湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【後半】

前半戦からの続き。

湯ケ島坑については、以下のサイトさんの情報を頼りに訪問してみた。でも情報が古かったらしく、諸々と様変わりしていた。はじめは古い情報ということにすら気づかず、場所を間違えたのかと思った。伊豆金山マニアの間では有名らしいが、意外とのどかでひなびた場所だった。

参考:Kanayama Mine<湯ヶ島の金山(かなやま)>
参考:湯ヶ島金山のトロッコ跡
参考:天城湯ヶ島金山廃坑(2003年03月) 廃墟系
地図:Google Maps
地図:理院地図 – GSI Maps|国土地理院

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【後半】

中外鉱業(株)持越工場の看板がある三叉路。持越鉱山は湯ヶ島坑より西側5km先ほどに行ったところにある。8年位前までは確実に操業していて(2009年現在)、持越鉱山行きのバスも運行していたみたいだけど(参考)、現在は持越方面のバスが運行していないようなので、廃業になっちゃったのかな。よく見ると看板に「温泉休業」とか書いてあるし。観光業もダメになっちゃったのかな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

近くに「伊豆の金山」の案内板が設置してあったが、ネットで見た状態とは打って変わって朽ち果てていた。平成元年(1989年)に、天城湯ヶ島町教育委員会によって立てられたものらしいが、2012年6月撮影のストリートビューで確認してみるともう木枠だけになっている。「中外鉱業(株)持越工場」の看板もはずされている。前述のサイトさん達には2000~2003年頃のようすが載ってるけど、一応この木製看板は20年近くも持ったんだな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

案内板書き起こし。

伊豆の金山(かなやま)

豆州湯ヶ島村金山(カネヤマ)は、天正の頃より金銀が採掘された。二百枚、横沢、平山、宝木鉱(ホーキコン)、金沢(カナサワ)、岳(ハタガシ ラ)椎鉱(シイコー)の七坑よりなり、慶長二年(一五九七)大久保長安が伊豆の金山奉行に着任し最盛期を迎える。豆州志稿に「黄金多くことに上品也。諸々 の職人、商人全国よりきそい集い、遊女御免を蒙り賑わしかりし事共なりとあり、今なお残る採掘に係わる地名に応じを忍ぶことができる。

平成元年八月 天城湯ヶ島町教育委員会

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ネットで見覚えのある鉱山施設が出てきた。道路沿いにあるから探すまでもない。「金山」と名がつくからには何か鉱山施設があるのかと期待して、湯ケ島坑探索はとりあえず後回しにして、金山バス停の方まで歩いて様子を見ていってみる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

カーブになった道の石垣上に鳥居を発見。ちょっと登って様子を見てみる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

祠が出てきた。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

あまりお参りする人がいなさそうな神社

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

不動橋近くにある馬頭観音。「明和四年五月十七日 …主荻原傅助」の刻印(一部読み取り不可)。明和4年は1767年だから、240~250年位前か~。不動橋は昭和58年竣工でこの地域では古くない。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

とりあえず金山バス停(東海バス)の先まで行ってみたが、民家以外にこれといって目立ったものはなく、戻ることにした。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

バス時刻表。本数は上下とも少ない。改正時刻は2003年4月になってる。ちなみに2013年6月現在、修善寺駅から持越温泉まで行くバスは1日1本しかないみたいだ。

持越温泉から修善寺駅までのバスは1日3本(2013年6月現在)(http://dia.tokaibus.jp/OrangeGuide/pc/table.do?pole=1&busstop=6277&kind=0)(リンク切れ)

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

金山の古い石仏群。
金沢橋を渡り、来た時とはちょっと違う道で戻る。
金沢橋は昭和51年竣工。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

金山の古い石仏群。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

元の湯ケ島坑跡に戻ってきた。樹木に飲み込まれてるホッパー棟。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

近づいてみる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

中を見てみたいと思ったけど、この調子では入る隙間もなさそうな…

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

建物の形もわからなくなってる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ホッパー棟の上を登って行くと、グラウンドが現れる。
鉱山施設の工場の跡地をゲートボール場に変えたものらしい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ゲートボール場の隅に湯ヶ島坑口がある。
左の建物は京大理学部地震観測室らしい。
背後の山の斜面に昔は鉱山設備があったらしい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

「湯ヶ島坑」の文字はまだ読める。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

以前坑口全体にはめられていたらしい大きな鉄格子は撤去されていて、新たに施行されたと思われるコンクリで排水孔は固められていた。内部からパイプによる引水がしてあって、勢い良く水が流れていた。網状の蓋がかぶせられた下水設備も近年作られたものと思われる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

