ビジネスホテル寿楽~御成座~大館駅

▼素泊り1泊3300円の大館の安宿、じゅらくで目覚め

※ビジネスホテル寿楽はおとなりの三朝庵とともに平成25年12月30日をもって閉業した。

ビジネスホテル寿楽

▼廊下の赤い絨毯が昭和時代にはゴージャス感を醸しだしていたのかなあ

ビジネスホテル寿楽

▼1階ホールロビー この赤いソファも可愛い

ビジネスホテル寿楽

ビジネスホテル寿楽

▼早朝なので誰もいないフロント

ビジネスホテル寿楽

▼1階フロントとホールのソファ

ビジネスホテル寿楽

▼食堂らしいがいつも素泊りなので一度も利用したことはなかった

ビジネスホテル寿楽

▼案内図。「ナショナル」的な「ホテル」のフォントかわいい。

ビジネスホテル寿楽

▼朝早いことは前の晩に告げていたので、そのまま寿楽を出発

ビジネスホテル寿楽

▼さいなら寿楽

ビジネスホテル寿楽

▼旧ジャスコ跡やぽかぽか温泉に面した大通りに設置してある寿楽の電飾看板。素泊り3300円の文字がぴっかぴか。

ビジネスホテル寿楽

▼解体されたジャスコの跡地。大館ジャスコは1988年(昭和63年)開店、2006年8月閉店。昔は2階に健康ランドがあった。祖母に案内されて健康ランドに連れて行ってもらったことがある。両親の実家の店がジャスコにも出店していたこともあった。

ビジネスホテル寿楽

▼廃業してしまった中古CD&古本屋のはんず。2丁目大通り商店街。ここに通ってCDを買ったこともあったのだが…

ビジネスホテル寿楽

▼2丁目大通り商店街。1970年に設置された全長約425メートルのアーケード。

※2丁目大通り商店街アーケードは2015年7月に撤去された。

ビジネスホテル寿楽

▼廃止された小坂鉄道の踏切前の看板

ビジネスホテル寿楽

▼小坂鉄道 御成町踏切の廃線跡

※御成町踏切の鉄板は2014年6月に撤去され、アスファルトで埋められた。

ビジネスホテル寿楽

▼手動だった御成町踏切。今も踏切小屋が残る。

ビジネスホテル寿楽

▼大館駅前 商工案内図

ビジネスホテル寿楽

▼御成座のとなりにある山田旅館とマージャンクラブ東ト(東と)、リリー美容院。
山田旅館は素泊り3500円らしい。一度も泊まったことがない。東ト(東と)は2012年10月以降に廃業したようす。

ビジネスホテル寿楽

山田旅館とマージャンクラブ東ト(東と)、リリー美容院

▼リリー美容院のわきの通り。ここをまっすぐ行くと、スナック・シャンゼリゼに出る。

ビジネスホテル寿楽

▼映画館・御成座(廃業)
1952年(昭和27年)に洋画専門のロードショウ館として開館、3年後の1955年に火災により焼失。同年に再建、2005年に閉館。

※2014年7月18日に復活オープンした。

ビジネスホテル寿楽

▼大館駅前ステーションバス停留所(秋北バス)

ビジネスホテル寿楽

▼大館駅前通りの商店街。左から花善、佐藤青果店(廃業)、純喫茶クイーン(廃業)、理容平和(廃業)、理容イチノヘ。
1階が煉瓦造りの純喫茶クイーンは昔一度入ったことがあるが、いろいろインパクトあってすごかった。とりあえず昭和な香りの喫茶店。廃業してしまったのが残念。
屋根がななめでいびつな形をしている理容平和の建物が気になる。

ビジネスホテル寿楽

大館駅前通りの商店街

▼駅前 花岡旅館 支店
〒017-0044 秋田県大館市御成町1-13-9
宿泊料がはっきり書いてなく、営業しているかもわかりづらい状態で、一度も泊まったことはなかった。
※2012年9月以前に解体されてしまった模様。

ビジネスホテル寿楽

ビジネスホテル寿楽

▼郷土本「大館の歴史」(大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行)を見ていたら大正期大館町商店の図が載っていた(P.153)。その中に花岡旅館が驛前支店・本店ともに掲載されている。大正時代から営業していた老舗旅館なのに廃業してしまうのは勿体ない。
花岡旅館の上下には山田桂月堂北秋倶楽部が載っている。山田桂月堂は明治34年開業、北秋倶楽部は明治二十六年創業の元遊郭。竹村洋服店というのは正札竹村と関係あるのかな?

花岡旅館

「花岡旅館 大正時代」で検索してみたら、なぜか鶏めし花善の弁当の掛け紙ギャラリーが引っかかった。
不思議に思って調べてみると、花善はもともと花岡旅館の弁当部として明治32年に開業、昭和21年に花岡旅館から独立した店だった。ということは花善が花岡旅館の歴史も引きずっていることになるのか…

参考:大館 鶏めし 花善 会社案内
参考:花善 – Wikipedia

▼大館駅前で鉢植えの山野草を売っている「のしろや商店」。ピンクのコマクサは山でよく見るけど、赤いコマクサはここで初めて見た。

のしろや商店

▼大館駅前の鶏めし花善と観光案内所と無線中継所。

大館駅前の鶏めし花善

昭和31年5月10日発行の大館市政だよりに掲載された大館駅前大火後の大館駅と大館駅前のようす。昭和31年8月にも東大館駅方面で大火が発生した。

昭和31年5月10日発行の大館市政だよりに掲載された大館駅前大火後の大館駅と大館駅前のようす

1955年(昭和30年)6月3日発行の大館市政だより(第31号)に掲載された大館駅前火災復興土地区副整理事業 新街路計画図

1955年(昭和30年)6月3日発行の大館市政だより(第31号)に掲載された大館駅前火災復興土地区副整理事業 新街路計画図

昭和33年8月、大火からの復興祭が行われた。

上水道の工事完了&通水開始は昭和31年(1956年)12月

大館市上水道事業計画平面図

▼早朝6:30のJR大館駅

早朝6:30のJR大館駅

早朝6:30のJR大館駅

▼東北新幹線全線開業2010.12.4のポスター

早朝6:30のJR大館駅

▼奥羽本線の秋田行に乗って鷹ノ巣駅~阿仁合駅方面へ向かう。
奥羽本線(秋田行) (1628M)
大館駅6:35発
鷹ノ巣駅6:53着

奥羽本線

奥羽本線

同和鉱業 小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

花岡鉱山 所在地:秋田県北秋田郡花矢町花岡町字堤沢

小坂鉄道 沿革
大正3年(1914) 大館~小坂間 花岡鉱山専用鉄道として開業。
大正4年(1915) 小坂鉄道に買収され花岡線となる。
大正5年(1916) 旅客輸送開始。
不明 同和鉱業の系列となる。
昭和59年(1984)  花岡鉱山閉山
昭和60年(1985)3月31日 花岡線廃止。

