 400円 「温泉」だけど、形式はほとんど「銭湯」。

遊亀温泉

▼遊亀温泉。番台式。ドレイヤーは持参しないと使えない。昔ながらの定番の下駄箱、籐カゴ、ケロリン桶、ロッカーあり。

遊亀温泉

▼遊亀温泉。ケロリン桶は普通のよりも一回り二回り大きい洗面器っぽいタイプ。浴槽は3つ、熱湯と温湯とそのミックス。

遊亀温泉

▼遊亀温泉。飲泉可?(コップあり)。お湯は黄土色の透明泉でちょっとぬるぬるしている?感じ

遊亀温泉

▼内田蒟蒻店

内田蒟蒻店

▼米山ホンダ商会

米山ホンダ商会

▼スナックERIKA

スナックERIKA

▼食事&喫茶「俺の巴里」 22時までと書いてあるのにやっていない…廃業したか?

食事&喫茶「俺の巴里」

▼「俺の巴里」 看板にはでかでかと「純喫茶」と書いてあるけれど…

「俺の巴里」

▼「俺の巴里」 純喫茶だけど「麻雀ゲーム有ります(18才未満禁止)」の表記

「俺の巴里」 

▼南甲府駅。富士身延鉄道の本社駅として昭和3年に完成したビルディング駅舎。

南甲府駅

▼南甲府駅 ステンドグラス風のシール?

南甲府駅 ステンドグラス風のシール?

▼南甲府駅 駅スタンプ1個押印 親切な駅員さんに「ぴたのり」のことを教えてもらう。昔の駅スタンプも取得可能らしい。

南甲府駅 駅スタンプ1個押印

▼南甲府駅 駅舎内 ガランとしていて誰もいない

南甲府駅

▼南甲府駅 ホームへの横断用踏切

南甲府駅

▼南甲府駅 駅舎 ホーム側から

南甲府駅

▼南甲府駅 駅名標

南甲府駅

▼南甲府駅 駅名標

南甲府駅

▼身延線 車内

身延線 車内

▼身延線 甲府駅

身延線 甲府駅

▼甲府駅 プラットホーム

甲府駅

▼甲府駅 身延線の駅名標

甲府駅 身延線

甲府駅

甲府駅

甲府駅

甲府駅

甲府駅

甲府駅

中央本線の駅名標

甲府駅 中央本線の駅名標

小淵沢駅~小淵沢関所跡~小淵沢町消防団・第五部自動車喞筒置場~大宮神社・義光山矢の堂~ギャラリー&喫茶徳乃蔵~食彩工房 雅~泉園~旧平田家住宅

  1. 小淵沢駅(行き)
  2. 小淵沢関所跡
  3. 小淵沢町消防団・第五部自動車喞筒置場
  4. 大宮神社・義光山矢の堂
  5. ギャラリー&喫茶 徳乃蔵
  6. 食彩工房 雅
  7. 泉園
  8. 旧平田家住宅(小淵沢郷土資料館)
  9. 小淵沢駅(帰り)

参考:
明治大正時代の五万分一地形図
昭和前期の五万分一地形図
1975年の航空写真

小淵沢駅 JR中央本線

※小淵沢駅舎は2017年(平成29年)に建て替えられた。

小淵沢駅 JR中央本線

小淵沢駅 JR中央本線

▼小淵沢駅 建物財産標 鉄 本屋1号 明治37年10月

小淵沢駅 建物財産標 鉄 本屋1号 明治37年10月

▼駅スタンプではなく、小海線全線開通80周年記念スタンプラリーのスタンプ

小淵沢駅 JR中央本線

▼小淵沢駅構内に飾ってある写真

小淵沢駅構内に飾ってある写真

▼小淵沢駅前ロータリー

小淵沢駅前ロータリー

▼小淵沢駅 跨線橋改良工事中

小淵沢駅 跨線橋改良工事中

▼特急はまかいじ 小淵沢駅停車中

小淵沢駅 跨線橋改良工事中 特急はまかいじ

▼特急はまかいじ 小淵沢駅停車中

特急はまかいじ 小淵沢駅停車中

▼コシミズ電機 たぶん小淵沢で一番高い5階建てのビル

コシミズ電機 

▼駅前の喫茶ミッキー 廃業?

