奥多摩駅~東日原バス停~奥多摩工業アパート~日原小学校跡~日原鍾乳洞

2022年9月末をもって発売終了したJR東日本の回数券を使って奥多摩に行ってきた。

 立川駅08:09発のホリデー快速おくたま3号(奥多摩行)に乗ったが、土日の午前中の青梅線はめちゃくちゃ混むのな。立客多数で当然のように座れなかった。御岳駅で大量に降りたが、終点奥多摩駅まで行く客もかなり多い。奥多摩駅の改札口に駅員が二人以上待機してるの自分は初めて見た。

奥多摩駅で使用済み印を押してもらった。押してもらうのは初めてだ。
参考 :普通回数乗車券の発売終了について JR東日本

2022年9月末をもって発売終了したJR東日本の回数券

日原鍾乳洞方面に行こうと思っていたが、東日原行きのバスも大混雑。次のバスは2時間後だが、この日はさしたる予定も立てておらず、景色も見れず混んだバスに乗り込むのも嫌だなあと思って予定していた9:40発のバスは見送った。外国人観光客の姿も結構見かけた。奥多摩駅前の観光案内所に立ち入る利用客も多く、駅前には飲食物の移動販売車も来ていた。

奥多摩駅

次のバスの時間まで2時間あるので、ブラブラと駅周辺を散歩したり、奥多摩観光案内所でスタンプ押したり。ネットでプリントアウト(割引券印刷用ページPDF)もできるが、奥多摩観光案内所に立ち寄ると日原鍾乳洞の100円引き割引券をくれる。

日原鍾乳洞 割引券  日原鍾乳洞 割引券

学校道踏切を渡る。梅線36K 848M 巾員3.7M
山の上のほうが少し紅葉してきてるが、派手な紅葉ではない。標高200mの高尾付近の紅葉はいつも12月頃だから、そんなものかな。

学校道踏切

時間があるので、奥多摩工業の方に行ってみた。

奥多摩工業

「除ヶ澤治山工事のお知らせ」なるものが掲示してあった。
除ヶ沢(よげさわ)とは奥多摩工業曳鉄線のトロッコ橋がある付近の沢のこと。
時々沢登りする人もいるようだ。

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ  

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業 除ヶ澤治山工事のお知らせ

奥多摩工業の工場は稼働していたが、トロッコは動いていなかった。土曜日だからな…

奥多摩工業曳鉄線

戻ってきて奥多摩ビジターセンターに寄ってみた。入ったのは初めてだ。結構立ち寄る観光客も多い。記念スタンプ類はなかった。

奥多摩ビジターセンター

奥多摩ビジターセンターの向かいにあるサイクリングツアー&レンタル トレックリングという店、今まであまり気に留めてなかったが、レンタサイクルも扱ってるらしい。今度利用してみようかなと思ったが、一番安いコースでクロス、MTB(ブリヂストン)平日2500円、9:00 – 17:00(貸出し受付は15:00まで)。ママチャリ感覚では使えないようだ。

サイクリングツアー&レンタル トレックリング

駅前の一松肉店で初めて買い物してみた。
お弁当類は予約が必要なのでいつも購入できなかったが、この日はメンチカツ類を扱っていたので。
メンチカツ2個、カレーパン1個、計500円。
メンチカツ、めちゃくちゃ美味い。また食べたい。
その場で買えるお弁当があればいいのになあ…

一松肉店

一松肉店

一松肉店

一松肉店

一松肉店

一松肉店

奥多摩駅前の土産店「みすず 堂」の店構えが何やら寂しげな感じになったので日除け幌テントの色でも変わったかと後で以前の写真を確認してみたら「手づくり おみやげ みすず堂 0428-83-2015」の看板が撤去されていた。手書きテイストのある看板が良い味を出していたので、ちょっと寂しい。奥多摩駅前にはコンビニがないので(ちょっと離れた所にタイムズマートというコンビニがあるが)、昼食用としてランチパックとオレンジジュースを購入。おにぎりも扱っている店だが、この日は切れていた。

土産店「みすず 堂」

奥多摩駅前の土産店「みすず 堂」

土産店「みすず 堂」

みすず 堂

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)でなにか食べて行きたかったが、開店が12時…11時半発のバスは逃せないので、諦めることに。羊羹も買いたかったが、荷物になるのでこの日は諦めた。