▼花岡線の時刻表 (日本國有鉄道編集 時刻表 昭和25年10月號より)

花岡線の時刻表 (日本國有鉄道編集 時刻表 昭和25年10月號より)

▼花岡線の時刻表(国鉄監修 時刻表 昭和36年(1961年)10月号より)

花岡線の時刻表(国鉄監修 時刻表 昭和36年(1961年)10月号より)

1954年(昭和29年)10月20日発行の「大館市政だより」(第27号)に掲載された花岡線と小坂線の時刻表

1954年(昭和29年)10月20日発行の「大館市政だより」(第27号)に掲載された花岡線と小坂線の時刻表

▼花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和22年8月30日発行より)

花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和22年8月30日発行より)

▼花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和32年8月30日発行より)
花岡駅より以北に長く伸びていた引込線が、短くなっている。

花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和32年8月30日発行より)

▼現代の地形図に加筆

花岡線 位置図

▼花岡線 堤沢~堂屋敷間 航空写真(1975年)

花岡線 堤沢~堂屋敷間 航空写真(1975年)

▼花岡線 松峰~堤沢間 航空写真(1975年)

花岡線 松峰~堤沢間 航空写真(1975年)

▼花岡線 板子石~松峰間 航空写真(1975年)

花岡線 板子石~松峰間 航空写真(1975年)

▼花岡線 大館駅~板子石間 航空写真(1975年)

花岡線 大館駅~板子石間 航空写真(1975年)

▼JR大館駅。
映画『HACHI 約束の犬』(原題:Hachi)の影響か、駅前のハチ公像の写真を撮る観光客がいた。連休中のせいか駅前の食堂(花善)が盛況だった。駅を出て右側にあった観光案内所の建物は解体され、観光案内所は左側に移動していた。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

JR大館駅

▼昭和9年の大館駅
(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)

昭和9年の大館駅

▼昭和前期頃の北秋木材株式会社の構内図と大館駅引込線
(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)
現在も北秋本社の敷地には立派な木造建築が残っている。

昭和前期頃の北秋木材株式会社の構内図と大館駅引込線

▼JR大館駅を出て右手側にある貨物置き場と引込み線スペース。小坂鉄道・花岡線の大館駅は約100mほど先にあった(2000年6月に解体)。奥羽本線や花輪線と小坂鉄道ではレール幅が違うので、乗り換えおよび貨物の積み替えをする必要があった。今から70年以上前の1944年(昭和19年)に花岡事件で亡くなった中国人達も、JR奥羽本線の大館駅から乗り換えて小坂鉄道の大館駅から花岡鉱山に向かった。

JR大館駅

▼解体された後の小坂鉄道・大館駅。整地しているようだった。

小坂鉄道・大館駅跡

▼小坂鉄道・旧大館駅付近の踏切。 数年前まで普通に貨物列車が往来していたから、いきなりの廃線風情に驚いた。小坂鉄道が小坂線の貨物の運行も2008年3月に廃止してしまったのを、この時はじめて知った。踏切のいたる所に「前方鉄道廃止 一時停止不要 段差注意 大館警察署 小坂製錬(株)」の看板が設置してあった。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切の信号機は真っ黒に塗りつぶされていた。なんだか不気味だ。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切から眺めた廃線跡と鳳凰山。毎年夏に行われる鳳凰山の大文字焼きは大館の夏の風物詩。参考:鳳凰山 (秋田県) – Wikipedia

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼踏切の西側を眺める。はここに踏切がなくて、奥羽本線や花輪線の貨物用線路と交接していたみたい。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼道路を挟んで旧駅舎の向かい側にあった建物。よく見ると「小坂製錬株式会社 小坂鉄道大館駅」と書いてある。貨物駅があったのも知らなかった。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼廃線跡に残る信号機。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼小坂線は2008年3月に貨物列車も運行終了したらしいので、廃止されてから約1年半後の風景ということになる。

小坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼手動信号式(腕木式信号機)の御成町踏切。踏切小屋が残る。遠方に茶色い高層の大館ロイヤルホテルが見える。参考:腕木式信号機 その1 きはゆに資料

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼御成町踏切。
※2014年に車道上のレールと鉄板は撤去されたらしい。
参考:大館・小坂鉄道レールバイク – 御成町踏切の鉄板が除去され、アスファルトで覆われてしまいました。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡線と小坂線の分岐付近。
右側の倒れ掛かっている鉄柵のあたりから花岡線は小坂線とわかれ左側に延びていた。
道路の微妙なゆがみがかつて分岐点だったことを物語っている。ここから花岡線の築堤が始まる。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼小坂鉄道 花岡線廃線跡 築堤のはじまり。
小坂線との分岐点から、奥羽本線を超えた200m先あたりまで築堤は続く。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡線の小さな橋台跡。水路を跨ぐ。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼JR奥羽本線をまたぐ跨線橋の橋台跡が残る。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。南側。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。北側。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡土建の門柱。敷地内の突き当りに花輪線の築堤の土手が見える。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼築堤終了部分。JR奥羽本線を跨いで200mほど北に進んだ地点でひときわ高く盛土された築堤は終わる。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼築堤が終了した辺りからは普通の民家(住宅地)を縫う形で廃線跡が続く。
廃線跡は立入禁止になっている場所も多いが、一部は砂利を敷き詰められ公道として使用されているみたい。特に建造物が建つわけでもなく、一見して廃線跡だとわかる地形がそのまま残っている。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼廃線土地は大館市によって管理されているみたい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼新松峰橋。下内川にかかっている。コンクリートの橋脚にプレートガーダーがかかる。
小坂鉄道・花岡線最大の遺構。正面に見える高い山は標高375.7mの大山。隣に並行する剣道よりも低く小さな橋梁。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼新松峰橋プレートガーダー。コンクリート造りの橋脚。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼県道に沿って水田の中を北に直進すると、じきに松峯駅(松峯停留所)跡地にたどり着く(左側の水田沿いの空地)。大正5年 (1916年)に旅客輸送を開始した花岡線だが、当初大館駅と花岡駅以外に駅はなかった。旧松峰集落が地底の採鉱によって地盤沈下をきたしたため、同和鉱業と鉱害補償交渉の上、昭和48~52年(1973~1977年)に現在の松峰地区に集団移転を余儀なくされた。集団移転に伴って新たに松峰の駅が昭和48年(1973年)に設置されたが、ホームと待合室だけの簡素な駅だった。移転する前の旧松峰地区は、菅江真澄の旅行記にも登場するほど歴史ある集落だった。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼昭和50年(1975年)の集団移転完了間近の松峰地区と松峰駅の簡素なホーム(参考:釈迦内地区の航空写真)なお、松峰は花岡でなく、旧釈迦内村の地域にあたるらしい。現在の松峰地区の航空写真はこちら