昔はトロッコがこの中を往来していたらしく、人も行き来できる大きさだったんだろうが、新たに塗り固められたコンクリ孔は幅が40cmほどしかななく、とても人が入れる大きさではなくなってる。確認しようとしても既になかったかもしれないが、残念ながらこの時トロッコのレール跡などを確認せずに帰ってきてしまった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

この手の廃坑から流れてくる水は毒々しい色が多いけど、ここは無色だった。地下水では珍しいくらい(?)勢い良く流れ出てた。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ゲートボール場わきには、鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物を解体した後の基礎土台が残っている。
2000年頃まで建物は残っていたようだ…。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物の正面出入口前にあった階段。建物が解体されても小階段は残された。脇にある木材は新しいから、地元の人がちょくちょく出入りしてるのかな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

古い車輪が転がっていたが、まさかトロッコのじゃないよね…。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ブロック小屋。よくわからない施設。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

茂みの中に石碑らしきものが見える。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

更に茂みの奥にはポッカリあいた空洞のようなものが。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ゲートボール場全景。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ケ島坑のあった丘を降りて帰ることにする。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

来たコースと同じ道を辿って世古橋の方まで一気に戻る。ちなみに世古という地名の漢字は「世古」と「瀬古」両方見かける。どちらが正しいかは分からない。1月だけれども途中たくさん柿が成ってる木があった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

梶井基次郎文学碑そばまで戻ってきたところで、来た時には気づかなかった「世古の大湯」という看板を見かけて、入って見ることにする。無人の共同浴場で、一応は入浴無料という名目だけど、管理費100円(以上)が必要。全体的に施設は老朽化しており、夜になったら出そう・・・な雰囲気ではあるけど、逆にワクワクする。脱衣所も浴槽も小ぢんまりとしていて狭かったけど、誰も居ないだろうと思ったら先客が数人いて結構賑わっていた。お湯は無色透明で、匂いなども特にクセはない。脱衣所までは写真を撮れたけど、先客がいたため浴場内の写真は撮れず。

浴槽などの写真はこあじ伊豆観光ツーリングガイド(homepage2.nifty.com/koaji/onsenjouhou/amagi/sekonoyu.htm)さんで確認できる。(リンク切れ)

こういう共同浴場は大好きなので、いつまでも続けて欲しい。
場所:Google Maps

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

小さな階段を降りていく。日の当たらないジメジメとした場所で陰気臭くはある。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

無人だけど一応ちゃんと管理されていて、ここから先夜は閉鎖されるみたい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

どんどん猫越川の渓流側に下ってく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

「地元班 大口寄付者以外の方は一人につき1回100円以上を入れて」と呼びかける看板。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

入口。昭和そのものの雰囲気。子供だったら怖く感じるかも。私、子供のとき和風家屋とか怖くて嫌いだったし。手前が男湯、奥が女湯。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

更に地下にある管理施設。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

Google Mapsでは「瀬古」でなく「世古」と書かれてる。木の表札が良い感じ。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

ここにお金を入れる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

脱衣所。木造りのロッカー。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

脱衣所は2~3畳くらい?かな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

入浴を済ませて、気持ちもさっぱりしたところで、また湯ヶ島駅バス停の方に向かい始める。瑞祥閣前の坂を上がった所にある家屋。ただの民家かと思ったけど入口前に「娯楽室」と書かれてるのがすごい気になる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

「娯楽室」の文字。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

下田街道沿いの古い廃店舗。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

足立英語塾に戻ってきた。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

奥の方の建物もカッケー。塀の痛み具合がカモフラージュ模様っぽくなってる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

重厚な和風家屋。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

裏側から見たところ。正面の黄色い外壁が洋風っぽくて、裏が和風っぽい、和洋折衷型?

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

足立英語塾近辺の古い蔵。同敷地内かは不明。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

足立英語塾の並びにある古い木造長屋家屋。
Google Mapsではただ「アパート」と記載されてるだけで、詳細不明。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

昭和時代の下宿とか、小さな小学校の校舎とか、そんな感じにも見える。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

更に周辺を散策しながらバス停方向に戻っていくと、昭和レトロなタイル細工の流しを駐車場わきに置いた民家があった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

昭和30~40年代頃のトイレとか洗面台とかお風呂とか水回りの定番のタイル細工、今新品で買おうとすると結構高い。楽天で見たら2~3万位もして驚いた。

こっちにもあった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ケ島駅バス停まで無事たどり着き、帰路に着きました。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