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バスサービスステーション(氷川サービスステーション)

西東京バス 11:30発
東日原行きのバス車内は混んでいて、発車間際に乗り込んだせいもあるが、座れなかった。景色が見れれば良いかと思ったが、立ち客が多いのであまり悠長に眺めることもできず。土日の奥多摩はあまり良くないな…
バス車内では皆それなりにおしゃべりしていたが、そこまでうるさい話し声でもなかったのに、バス乗務員から「おしゃべりしないで」と注意されていた。コロナ感染症対策のためなのか、それ以外の理由なのかわからないが、大声のおしゃべりでもなかったから驚いた。乗務員が叱った理由が気になる。

東日原行き 西東京バス

終点の東日原バス停で下車。奥多摩駅から運賃480円。観光客がどやどやと降り、目的に散らばっていく。
バス停に貼ってある日原鍾乳洞のポスターは色褪せている。

東日原バス停で下車

東日原バス停

東日原バス停

稲村岩尾根は登山道崩壊のため通行禁止となっている。

東日原バス停

東日原バス停

東日原バス停

東日原バス停

日原鍾乳洞へは東日原バス停から徒歩約25分

東日原バス停

東日原バス停眼下のくねくね歩道

東日原バス停

東日原バス停

日原簡易郵便局
土曜日なので風景印あるかどうか訊けず。

日原簡易郵便局

日原簡易郵便局

日原簡易郵便局

東日原バス停付近の岡部酒店 芳城屋 ほうじょうや

岡部酒店 芳城屋 ほうじょうや

岡部酒店 芳城屋 ほうじょうや

岡部酒店 芳城屋 ほうじょうや

青梅警察署 日原駐在所

青梅警察署 日原駐在所

青梅警察署 日原駐在所 警視庁

岩松尾根バス停から登竜橋(一原バス停付近)まで、路線バスはずっと氷川鉱山下のトンネル内を走行するので、周りの景色などはわからないのだが、静和旅館付近からそのあたりの岩場が見える。迫力ある。

日原街道

日原街道

道馬場の狭い日原街道を日原鍾乳洞方面に進んで進んでいく。道の両側に古い消防施設や商店、民家などが立ち並ぶ。

日原街道

道路の下は傾斜なので、民家は這いつくばるようにして建っている

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

静和旅館
営業してるのかな。気になる風情…

静和旅館

静和旅館

静和旅館

静和旅館付近の民家。恐らく廃屋。いい味出してる…

静和旅館付近の民家

奥多摩工業アパート

奥多摩工業アパート

従業員向けのアパートだったようだ

 

奥多摩工業アパート

奥多摩工業アパート

波型の屋根が可愛らしいので日原小学校の体育館か何かかと思ったが、これも奥多摩工業関連施設のようだ

奥多摩工業

ブルータル建築のように見える煙突も気になる

奥多摩工業

奥多摩工業

床も天井も剥がれ、相当に老朽化している。

奥多摩工業

奥多摩工業

奥多摩工業

奥多摩工業

 

奥多摩工業

タコ足の鉱山関連設備?