釈迦内地区の航空写真

▼松峰駅をさらに北に突き進む。道路の左右に旧同和鉱業松峰鉱山部の施設がある。
右側の小高い丘は、花岡鉱山最後のヤマといわれた松峰鉱山。
標高135.9mの大森山(右)の斜面に松峰鉱の選鉱場がたっている。
松峰鉱は、1963年(昭和38年)に鉱床が発見され、花岡鉱山最後の有力鉱山として期待されたが、1994年3月29日に閉山した。現在はDOWAエコシステム花岡の施設となっている。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼松峰鉱の坑内系統図(大館郷土博物館展示)。
左上の小さな小山が大森山。
地上に出ている部分がほんの少しで、地下坑内の深さと規模にビックリする。

松峰鉱の坑内系統図(大館郷土博物館展示)

▼松峰地区のボーリング風景 昭和38年頃の同和花岡
(大館の歴史 大館市市史編さん委員会より)
中央が大森山?大館郷土博物館にも展示あり。

松峰地区のボーリング風景 昭和38年頃の同和花岡 (大館の歴史 大館市市史編さん委員会より)

▼大森山ふもとのDOWAエコシステム花岡のシックナー群

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼松峰鉱の精鉱舎。
この施設に手前に小坂鉄道・花岡線が走っていて、ここから鉛精鉱や硫化精鉱(含有量を高めた鉱石)が積み出されて小坂鉱山の精錬所に送られていた。引込み線も敷設されていた。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花輪線は一度県道と離れ、旧花岡川の西側を通って橋を渡り、同和鉱業・白根山社宅と花岡サテライトハイツの前で再び県道と合流。白根山団地はとっくに解体されていて、一面雑草の生い茂った空き野原となっている。白根山団地がまだ解体されていなかった頃、団地の合間を縫って歩いた覚えがあるのだが、当時の写真を撮ってないのがとても悔しい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡サテライトハイツ。既に住民は撤退し、廃団地となっている。1965年~1975年の建設。サテライトハイツの前のバス停は、社宅が跡形もなくなった2009年9月現在も「白根山団地」という名前のまま。
『大館市北秋田郡自治百年史』P.100に「昭和39年3月31日 星型アパート完成」とあるが、花岡サテライトハイツのことか。→と思ったが、市営片山アパートも星型で、1964年(昭和39年) 4月15日号(No.89)の「広報 大館」で「星型アパート完成」と報じられているので、これは片山アパートのことのようだ。
※花岡サテライトハイツは2014年に解体された。

市営片山アパート

花岡サテライトハイツ

花岡サテライトハイツ

▼白根山団地の跡地から堂屋敷方面(北側)の景観。この辺から商店がぽつぽつ出てきてひらけた雰囲気になる。

花岡サテライトハイツ

▼昭和40年9月竣工 堤沢橋

花岡サテライトハイツ

花岡サテライトハイツ

▼堤沢橋のすぐわきに花岡線の小さな廃橋梁が並行する。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼堤沢橋わきの小さな廃橋梁は、コンクリートの他に木材も使われている。下を流れる大森川(旧花岡川)は、滝ノ沢沈殿池から流れてくるもので、酸化鉄の沈殿で赤錆びた色をしている。今でも花岡鉱山の中和水が流されているのではないか、とのこと。しかし2000年09月30日発行の河北新報朝刊では「清流化進む大館の大森川」と題し「大館市内を流れる大森川(旧花岡川)の生息調査で29日、今まで生息が確認されていなかったブラックバスが見つかった。」という記事が発表されたらしい。
参考:ブラックバス問題 ニュース・ヘッドライン(バスおよび移入生物関連の報道と動静)

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

堤沢橋付近

▼廃線跡は同和レア.アース株式会社 花岡工場の細長い建物の手前をまっすぐ突き進む。この工場は昭和50年(1975年)の航空写真に写っていないので、昭和50年以降に社宅か役宅か何かの跡地だった所に建てられたみたい(昭和45年の航空写真および昭和22年の部位群撮影の航空写真でこの辺りに長屋建住宅のような細長い建物がびっしり建っているのを確認できる)。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼同和工業株式会社。鉱山事務所の跡地に、昭和50年(1975年)以降に建設された模様。1990年代末頃まではここに鉱山事務所前バス停があったように記憶している。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼終点・花岡駅の跡地。 この赤い屋根の建物の手前(涙型の墓地との間の広場あたり)に、花岡駅の駅舎があった。ここを基点に放射線状に道が四方に伸びている。昭和45年のモノクロの航空写真にこの建物と同じ形状の建物がうつっている(昭和50年の航空写真では屋根が青い)。花岡線が現役だった頃の鉄道施設だったのかも。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼花岡駅の跡地。駅は終点だが、昭和20~30年代にはここより500~600mほど先の堂屋敷鉱床のほうまで引込線が伸びていた。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

▼昭和55年発行の地図にも引込線が記載されていた。亡くなった大館の祖母宅からもらってきた地図。昭和50年(1975年)の航空写真でも引込線を確認できる。

TBアトラス 大館市 最新版 塔文社 昭和55年度版  花岡地区 1:10,000

▼引込線の跡地にそって建つ青い細長い建物。昭和45年(1970年)の航空写真昭和50年(1975年)の航空写真でも、同じ形状の建物を確認できる。こちらのサイト様に1980年代の花岡駅の写真が掲載されており、これらしき建物から電車が顔をのぞかせている。どうやら現役当時から残る鉄道関連施設らしい。

坂鉄道・花岡線 廃線跡めぐり

花岡線 廃線跡

▼昭和初期の花岡鉱山事務所と花岡線の線路と汽車。大館市観光協会ブログにも昭和20年代前半の花岡鉱山事務所の写真が掲載されている。

昭和初期の花岡鉱山事務所と花岡線の線路と汽車

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堤沢鉱床の露天採掘)[PDF]より

J-STAGEの資料(花岡鉱山堤沢鉱床の露天採掘)[PDF]より

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堂屋敷鉱床の採鉱法について)[PDF]より

J-STAGEの資料(花岡鉱山堂屋敷鉱床の採鉱法について)[PDF]より

参考サイト:
同和鉱業花岡線 – Wikipedia 大館 鶏めし 花善 懐かしのアルバム 小坂鉄道

参考文献:鉄道廃線跡を歩く〈7〉 宮脇俊三(著)
大館地方の歴史散歩 無明舎出版

往時の花岡駅の写真掲載ブログ様:
稲門歯科医院 花岡駅 1979年
小坂鉄道レールパーク運転体験(2)同和鉱業だった頃の思い出。 – 中京テレビ_稲見駅長の鉄道だよ人生は!! 昭和53年(1977年)
鉄道趣味工房 写真アルバム 同和鉱業小坂鉄道 昭和50年
東北私鉄廻り~6~同和鉱業 花岡線小坂線。 ( 鉄道、列車 ) – 主水のひとり言 – Yahoo!ブログ 1979年
線路巡礼:同和鉱業花岡線(小坂駅から直通列車が走っていました) ( 鉄道、列車 ) – 線路巡礼♪ – Yahoo!ブログ 1984年
043 同和鉱業小坂線、花岡線 – おかひめの鉄道記録 昭和50年
同和鉱業小坂鉄道_ 鉄道趣味っと 1980年代