コース:湯ケ島駅バス停→足立英語塾→玉利屋商店→旅旅瑞祥閣→瑞祥橋→わらべ橋→旅館湯川屋→梶井基次郎文学碑→湯ヶ島温泉バス停→白雲橋→二百枚橋→水抜橋→湯ケ島坑跡→鳥居・馬頭観音→金山バス停→金沢橋→湯ケ島坑跡→瀬古橋→足立英語塾→宿周辺の路地→湯ケ島駅バス停

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐりからの続き。
修善寺駅から湯ケ島駅まで路線バスで移動した後、湯ケ島駅バス停から金山バス停周辺まで徒歩による往復散策。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

伊豆箱根鉄道の修善寺駅から湯ケ島駅バス停まで11~12km、路線バスを利用。
湯ケ島駅バス停の場所:Google Maps

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

下田街道に沿って歩き始める。川田理容タイルが可愛い。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

川田理容全体像。昔ながらのオーソドックスな商店スタイル。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

川田理容のとなりのスエヒロ写真店。これも定番の商店スタイル。スエヒロの書体が可愛い。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

足立英語塾。立派な家屋だけど「足立英語塾」と検索してもGoogleでは一件もヒットしない。なぜ?

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

重厚な外観。とりあえずこの建物は帰りにじっくり見ることにする。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

更に歩くと、突然こんな厳格でハイカラな造りの建物に出くわしてビックリした。
湯ヶ島温泉口バス停前の分岐角。
建物の前には「玉利屋商店 わさびづけ」と書いてある。
文字が右書きなので戦前から営業し続けてきたお店のよう。
こちらのサイト http://homepage2.nifty.com/nagareboshi/shizuoka/age/s1s10.htm(リンク切れ)様によると、昭和10年築で、設計者は不詳らしい。

参考:建築年代別リスト(昭和元年~昭和10年)http://homepage2.nifty.com/nagareboshi/shizuoka/age/s1s10.htm (リンク切れ)

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

広角側がたりなくて正面からの全景が撮れなかった。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

ストリートビュー

湯ヶ島温泉口バス停。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

下田街道をそれて車の少ない古い路地に入ってく。レトロな街灯が所々に立ってる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯道エリア道標。
川端康成が「伊豆の踊り子」を執筆した地域で、井上靖・梶井基次郎・若山牧水などの文学者にも縁が深く、遊歩道が整備されている。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯道周辺案内板。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

瑞祥橋(ずいしょうはし)近くにある、瑞祥閣という重厚な和風家屋の旅館。昭和29年築、天城の銘木を切り出して建てた宿らしい。ひっそりとしていて営業していないような雰囲気に見えたけど、公式サイトはあるし、温泉情報サイトでも紹介されているので、現役かな?樹木が多く薄暗くて陰気臭いといえば陰気臭い場所にある。この辺の温泉宿はほとんどが源泉かけ流しらしい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

昭和39年竣工の瑞祥橋。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

たつた旅館・スナックみゆき・浄蓮荘・グリーン天城の周辺。
ひっそりとしていて人気はなく、営業しているのか分からなかった。廃屋も目立つ。なおグリーン天城は閉館してしまった模様。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

そんなに大きな建物には見えないのだが、25m温泉プールがあるらしい。
昔は賑わっていたのかな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

グリーン天城の向かい辺りにある廃屋。
グリーン天城は1965年に開業、1999年に改装したが、近年閉業してしまったらしい。
この家屋も昭和30年代とかに建てられた物かな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

家財が残っていた。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

自然には恵まれてるけど、樹木が多くて薄暗くて、いささか陰気臭い雰囲気なのよね…廃屋があるせいだけじゃなく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

レトロな街灯。「湯ヶ島温泉」の文字も手書きっぽい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

レトロ街灯シリーズ。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

猫越川(ねっこがわ)に架かる人道橋わらべ橋を渡ってく。水はかなりきれい。わらべ橋は1993年竣工のアーチ橋。
※この時はまだ渡れたけど、その後床・板が腐食して通行禁止になった  http://blog.livedoor.jp/izu_onsen/archives/51755966.html(リンク切れ)模様。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

県道59号に出る。
わらべ橋と瀬古橋の中間あたりの湯ヶ島温泉旅館群の看板。
左側の藪に埋もれたコンクリ遺構が気になる。猫越川の旧橋かな。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

瀬古橋の三叉路。バス停名は「木太刀温泉」になってた。元湯と書かれた、小さな祠に入った石仏がある。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