奥多摩工業

奥多摩工業

丹生神社付近の慰霊碑
旧日本陸軍兵の名が刻まれている
詳細不明だが土台に「慰霊碑建設寄附者芳名」と書かれているから戦後に関係者有志が建立したもののよう

慰霊碑

慰霊碑

慰霊碑

丹生神社

丹生神社

丹生神社

丹生神社

日原小学校跡
1994年3月に閉校した木造校舎の小学校。きちんと石碑も建てられているが、近くにブルーシートがかけられ、わりと無造作な感じになっている。

日原小学校跡  

日原小学校跡

日原小学校跡

日原小学校跡

日原小学校跡

日原小学校跡

日原小学校跡

日原診療所
現在も診療しているようだ
診てもらいたい気もするが、地元の人間じゃないとダメだろうか

日原診療所

日原診療所

天目山・酉谷山 登山口 道標

天目山・酉谷山 登山口 道標 

日原街道の方に戻ってきた
途中で見た静和旅館、こちらの建物を見ると営業していそうにも見える

静和旅館 静和旅館

静和旅館

日原街道に戻る

日原街道に戻る

日原街道に戻る

電信柱が天目山・酉谷山 登山口方面への道標になっている

天目山・酉谷山 登山口方面への道標

日原街道

日原街道

萬寿水

萬寿水

萬寿水

萬寿水

萬寿水

日原食糧販売所

日原食糧販売所

日原食糧販売所付近の民家・土蔵

日原食糧販売所付近

日原食糧販売所付近

中日原バス停
手書きと思われる停留所名がいい

中日原バス停

中日原バス停

日が暮れゆく日原街道

日原街道

先程見た奥多摩工業アパート

奥多摩工業アパート

日原街道

日原街道

日原街道

日原川を挟んだ対岸の山の斜面が土砂崩れを起こしている。現場にいたらかなり怖そうな…

土砂崩れ

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口
「登山道崩落のため通行止め」と書いてあるが、こちらから下山してきた登山者がいた

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

日原街道

鍾乳洞バス停および小川谷橋付近
昔はこの辺に見晴亭と西東京バス案内所もあったようだ

鍾乳洞バス停および小川谷橋付近

日原川の小川谷橋分岐付近にある、釣堀施設か浄水施設か不明

日原川の小川谷橋分岐付近

日原川の小川谷橋分岐付近

林道日原線と日原街道の分岐にある秩父多摩国立公園日原地区案内図

秩父多摩国立公園日原地区案内図

秩父多摩国立公園日原地区案内図

林道日原線と日原街道の分岐

みすず堂でパンとジュースを買ったものの昼食は食べてないので日原鍾乳洞売店でラーメンを食べる。650円。
15時閉店で鍾乳洞も16時半には受付終了するとのことで、既に15:11を回っていたので悠長に食べる暇がなかった。
ラーメンは昔懐かしのあっさりしょうゆ味。お茶も自由に飲めるので落ち着ける。
日原地区の名産品などお土産類も売っていた。

日原鍾乳洞売店

日原鍾乳洞売店

日原鍾乳洞売店

日原鍾乳洞売店

日原鍾乳洞売店

日原鍾乳洞売店

一石山神社
よる暇がなかった。

一石山神社

一石山神社の湧水。
柄杓が置いてあったので、帰りにここで水をごくごく飲んで帰ったが、今のところお腹を壊したなどの問題は出ていない。
エキノコックスでも蔓延すればこうした自由もなくなるのか…

一石山神社

日原燕岩洞門
2017年完成と新しい建造物だ。
脇に歩行者用の通路も設置してあって安全に通行できる。
Googleストリートビューで確認してみると、まだ洞門が完成していない2010年の撮影なので随分雰囲気が違う。

日原燕岩洞門

 日原燕岩洞門

日原燕岩洞門

 

日原燕岩洞門

日原燕岩洞門を抜けた突き当りにある籠岩の石仏群。奇岩の岩窟の檻に石仏が収められている。

籠岩

籠岩

籠岩

籠岩

籠岩 

籠岩

籠岩の奇岩、石灰岩なのかな。風化してあちこちポコポコと奇妙な穴が開き、中で繋がっている。
これも鍾乳洞と同じ現象かもしれない。

籠岩

籠岩

籠岩

籠岩から先、林道小川谷線は通行止めになっている。

林道小川谷線

戻ってきて日原鍾乳洞を見学する。100円の割引券を使い、大人800円→700円に。

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞は子供の頃に来たことあるかもしれないが、覚えていない。
入ってみて、規模の大きさに驚いたが、洞窟なので通路自体は狭く、夕方でも観光客が多かったのですれ違いに結構苦労し、のんびりと楽しむことはできなかった。
昼間ならもっと人が多くて大変だったろう。
日原鍾乳洞は絶対的に人が少なそうな時間帯を選んで行ったほうが良い。
あと水が滴っていても安全な運動靴で行ったほうが良い。

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

日原鍾乳洞

鍾乳洞を出たらすっかり真っ暗になっていた。16:51。
東日原バス停発のバスの時間は17:30。
ここから約2kmの道のり、送れないようにしないと。

日原鍾乳洞

帰りに一石山神社の湧水を飲んで帰った。
のどが渇いていたのでめちゃくちゃ美味い。

一石山神社の湧水

一石山神社の湧水

薄暗くなった日原街道を戻って東日原バス停まで無事到着。
すっかり真っ暗になっていたが、乗客がそれなりにいたので意外だった。
貸切状態かと思っていた。奥多摩って人気あるんだな。