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

【自転車ルート】

▼獅子ヶ森にある大館家具木工協同組合。廃工場かと思ったら、ちゃんとホームページもある現役施設だった。かつてここは秋田県林業指導所の用地であったらしい。林業試験場の工場部門廃止により工場を引受けたのが昭和39年らしい。当時から存在する建物なんだろうか。

参考:大館家具木工協同組合
秋田県大館市釈迦内字獅子ケ森1?1
2012年10月以前に解体された模様。それに伴ってか、ホームページも閉鎖した模様(ストリートビュー確認)
大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼奥をのぞくと錆びた鉄パイプラインが連なっている。木工のことはよくわからないけど、こういう鉄パイプはふつう木工工場にあるものなんだろうかと不思議に思った。稼働されずに何年も放置されているような風情だった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

後に頂いた情報から、この大館家具木工協同組合(元林業試験場)は、戦時中に同和鉱業の精錬所の分工場の有った場所と知った。精錬所分工場は小坂精錬所の分工場として建設されたが、敗戦により稼働することなく廃止になったらしい。最寄の小坂鉄道岱野駅から引き込み線が有った。昭和32年代の地形図には岱野駅からの引き込み線が記載されている。この古い木造の工場群が当時の精錬所の建物を継承しているかどうかは不明だが、林業試験場の建物にしては規模が大きいかなとのこと。 (秋田在住のA自動車商会さんから2009年に頂いた情報より)

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

大館地方の歴史散歩」という本のP.55に「獅子ヶ森の麓に第二次大戦中、亜鉛工場の移転が計画され、鉄道の引込線までつくられたが、操業前に終戦となった。」と書いてあった。どうやらこれが同和鉱業の精錬所の分工場のことらしい。

大館市 北秋田郡 自治百年史」(昭和42年発行、P.85)によると、「秋田県林業試験場 獅子ヶ森 昭和23年4月1日 秋田県立木材工業指導所として創立、昭和27年4月1日現名称に改名」とある。

▼昭和32年8月30日発行の五万分一地形図 「大館」を確認してみると、確かに引込線が記載されていた。ただ昭和22年8月30日発行の五万分一地形図 「大館」には記載されていなかった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

1948年米軍撮影の航空写真がわかりやすかった。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼1975年頃の引込線の周辺。引込線の東側に住宅地が建てられている。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

現在の引込線の周辺。引込線の西側にもぎっしり住宅地が建っている。前述の秋田在住のA自動車商会さんのお話によると、関連があるのかどうかは不明だが1999年頃にはこの近辺で細い古レール数本が杭に使われているのを発見したとのこと。また35年ほど前、大館東中学校の校庭の柵には森林鉄道用とおぼしき細い古レールが使われていたとのこと。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼大館家具木工協同組合の向かいの敷地に、雑草の生い茂った空き地に何かの門柱だけがとり残されている。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

▼表札は撤去されていて読めないけど、秋田県林業試験場のものだったのかも。

大館家具木工協同組合=元林業試験場(亜鉛工場跡地)と引込線跡

小坂鉱山周辺の散策

【散策ルート】
ときわ旅館亀の湯~秋北バスターミナル~鉱山事務所前バス停小坂駅跡御成町バス停小坂幼稚園跡小坂町役場尾樽部銀山町鉱山事務所康楽館小坂町総合博物館 郷土館花園館小坂町消防団 第三分団本部警察分署跡小坂鉄道垢ガード下の石垣小坂ホテル(久原房之助邸)跡地天使館永楽町電錬場山神社東大館駅蓮荘寺わきの細路地

鉱山事務所前バス停

樹海ラインを秋北バスの路線バスに揺られ、鉱山事務所前バス停で下車する。
鉱山事務所前バス停は鉱山事務所の100~200mほど北側にあり、無人の待合室(?)もある。
利用者がほとんどいないので暖房器具も何もないけど、周囲に店もなくお腹も空いたので、そこで買い付けのお弁当を食べてしまった。
めちゃくちゃ寒かったし侘しかった。

鉱山事務所前バス停

バス時刻表

鉱山事務所前バス停

小坂製錬鉄道 小坂駅跡

バスの到着が早すぎてまだ鉱山事務所が開館していなかったので、先に小坂製錬鉄道の小坂駅跡をみてまわる。

黒鉱自溶製錬成功後、物資輸送量は激増。その需要に応えるため、大館・茂内間の森林鉄道を買収して小阪まで延伸する工事が実施され、明治42年小坂鉄道株式会社の設立とともに、旅客・貨物の一般運輸営業が始まった。昭和3年には小坂・茂内間が電化。昭和37年、国鉄との積み替えを容易にするためゲージ幅が拡幅され、全線がディーゼル化された。しかし、平成6年には旅客部門が廃止となり、現在は貨物営業だけになっている。

建築年 明治42年(1909)

参考:小坂駅 Wikipedia
国土地理院・地形図

小坂鉄道 小坂駅

駅舎の中には入れないけど、ガラス窓越しに内部をのぞいてみる。
ガランとしていて昔のものはなにもない。
現在はちょっとした備品を置く倉庫として使われているみたい。
(旅客鉄道時代の駅車内の様子は小坂町総合博物館郷土館に展示してある駅舎模型がわかりやすかった)

小坂鉄道 小坂駅

貨物鉄道としては現役で、稼働中の車両や整備士さんが頻繁に行ったり来たりしていた。

小坂駅 小坂製錬鉄道

御成町バス停

御成町バス停の行政上の所在地は「小坂町 小坂鉱山 尾樽部」だけど、昔このあたりは御成町だったみたい。
消えた町名が今もバス停名として残ってるのだと思う。
昔このあたりには尋常高等小学校と実科女学校があったらしい。
ストリートビュー

御成町バス停

御成町バス停

小坂幼稚園

昭和41(1966)年4月1日に開園、平成15(2003)年3月に閉園したらしい。
建物は解体されずに残ってる。

〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町尾樽部17
TEL 0186-29-2360
Google Maps
ちず丸(2014.12.15リンク切れ確認、2008年12月時点の地図にはまだ幼稚園の表記が残っていた)

小坂幼稚園(廃園)

窓越しになかをのぞいてみた。

小坂幼稚園(廃園)

小坂幼稚園は、小坂尋常高等小学校と小坂実科女学校跡地の跡地に作られた。
小坂尋常高等小学校(尾樽部新校舎落成)は明治24年(1891)建設された。
大正4年(1915)には、小坂実科高等女学校を併設。
昭和32年(1957)に新築移転し、旧校舎は解体された。

