氷川小学校付近の石仏
午前9時頃の奥多摩工業 氷川工場。本格的に稼働していないのか、かなり静か。先週の午前中は騒々しい大音響で稼働していたが。でも人の姿は見える。この調子だとトロッコの運行も期待できないかもしれない、でもまだ本格的な操業時間に達していないだけかもしれない、そんなことを考えながらトロッコの様子を見に行ってみる。
この工場、見るからに古いのは分かるけど、細部を見るとあちこち破損したままになっている。実際に稼働させている施設はどの程度あるのだろう。
奥多摩工業曵鉄線
9時過ぎに到着した時点では運行していなかった。でもトンネルの電気はついているので、これから工場の稼働にあわせて運行するかもと思い、待機。
9時半近くになったら動き始めた。随時運行しているわけでなく、数分~数十分おきに停止する。停止時間は数分から数十分、運が悪いと数時間。かなりまちまち。
連結もあるんだな。
ゆるゆると動き始めのトロッコ。
石灰石はかなり大きい時も細かい時もあった。
フェンスがレールっぽい
12時近くになったらすっかり運行が止まってしまった。トンネルの電気も消されていたので、しばらく運行再開見込みはないのかなと思い、路線バスに乗って白妙橋の方に移動。昼休みなのかわからないが、氷川工場はすっかり静かになっていた。ほとんど稼働していなかった。白妙橋の方のトロッコも止まっていた。
白妙橋の岩壁でロッククライミングをやっていた。
すごいな。これだけの岩壁で…
白妙橋の隧道。中に照明が設置してあるのだが、もう使われていないようで、暗くなっても灯らない。そもそもここから小菅の方に向かう道自体が通行止めとなっている。奥多摩地域は2年前の令和元年東日本台風で甚大は被害を受けた。通行止めがそのせいか、それともその前からかは不明。ともかく柵や橋が壊れたまま放置してあり、小菅集落までの狭い山道に設置してある街灯も灯らない。
白妙橋から道なりに進んで出る集落。地理院地図で見ると「小菅」と書いてある辺りだが、厳密には小菅ではない模様。なぜかというと、この先に「小菅集落までこの先500m」という道標が出てくるので。というか、現在の住所表記では「日原」に当たる地域だが、「大澤」という地に当たるらしい。
大正9年発行「氷川案内記」氷川村青年会発行(参考:国立国会図書館デジタルコレクション)
山の斜面に這いつくばるように建てられた大きな古い家屋。既に廃屋となっている。
大澤の路地は細い。先月、ここで水道工事をしていた。その部分のアスファルトが新しくなっている。
小菅集落分岐。
伽藍神社
近くには比較的新しい東京都水道局 日原第三配水所が建てられている。
奥多摩工業氷川鉱山 専用索道跡
これついては【山さ行がねが】廃線レポート 奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡 第3回さんが詳しいので、そちら参照。等高線がゆるやかなのでなめてかかってしまったが、想像以上の急傾斜で正直滑落の恐怖を感じた。断るまでもないかもしれないが、途中、道はない。部分的に道らしき筋が出てくるが、急に岩壁が出てきたりもする。恐ろしい。
山の中に散乱するトロッコ
崩壊したトンネル内
橋桁の屋根の部分にレールらしきものがたくさん使われている
石灰成分が溶け出したのか。橋桁に鍾乳洞のつらら状のものができていた。
小菅・大沢集落に戻る。小菅・大沢集落も昔は山の斜面にもっとたくさんの民家があったようだが、すっかり荒れ果てている。三界萬霊もほぼ置き去りにされた形。
人の踏み跡もまばらな小菅集落の山の斜面を歩いてみると、山間の中にぽつんと荒れ果てた家屋がある。どうやら寺のようだ。
この瑞雲寺という廃寺については、大正9年に発行された「氷川案内記」氷川村青年会発行(参考:国立国会図書館デジタルコレクション)に「瑞雲寺(すいうんじ?) 字小菅(あざこすげ)にあり北峰山(ほくほうざん)と號(ごう)す」との記述あり。
すっかり薄暗くなってしまった大澤の集落を経て白妙橋の方に戻る。路線バスの時間を間違えてしまい、もはや間に合いそうにもないが、一応急いでみる。
夕方16:20頃だが、大澤集落の細路地には既に街灯が灯っている。
大澤集落~白妙橋間の橋やフェンスが崩壊した場所。「通行止め」の張り紙があったが、それも朽ちてよく見ないと気づかない状況になっている。
実際にはもっと暗かったが、街灯は灯っていない。結局路線バスは逃し、次のバスまで1時間以上あったので、奥多摩駅まで歩きで戻ってしまった。かなり薄暗い道中だが、車通りも少ないので助かった。
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