東日原バス停

17:57、奥多摩駅に到着。まだ一松肉店が開いていた。
しかし数分後に閉まってしまった。18時までの営業のようだ。
メンチカツがあれば買って帰りたかったが、ホットスナックのショーケースにはなかった。

一松肉店

奥多摩発の青梅線が18:14なので、それまで駅周辺をぶらぶらと。
本橋青果店も既に閉まっていた。

本橋青果店

峰谷バス停~旧小河内小~麦山浮橋~奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)~深山橋バス停

麦山浮橋(通称ドラムカン橋)が小河内貯水池の水位低下のため12月23日から推移が回復するまで通行止めになると知り、行っておいた。だが最寄りのバス停の峰谷橋バス停で降りる所を間違えて終点の峰谷バス停まで行ってしまい、そこから歩いて戻ってくることになった。折返しのバスに乗っても良かったが、せっかくならこのあたりの集落も見ておこうと思い。このあたりは峰、留浦、下り、川野、雨降、坂本といった地名らしい。細かくて複雑だ。

麦山浮橋(通称ドラムカン橋)

奥多摩駅発バスが発車まで時間があったので、柳小路を通って奥多摩工業曵鉄線の様子を見に行った。下の氷川工場がほとんど稼働していなかったので、たぶんトロッコも動いてないだろうなと思ったが、やはり動いていなかった。

柳小路

人しか通れない狭い路地

柳小路

柳小路

柳小路

柳小路

氷川テレビ組合ってなんだろう。

氷川テレビ組合

ニャンコいた。人馴れしてるのか、案外逃げない。

柳小路

柳小路を出ると青梅街道の青果店へ。「三河屋」という看板がでかでかと掲げてあるので「三河屋」という青果店だと思っていたが、地図を見ると「本橋青果店」と書いてある。今度、食材が切れた時にお買い物しよう。

本橋青果店

石仏

石仏

奥多摩工業 氷川工場は、人はいるが、ほとんど稼働していなかった。

奥多摩工業 氷川工場

動いてないトロッコ。年末年始は稼働しないのだろうけど、年内はいつまでの操業なんだろう。

奥多摩工業 氷川工場

駅に戻る。この看板好き。「奥多摩駅方面直進」

「奥多摩駅方面直進」

今日はみすず堂でお買い物せず。

みすず堂

一松肉店。お弁当が予約制じゃなければいいのに…。でも今度入ってみよう。

一松肉店

奥多摩駅前バス停から西東京バスに乗って峰谷方面へ。

西東京バス

間違えて降りてしまった終点の峰谷バス停。

峰谷バス停

峰谷周辺もいろいろ散策できるコースありそうだ。

峰谷バス停

峰谷集落

峰谷バス停

歩いて峰谷橋のほうまで戻ってくる。下り集落のバス停。

下りバス停

西東京バスの毛筆書体のバス停留所ポール、いい感じだな。

下りバス停

下り集落

下り集落

山に溶け込む廃屋

山に溶け込む廃屋

山に溶け込む廃屋

雨降り集落の商店

雨降り集落の商店

雨降りバス停

雨降りバス停

廃店舗とんちん館

廃店舗とんちん館

廃店舗とんちん館

雲風呂橋

雲風呂橋

雲風呂バス停

雲風呂バス停

雲風呂の民家、寺(普門寺)、理容室。以前はこのあたりに民宿もあったようだ。

雲風呂の民家、寺(普門寺)、理容室。

学校前バス停。

学校前バス停

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)
昭和32年(1957年)竣工、平成16年(2004年)に閉校とのこと。
木造校舎にしては意外に新しい。
その点に関して、↓以下の記事が参考になる。
東京の小学校建築は、「木造(明治)→鉄筋コンクリート造(大正)→木造(昭和初期)→鉄筋コンクリート造(戦後)」という風に変遷し、旧小河内小学校は「戦前の規格で建てられた、最後の校舎の一つであろう」とのこと。
参考 :多摩の近代建築・歴史的建造物:「東京の木造校舎」 奥多摩町 旧小河内小学校 – 東京都の一級建築士事務所 タウンファクトリー