小坂幼稚園

小坂尋常高等小学校が建っていた頃の尾樽部(古絵葉書より、時期不詳)。

小坂尋常高等小学校が建っていた頃の尾樽部(古絵葉書より、時期不詳)

小坂尋常高等小学校が建っていた頃の尾樽部(古絵葉書より、時期不詳)。

小坂尋常高等小学校が建っていた頃の尾樽部(古絵葉書より、時期不詳)

尾樽部市街付近全景 明治41年以前

尾樽部市街付近全景 明治41年以前

小坂小学校 明治41年以前

小坂小学校 明治41年以前

小坂鉱山全景 時期不明

小坂鉱山全景 時期不明

小坂町役場

ひどく簡素な建物でさびれていて、職員の気配がまったく感じられなかった。

小坂町の村役場はもともと御成町の方にあり、後に尾樽部へ移転したらしい(移転年不明)。
村役場は明治35年(1902年)に 新築され、大正3年(1914年)に町制施行により村役場から町役場となる。
が、 昭和27年(1952)5月14日に町役場付近から出火して、役場延焼のほか、小坂小学校第4校舎(4教室)、9世帯など、43名罹災
火事の翌年、昭和28年(1953)10月に役場新庁舎落成
戦後すぐに建てられた建物なら老朽化していて当然だ…。

〒017-0292 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字尾樽部37-2
TEL:0186(29)3901

秋田県小坂町役場 公式サイト
国土地理院・地形図
Google Maps

※追記(2014.12.15) 平成26年(2014年)7月19日~21日に役場本庁舎を尾樽部から上谷地へ移転したらしい。

小坂町役場

小坂町役場と町立幼稚園(古絵葉書)
大正3年(1914)以後~昭和27年(1952)以前?

小坂町役場と町立幼稚園(古絵葉書)

尾樽部の家並み

住んでいる人も少なそうな、シャッターがおりたままのさびれた商店が立ち並ぶ。
小坂町のの人口は最盛期に比べて4~5分の1ほどに減ったらしい。

尾樽部の家並み

尾樽部(おたるべ)と銀山町(ぎんさんまち)の分岐。
※追記(2014.12.15) ストリートビューを見ると、正面の建物は2014年8月以前に解体されてしまったみたい。古い建物がどんどん解体されて歯抜けになっていく。

尾樽部(おたるべ)と銀山町(ぎんさんまち)の分岐

右手前のはりまや薬舗は頑張って営業してるみたい。

尾樽部(おたるべ)と銀山町(ぎんさんまち)の分岐

銀山町(ぎんざんまち)

銀山町の古い家並み。
正面に、建設中の同和鉱業(元・藤田組)の新型炉が見える。
※追記(2014.12.15) ストリートビューで確認してみると、右側の古い家屋群は2014年8月以前に解体されてしまったみたい。

銀山町(ぎんざんまち)

正面に見える背の高い建物は、建設中のDOWA 同和鉱業(元・藤田組)のリサイクル原料対応型の新型炉らしい。
2007年8月完成、2008年春に稼動予定。

建設中のDOWA 同和鉱業(元・藤田組)のリサイクル原料対応型の新型炉

旧小坂鉱山事務所 Kosaka Mining Main Office

いよいよ小坂鉱山事務所をみてまわる。
古い煉瓦造りの門柱がとても立派。

旧小坂鉱山事務所 Kosaka Mining Main Office

小坂鉱山事務所は日本でも最大級のルネッサンス風外観をした木造西洋建築の一つといわれるらしいが、 改修されてオモチャみたいな外観だ。

小坂鉱山事務所

小坂鉱山事務所は明治38年(1905年)、藤田組小坂鉱山発展のシンボルとして、電錬場の南側に建設された。そして創建から92年間、鉱山の中枢としての役割を果たすが、電錬場の増築の支障となり、町が文化財としての保存に取り組みはじめる。平成9年に解体および鉱山病院跡地への移転が始められる。復原工事は平成12年11月に竣工。平成13年(2001年)4月に、創建時の姿そのままに観光施設「小坂鉱山事務所」として再デビュー・オープンした。小坂町の代表的近代化遺産であり、近代西洋建築の傑作といわれている。

主要データ
指定:国重要文化財
創建時住所:秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字尾樽部
現住所:秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館
所有者:小坂町(小坂製錬(株)より寄贈)
建築構造:木造・3階建・洋小屋・寄棟造・銅版葺
建築年:明治38年(1905)
移築年:平成12年(2000)

1階の玄関ホールで入場手続きを済ます。
入場料は一般300円。開館時間は9:00~17:00。
今なおつややかな光沢を見せる木製の螺旋階段。
建築様式としては和風も取り入れられてるらしく、みため優美で素敵なら何でもありなんだなと思う。

小坂鉱山事務所

2階のバルコニーに出て透かし彫りを間近で見てみる。
透かし彫りの装飾がすごくきれいなバルコニー付きポーチ。
このサラセン風&イスラム風な装飾も特色のひとつらしい。

小坂鉱山事務所

白壁に投影される影がこれまたきれい。でも当初は白い漆喰でなくモルタルだったらしい。

小坂鉱山事務所

明治41年以前の鉱山事務所(古絵葉書より)。
まだ現在の場所への移転前で、この頃は電錬所のとなりにあったので、すぐ手前を構内引込み線の線路が走っている。

旧小坂鉱山事務所 明治41年以前の鉱山事務所(古絵葉書より)

明治37年、建設中の鉱山事務所。
右手側の長い建物は電気製錬棟(電気分解棟)

旧小坂鉱山事務所

明治38年 鉱山事務所竣工後の地図。

明治38年 鉱山事務所竣工後の地図

鉱山事務所の展示パネルより(時期不明)。
まだ移転前で、電錬場の南側にあったときの鉱山事務所とのことだが、外観が違うような?
奥に見える煉瓦造の電錬場はいまと同じ。

旧小坂鉱山事務所 

明治末期(~大正初期?)頃。
「電車(トラム)に乗って通勤する小坂の労働者たち」とのことだが、みんな服装が立派すぎるし態度が偉そうだから、実際に掘削作業に鉱夫達でなく、指導的立場にあるお偉いさんばかりだろう。
撮影場所は鉱山事務所の裏側らしい。

小坂鉱山事務所

参考
鉱山事務所 公式サイト
画像掲示板http://jpdo.com/bb05/120/joyful.cgi?page=20(リンク切れ・2014/12/15確認)
国土地理院・地形図
Google Maps

康楽館

つづいて日本最古の現役木造芝居小屋、康楽館を見学。

康楽館の説明は非常に丁寧だった。
客が私一人しかいなかったのに、黒子さんが時間をかけて細かくガイドしてくれた。
地下の奈落から2階客席から回り舞台や舞台裏や控室やいろいろと。
申し訳なくなるくらい。
本当は団体の観光客に来てもらえると有りがたかったんだろうな。