喫茶ミッキー 廃業?

▼こぶちざわマンホール蓋

こぶちざわマンホール蓋

▼曲がりくねった細路地

小淵沢 曲がりくねった細路地

▼細路地

小淵沢 曲がりくねった細路地

▼昔懐かしいタイルの流し

小淵沢 昔懐かしいタイルの流し

▼イチイ?

小淵沢 イチイ?

▼小淵沢町商工会館

小淵沢町商工会館

▼小淵沢町商工会館 レトロなマークが気になったが、山梨県の市町村章一覧 – Wikipediaを見る限り小淵沢町の町章ではない模様。商工会のシンボル?

小淵沢町商工会館

▼駅前通りの商店街 小淵沢町商工会

駅前通りの商店街 小淵沢町商工会

▼小淵沢町商工会 甲州屋

小淵沢町商工会 甲州屋

▼小淵沢町商工会 レンタルビデオ屋

小淵沢町商工会 レンタルビデオ屋

▼小淵沢町 駅前通りの家屋

小淵沢町 駅前通りの家屋

▼小淵沢町 駅前通りの家屋

小淵沢町 駅前通りの家屋

▼小淵沢町 駅前通りの製作所

小淵沢町 駅前通りの製作所

▼小淵沢町 歯抜け状態の中に残る家屋

小淵沢町 歯抜け状態の中に残る家屋

▼可愛らしい緑の実。数珠の実っぽくも見えたが、どうやらヘクソカズラの実っぽい。

ヘクソカズラの実

▼小淵沢町 立派な蔵が点在している

小淵沢町 立派な蔵が点在している

▼昔ながらの透かしブロック塀

昔ながらの透かしブロック塀

小淵澤関所跡

小淵澤関所跡

▼尾根道標(馬頭観世音像碑) 元は矢の堂前の「下の棒道」に置かれていたとのこと。「かふふ」とは甲府の昔のかなづかい。

尾根道標(馬頭観世音像碑) 元は矢の堂前の「下の棒道」に置かれていたとのこと。

▼小淵澤関所跡

小淵澤関所跡

▼曲がりくねった暗渠(?)古そう 愽明堂付近

曲がりくねった暗渠(?)古そう 愽明堂付近

▼曲がりくねった古そうな暗渠(?)

小淵沢 曲がりくねった古そうな暗渠(?)

大宮神社・義光山矢の堂

大宮神社 義光山矢の堂

▼大宮神社および矢の堂

大宮神社および矢の堂

▼大宮神社および矢の堂

大宮神社および矢の堂

実は大宮神社には男根石、丸石道祖神が祀られていたのだが、気付かずに通りすぎてしまった。またの機会に立ち寄りたい。

実は大宮神社には男根石、丸石道祖神が祀られていた

▼矢の堂の茅葺屋根にタンポポなどが生えている。
こういうひなびた風景好き

矢の堂の茅葺屋根にタンポポなどが生えている。

▼ツゲのように硬そうな低木に小さな赤い実。ベニシタン(紅紫檀)?