この日は校庭で人が集まってドローンを飛ばしていた。

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

生徒が通らないので荒れた階段

巨大な木造校舎の旧小河内小学校(廃校)

隣の敷地にあるのは浄水場か何かかと思ったら小河内小学校のプールの跡だった。

旧小河内小学校(廃校)のプール

旧小河内小学校(廃校)のプール

水位の低下した奥多摩湖と峰谷橋

水位の低下した奥多摩湖と峰谷橋

峰谷橋

峰谷橋

馬頭トンネル

馬頭トンネル

馬頭トンネル

やっとドラムカン橋(麦山浮橋)についた。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋) 

ドラムカンの時代に渡りたかった。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

猿田彦大神と馬頭観世音がある。

猿田彦大神と馬頭観世音

古いベンチとテーブルが用意してあるのはのどかでいい。相模湖みたいなローカル感がある。

古いベンチとテーブル

ドラムカン橋(麦山浮橋)は思ったより揺れない。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

湖畔に沈んだ階段がある。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

対岸にも水に浸かった階段。これでも水位低下してるんだ。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

ドラムカン橋(麦山浮橋)

「浮力が低下しているため、この場所では立ち止まらないでください」と書いてある。岸辺近くなら多少は安全そうな気もするけど、そんなことないのか。

ドラムカン橋(麦山浮橋)

奥多摩周遊道路に出る。

奥多摩周遊道路

水場がある。Google Mapsには「三頭の名水」と書いてある。登山時なら喜んで汲んだだろう。その場でガブガブ飲んだ。

三頭の名水

三頭の名水

奥多摩周遊道路を三頭橋方面に歩いていくと、対岸に奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)の索道が見えてくる。

奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)

奥多摩湖ロープウェイ(かわの駅)

赤い橋は麦山橋かな。

麦山橋

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)
すっかり薄暗くなってしまったので、明るければもう少しまともに撮れるであろうものも撮れない。まあ有名な物件だし、私などが頑張って写真を撮るより他の上手い人の写真を参考にした方が早い。とりあえず巨大な巻き上げ機がすごい。
小河内観光開発 – Wikipedia
Wikipediaのデータを丸写しすると、1960年(昭和35年)8月12日に索道事業許可、1962年(昭和37年)1月29日に営業運転開始。1966年(昭和41年)12月1日に「冬季休業」の名目で運行一時停止。営業不振の理由により1975年(昭和50年)3月に正式に運行休止申請が出される。

ひどく短命なロープウェイであった。

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

神殿のようだ。

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)

暗すぎてまともに写真を撮れない奥多摩湖ロープウェイ(みとうさんぐち駅)に別れを告げて、深山橋バス停に向かう。

奥多摩周遊道路は昭和48年に開通した道路。冬にきたら美しそうだ。

奥多摩周遊道路

三頭橋は工事中(清掃中)だった。掃除機の音が聞こえてきた。橋って掃除機で清掃するんだ…と思った。オウムの後ろ姿みたいな格好をした橋だ。

三頭橋

三頭橋

三頭橋 三頭橋 

三頭橋

三頭橋と深山橋の間にある深山荘は既に廃業している様子。

深山荘

深山橋
1957年(S32年)築

深山橋

深山橋

深山橋

このあと深山橋バス停から西東京バスに乗って奥多摩駅に向かい、帰路についた。

奥多摩駅~奥多摩工業曵鉄線~奥多摩駅/白妙橋バス停~小菅・大沢集落~伽藍神社~奥多摩工業氷川鉱山専用索道跡~瑞雲寺~奥多摩駅

氷川小学校付近の石仏

氷川小学校付近の石仏

午前9時頃の奥多摩工業 氷川工場。本格的に稼働していないのか、かなり静か。先週の午前中は騒々しい大音響で稼働していたが。でも人の姿は見える。この調子だとトロッコの運行も期待できないかもしれない、でもまだ本格的な操業時間に達していないだけかもしれない、そんなことを考えながらトロッコの様子を見に行ってみる。