▼梶井基次郎が長逗留していたとかいう旅館 湯川屋。
ものすごく傷んでいて廃旅館かと思ったけど、後日(2013年6月)ストリートビューを見たら外装がすっかりきれいになってる。昭和2年、当時26歳の梶井は肺結核の療養のため、この湯ヶ島へ1年5ヶ月もの間滞在していたとか。
参考:【文豪の秘湯】静岡・湯ヶ島&湯ケ野温泉で泊まってみたい旅館【伊豆の踊子】 – NAVER まとめ

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

申し訳ないが、お化け屋敷のような見た目だったので。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

旅館 湯川屋のぞばには梶井基次郎の文学碑が。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

そばには檸檬でなく柚子のような実をつけた木が。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

梶井基次郎文学碑。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

少し進むと湯ヶ島温泉バス停。修善寺駅行きは1日11本あるが、持越温泉行きは1日2本しかない。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

湯ヶ島温泉バス停前にある湯谷権現の石碑。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

石碑の文面。
この周囲にある山の名前が釜石山らしいが、具体的にはどのピークをさすのか分からない。
475.7m?422m?461m?

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

向原橋を渡る。昭和34年竣工。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

昭和33年竣工の白雲橋を渡らずに通りすぎてく。
この橋は横から眺めたほうがきれい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

白雲橋周辺は紅葉や新緑の季節がきれいらしい。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

白雲橋から眺めた猫越川の渓流(世古峡)。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

砂防指定地の看板。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

鍋島商店を通り過ぎる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

鍋島商店の敷地内に古い防火水槽と大岩。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

昭和35年竣工の二百枚橋も渡らずに通り過ぎてく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

小さな二百枚橋3号橋を渡ってく。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

竣工年が刻まれた柱が半分埋められてしまっている。昭和築。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

猫越口バス停に着く。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

水抜橋(昭和40年竣工)の三叉路に到着。
中外鉱業(株)持越工場の看板が出てくる。

湯ヶ島の古い商店街~瑞祥閣~世古峡~湯ケ島坑跡(廃金山)~世古の大湯(共同浴場)めぐり 【前半】

後半戦に続く。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅から修善寺駅までを徒歩で移動。一番の目的は大仁鉱山の跡を見ることだったけど、既に解体されていることは分かっていたので、そんなに時間を割くこともなく見学してさっさと修善寺駅に向かい、次なる見学地・の湯ケ島坑跡へと向かった。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

伊豆箱根鉄道の大仁駅ホームにはレトロな流し台がある。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅の駅舎。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅前ロータリーには温泉が引湯してあって、小さな足湯施設があり、飲泉もできる。城山荘、一二三荘は外来入浴300円、安い。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

解説には帝国産大仁鉱業所の名も。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅前の観光案内図。大仁金山跡がちゃんと載ってる。
城山のハイキングコースやロッククライミング岩場って観光案内図に載せられるほどポピュラーなんだ。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅に設置してあった地図には大仁金山跡が2ヶ所に分かれて載ってた。水晶山も書いてある。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅前の食堂、味のつがる。2012年6月撮影のストリートビューを見るともう閉業か撤退してしまったようだ

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

同じく駅前の食堂タカはまだ営業しているみたい。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

Google Mapsで谷口時計店、渡辺設備工業所、ふかせ菓子店と書かれているあたりの家屋。どれがどのお店かは分からない。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

鈴木屋酒店

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

板垣おもちゃ店。この辺はちょっと雰囲気が変わってしまったようだ。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

ひらい精肉店

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

宝屋ストアー。閉業してしまったようだ。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

佐藤商事(株)。窓の古い木枠が気になる。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

佐藤商事周辺の古い蔵や家屋。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

菊池米店。ってGoogle Mapsにも看板にも書いてあるけど雨除けテントには鮮魚店って書いてある…。隣の建物が100%天然温泉の日帰り入浴もできる富士屋旅館。駅前ロータリーの看板には入浴料600円って書いてあった。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁橋付近から見た城山(ロッククライミングも出来るところ)。標高が低いわりには迫力がある(342.3m)。標高は違うけど印象は山梨県の岩殿山にも似ている気がする。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

2007年に竣工したばかりの大仁橋。正面に大仁金山跡がある。この時はまだ周辺の整備が済んでなかったようで、大仁橋の歴史や工事を紹介するパネルが近くに設置されていた。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁橋のパネル

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり  大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり 大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁橋から眺めた狩野川。 川岸に何か建造物が転がってる。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

解体中の4代目の大仁橋の橋脚(右)と、謎の建造物。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

謎の建造物の拡大。煉瓦でできてる。もしかしたら大正5年に作られたという、県内初めてのトラス橋の橋脚跡じゃないかな。銅製で、3代目の大仁橋だったが、昭和33年の狩野川台風で熊坂側が流失したという。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

旧橋の橋台跡と水晶山の「大仁温泉」の看板

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

水晶山全景

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

昔はネオンが光っていたのかな。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

昔の大仁橋と水晶山の絵葉書

橋のたもとにある狩野川水死者供養塔と石仏群。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

橋の袂の石柱。かなり読み取りづらいけど、「大仁狩野川の清流」と書いてある?