ツゲのように硬そうな低木に小さな赤い実。

▼路地に無造作に咲き乱れるコスモス

路地に無造作に咲き乱れるコスモス

▼昌久寺敷地内の萬霊塔

昌久寺敷地内の萬霊塔

ギャラリー&喫茶 徳乃蔵

徳乃蔵

▼築300年の座敷蔵をほぼそのままの状態で改装したギャラリー&カフェギャラリー&喫茶「徳乃蔵」
旧サイト新サイト

徳乃蔵

徳乃蔵ブレンドコーヒー(グァテマラ・コロンビア・ブラジル・モカをブレンド)『貴婦人』570円 美味しかった

徳乃蔵

▼徳乃蔵の庭先でヤマボウシの赤い実がなっていた

徳乃蔵の庭先でヤマボウシの赤い実がなっていた

▼徳乃蔵前から民家の合間に見えた富士山

徳乃蔵前から民家の合間に見えた富士山

▼徳乃蔵 立派ななまこ壁

徳乃蔵 立派ななまこ壁

▼道路の脇の茂みの中にあった古い祠

道路の脇の茂みの中にあった古い祠

▼古い蔵

古い蔵

▼ヤマボウシの実にカメムシが2匹群がっていた。
実の穴から果樹液でも吸っているのか?気持ち悪い…

ヤマボウシの実にカメムシが2匹群がっていた。

▼コスモスに似た花があちこちで咲いていた。コスモスよりも雑草ぽくない見た目。どうやらシュウメイギクらしい。

コスモスに似た花があちこちで咲いていた。コスモスよりも雑草ぽくない見た目。

小淵沢町消防団・第五部自動車喞筒置場

小淵沢町消防団 第五部自動車喞筒置場

▼第五部ポンプ置場と火の見櫓

小淵沢町消防団 第五部自動車喞筒置場

食彩工房 雅

食彩工房 雅

食彩工房 雅。大正時代に建てられた古民家のそば屋。

食彩工房 雅

▼食彩工房 雅 屋内

食彩工房 雅

▼食彩工房 雅 ガラスを囲う装飾と砂壁の富士山(?)が洒落ている

食彩工房 雅

▼食彩工房 雅 彫刻欄間

食彩工房 雅 彫刻欄間

▼食彩工房 雅 天丼 1100円
 美味しい。

食彩工房 雅 天丼 1100円

泉園

▼地下道を抜けて中央本線の北側にいくとなまこ壁の家屋の細路地

泉園

▼なまこ壁が連なる

泉園

▼後で知ったが、明治中期の建築を利用して貸し農園と宿泊を行っている「泉園」という施設だった。

泉園

▼泉園の家屋

泉園

▼泉園の家屋

泉園

▼小淵沢町 いびつな形をした四叉路にたたずむ石碑

小淵沢町 いびつな形をした四叉路にたたずむ石碑

▼身体のラインがきれいな黒猫が通過していった 若そうに見える

身体のラインがきれいな黒猫が通過していった

▼小淵沢駅の北側から小海線の乗降の様子を眺める

小淵沢駅の北側から小海線の乗降の様子を眺める

▼また地下道をくぐって中央本線の南側に戻る。線路沿いから先ほどの食彩工房 雅と南アルプスが見える。

地下道をくぐって中央本線の南側に戻る。線路沿いから先ほどの食彩工房 雅と南アルプスが見える。

▼同じく、線路沿いから眺めた南アルプスと食彩工房 雅周辺

小淵沢

▼紫の小菊が雑草のように咲き乱れている。友禅菊?

紫の小菊が雑草のように咲き乱れている。友禅菊?

▼肉厚な雑草の葉っぱ。ちょっと白っぽいのがきれい。

肉厚な雑草の葉っぱ。ちょっと白っぽいのがきれい。

雑草

▼線路の南側の通り この辺のお店は廃業している雰囲気

線路の南側の通り この辺のお店は廃業している雰囲気

▼線路の南側の通り 昭和な風情の木工所

線路の南側の通り 昭和な風情の木工所

▼線路の南側の通り

線路の南側の通り

▼風情のある細路地の入口に戻ってきた

風情のある細路地の入口に戻ってきた

▼小淵沢駅前の土産屋。観光地らしい。

小淵沢駅前の土産屋。観光地らしい。

▼小淵沢駅前 小淵沢タクシー

小淵沢駅前 小淵沢タクシー

▼小淵沢駅前の喫茶店、観光ショップなど

小淵沢駅前の喫茶店、観光ショップなど

▼小淵沢町 観音寿司 営業中

小淵沢町 観音寿司 営業中

▼小淵沢町商工会

小淵沢町商工会

▼小淵沢町 和菓子屋 しみずや

小淵沢町 和菓子屋 しみずや

旧平田家住宅(小淵沢郷土資料館)

