【徒歩ルート】
松山銀天街・道後に続き、全蓋式アーケードが丸山で3番目にできた商店街。往時は、映画館や旅館、温泉やスナックなど、約157店舗もの多種多様な店が軒を並べ、1日中たくさんの人でにぎわっていた。
現在は廃屋となっていたりシャッターを下ろしている店も多い。
▼商店街の最西端にある辻井戸公園。
辻井戸は約300余年前の古地図にも記され、昭和4年まで町民の飲水に使用されていた。
辻井戸の由来 (文字起こし)
慶長八年(1603年)松山城主加藤嘉明が、三津浜を水軍の根拠地に決めたことにより、この地は御船手と問屋と漁師の町として、繁栄の門が開かれた。この辻井戸は御船手の専用水として掘られたが、明治の初めの廃藩後は、西北地区住民の重要な生活用水として長く用いられた。
この附近は、御船場が稲荷新地となり、江の口に電車の終点が出来たこともあって、お祭りなど住民の憩いの場としてにぎわった。
三津浜の歴史を物語る由緒ある文化遺産として、この辻井戸を長く保存するものである。
▼居酒屋とカラオケ店が営業中の古家屋。
▼結局この日は入店しなかった純喫茶ブーケ
▼白石玩具店のノスタルジックなポスター
▼三津住吉公園付近に設置された三津浜商店街の案内板
豆タイルかわいい
▼銭湯かと思ったが、高木商店という店で、現在は高齢者ふれあいひろば として利用されているらしい。
▼旧濱田医院の告知ポスター
▼商店街の最東端の入口付近にある住吉神社。稲荷新地から移転してきた。
参考
データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム 愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行) 第二章:県都松山市 第四節:商業・貿易 三:三津浜の商店街
「三津お散歩マップ」 〇ミツハマル〇愛媛県松山市三津浜地区にぎわい創出事務所
「松山市三津浜の港町としての盛衰について」 池田善昭
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