奥多摩工業 氷川工場

この工場、見るからに古いのは分かるけど、細部を見るとあちこち破損したままになっている。実際に稼働させている施設はどの程度あるのだろう。

奥多摩工業 氷川工場

奥多摩工業 氷川工場

奥多摩工業 氷川工場

奥多摩工業 氷川工場

奥多摩工業曵鉄線
9時過ぎに到着した時点では運行していなかった。でもトンネルの電気はついているので、これから工場の稼働にあわせて運行するかもと思い、待機。

奥多摩工業曵鉄線

9時半近くになったら動き始めた。随時運行しているわけでなく、数分~数十分おきに停止する。停止時間は数分から数十分、運が悪いと数時間。かなりまちまち。

連結もあるんだな。

奥多摩工業曵鉄線 連結トロッコ

ゆるゆると動き始めのトロッコ。

奥多摩工業曵鉄線

石灰石はかなり大きい時も細かい時もあった。

奥多摩工業曵鉄線

奥多摩工業曵鉄線

フェンスがレールっぽい

奥多摩工業曵鉄線

12時近くになったらすっかり運行が止まってしまった。トンネルの電気も消されていたので、しばらく運行再開見込みはないのかなと思い、路線バスに乗って白妙橋の方に移動。昼休みなのかわからないが、氷川工場はすっかり静かになっていた。ほとんど稼働していなかった。白妙橋の方のトロッコも止まっていた。

白妙橋の岩壁でロッククライミングをやっていた。

白妙橋

すごいな。これだけの岩壁で…

白妙橋 ロッククライミング

白妙橋の隧道。中に照明が設置してあるのだが、もう使われていないようで、暗くなっても灯らない。そもそもここから小菅の方に向かう道自体が通行止めとなっている。奥多摩地域は2年前の令和元年東日本台風で甚大は被害を受けた。通行止めがそのせいか、それともその前からかは不明。ともかく柵や橋が壊れたまま放置してあり、小菅集落までの狭い山道に設置してある街灯も灯らない。

白妙橋

白妙橋から道なりに進んで出る集落。地理院地図で見ると「小菅」と書いてある辺りだが、厳密には小菅ではない模様。なぜかというと、この先に「小菅集落までこの先500m」という道標が出てくるので。というか、現在の住所表記では「日原」に当たる地域だが、「大澤」という地に当たるらしい。

大正9年「氷川案内記」氷川村青年会発行
大正9年発行「氷川案内記」氷川村青年会発行(参考:国立国会図書館デジタルコレクション)

山の斜面に這いつくばるように建てられた大きな古い家屋。既に廃屋となっている。

小菅集落

小菅集落

大澤の路地は細い。先月、ここで水道工事をしていた。その部分のアスファルトが新しくなっている。

大澤

大澤

小菅集落分岐。

小菅集落分岐

伽藍神社

伽藍神社

近くには比較的新しい東京都水道局 日原第三配水所が建てられている。

東京都水道局 日原第三配水所

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡
これついては【山さ行がねが】廃線レポート 奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡 第3回さんが詳しいので、そちら参照。等高線がゆるやかなのでなめてかかってしまったが、想像以上の急傾斜で正直滑落の恐怖を感じた。断るまでもないかもしれないが、途中、道はない。部分的に道らしき筋が出てくるが、急に岩壁が出てきたりもする。恐ろしい。

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

山の中に散乱するトロッコ

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

崩壊したトンネル内

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

橋桁の屋根の部分にレールらしきものがたくさん使われている

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

石灰成分が溶け出したのか。橋桁に鍾乳洞のつらら状のものができていた。

奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡

小菅・大沢集落に戻る。小菅・大沢集落も昔は山の斜面にもっとたくさんの民家があったようだが、すっかり荒れ果てている。三界萬霊もほぼ置き去りにされた形。

三界萬霊

人の踏み跡もまばらな小菅集落の山の斜面を歩いてみると、山間の中にぽつんと荒れ果てた家屋がある。どうやら寺のようだ。

瑞雲寺

瑞雲寺

この瑞雲寺という廃寺については、大正9年に発行された「氷川案内記」氷川村青年会発行(参考:国立国会図書館デジタルコレクション)に「瑞雲寺(すいうんじ?) 字小菅(あざこすげ)にあり北峰山(ほくほうざん)と號(ごう)す」との記述あり。

