あまり下調べもせず、ふらっと名鉄八百津線の廃線跡を徒歩で巡ってみた。2001年に廃止された路線。ほとんど迷わずに行ける。
徒歩ルート
明智駅
素敵な木造駅舎の明智駅。Wikipediaによると開業当初のものとのことで、どうやら大正時代の築らしい。
名鉄広見線と八百津線の分岐。駅付近にある何かの基礎土台は鉄道施設か民家か。
車道を超えたあたりから築堤になってる。レールはもう撤去されてる。
住宅地の中にも橋台が点々と。
可児川に出る。シロサギの親子の密生地になってる。平戸貝の化石株は残念ながら見れなかった。対岸に八百津線の橋台跡が見える。
一般国道21号の伏見跨線橋方面に向かって歩くと、途中から廃線跡が舗装されて遊歩道になってる。
東伏見駅跡
伏見跨線橋を超えたあたりが東伏見駅跡のようだが、まったく面影なし。
舗装されて遊歩道になった道路のわきには比較的若そうな十月桜の木が植樹されている。 高尾山付近の桜も10日ほど前に咲いていたけど、今年は桜の開花が全国的に狂っているのか。それともそういう品種なのか。
アスファルトの遊歩道が終わると、廃線跡らしい切土になる。
しばらくいくと分かれ道になり、大きな森蘭丸の像と誕生の地ゲートが出てくる。森蘭丸(森乱丸)は織田信長に仕え、齢18歳にして討ち死にした美少年だったらしいが、像の方はというとなかなかオモシロな風貌だ。
兼山口駅跡
更に進むと兼山口駅跡にたどり着くが、当時の写真を見てもまったく面影がわかない。この辺の公衆便所はみんななまこ壁風のデザインを採用しているみたいだ。
兼山高架橋をくぐり抜けると、ふたたび廃線跡らしい風情に。切り通しの裏手に祠がある。石碑の刻印をみると、どうやら昭和8年にご参拝に来られたみたい。
急傾斜地沿いにある廃線跡は、急傾斜地崩壊対策工事の擁壁によって埋め立てられていた。通行できるにはできるが、途中かなり道幅が狭くなっている。
擁壁の切れ目に「森家の墓地」の案内板あり。 小道を登ってみると森蘭丸3兄弟の墓(森家廟所)があった。 昭和38年10月7日に町の重要文化財に指定さている。八百津線が廃線になる前、人々は線路を渡ってここに訪れていたのだな。
この擁壁は平成30年に施工されたもののようだ。道の細さが黒部の「下の廊下」的な風情がある。
城門駅
県道351号御嵩川辺線の手前、ちょうど常照寺の上手で擁壁が途切れ、開けた場所に出る。多分このあたりが城門駅(きどえき)跡。正面をみると城山トンネルがぽっかり口を開けている。
城山トンネル
城山トンネルの城門駅側の抗口。
トンネルは途中で内径が狭くなっている。暗くて退避坑はよく見えない。
城山トンネル 兼山駅側の抗口
城山トンネルを抜けると住宅地内のなだらかな築堤になる。近くに美濃金山城の米蔵跡があり、その石垣が見えた。築堤と米蔵跡の間に水道建設記念碑の苔むした石碑があり、湧水のような水が溜まった小池があった。
兼山駅跡(みんなの駅ひろば)
八百津線の橋台の間の道から古城山に登れるようだ。かつて兼山駅があったあたりは「みんなの駅ひろば」として生まれ変わり、更地になっている。近くに古い木造家屋や看板があり、なまこ壁風の公衆便所があった。
住宅地内の、特に変化のない廃線跡に沿って進む。廃線跡とともに住宅地内に溶け込む烏帽子鉄塔。兼山発電所につながってる。いつか兼山ダムとともに訪れてみたい。
廃線跡はふたたび築堤に。
近くにある共同墓地に、今は消えた「兼山町」の文字が残っていた(兼山町は2005年に可児市に編入された)。
兼山ダム(木曽川)に注ぐ沢に架かる小さな橋。逆光でよく見えず…
県道381号多治見八百津線と八百津線廃線跡の分岐部には大型橋台が残る。
分岐周辺には廃線跡らしい広々とした更地が残るが、それも尻すぼみになって、何だかよくわからなくなってしまう。たぶん廃線跡はすべて車道に変えられてしまったんだろう。 そのせいか、このあたりは生活感があまりない。
広々とした平地の中の廃線跡を突き進む。平地のど真ん中にででんと立つ高層の烏帽子鉄塔が象徴的だ。
中野駅跡
何だかまったくよく分からないのだが、中野駅跡はこの辺か。この石垣がその名残だったりしないか。
歩道と車道、どちらに転用されたのかわからない廃線跡を進む。
伊岐津志駅跡
おそらくこのあたりが伊岐津志駅(いぎつしえき)跡でないかと思うが、さっぱりわからない。さらに車道と歩道、どちらに転用されたのかわからない廃線跡を突き進む。犬の散歩をしてる人がいた。
八百津駅跡
2.5kmほど、自動販売機1つもない道のりを歩いてきたが、八百津駅跡にたどり着いてやっと商業施設が出てきた。実際の八百津駅跡はもう少しずれた場所にあるようなのだが、この時は何の下調べもせずに出かけたのでそこまで突っ込んで確認できなかった。
八百津駅周辺のレトロ看板
今回の八百津線めぐりは一応ここまで。ここから先の丸山水力専用鉄道についてはいつかちゃんと調べて訪れたいと思っている。ちょうど2年前の冬に八百津橋対岸の商店街周辺を散策したが、その時の軌跡と線をつなげるために八百津橋まで足を伸ばしておいた。ただ八百津橋は工事中で、夕闇迫り急いでいたこともあり、完全に渡りきらずに引き返してきてしまった。
帰りは八百津線の廃線跡でなく県道381号沿いに歩いてみたが、やはりこちらの方が古い町並みをしている。火の見櫓、木製電柱、古井戸、石碑。路傍祠など…。単純に歩くならこちらの方が面白い。あとここでもピンクの桜らしき花が咲いてる樹木があった。どうしちゃったんだろう。
中野消防詰所バス停
実は今回一番見たかったもの、帰りも途中までわざわざ徒歩にした理由は、この中野消防詰所バス停をもう一度見たかったからだったのだ。以前このあたりに来た時に路線バスの車内から見かけ気になっていた寂れたトタン屋根のバス停。あいにく真っ暗になってしまったけど、とりあえず場所確認できたので良かった。そのまま残っていて嬉しい。
帰りは六角堂バス停から路線バスに乗った。乗客は2人だった。
「美濃太田」(飯田16号)
五万分一地形図 参謀本部
明治44年測図
昭和8年要部修正測図
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