名称:康楽館
指定:国重要文化財
住所:〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2
TEL:0186(29)3732
建築年:明治43年7月(1910年)
建築構造:木造・2階建・洋小屋・切妻造・銅版葺
所有者:小坂町(同和鉱業(株)より寄贈)
入館料:大人600円(鉱山事務所・郷土館との共通券900円)
開館時間:9~17時

明治43年(1910)小坂鉱山で働く工夫たちのための娯楽・慰安施設として作られた芝居小屋。内部天井とアメリカ木造ゴシック風といわれる正面外観が洋風で、内部は江戸時代後期の純和風の芝居小屋機能を持つ和洋折衷様式が特徴。昭和60年から61年の保存修理工事で現代の劇場としての最小限の改修も行っている。昭和60年(1985)修復後、再オープンした。

ところで鉱山の労働に捕虜の存在はつきものだけれど、昔は康楽館にも中国人捕虜が収容されていた事があったらしい。
が、それらしき資料や説明はなかった。観光地だしね…。
花岡事件の現場となった大館の共楽館が解体されてしまったのは残念だなあ。
康楽館は観光化しているけど、館内のすみずみまで木造建築の味わい深さで満ち溢れてる。

1階の館内下駄箱。

康楽館

入口付近の売店・休憩所

康楽館

康楽館

階段を降りて地下の説明を受ける。
切穴(すっぽん)の舞台下部分の仕掛け

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

人力回り舞台の舞台下(奈落)構造
The “Naraku” area below the revolving stage

奈落(ならく)(設置の案内板より)
物事のどん底に至ることを「奈落の底」といい、これが転じて花道の床下で薄暗く、じめじめしていた地下を「奈落」と呼ぶようになりました。後楽館では、「回り舞台」のろくろ仕掛けを四カ所の力で人力により動かしています。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

次は階段を上がって2階席へ。
客席の囲いが低いので、すぐ1階に落ちそうで怖い。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

舞台正面の2階の奥の座席がいわゆる「天井桟敷」。
舞台全体がよく見渡せるということで、ツウの人々や関係者が好んで座ったらしい。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

手前のミゾ部分にタバコなどを置いたり飲食物を置いたらしい。
自由でいいなと思いつつ、火事にならなかったのかと不思議。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

2階の説明が終わると、今度は1階桟敷席へ。

花道

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

回り舞台側から客席を眺める。
回り舞台は客席で見るよりもずっと奥行きがあった。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋 

回り舞台の壁。奥が出演者控え室になっている。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

舞台のそで

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

壁に多数の落書きがある出演者控え室。仲代達矢などの書き込みもあるらしい。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

左側が出入り口。右側の窓が検閲所。戦前は警察が待機していたらしい。

康楽館 日本最古の現役木造芝居小屋

「勘流亭」についての説明も受けた。
なぜ勘流亭があんなにくにゃくにゃしているのかというと、お客さんが隙間なく大入りするように、という意味が込められているのらしい。
面白い。

参考:
小坂町 康楽館 公式サイト
花岡の旅
国土地理院・地形図
Google Maps

小坂町総合博物館 郷土館

つづいて小坂町総合博物館 郷土館を見学。
昭和57年(1982年)に建築された。

〒017-0201 秋田県鹿角郡小坂町小坂字中前田48-1
TEL:0186(29)4726

参考:
小坂町総合博物館郷土館 公式サイト
NO.10 県指定有形文化財「旧小坂鉄道貴賓客車および11号蒸気機関車」
国土地理院・地形図
Google Maps

小坂町総合博物館 郷土館の屋外に展示してある小坂鉄道・小坂駅の復元駅舎。

小坂町総合博物館 郷土館

レプリカ駅舎の内部に展示してある備品や設備は現役当時のもののようで、年期を感じる。

小坂町総合博物館 郷土館

レプリカ駅舎の内部展示、昔の硬券きっぷ売り場

小坂町総合博物館 郷土館

屋外に展示してある旧小坂鉄道貴賓客車(ハ1)(秋田県指定有形文化財)および11号蒸気機関車 (秋田県指定有形文化財)

旧小坂鉄道貴賓客車および11号蒸気機関車(小坂町総合博物館郷土館・展示)

 11号蒸気機関車は、軌間762mmの狭軌用として大正15年(1926)4月に小坂鉄道に登場した。以来、昭和37年(1962)の小坂線軌間拡幅(1,067mm)まで36年間にわたり、花岡・大館間(4.8km)、小坂・大館間(22.3km)で旅客や貨物の輸送に活躍。小坂線に最後まで残った蒸気機関車だった。
軌間拡幅後、その使命を終え貴賓客車とともに小坂駅前に記念保存されていたが、昭和60年(1985)に小坂町に寄贈され、郷土館で永久保存することになったもの。平成11年(1999)3月には小坂鉱山発展に貢献した小坂鉄道の歴史を伝える極めて貴重な資料として、県有形文化財に指定された。

構造の概要
最高気圧 12.66kg/c㎡
火床面積 0.78m
重量 20.83t(運転整備時)16.66t(空車時)
水槽容量 2.14m3
最大寸法 長7,534mm×幅2,127mm×高3,098mm
製造所名 株式会社雨宮製作所
製造年月日 大正15年3月

木造の客車車内の内装がすごく素敵!

旧小坂鉄道貴賓客車および11号蒸気機関車(小坂町総合博物館郷土館・展示)

旧小坂鉄道貴賓客車および11号蒸気機関車(小坂町総合博物館郷土館・展示)
屋外に展示してある旧小坂鉄道ディーゼルカー(キハ2101)
小坂駅レプリカ駅舎の奥にある。
小坂鉄道の旅客用として使用されていた。
塗装が剥がれまくっている。

旧小坂鉄道ディーゼルカー(キハ2101) 

 この車両は昭和37年(1962)の小坂線軌間拡幅に合わせて導入されたディーゼルカーのうち、第1号機として新造されたもの。同型の車両は昭和42年(1967)まで7両製造されているが、キハ2101は唯一改造されず最後まで小坂鉄道に残された。
斬新な座席配置、ステップがなく幅広い乗降ドア、乗り心地の良い空気バネ台車など、国鉄(現JR)の車両よりもすぐれた装備がほどこされ、製造当時は大変デラックスな車両だった。
平成6年(1994)9月、小坂鉄道では旅客営業を廃止し、ディーゼルカーもその使命を終えた。小坂町に寄贈となったキハ2101は、昭和の鉱山全盛期の証人として、また85年間続いた旅客営業最後のシンボルとして、総合博物館郷土館に永久保存されている。

構造の概要
定員 100人(座席70人、立席30人)
重量 31.8t
最大寸法 長20,100mm×幅2,860mm×高3,675mm
原動機 振興ディーゼル DMH17H型 180ps/1,500rpm
製造所名 日本車輌製造株式会社
製造年月日 昭和37年4月

旧小坂鉄道ディーゼルカー(キハ2101)