▼廃館になっていた。旧平田家住宅の入場受付のみ行っていた。

旧平田家住宅 小淵沢郷土資料館

▼小淵沢郷土資料館。館名が撤去されている。
以前ここで小淵沢町のトウヒ属樹根化石 http://www.pref.yamanashi.jp/smartphone/gakujutu/bunkazaihogo/bunkazai_data/yamanashinobunkazai_tennenkinenbutu009.html#n0086 (リンク切れ)が保管されていたと思うんだけど、どうなったんだろ。どこかに移設保管されてるのかな。
参考:北杜市の文化財紹介(31)~(35) – 山梨県北杜市公式サイト

旧平田家住宅 小淵沢郷土資料館

▼小淵沢郷土資料館。旧平田家住宅の入場受付のみ行っていた。

小淵沢郷土資料館

▼工芸文化伝習館 ここも閉鎖

工芸文化伝習館 ここも閉鎖

▼小淵沢郷土資料館敷地内に戦死者の忠魂碑あり

小淵沢郷土資料館敷地内に戦死者の忠魂碑あり

旧平田家住宅。入場200円。国重要文化財。
江戸時代中期(17世紀後半)築とされている、300年以上前の家屋。

旧平田家住宅

▼旧平田家住宅。職員が一人待機していて、いろりで火を炊きながら住宅についての説明を丁寧にしてくれる。

旧平田家住宅

▼旧平田家住宅。石の上に柱が立てられているが、これは地中の基礎に特別な細工をしているわけでなく、ただ石の上に柱が置いてあるだけの状態らしい。それでも東日本大震災を含む地震に今まで耐えてきたとか。すごい。昭和40年代まで実際に人が居住していたらしい。

旧平田家住宅

▼旧平田家住宅。土間の床は塩と石灰と何かを混ぜて作っているとか言っていたけど、あとの一つを忘れてしまった。塩は当時高価だったから平田家は力があったのだろうとか。冬は相当寒かっただろうとのこと。今でも毎日囲炉裏で火を炊くのは煙が建物を保護する役目があるからとのこと。

旧平田家住宅。

▼旧平田家住宅。物騒な時代に建てられた家なので、外から内部が見えづらいように、暗く作られているらしい。木の扉を全部閉めると真っ暗になるとか。茅葺屋根がかなり厚く下の方まで伸びているのもやはり内部を見づらくさせるためとか。

旧平田家住宅。

▼旧平田家住宅。馬屋が居住区内にあり、臭かっただろうとのこと。エサ箱の淵のギザギザは当時の馬がかじったものだそう。

旧平田家住宅。

▼旧平田家住宅。こうした柱の部分は木釘などを利用して作られていると言っていた…気がするが、詳しい説明を忘れてしまった。裏部屋は閉鎖的な空間でお産などにも用いられ、上座敷は厳格な間なので裁判なども用いられたとのこと。怖い。

旧平田家住宅。

▼旧平田家住宅。一部だけ真っ赤なもみじ。

旧平田家住宅。一部だけ真っ赤なもみじ。

▼旧平田家住宅付近。古い庚申塔や萬霊塔や道祖神などが立ち並ぶ

旧平田家住宅付近。古い庚申塔や萬霊塔や道祖神などが立ち並ぶ

▼道祖神

道祖神

道祖神

道祖神

道祖神

道祖神

道祖神

道祖神

▼小淵沢駅に戻る。井筒屋のある通り。

小淵沢駅に戻る。井筒屋のある通り。

▼観音寿司前を戻る

小淵沢 観音寿司前を戻る

▼小淵沢駅前の商店街

小淵沢駅前の商店街

小淵沢駅 JR中央本線

▼駅舎からホームにわたる地下道 南アルプスの四季の絵が飾られている

小淵沢駅 JR中央本線

▼小淵沢駅 地下通路 南アルプスの四季の絵

小淵沢駅 JR中央本線

▼小淵沢駅 地下通路 八ヶ岳の四季の絵

小淵沢駅 JR中央本線

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