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

「伊豆八景入選記念 昭和30年5月 毎日新聞社」の刻印。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

稲荷神社の鳥居の前を通り、水晶山に登ってみる。山と呼ぶのも気がひけるような小さな山だけど、昔は水晶が採れたので水晶山っていうらしい。
鳥居は昭和13年建立。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

山道を登り、ほんの数分で頂上につく。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

頂上には謎の建造物。石碑には「神武天皇遥拝所」と書いてある。昭和2年建立らしい
神武天皇って紀元前の初代天皇で、実在しなかった人物説もあるようで、その遙拝所が昭和2年に建てられたということについてどう解釈して良いかわからん。
神武天皇の遙拝所は日本全国にあるようだが、意外にそれを解説してるサイトは少ないみたい。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

水晶山・神武天皇遙拝所の上から眺めた大仁金山跡
赤屋根の大きな建物は金山スパ・百笑の湯、昔はここも大仁金山施設だったらしい。
円屋根のぽこぽこハウス群はホテル・オリーブの木。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

拡大

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

水晶山を降りて伊豆温泉村を超え、帝産大仁金山跡に向かう。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

百笑の湯裏にある観音像と古い石碑群(墓石?)。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁金山跡についてみたは良いけれど、目の前に広々とした大型スパ百笑の湯の駐車場があり、秘境的な雰囲気は全くないので、結構あっけにとられるというかガッカリする。廃墟特有の幻想的な風情など何もない。スパができるまでは古い変電設備などもあったりして、かなりお化け屋敷的な印象だったようだが。変わってしまったんだろう。
参考:廃墟系 帝國産金興業大仁鉱山跡 (1999年1月

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

基礎土台のある土手に上がってみると、コンクリートが流し込まれている。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

施設跡の隅にある古い石仏や石碑群。200~300年前から変わらずここにある石碑群なんだろうな。大仁鉱山は西暦1500年代に発見されたらしいけど。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

裏側には山道があるけど、倒木が多く荒廃している。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

森林内にぽつぽつと人工物が転がっているが、特にこれといった大型施設はない。既に大方の施設は撤去・整備していて危険もないので立ち入りを特に禁止もしてないんだろうな。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

円形の建造物。なんだかよく分からないけど、シックナーは既に撤去されているらしいので、これはシックナーじゃないんだな。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁金山跡から眺めた城山の岩肌。富士山も見える!

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁金山を去ることにした。振り返って全容を眺めてみる。もっと山深い地域かと思ったけど、結構間近まで古い民家が迫ってる。解体される前に来てみたかったな。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

瓜生野の集落の合間を通って修善寺駅に向かう。途中、熊野神社にも寄ってく。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

熊野神社の玉石積みの石垣。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

瓜生野地区に残っていた茅葺屋根の廃屋。2012年6月撮影のストリートビューを見ると既に解体されて駐車場になっている。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

昌徳院わきにある火の見櫓と平和ランドリーの店舗。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

下田街道に合流して南側に歩いて行く。石垣の気になる坂道があった。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺橋の北西側の三叉路にある古店舗。営業はしていないようだった。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺橋のたもとにある愛童黒将軍地蔵の一角。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

愛童黒将軍地蔵かたわらの地図。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

メインの地蔵が人間の子供に近い位の大きさがあって結構怖い。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺橋。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺駅前の商店街。2012年6月撮影のストリートビューを見ると、手前の魚政という食堂の建物は解体され駐車場になってしまったみたい。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺駅前の商店街。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺駅前の商店街。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

某店舗のシャッター前に付けられた古いタイル細工の流し台。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

修善寺駅に到着した。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅の外から見た伊豆箱根鉄道の修善寺駅のホーム。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

駅前のバス停の案内板。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

ここから路線バスに乗って次なる散策地・湯ヶ島に向かう。

大仁駅~水晶山・神武天皇遥拝所~帝産大仁金山跡~修善寺駅 徒歩めぐり

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com