旧止滝発電所。小坂鉱山の発電施設だった。
止滝第二発電所で使われていたアメリカ製の第1号水車および発電機などが展示されている。
これらの発電設備の恩恵を受け、山神社で電気祭などが行われていた。

旧止滝発電所(小坂町総合博物館郷土館・展示)

旧止滝発電所(小坂町総合博物館郷土館・展示) 

県指定有形文化財となっている旧止滝発電所一号発電機械。
旧止滝発電所発電機は明治35年から昭和55年まで稼働した。
所有者 小坂町(昭和58年10月、同和鉱業㈱より寄贈)

参考:
NO.9 県指定有形文化財「旧止滝発電所一号発電機械」

鹿角全科wiki§ 旧止滝発電所1号発電機械 1式 http://kaduno.in.coocan.jp/mediawiki/index.php?title=%C2%A7_%E6%97%A7%E6%AD%A2%E6%BB%9D%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%801%E5%8F%B7%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E3%80%801%E5%BC%8F(2014.12.15リンク切れ確認)

旧止滝発電所(小坂町総合博物館郷土館・展示)

旧止滝発電所(小坂町総合博物館郷土館・展示)

旧止滝発電所(小坂町総合博物館郷土館・展示)

県内最古の現役映画館 花園館

もともとは勧工場(デパートのような商店)として、大正2年(1913)に開業したという花園館。
大正5年頃に映画の常設館となり、昭和13年(1938)全面改築し、現在に至るらしい。
「県内最古の現役映画館として有名」とのことだが、上映作品の看板類は設置してなく、営業しているか不明だった。
結構最近まで映画を上映していたみたいな情報がネットでは出てくるけど。

県内最古の現役映画館 花園館

県内最古の現役映画館 花園館

横の路地から見た花園館。

秋田県内最古の現役映画館 花園館

住所 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部1-1
電話番号 0186-29-2053
用途 映画館 (もとは工場だったらしい)
竣工 大正2年
昭和12年(1937)改装
座席数 180
駐車場 5台
参考URL 花園館:(有)建築相談センター
秋北バス時刻表 http://www.shuhokubus-gr.co.jp/local/2612/odate_9kosaka.html(リンク切れ)
交通 JR大館駅前から小坂町行き路線バスあり。 7時台から19時台まで運行。1日に9本ほど、約2時間に1本。
地図 Yahoo!地図
MapFan.web
国土地理院・地形図
Google Maps

小坂町消防団 第三分団本部

第三分團
秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部1-6-14
電話番号 0186-29-5451

参考:ちず丸http://www.chizumaru.com/czm/tellist-05303G0106X506702.230Y145169.315D0520000000040083S500.htm(2014.12.15リンク切れ確認)
Google Maps

小坂町消防団 第三分団本部

警察分署跡

花園館の向かい、赤い建物のあたりに旧警察分署があったらしい。
ストリートビューをみると、古い火の見櫓は2014年8月以前に解体されてしまったみたい。
明治43年(1910)に設置された花輪警察署小坂分署。
大正初期には、刑事を含む21人の警察官が配置されたという。

旧警察分署跡(解体) 小坂町

小坂鉱山事務所に展示してあった航空写真。

旧警察分署跡(解体) 小坂町

赤いガーター橋(小坂鉄道の廃線跡)

国土地理院・地形図
Google Maps

小坂鉄道廃線跡の遺構(小坂鉱山敷地内引込線ガード下の石垣)

赤いガーター橋(小坂鉄道の廃線跡)の下に鉱山が現役だった時代の石垣が残る。
国土地理院・地形図

小坂鉄道の遺構(ガード下の石垣)

小坂ホテル(久原房之助邸)跡地

久原房之助邸跡地。駐車場になっている。
近くに小川が流れているが、この地形は昔と全く変わらない。

小坂ホテルは、明治34年(1901)、三代目所長 久原房之助の邸宅として建設された。
正式には古館1号役宅。 後ホテルとして利用され、昭和46年(1971)年に解体された。

Google Maps

小坂ホテル(久原房之助邸)跡地

小坂ホテル(久原房之助邸)跡地

天使館(旧聖園マリア園) 国登録有形文化財

昭和7年(1932年)に、鉱山の従業員子弟の幼児教育機関として建設されたらしい。
要するに鉱夫の子どもたちの幼稚園ってことだろうか。
平成14年(2002年)に修復された。
「天使館」という名称は、当初の施設名が「聖園(みその)天使園」だったことにちなむらしい。

参考:
国登録有形文化財「天使館」(旧聖園マリア園)(小坂町)
Google Maps

天使館(旧聖園マリア園)

永楽町

永楽町の裏路地を歩いてみた。
永楽町は、鉱山時代、料亭・飲み屋が軒を連ねた歓楽街だった。
現在もスナックや居酒屋が残っているが、そのほとんどは廃業していてさびれている。

※2014.12.13追記
ストリートビューで確認すると、左の建物は解体されている。

永楽町

BARBER SHOPフジシマと、居酒屋とまり水。

永楽町

永楽町で最も繁盛したのが吉本倶楽部だったという(建築年 明治)。
現在の小坂郵便局は吉本倶楽部の跡地に建てられたもの。
永楽町は、「宵越しの銭は持たぬ」と豪語した鉱山労働者たちでにぎわったという。
現在は当時の面影はほとんどないが、最盛期には芸者などもいた。

永楽町踏切道。
※追記(2014.12.15) この頃はまだ小坂鉄道の貨物線は廃止されていなかったが、2009年に廃止され踏切注意の看板も現在は撤去されている。

永楽町踏切道

小坂製錬 電錬場  現電気分解(電解)工場 Kosaka Smelting Plant

同和鉱業は現在も現役稼動中で、リサイクル事業をメインに行っている。
そのため頻繁にトラックが出入りするし、空気も悪い。

小坂鉱山内の代表的なレンガ建築。
長さ95メートルという長大な建築。
柱間に2つずつ並ぶアーチ型の窓が特徴で、当初は寄棟(よせむね)屋根だった。
大正初期に南側が切妻に改造され藤田組の社章が付けられたが、妻壁は平成10年に増築のため解体された。
参照:鉱山事務所展示パネル解説より

小坂鉱山 (煉瓦造)電錬場

小坂鉱山 (煉瓦造)電錬場

名称:電錬場(でんれんじょう)(現電解工場)(内部非公開)
住所:〒017-0202 小坂町小坂鉱山字尾樽部
所有者:小坂製錬(株) 
建築構造:煉瓦造(れんがぞう)・平屋建・洋小屋・切妻造(きりづまづくり)・鉄板葺 桁行95m×梁間15m
建築年:明治42年(1909)

黒鉱自溶製錬設備完成にともなう、電気銅の生産設備として、明治35年に最初の電錬場が完成した。ところが、明治41年9月に火災で全焼。復旧工事の後完成したのが現在の建物。電錬というのは精錬された粗銅を硫酸液につけ、電気分解によって純度の高い銅に精製し、金銀銅その他有価金属を抽出するもの。鉱山事務所に面していた妻壁は、増築により解体されたが、創建時と同様に稼動している施設として貴重なもの。