大正9年発行「氷川案内記」氷川村青年会発行

すっかり薄暗くなってしまった大澤の集落を経て白妙橋の方に戻る。路線バスの時間を間違えてしまい、もはや間に合いそうにもないが、一応急いでみる。

大澤

夕方16:20頃だが、大澤集落の細路地には既に街灯が灯っている。

大澤

大澤集落~白妙橋間の橋やフェンスが崩壊した場所。「通行止め」の張り紙があったが、それも朽ちてよく見ないと気づかない状況になっている。

大澤

実際にはもっと暗かったが、街灯は灯っていない。結局路線バスは逃し、次のバスまで1時間以上あったので、奥多摩駅まで歩きで戻ってしまった。かなり薄暗い道中だが、車通りも少ないので助かった。

大澤

奥多摩 氷川町警防団 第三分団貯水池 昭和17年5月成

日原街道沿いの民家に「氷川町警防團 第三分團貯水池 昭和拾七年五月成」という文字が刻まれたコンクリート土台がある。隣には錆びた消防水利の標識。興味を持って戦前の氷川村警防団の警防手帳(氷川村警防團 第四分團 警防手牒)などを入手してみた(特別なエピソードはなし)。氷川村は1889年(明治22年)に合併によって生まれ、1940年(昭和15年)に氷川町となる。1955年(昭和30年)、奥多摩町の発足によって氷川町は消滅。太平洋戦争は昭和16年12月8日開戦、昭和20年9月2日終戦。消防水利として現役なのか不明だが、戦時中には活躍したのだろう。

〒198-0212 東京都西多摩郡奥多摩町氷川

奥多摩 氷川町警防団 第三分団貯水池 昭和17年5月成

氷川村警防団 警防手帳

氷川村警防団 警防手帳

東京府西多摩郡氷川村 (13B0030027) _ 歴史的行政区域データセットβ版

奥多摩駅周辺~奥多摩工業~日原橋梁(東京都水道局小河内線)

駅前の工場と東京都水道局小河内線(廃線)の日原橋梁付近だけをちょろっと見て歩いた。

奥多摩駅ホーム眼前のセメント工場(稼働中)。奥多摩駅からの最後の石灰石貨物輸送は1998年であった(行先は浜川崎駅のセメント工場)。

奥多摩工業
〒198-0212 東京都西多摩郡奥多摩町氷川243−2
http://www.okutama.co.jp/
0428-83-2311

奥多摩工業

奥多摩工業

奥多摩工業

この建物はなんだろう。

奥多摩工業

JR青梅線 奥多摩駅。ヨーロッパのロッジ風の駅舎。東京最高所の駅。駅舎は開業した1944年(昭和19年)当時のもの。開業当時は「氷川駅」だった。1971年(昭和46年)、奥多摩駅に改称。

奥多摩駅

奥多摩駅前の商店。何軒かは後に廃業・解体されてしまった。

奥多摩駅前

西東京バス氷川サービスステーション細い文字がレトロでいい。

西東京バス

北氷川橋を渡った先の民家と石積み

北氷川橋

北氷川橋は昭和39年3月成。

北氷川橋

1967年(昭和42年)竣工(?)の夫婦橋

1967年(昭和42年)竣工の夫婦橋

夫婦橋。全国Q地図 橋梁マップには1967年(昭和42年)竣工と書いてあるけど、欄干には「昭和44年3月成」と書いてある。

夫婦橋

東京都水道局小河内線(廃線)の日原橋梁と日原川。東京都水道局小河内線は1952年(昭和27年)に小河内ダムの建設資材運搬用鉄道として敷設された。1957年(昭和32年)、小河内ダムの竣工間近に運行休止。

参考:鉄道廃線跡を歩く〈3〉 JTBキャンブックス 宮脇 俊三 (著) P.62-64

東京都水道局小河内線の日原橋梁

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川
段々になってる

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川

夫婦橋&マス釣り場付近の日原川

東京都水道局小河内線(廃線) 日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

東京都水道局小河内線の日原橋梁

トンネル入口に何かぶら下がってる。今日はここまで。

東京都水道局小河内線の日原橋梁

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com