参考:【特報 追う】秋田・小坂町の挑戦(上)先端技術でレアメタル“発掘” MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/region/tohoku/akita/081124/akt0811240213000-n1.htm(2014.12.15リンク切れ確認)
Google Maps
国土地理院・地形図

「分銅場の坂」と呼ばれる坂道。その突き当たりに見える高い建物が硫酸工場らしい。
硫酸工場ができたことで、大煙突の必要性がなくなったが、この工場も新精錬に移行後は必要がなくなるらしい。

小坂鉱山

KOSAKAと書かれてあるオレンジの建物があるあたりに、以前は鉱山事務所があったらしい。
電錬場を増築する際に鉱山事務所が邪魔になったので、現在地(鉱山病院跡地)に鉱山事務所を移転・復原した。
「分銅場の坂」をはさんだ向かい側が同和鉱業の事務所になっている。
鉱山事務所に展示されていたパネルによると、左手前の古い木造小屋あたりに明治38年(1905年)頃築の供給所があったらしいが、この古い木造小屋は供給所の関連施設か何かだろうか?

小坂鉱山

小坂鉱山事務所の展示パネルより、電錬場の内部のようす(時代不詳)。

小坂鉱山 (煉瓦造)電錬場(でんれんじょう) 

精錬所ノ全景(古絵葉書より)
明治41年以前?長い建物が電錬場だと思う。

小坂鉱山 精錬所全景

手前右側大きな長い瓦造りの建物が電錬場(電気製錬棟/電気分解棟)。
明治37年 小坂鉱山 製錬所(一部) 俯瞰
地元では分銅場(ぶんどうば)と呼ぶ。
火災で全焼する前(初代)?
その左奥の建物は建設中の2代目鉱山事務所。

旧小坂鉱山事務所

明治36年頃の鉱山全景。
手前右側の建物が電錬場だと思う。

小坂製錬 (煉瓦造)電錬場 現電気分解(電解)工場

山神社

電錬場の写真を撮っていたら、なぜか同和鉱業の人がやってきて、同和鉱業の敷地内(?)を車で案内してくれた。
なぜだろう…。
鉱山神社は一般でも自由に拝観できる状態らしい情報をネットでみたことがあるのだが…。
有りがたく思いつつも、もしかして悪いことをしないように監視されていたからか迷惑だったのかと気にかけている。
同和鉱業の敷地内では、電錬場のほかにも藤田組の名前が入った古い建物をみかけた。
間近で見ると予想以上に壮大で、本当はゆっくり見学して写真を撮りたかった。
工場見学会でも開催してくれればいいのに。

とりあえずお言葉に甘えて、操業中の同和鉱業の一帯と鉱山神社が一望できる山(小坂鉱山の敷地内?)まで連れていってもらい、写真を撮らせてもらった。
右手側の小高い丘の斜面に、山神社が見える。
鉱山の最盛期の夏には、「電気祭り」という山神祭も行われたらしい。
(鉱山特需で景気がよかったのか?)社宅街には電気のつけっぱなしという習慣も生まれたらしい。
ちぎれ雲のようにみえるものは雲でなくて、操業中の同和鉱業の施設の煙。
このあたり一帯は緑化の対象となっていて、ニセアカシアが植えられているんだとか。

小坂鉱山

小坂鉱山 

山神社 (現存/公開)
慶応年間に最初の鉱山山神社建立。現在の山神社は明治32年(1899)鉱山のほぼ中央にある丘の頂に建立された。鉱夫たちが篤い信仰をあつめた山神社は、明治39年(1906)に鉱山のほぼ中央にある丘の頂に建立された。本殿は一間社流造で、方三間向拝付の拝殿がその前に建っている。本殿は、鉱山のどこからでも視野におさまるように配慮されている。
参照:鉱山事務所展示パネルより

参考:ニセアカシア「要注意リスト」に 駆除の動き 養蜂業者に危機感 :YOMIURI ONLINE(「鉱毒によって植物が育たなくなった秋田県・小坂鉱山で唯一根付き、自然環境の回復に大きな成果をもたらした。」との記述)(2014.12.15リンク切れ確認)
国土地理院地形図
Google Maps

〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山

小坂鉱山 山神社

夕刻、東大館駅に戻る。

五万分一地形図「大館」 弘前7号
大正3年測図
昭和14年修正測図
参謀本部

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉駅(廃駅)
開業日:昭和29年8月1日
改称履歴:雪沢鉱泉→雪沢温泉(昭和46年10月1日)
廃止日:平成6年10月1日

昭和30~40年代、大館周辺は黒鉱ブームだったそうで、数多くの鉱床ボーリングが行われたらしい。大館には古い温泉がたくさんあるが、廃業に追い込まれた所もあり、過疎化が進んでいるようである。

雪沢温泉は38年のボーリング探査で噴出したものを大館市が同和鉱業から買い取って市有したものらしい。小坂鉄道は旅客車両としては廃止されたが、小坂製錬所で精製される濃硫酸を輸送するためにDD130形機関車3重連が牽引する貨物が現在も運行されている。

Yahoo!地図

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉駅(廃駅)目前の風景(フィルム多重露光になってしまった)。小坂鉄道は現在貨物のみ運送されていて、旅客は廃止されている。雪沢温泉は現在も営業されているが、鉄道で行けない山の中にあるためか客が非常に少ない。このときも他に人がいなくて、寂れた雰囲気だった。浴場のすぐ裏側が誰でも出入りできるような原っぱの空き地になっていて、ちょっとビックリした。

15時頃入浴。300円。無味。本当に寂れていた。
大館栄町~小雪沢 バス450円

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉と雪沢温泉駅付近(廃駅) 小坂鉄道

雪沢温泉のレトロなパンフレット

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉

雪沢温泉 

大館駅 小坂製錬(小坂鉄道) 旧駅舎(解体済み)

大館駅 小坂製錬(小坂鉄道) 旧駅舎(解体済み)

名称 大館駅 (おおだてえき)
住所 秋田県大館市清水1丁目堰添10
電話 0186-42-0005
小坂鉄道(同和鉱業グループ会社経営の鉱山鉄道)
大館駅 – Wikipedia

同和鉱業小坂線の駅として1908年(明治41年)開業
1916年(大正5年) 花岡線 旅客営業開始
1985年(昭和60年) 花岡線 廃止
1994年10月 小坂線 旅客営業廃止 貨物駅に変更
2009年(平成21年) 貨物駅廃止 営業終了
2000(平成12)年 旧駅舎解体

小坂線はトラック運送が不可能な濃硫酸の貨物の運行のみ2008年まで運行されていた。

大館駅 小坂製錬(小坂鉄道) 旧駅舎(解体済み)

大館駅 小坂製錬(小坂鉄道) 旧駅舎(解体済み)

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